『サクラって綺麗よねぇ』 『…ねぇねぇ、私さ。サクラの花の樹の下には死体が埋まってるって聞いた事があるわよ?』 『…ちょっとぉ』 『だから、サクラは人の血を吸って淡いピンク色なんだって』 『それ、なんか嫌!…日本人って何考えてるのよぉ』 『…良いなぁ…』 『…何?エクセレン、何か言った?』 『…ん〜?…日本の人って桜に抱かれて眠るのね。だから、潔いのかしら』 『…どこからそういう発想が出て来るのよ』 『気味悪いとか思わない訳?』 『ぜぇんぜん。…だって、綺麗じゃない?それに、この下でお酒飲むのよぉ?日本だと』 『…それ、もっと違うと思う』 気怠い春の午後、ブリーフィングルームの窓から、淡い色のひとひらの花びらが舞い降りてきた。 「あ、桜のはなびらじゃないかっ。どっかに咲いているのかなぁ」 「もうそんな時期なんだね」 飛び起きて窓に向かうリュウセイと、しみじみと感じ入るリョウト。 「桜の季節、といえば…」 「宴会でしょう」 それに対し、ガーネットと異口同音に反応するエクセレン。 「どうしてそっちに走るかな」 「あら、マーサ。桜といったら花見、花見といったら宴会でしょう?」 「そうそう、宴会よねぇ」 嫌そうな顔をするマサキににっこり笑って言い募る。 「宴会…。久しぶりね、そういうの」 「ああ。戦闘戦闘でそういう縁遠かったからな」 「じゃあ、俺が腕によりをかけて料理を作ってやるよ。リョウトも手伝ってくれるよな?」 レオナとライの言葉を受けて、タスクが腕をまくる。頭の中には既に花見用の料理が数品、リストアップされてるのだろう。 「自分も手伝います。こうみえても、日本料理得意ですので」 「ああ、構わないよ。なんだったら、クロガネから食材を分けて貰おうか。あの艦だったら。結構良い食材とか料理とか知っているかも知れないし…」 こうなってくると話は早い。肝心の桜の樹も見つかってないにもかかわらず、宴会の計画が突き進んでいく。自分から言い出した事なのに、エクセレンは内心苦笑した。 ノリが良いのは悪くない。特にこんな時勢では。宴会も、ストレス発散の一つとみれば、提案のし甲斐もあるというもの。…皆、それを理屈ではなく知っているのだろう。 「あ!!あったぁ!あんな所にでっかい桜の木!!」 「本当だぁ。格納庫の裏なんて気が付かなかった。良く今まで折れなかったよね、あんなでかいの」 ずっと桜を探していたリュウセイが歓声をあげ、一緒に探していたリューネも桜を指差す。 「え〜?どれどれ…。ん!決まりっ!皆で、お花見しましょう。カーク博士やマリオン博士、カイ少佐とかも呼んで、パアーっと盛大に」 格納庫の裏に立っている桜の大木を確認し、咲き具合も満開に近いのを見て取ってエクセレンが言う。 「いいねぇ!ダイテツ艦長とショーン副長の秘蔵のお酒を頂いてさぁ」 「ああ、それだったらダイテツ艦長、最近隠し場所変えたみたいよ。この間行ったら無かったもの」 端から正攻法で手に入れるつもりのないガーネットに残念そうに教える。『行ったのかよ!』…というお約束の突っ込みは笑顔とシナで黙らせて。 「それなら知ってるニャ。隠してる場所、見たニャ」 「でかしたわシロちゃん!」 花見にこそ、良い日本酒なのに…と微妙に落ち込んだ素振りを見せる二人に、シロが思いついたように告げる。刹那、エクセレンがシロを抱き締め、kissの雨を降らせる。 「そ、それほどでもないニャ」 その後、とんとん拍子に話は進み、日程(即断即決の彼等らしく翌日。雨天順延)、役割等が決まると、それぞれが散っていく。 その様子に満足げな息を吐くと、ゆっくりと向き直す。 「あ、キョウスケ。キョウスケも、参加するわよね?」 先刻から独り、離れた位置で外を眺めていたキョウスケの側に寄って、いつも通りの声をかける。頬杖をつき、心ここに在らずの表情を見せている彼は、どことなく近寄り難い。 「キョウスケ?」 外界全てを拒絶するような気配に少し、眉を寄せる。一瞬、躊躇してしまう程にそれは人を寄せ付けない。…エクセレンでなければ、気圧されて声すらかけられなかったのではないだろうか。 「花見の件なんだけど…」 「いや、いい」 切り出せば、即座に拒否の言葉が返ってくる。 