事件概要
1999年4月13日未明、事件は起きた。
旭川医科大学医学部看護学科四年、Aさんは、同医学部医学科6年のB(父親は市内開業医)に
「お母さんの病気の話をどうしても今聞きたい。」
と電話で呼び出された。
AさんとBは、大学のサークルの先輩と後輩であった。Aさんは普通の先輩として、実家の母親の病気のことや、北海道の恋人がいるが、実家に就職して欲しいと言われていることなどを相談したことがあった。しかし、BはこれをAさんの好意として受け取ったのか、何度か交際を迫り、Aさんは個人的な交際はしないと断ったことがあった。
そして、事件以前の春休み中に、Bに相談していた事が解決、両親から北海道の就職を許可され、喜んだAさんは夜9時にBに悩みを聞いてくれたお礼の電話をかけた。このときBは飲み会の最中であった。Aさんは御礼のみ述べ、電話を切った。その後、上記の電話がかかってきた。このときの電話は深夜0時をまわっており、
「もう遅いから」
というAさんに対し、
「すぐに行くから。」
という電話であった。実際にAさんのアパート前まできたBは
「もう下まで来たから、すぐ来て。少しでいいから。」
と再び電話。先輩にそこまで来られては申し訳ないと、Aさんは着替えて家を出た。
BはAさんに車に乗るように言い、どこへ行くのかと何度も問うAさんには答えず、車を発車させた。BはAさんに対し
「喋っていていいよ。」
「シートベルトはした?」
しかいわなかった。そして旭川医科大学付近の人気のない真っ暗な場所に急に車を止めると、助手席のシートを倒し、Aさんに馬乗りになった。
恐怖でパニック状態になっているAさんはそれでも
「いやです。」
「私には恋人がいます。」
と抵抗するも、Bは「彼いたっていいじゃん。」
「ここで嫌がらなければ強制にはならないんだから。」
「一回ぐらいいいじゃん、おねがいだからぁー。」とAさんを押し倒し、胸や下腹部に手を入れ、抵抗すればするほどむしろ楽しそうに執拗に迫った。Aさんの必死の抵抗に性交はあきらめたのか、
「もうこんなになっちゃったよ。」
と手淫を強要し、
「じゃあ、フェラしてよぉ。」
とまるでアダルトビデオさながらにAさんの頭を押さえつけ強制的に口淫をさせ、射精した。
その後、
「首を吊って死にます。生きていけない。」
と呆然としているAさんに対し、「首を吊る?正気なの?俺を脅す気?」
「男は先には何をするかわからないものだ。」
「君もこの場にいたからいけない、共犯だよ。」
「これ、君の彼に言ったら、彼との結婚話も壊れるよ。」
「世の中には言わなくてもいいこともある。」等の言葉を浴びせ、性暴力を奮った事を口外しない様強く口止めした。
「家に帰ったら首を吊る。」
と混乱しているAさんを乗せたまま医大の周りを周回し、
「アルコールがまわってきた、気持ち悪い。」
とAさんを家の前に下ろした。
4月16日までAさんは時間の感覚がなくすごした。その間に友人に被害を打ち明けてもいるが、「自分はモノだった。」とという感覚が強く、講義で「受精」「精子」などの言葉を聞くと吐き気が襲ってくるようになった。
4月19日に近所の交番へ行くも、最初は痴話喧嘩と思われ、相手にされなかったが、話を聞くにつれ、事実に気づいたのか、「女性被害の相談電話」を紹介された。20日、紹介された先へ電話をかけ、性犯罪捜査員の婦人警察官に事件を相談、数回の通話の後、23日、旭川東警察署強行犯係へ出向くことになった。
旭川東警察署では、容疑者が事情聴取をされるような場所へ通され、そこで女性の警察官に話をすることになった。その女性警察官は親身に話を聞いてくれた。Aさんの許可を得て入ってきた男性の上司は、
「(AさんもBも)もう二十歳を過ぎている。」
「刃物で刺されたり脅されたりしていない。」
「事件にするのは難しい。裁判になるとあなた(Aさんの)のプライバシーが暴かれてしまう。」
「Bが『被疑者』になってもいいのか」等
と言った。
強制猥褻には告訴が必要なことや、被害届と告訴の違いの説明は無かった。Bに事件について口止めされており、Aさんは「事件にならない」ことで「被疑者」にしたときの報復を恐れ、それ以上何も言えなくなった。
