初夢スペシャル
第一章 ネコ耳さま萌えのカツラギだよ!

( ……カ、ツ、ラ、ギ )

 彼女を縛りつけた丸太を水に浸したとき、その哀しくも甘い声が
俺の心に響いた。彼女の健康そうな尻尾が不安そうに水面を撫でて
いる。俺はその尻尾をやさしく丁寧にタオルで拭ってやりながら、
彼女のネコ耳をじっとみつめていた。
 彼女が揺れている。その脚は丸太を跨ぎ、その腕は丸太を抱くよ
うにして縛りつけられている。いや、縛ったのは俺だ。
 俺が、愛をこめて、縛った。
 身長30センチの彼女は、片方の頬を丸太に押し付けるようにし
て、首を半回転させた姿勢で、それでも信じきったような目で俺を
みつめている。
 うつ伏せにネコ耳の少女が縛り付けられている丸太、その丸太が
いま、俺の目の前の水路にぷかぷかと浮かんでいる。
 ネコ耳をなかば隠しているセミロングの淡髪が乱れてあらわになっ
た彼女のうなじに、俺はそっと唇を近づけた……

『そこまでにしてもらおうか、カツラギ君』
 俺の甘いひとときは、伝声線から響く司令の言葉で打ち切られた。
『時間がないのだ』

 ……そうだ、ネコ年はあと数時間で終わるのだ。俺はその匂いを
惜しむように、彼女の首筋からゆっくりと唇を離した。
 彼女、ネコ耳とネコ尻尾をもつお転婆で可憐な少女。その小さな
身体のどこに、このツォンナ世界を支える力があるというのだろう
か。ツォンナの十二の少女神、妹妹(メイメイ)。
 そしてこの俺が当主であるカツラギ家は、その十二妹妹を一年ご
とに順番に祀り続けている家系なのだ。

「分かった。ネコ耳さまは、カツラギ家がこの一年、責任をもって
お祀りしたことを報告する」
『了解した。お祀りか、ものは言いようだな……』

 司令の言葉の最後は、羨むようなものが混じっていた。彼ら軍属
に俺たちのような聖家の重責を理解させることは不可能だと分かっ
てはいるが、いらぬ誤解は断固として正しておかねばならぬ。

「お祀りとはすなわち、愛だ。すべてネコ耳様に対する愛なのだよ、
司令」
『……一年間、ご苦労だった』
「分かってくれればよいのだ」
『……では、その愛を来年の干支耳さまのためにも奉げてくれるな』
 命令形であった。

 そう、カツラギ家は一年交代で十二妹妹さまのお一人をお祀りせ
ねばならぬ。つまり一年で愛した妹妹さまとお別れし、新たな妹妹
さまをお迎えしなくてはならないのだ。

「来年はサル年なのだな」
『そうだ。サル年なのだ』

 今年の干支耳さまであるネコ耳さまをお送りした後、俺の手元、
つまりカツラギ家に新年の祭祀として新たなる妹妹さまがやって来
るのだ。この聖水路をとおって降臨されるのだ。

「サル……なのだな」
『そうだ。貴公、可愛がるのだろうな?』
「むろんだ。それがカツラギ家の当主の使命なのだからな」
『うむ、それでよい。それこそが、このツォンナ世界の安寧を支え
る貴公の役目なのだからな』

 嘘だった。千年続いた聖家の当主の役目など、俺の心にとっては
ちっぽけなものだった。むしろ振り切りたい血のしがらみなのだ。
しかし、しかし、妹妹なのだ! 俺はカツラギだ! ひとたび妹妹
を目にしたからには、可愛がらずにいられるワケがないではないか!
たとえ、その妹妹がサルであったとしても。
 ……可愛がってみせるとも。 

「可愛がるのか?」
『そうだ。可愛がるのだ』
「……可愛がるのか……あぁ」

 その前に、つらい儀式が待っている。丸太(絶対に沈まず、かつ
転覆もしないという聖妹妹管理機構保障付きだ)に乗せて、旧年の
妹妹さまをお送りしなければならないのだ。
 先ほどまで不安そうに俺をみつめていたネコ耳さまは、今はもう
その状況に飽きてしまったのか、丸太を抱くような姿勢のままで、
眼がとろんとして半ば眠りにおちかけていた。
 ……本当に転覆しないのだろうか?

