「性暴力の被害に合う女性は、露出度の高い服を着て、暗い場所で見知らぬ男に突然襲われるものだ。」
こういった思い込みを俗に「強姦神話」と呼びます。では、これは本当でしょうか?
東京強姦救援センターによると、「顔見知り」による犯行が7割以上をしめるという統計があります。そして、この事件の被害者は、ロングスカートはいてコートを着ているのである。
「本当にいやなら死ぬ気で抵抗すれば回避できたはずだ。」
これも良く言われることではある。
しかし、突然のことに混乱してしまい、抵抗できなくなることは一般的におかしな事ではない。この事件に限って言えば、事件を再現して分かったことであるが、シートを倒してその上に馬乗りになられれば、物理的に逃げ出すのは不可能である。そして場所がまわりに人のいない暗がりであったとき、「死ぬ気」で抵抗できる女性が何人いるであろうか。実際に殺されてしまうかもしれないにのである。
これは是非皆さんにも試していただきたい。2ドアの車(トヨタレビンのような)で助手席を倒し、馬乗りになって相手を押さえつけることは、押さえつけられる側の協力など無くとも、意外と簡単にできてしまう。繰り返していれば尚更である。そして、押さえつけられた側は逃げ出すことが非常に困難な状況であることが理解いただけると思う。
「車に乗ったのが悪い。」
こう言う人もいます。一般的にも、「女性側に隙があった。」「もっと慎重にしていれば..」等の言葉が聞かれます。しかし、これが性犯罪ではなく、傷害や窃盗ではまずこうは言われません。窃盗でも、「もっと戸締りを厳重に」等言われることがあっても、犯人のほうがまず問題にされます。この差は何でしょう。
たとえ被害者に過失が合ったにせよ、その過失割合は著しく低いものです。そして、行った行為に対しては、責任をとるべきと考える。
この事件の加害者は旭川医科大学医学部医学科6年生で、父親は旭川医科大学第二内科の元講師で、現在同教室の同門会副会長をしている市内開業医である。医学生は将来医師になる者としてのモラルが問われてしかるべきであると言える。しかし、法律では医学生に対する処罰規定はほとんど無い。医師法では
第四条 左の各号の一に該当する者には、免許を与えないことがある。となっているが、罰金刑を受けても大学の学長の推薦があれば医師免許が交付されてしまう。今回の事件のように刑事で処罰されていないと、何ら問題無いという事になってしまうのだ。
一 精神病者又は麻薬、大麻若しくはあへんの中毒者。
二 罰金以上の刑に処せられた者。
三 前号に該当する者を除く外、医事に関し犯罪又は不正の行為のあつた者
上記の如く、もともとの事件を引き起こした学生に対する管理責任を大学に問うのは酷かもしれないが、その事件の結果についての責任を学生に取らせること、及び、医師になるべき学生を教育するという責任が大学にはあるのではないだろうか。インフォームドコンセントが叫ばれて久しいが、このように人の権利を己の欲望の犠牲にする学生が患者の権利を尊重すべき医師になることを認めるという大学の姿勢には非常に疑問を感じる。旭川医科大学の学則上、この学生を退学にする事も可能であったと思われる。しかし、それを敢えてしなかったばかりか、「無期停学」の解除をその一年後、すなわち、残りの単位のみで卒業、国家試験の受験が可能というときにしている。これによって、この医学生は医師になることに何の障害も無くなったと考えてよいであろう。
また、その後の被害者に対する大学職員の対応は、大学が責任を問われてしかるべきと考える。特に、「君は彼もいて、初めてではないんだからいいでしょう。」「手や口を洗えば治る。」などの発言は、職員としてだけでなく、人間として許されることではない。
だいたい、「初めてではない」なら、このような行為を強制されても仕方が無いという考えが正当化されるならば、処女以外(子供がいる主婦などは当然)は強姦やわいせつ行為をされても泣き寝入りする以外に無いという事になってしまう。
「手や口を洗えば治る。」と言う助産婦が教授を勤めていること自体がこの大学の程度を如実に表しているとも言えるが、だからと言って許されていいものでもない。「手や口を洗えば」、被害者が恐怖に襲われた事件そのものも消えてなくなると言うのであろうか。その程度で「治る」のならば、PTSDという概念そのものが無意味になってしまう。尊厳を否定する行為を正当化する発言が女性である助産婦からきかれた事は、非常に残念でならない。
旭川医科大学は、調査委員会を設け、そこで処理を行っている。しかし、調査委員会の結論は、
「両者の言い分があまりにも違うため、判断できない。」
ということであった。自分の罪を素直に認めたら、医師になれないと分かっている医学生が合意を主張するのはあまりにも当たり前であり、両者の主張が180度違うのも当然であろう。
そして、加害者である医学生を無期停学処分にした理由も、
「世間を騒がせた。」
「結果として女子学生をPTSDにした。」