そして、「大学と親を通して出頭命令を出すのが社会的制裁になる。」
「手口からして繰り返していると思われるので、週明けにも出頭命令を出す。」
「警察にはこれしかできない。」と言われた。Aさんは泣きながら帰らざるをえなかった。
4月26日、Aさんは先週末に出さなければいけなかった書類を提出に学生課へ出向いた。そこで提出を遅れたことを叱責され、
「警察へ...。」
と理由を述べようとするも、
「聞きたくない!」
と怒鳴られ、泣きながら学生課を出た。
廊下で泣いていると、職員に
「さっきの話が聞きたい。」
と言われ、そこにはC教務部長もおり、教務部長の部屋で話をすることになった。そこで被害の詳細と、警察から出頭命令があることを話してしまう。
夕方に再び教務部長室で話をするときには、Aさんの学年主任であるD教授(助産婦)も同席していた。この時は、
「うちの学生が申し訳無い。」
と言う一方で、
「親には言ってないんでしょう?」
と聞かれたりもした。
そして、教務部長の自宅へ夕飯を食べにくるように誘われ、友人と共に出向くも、事件の話は一切無かった。
翌日、「君が心配だ。」と教務部長室に呼び出され、そこへ出向くと、D教授らは、
「警察は事件にならないと言っている。」
「お互いに五分五分に悪いから立件できないと警察に言われた。」
「君のことが好きだったんじゃないの、君はかわいいからでしょ。」
「今の若い人にはセックスフレンドというべき人もいる。」
「君は彼もいて、初めてではないんだからいいでしょう。」
「手や口を洗えば治る。」等の言葉を浴びせてきた。公の場に問いたいと言うAさんに対しては、
「今はきみのために広めないほうがいい。」
とその考えを否定した。
警察へ電話で確認すると、「五分五分だなんて言っていない。大学を通し出頭命令を出した。当初Bは否認していたが、認めて始末書を書いた。内容は明かせないが、『弱い者を追い込み、申し訳なかった。』という内容で、本人が自分で親に言うというので、親には連絡していない。」
と説明された。
大学はAさんの訴えを取り上げず、Aさんの出身学校へ
「Aは大学院の設置を妨害している。」
等と虚偽の情報を広めるなどした。
Aさんは追い込まれ、大学の2次的加害行為に対しても、旭川東警察署に再度相談したが、
「これ以上警察には何もできない。」
と言われ、最後の選択として何とか弁護士へたどり着いた。
5月16日、旭川の女性団体に相談、そこで弁護士を紹介され、札幌の弁護士事務所へ出向いた。そこで弁護士に「警察が動かないのはおかしい。それならまず、旭川地検に告訴状を出しましょう。」と言われ、刑事告訴の手続きを取ると同時に民事についても準備を始めることになった。
6月4日、最初に話を聞いてくれた女性刑事に対して旭川東警察署に電話をかけ、強行犯第一係へまわしてもらうと、そこで出た別の男性警察官(E係長)に
「Aさんか?検察に告訴状を出したんだな!」
と怒鳴られ、
「弁護士の方にやっていただいた。」
と答えると、「君自身の意思で出したんだろう!え!弁護士がやったと言っても、依頼したんだろう。」
とさらにひどい剣幕になった。
「いつが都合がいいんだ?学校には行っているのか?駄目だ、学校に行かねば!気持ちを切り替えろ!いつまでも...。」
「こっちだって忙しいんだ、来週また連絡する。事情聴取してやるからきなさい。」と電話を切られた。
事情聴取の前、このE係長がAさんに付き添っていた女性に対し、「弁護士じゃないだろうな、え、未成年じゃないんだから困るよ。」
Aさんが同席を願い出ても、
「だめだ。」
「名前は、年齢と職業は。」とその女性に問い、その女性が
「あなたの名前は。」
と問うと、
「俺は、Eだ!」
と叫んだ。その女性が自分の身分を明かすと、急に手のひらを返したような態度になり、出ていった。昼には、「お蕎麦でもお取りしましょうか?」とまで言った。
事情聴取は、女性警察官が私服で行ってくれた。部屋も前回のような鉄格子のある部屋ではなく、少し明るい部屋になっていた。
2000年