「丸太を抱いて眠るのか?」
『そうだ。丸太を抱いて眠るのだ』

 ……本当に大丈夫なのだろうか?

 そして彼女の口元からつーっと小さなあごを伝った涎(よだれ)
が、俺の心をぐっと掴んだ。視界の端にふと入った彼女が行くべき
聖水路の流れ、その暗い先が俺を不安にさせた。身長30センチの
妹妹さまが流されるそれは、まるで流しそうめんの水路のように小
さく、儚なく思えた。これが彼女の運命の流れなのか……。

「彼女はどこへ流されて行くのだ?」
『貴公が知る必要のないことだ』
「……教えろ」
『……モエモエ大王の御許(みもと)だ』
「モエモエ?」
『大王だ』
「……そこでどうなる」
『……可愛がられるのだ』
「可愛がられるのか……?」
『そうだ、可愛がられるのだ……』

 俺は、寝ぼけ眼の彼女の顔にそっと口を近づけ、その彼女のあご
の涎の流れを、そっと舐めとった。ネコ耳さまの口元がくすぐった
そうに緩んで、ネコ耳さまの眼が俺を嬉しそうに見た。
 心から、愛が溢れるのを感じた。
 俺の唇は、あごからすっと上方に移動し、彼女の唇を探っていた。
 心から、そうだ、いまの俺は心から萌えていた。
 いや、彼女と会ってからずっと……
 この一年、ずっと萌えていたのだよと、気づいてしまった俺の心っ!

『待てっ! ネコ耳さまに対して貴公はそこまで……妹なのだぞ!』
 司令の焦ったような声が耳に刺さってきた。くそっ、司令め。こ
の部屋を魔術工兵に透視させているのか。
「……モエモエ大王に可愛がられるのだな」
『……そうだ』
「モエモエ大王も、ネコ耳さまの頬に口づけするのか?」
『可愛がるのだ、と言ったはずだ』
「……この俺、カツラギと同じことをネコ耳さまに対しておこなう
のか?」
『……それ以下か、それ以上か、それは知らん』
「モエモエ大王にはサル耳さまがお似合いかもな」
『なにっ、バカなことは考えるな! 貴公は……』
「……そうだ、カツラギだ。ネコ耳さま萌えのカツラギだよ!」

 司令が大慌ての口調で部下に指示をしているのが聞こえる。そう
いえば奴の名前をいままで知らなかったな、などとどうでもよいこ
とを考えながら、俺の手はネコ耳さまを縛る戒めを解除するため、
水路に半ば浸りながらもどかしく動き続けていた。

 そのとき、部屋の呼び鈴が鳴った。

 司令(ナナシ司令とでもしておこう)の部下がもう押し寄せて来
たのだろうか!? 俺、カツラギとネコ耳様を引き裂くために!
   
「司令、部下に退却するよう命令しろ。突入するとネコ耳さまを怯
えさせることになるぞ」
『やめろっ! 妹妹さまを怯えさせては、ツォンナの静かな平和が
崩壊してしまう! それは聖家である貴公がもっとも承知のはず!』
「ならば部下を撤収させろ」
『部下はまだそちらに到着していない』
「ならば誰だ」
『知らぬ! 隔離されている聖家を訪れることができる者など』
「……一人だけいる」
『……誰だ?』
「……盟友だ。いや、朋友か」
『……誰だ?!』
「……トーマス、そういう名だ」
 俺はネコ耳さまを安心させるように、彼女に向かって微笑んでか
ら、戸口にむかった。

『待てっ、そんなハズは無い! 奴は……トーマスは……』

 ナナシ司令の叫び声を無視して、俺は鍵を開けた。その扉を開い
た俺の目の前には……