ということになっている。つまり、性暴力行為があったかどうかは問題にしていないのである。新聞報道は、セクハラ医学生の処分となっているが、大学はこれを性暴力とは認めていない。何故PTSDになったのかという重要な部分がポッカリと抜け落ちているのだ。もちろん、PTSDは「望んだ性行為」や、「失恋」といったことでは発症しない。そして、性暴力行為自体がなかったという認識なので、医学生に行為そのものに対しての責任を大学が求めることはできなくなったという構造になっている。
「たまたま、看護学生が訴えたことが新聞記事になったので、仕方なく、処分を出した。しかし、ほとぼりが冷めたころに復学ができるように退学ではなく、無期(期間を定めないのだから、いつでも復学可能)停学とした」
といったところである。
しかし、ある副学長が医学生に対して、看護学生に謝罪をするのを止めていたという証言も裁判書に提出されており、また、大学の嘱託弁護士が加害者の弁護についている(加害者いわく、父親(上記開業医)がこの弁護士と知りあいだった)ことを考えると、大学ぐるみでこの事件を無かった事にしようという思惑がが見え隠れする。
刑法では、次のように定められている。
第百七十六条 十三歳以上の男女に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、六月以上七年以下の懲役に処する。十三歳未満の男女に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする。そして、続いて次のような記述がある。
(強姦)つまり、強制猥褻は「暴行又は脅迫を用いて」行われ、被害者の告訴があってはじめて成り立つということである。
第百七十七条 暴行又は脅迫を用いて十三歳以上の女子を姦淫した者は、強姦の罪とし、二年以上の有期懲役に処する。十三歳未満の女子を姦淫した者も、同様とする。
(準強制わいせつ及び準強姦)
第百七十八条 人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、わいせつな行為をし、又は姦淫した者は、前二条の例による。
(未遂罪)
第百七十九条 前三条の罪の未遂は、罰する。
(親告罪)
第百八十条 第百七十六条から前条までの罪は、告訴がなけれぱ公訴を提起することができない。
阪神大震災で有名になったこの病名は、DSM-IVで定義されている(DSM;Diagnostic
and Statistical Manual of Mental Disorders:精神障害の診断統計マニュアル)
。性犯罪や、戦争等、自分の生命にかかわるような被害を経験したときに発症する一連の症候。単なる失恋や、望んだ性行為では発症しない。被害者であるAさんは、このために現在も、吐き気、嘔吐、不眠、下痢等の症状に悩まされ続けている。これは、合意の無かったことを強く示唆すると考える。
電話相談の窓口を作るなど、性犯罪の被害者に対する理解ができている様に見える。しかし、それが全警察官に浸透しているかというとそうとは言えないようだ。「警察不祥事」などの言葉が新聞を賑わせて久しいが、この事件の被害者が受けた対応もその流れに入っているだろう。警察官の中で被害者にきちんと対応したのは最初の女性警察官のみと言える。上記の如く、「強制猥褻罪」は「刃物で刺されたり脅されたりしていな」くても、立件可能なはずである。それを知らなかったのか、それとも故意にこの事件の捜査をしなかったのかは不明であるが、どちらにしろ適切な対応であったとは言い難い。被害者が被害を届け出たとき、強制わいせつが親告罪であり、「告訴」が必要なことを説明しなかったばかりか、告訴をあきらめることを奨めるなど、捜査の意欲が感じられない。そして被害者が検察に告訴したとき、その被害者を怒鳴りつけるなど、まるで告訴したことが悪かったかのような行為が何故行われたのであろうか。そして、この事件の捜査として、加害者を呼び出して「始末書」なるものを書かせるのみであり、現場検証や、再現すら行われていないのである。
検察審査会法によって定められた検察の不起訴処分を審査する機関。一般市民11人によって構成される。その議決は、「起訴相当」、「不起訴不当」、「不起訴相当」の3種類あり、「起訴相当」には11人中8人の賛成が必要であり、非常にまれ。検察の捜査が不十分であったとするのが「不起訴不当」である。しかし、この議決には検察への法的拘束力は無い。
今回、「不起訴不当」の議決が出たことは、旭川地検の捜査が不十分であったと審査会は認識したということである。また、この議決の中で、合意性が無いことは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されたことで明らかであるとしている点は、評価できる。ある意味、常識的な議決であるが、これより旭川地検の動きを注目すべきであろう。