誰も知らないこと





「帰れ」
「あ。ひでぇ。傷心の友人を慰めてあげよう、とか思わないのかよ?」
 冷たく言い放つ私に、目の前の男が拗ねた声をあげる。
 …可愛くない。デカい図体に拗ねられたって。
「思わない。…傷心なら、可愛いカノジョに慰めて貰えば良いでしょ」
 脳裏に浮かぶ、可愛い女の子。こんなバカと一緒に居て、いつも物凄く幸せそうに微笑んでる。本当に可愛い女の子。
「ヤだ」
「…アンタね」
「アレ、こういうのに向いてないし、俺が疲れる」
「最低」
「傷心抱えて更に疲れたくないし、アレに言っても意味ないし」
 堂々と嘯くコイツに怒るより先に呆れてしまう。
 …っつーより、私なら疲れないのか。…疲れないんだな、多分。今更ながら、つくづく遠慮の欠片もないヤツだ。
「だーかーらー、慰めれ」
「他当たれ」
「冷たい」
「…深夜に現れたバカに酒とつまみ与えてやって、冷たいと言われる筋合いはない」
 目の前に転がる、ビールとチューハイの空き缶…に、ワインの空瓶。食べ散らした皿。ここまでしてやって、冷たいも何もないもんだ。
「…バカって事はねーだろ」
「じゃ、阿呆」
 ぽんぽん飛び出す応酬。互いの口の悪さはもう、今更。元々口は悪い方…と言うか、きつい方だけど、相手がコイツだと、倍増するみたい。
 それはさておき。
 無言のままで人を凝視する相手に大仰な溜息を吐いて見せる。ここら辺が、限界。どうせ、始発までにはまだ少し時間がある。それまで居座る気だろうヤツの無言の凝視に耐えられる程…私の忍耐力は強くない。
「…聞くだけなら聞いてあげる。ウーロン茶でも持ってくるから少し待ってて」
 酒を飲んでも然程、喉が乾かない私と違って、コイツは大量に水分補給するから。自分用に熱い紅茶と、相手に冷たいウーロン茶(グラス添えだが、2リットルペット毎)を用意する。
「言っておくけど、惚気は聞かないよ?」
「…んなもん、言うか」
 吐き出すように言う姿は、本当に『傷心』って感じなんだけど。…でも、それに同情心は起こらない。
「じゃ、何」
 促すけれど、返答はなし。それもいつもの事。…どうせ、言うべき内容なんてないんだから。それを判っていながら沈黙を保つと、愚図り気味の声。
「疲れた」
「そう」
「もう限界」
「だから?」
「捨てて良い?」
「ダメ」
 いつもの科白といつもの返事。いい加減、飽きてるんだけどね、この会話。
「最初に言った筈だよ?アノ手のタイプ、捨てたら承知しない、て」
 可愛くて。可愛くて可愛くて。
 本当に『女の子』らしい女の子。
 ちょっと、羨ましい位に。
「…知ってる」
「じゃ、バカな事言うな」
 一刀両断。
「…アンタさぁ…。知ってて付き合ってるんでしょ?」
「何を?」
 呆れた口調の私に、探るような目つき。どうせ続く言葉は判ってるクセに、腹の立つ。
「私がアノ娘を大事にしてるの」
「…知ってる」
 不貞腐れた声は、耳にタコが出来る程言った内容だから。
 互いに、無駄に繰り返しているだけの言葉。
「じゃ、諦めて」
「だから!」
「愚痴だけなら聞いてあげてるでしょ」
 本当なら、叩き出しても良い筈。でも、それをしないのだから、感謝して貰っても構わないと思う。本当は、物凄く面倒臭いのに。
 毎週毎週。
「…なぁ」
「…そろそろ、マジメに帰れ。始発出るよ」
「冷たい」
「今更でしょ」
 言いながら、相手の散乱していた荷物をまとめ、上着と併せて突き出す。渋々受け取り、腰を上げるのを黙って眺める。
「早く帰れ。…掃除するんだから」
「またかよ」
 嫌そうに確認するのに頷く。
「…午後には来るから。掃除して仮眠取りたいの」
「ご苦労さん」
「判ってるなら、急げ」
 肩を竦める相手に軽く同意を示して。それでも追い立てるように部屋から追い出す。鉢合わせだけは、ゴメンだから。
 来るのは、カノジョ。
 目の前の男のカノジョで、私の可愛いアノ娘。
 幸せそうな笑顔で、幸せのお裾分けにやってくる。
 楽しかったデートの報告に。
「…お前さぁ…」
「何?」
「…何でもない」
「なら言うな」
 呆れたような視線を素気無く切って。
 聞きたくない事は聞かない。言わせない。それが、ルール。
「また来週」
「もう来るな」
「あー。無理。来週もだから」
「デートの度に来るの、止めれ」
「捨てて良いなら愚痴もなくなるが」
「捨てるな。愚痴言うな」
「そういう訳で、また来週」
「ちょっ…」
 言葉途中で閉められたドアを暫く見つめる。


「…また来週…か」














 独り言の中、口元が柔らかな笑みを形作ったのは。








 アイツもアノ娘も私ですらも








 誰も知らないこと。


END



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