2月27日、第3回民事裁判が開かれる。
3月23日、第4回民事裁判が開かれる。
4月3日、検察審査委員会へ不服申立てを行う。
8月3日、 。
9月28日、旭川医科大学において上記に対する口頭説明が行われる。
10月17日、旭川検察審査会、「不起訴不当」の議決を旭川地検へ送る。
12月15日、Aさん検察で1回目の事情聴取を受ける。
2001年
1月30日、第9回民事裁判が開かれる。
2月2日、Aさん検察で2回目の事情聴取を受ける
3月2日、Aさん検事に手紙を書く。
4月24日、第10回民事裁判が開かれる。
5月15日、Aさん、検事と地検内の「被害者ホットライン」に手紙を書く。
6月9日、Aさんの婚約者が検察で1回目の事情聴取を受ける
6月10日、Aさん検察で3回目の事情聴取を受けた。
検察審査会の議決を受け、捜査を担当している次席検事は
「非常に残念だが起訴出来ない可能性が大きい」
とその理由を以下の様に説明した。
「告訴人の陳述には何等矛盾は無く100%被疑者が悪い。あなたが性行為に合意していなかったのも明らかだ。」
「しかし、被疑者のいう『(合意があると)錯誤した』との主観を、あなた(Aさん)の陳述を持ってしてでも客観的に崩せない」
「捜査したところ被疑者は常々女性にその様な事をしており常習犯と分かった。しかし普段からその様にちゃらちゃらしているため、どんなに女性が嫌がっても『合意があると錯誤した』との主張を、逆に崩せない。あなたが真面目で繊細な女性であり被疑者が遊び慣れており、あなたが刑法で言う明確な暴行・脅迫が無くても恐怖で凍り付いてしまったため、残念ながら刑法の隙間に落ちてしまった。強制猥褻の『強制』を証拠付ける客観的な根拠が無い。被疑者の主観『錯誤した』を言われると終わり。事件から既に2年も経ち皆記憶が曖昧で証拠も無い。時間が経ち過ぎた。運が悪かったと諦めて欲しい」
「起訴してもあなたへの誹謗中傷が一層増すだけ」
(被害者が、「私は旭川東警察署に勇気を振り絞って被害後1週間で行き助けを求めたのに、警察は被疑者に「これは罪にはならない」と言って返してしまったと聞いている。どうしてきちんと取り扱い捜査して下さらなかったのかと反論すると)
「警察署は初期から事件をきちんと捜査していた。報告書も始末書もある。捜査を続けていたのにあなたの代理人が突然99年5月末に警察や地検に告訴状を送ってきたため、加害者を被疑者として取り扱わざるを得なくなり任意での取り調べが出来なくなり捜査を急がねばならなくなったから。そのせいで捜査が不充分になってしまった」
(被害者が「強制猥褻罪でも傷害罪でもいいから、まずは罰して欲しいと言うと)
「やった事に関しては双方の陳述に差異は無く、猥褻行為に間違いは無い。道義的には明らかに問題だが刑法では罪にならないというだけ。他の罪でもどうしても罰せられない」
「被疑者はもう2年もたち本当に自分は悪くないと思っている。取り調べても『何で俺がこんな目に』と泣き言を言うだけで、非常に元気で大学にも行き飲み会などにも参加しており全く反省していない。刑事と民事は異なり刑事は非常にハードルが高いので、民事訴訟で」
などと説明した。
「原告に、先輩後輩の関係を超えて被告と交際する意思がなかったことは明らかであり、このような原告が、被告の供述するように、その求めに対し、拒絶もせず、自ら積極的にこれに応じるとは到底考えられない。」
「そもそも、原告に、ことさら虚偽の供述をしてまで、本訴を遂行するような動機を見い出すこともできないのであって、必死に拒絶した旨の原告の供述は基本的に信用できる」
「原告をPTSDと診断したことは相当と考えられる。」
「なお、被告は、原告が本件行為の状況を極めて詳細かつ整然と述べているとして、「トラウマ周辺期の解離」が認められない旨主張するが、(中略)状況を記憶していることと、解離症状の発生とが相容れないものとは思われないのであって、被告の主張を採用することはできない」
とし、
逸失利益(5年分)457万9509円、慰謝料400万円、弁護士費用100万円の957万9509円の支払いを命じた。