恩師坂口先生,増坂先生を囲んで 2002/1/16 new |
2001年秋、宮古第一中学高時代の恩師、坂口忠先生が「宮古のことば2」を又 増坂勲先生が画集「海」を出版されました。そしてお二人がご一緒に市政功労 賞を受けられました。誰からとも無くお二人を囲んで同窓会を開こうという気分が 高まりました。2002年1月12日、崎山の「休暇村 陸中宮古」においてお二人を お祝いする会が開かれました。四捨五入すると約半世紀前の中学時代になりま すが私共はとても素晴しい先生方に恵まれました。戦後の影を引きずっており 貧しさの中にありましたが、学校に行くことは楽しいことでした。学校の行き帰り に偶然先生の誰かと一緒になると、内心「もうかった」と言う気分で、なにげない 会話をしながらも、その中から光る言葉を頂きながら登下校したものでした。 増坂先生には図画工作を、坂口先生には理科を習った人と国語を習った人と 居ます。お祝いの会には三年一組(坂口学級)、二組(増坂学級)、三組、四組、 五組、六組から合計約五十人が集まりました。 幹事:中村悦子、小成智香子、中山博生、中村敏晴 ではお祝いの会でのお二方の先生の言葉を紹介いたします。 坂口 忠 先生のご挨拶
おばんでございます。正面見れば誰も居ませんので、どっち見てしゃべれば良い のかきょろきょろしながらご挨拶申し上げます(笑い)。こんばんは。お忙しいとこ ろしかも天気の良くないところお運び下さいましてありがとうございます。幹事の 方々本当にご苦労様でございます。先ほど映画俳優みたいな人がここに来て挨 拶されましたので、その後に前科三犯のような顔で立つのは大変気がめいる (笑い)のですが、市政功労者と言う名前になっていますが、これは漢字が間違 っているので(笑い)、私の場合は姿勢がよいとそれで表彰されたのであります。 (笑い)何か新聞とか広報に載っているのを見ると役所に勤めた小役人として 表彰されたような感じがして(笑い)あまりよい気持ちはしないのですが、ま、人 が褒めて下さることは有難い事だと思っております。 皆さんとの関係で、本人が言うのもおかしいですが、私自身の思いで言うとすれ ば皆さんが一年生の時に現在教育界でやっている「総合的な学習」と言うものは とっくにやっていたつもりです。理科を中心にして文集を作ったことがあります。 その中には詩も載っていれば、社会科的探訪と言いますか、市役所だの、 診療所だのあちこち行って調べたりなんかして、ま研究文と言いますか報告文 を書くと言う、皆さんひどい目にあったと思いますが(笑い)、そういう訓練を受け ている。題名は「方向舵」と言う題で刷ったのですが、何しろ一クラス六十数名 ですから、しかもそれが十クラスあった時代ですから、それを私一人の力で刷り 方をやれば原紙は破れるだろうし、大変なので限定版にしました。それを希望 者にしか配っていませんから持って居ない人が多分多いし、持っていてもどっか に捨ててごみの回収に出したかもしれませんが(笑い)、もし持ってた方はその 証拠になると思います。 あのころは自分の好き勝手ばかりやっていてこういう御馳走の並んでいる席で 言う話ではありませんが、都合が悪いので学名で言いますが、Canis Familiaris Linne と言う動物を極めて愛護をした覚えがあります(笑い)。二匹ばかりちょっ と研究のために保健所経由で使わせていただいた(笑い)。そのおかげで私の 組から外科の医者も生まれた。詳しい内容は伏せておきます(笑い)。そういう訳 で好き勝手なことばっかりやっていたし、クラブではガキ大将みたいにそごらの 山ー駆けずり回ってばかりいて本当に生物クラブだったのかなんだかちょっと 判らないような塩梅ですが(笑い)、ま、そういう事をやらしていただいた。先程 ご挨拶に頂きましたようにあの頃は体重は飲んでも食っても何しても53sでし た。現在はうっかり食おうものなら80kgになるので、75kgでストップするように 漸くとめている様な塩梅で(笑い)、こういうのに関しては先ほど感謝状をもらった 人がずいぶん尽くしてくれていると思います(笑い)。改めて本人の口から感謝を 申し上げます(笑い)。 今日はゆっくり皆さんとお話をして楽しませていただきたいと思います。本当にこう いう機会を作っていただきまして心から感謝申し上げます。ありがとうございました。 増坂 勲 先生のご挨拶
おばんでございます。話の上手な先生の後にやるのはとても大変です。 特にしばらくぶりで緊張したので、緊張すると心臓に悪い。それに余計高いところ で緊張します。本当に今日はこういう席にお招きいただきまして心からお礼を申し 上げます。ありがとうございました。幹事の皆さん本当にご苦労さんと心からお礼 を申し上げます。 私はこういう所に招かれるような先生では無かったし今でもそうですが、特に三年 二組の皆さんにはですね、私の教員生活でとてもこういう席に招かれるような事 はしなかった。本当に恥ずかしい、申し訳ないという気持ちでいっぱいでござい ます。今回の功労賞につきまして、あーいう賞は、おどそり、年配者が頂く賞で あって、私なんかには縁の無いものと関係ない顔をしておりました。話があった とき「間違いじゃないですか」と市役所に話をしましたが「いやそうじゃない」と押し 問答の末に承諾いたしました。今でも「私には似合わない賞なのではないかなー 」と思っております。 市民会館ができたのが昭和51年で、それ以来展覧会はそこを利用させてもら っていますが、私どもはそれ以前からいろんな所を借りて展覧会をやってきま した。昭和28年に宮古文化協会が発足してからは、私は若かったので下働きを してきました。それが今に繋がる活動になった思います。45年になるでしょうか。 50年になるでしょうか。そういう事で御褒美を下さったのであろうと、それで納得 したわけです。ま、一生懸命これからも、この辺を磨きながら(御自分の額をさし ながら)ですね、頑張っていかなければならないんだなーと思っています。 正直去年は無理をしました。11月の展覧会の後「がんばんねーで休め」と皆か ら言われて、「いつ具合が悪くなるか」と気持ちの上で待機しておりました。 しかし正月も無事に過ぎ別に具合は悪くなりませんでした。上から下まで弱いと ころはいっぱいあります。耳にも電池が入っているし、心臓にも電池が入って います。まるでわらすの玩具みでーな人間ですけどもなんとかかんとか電池で 動いてこれからもがんばっていきたいなーと思っています。 本当に今日はありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。 |
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