「俺は…桜は嫌いなんでな。……やりたければ、勝手にやってくれ。俺は、今回は加わらん」 吐き捨てるように言い捨てて、視線を合わせる事無く出て行ってしまう。 「ちょっ…。…ん」 取り付く島もないとはこの事か。反射的に呼び止めようとして、そのまま見送ってしまう。 一人取り残された室内で、溜息を吐く。脳裏には、桜の花弁を見た時のキョウスケの表情。 ほんの一瞬だけ見せたそれは、『嫌い』と言うにはあまりにも辛そうで。心が締め付けられるような切なさを感じさせたのだ。 その時は、咄嗟に注意を自分に引き寄せてしまったけれど。 「……嫌いって…そんな顔じゃないわよ、キョウスケ」 「…ま、そういう訳ですのでぇ、明日のお昼からお花見!…て事で、許可いただきたいんですけどぉ…」 おねだりのポーズをしながら幹部4人を見ると、困った顔のレフィーナ、複雑な表情のテツヤ、面白がっているショーンに表情の読めないダイテツがいた。 「ほぉ、花見ですか。良いですなぁ。…それで少尉、時間はどの位の予定で? 「それはもぉ、ナ・リ・ユ・キって感じで。非番の人も当番の人も満遍なく楽しめるように」 「成程、流石ですなぁ。…レフィーナ艦長、ダイテツ艦長、如何ですか?」 「うむ。…酒は出るのかね?」 ショーンから遠回しの許可が下り、ダイテツからも緩やかな許可が下りる。だが、ここで爆弾を落とすのがエクセレンである。 「そりゃー、もう。ダイテツ艦長とショーン副長からは秘蔵のお酒も戴いてますし。ご満足いただける程度には」 「…む」 「…し、少尉。それは…」 エクセレンの言葉にダイテツが目を剥き、ショーンが動揺の声をあげる。それを欠片も意に介せず、エクセレンは爽やかに続ける。 「艦長からは大吟醸『究極のしずく酒』と『八海山』。副長からはコニャックのXO。…確か、グランド・シャンパーニュ産。あと、天下のロイヤル・ハウスホールド。ん、もお、流石副長!…って感じ」 「エ…エクセレン少尉…?」 「あ。レフィーナ艦長もテツヤ副長も安心してくださいね?お子様と下戸ちゃん用にソフトドリンクもご用意してますよん」 顔面蒼白になった年長2人を慮ってかレフィーナが遠慮がちに声をかけてくる。それをあっさりと別用件で畳み掛けてしまう。 「あの、エクセレン少尉…」 「じゃ、そゆことなんで」 にこやかに反論を許さず司令部を立ち去る。…人質ならぬ酒質を取られては、ダイテツにもショーンにも逃げ道はない。秘蔵の酒を彼女達に空にされる位なら、進んで参加するだろう。 「…さ、流石は少尉…。侮れませんな」 「うぐっ…」 「…ソフトドリンクも…あるようですね」 「…まぁ、未成年も多いですからね…」 「…ひゃあ…。すっごいわねぇ…」 誰の気配もないのを確認して格納庫の裏に回ると、エクセレンの目の前に朧月に照らされて、桜が浮き上がる。その幻想的とも言える情景に一瞬息を飲んだ。 「…怖い位に綺麗ねぇ…。…ねぇ、あなたも誰かを抱いてるの?」 足音もなく桜に近付き、幹に手を添える。間近で見る圧倒的な存在感に見入ってしまう。 「…イルム中尉に聞いた…って言ったら…怒るかしらね…」 あの時のキョウスケの表情が気になって。 さり気なさを装ってイルムに聞き出した。敏い相手は真意に気付いているかもしれない。…それでも、そうせざるを得なかった。 キョウスケが桜を嫌いと言い出したのはいつか。 「…なんか…ね。辛そうなのよ。あなたを見つめる瞳が…あんまり辛そうで…」 自分の方が痛くなる。 隠そうとして、隠し切れずに零れた想いに。気付いたのは自分だけだと思いたい。 理由も、ある程度は判ってしまった。 それを本人に認めさせるのは大変そうではあったけれど。 何も出来ずに、何をして良いかも判らずに、ただただ、息を潜めて立ち竦む。 どれくらい経ったのだろうか。人目を避けるように人影が現れる。条件反射的に気配を消し、様子を窺う。自分の位置は丁度木の陰に入っていて、相手からは見えないようだった。 月の位置も、エクセレンに味方したのかもしれない。 「…桜は、嫌いだ…」 押し殺し、搾り出すような声が、耳に飛び込んでくる。その声に、相手がキョウスケだった事がしれる。 感情を抑え込もうとしてるのか、胸を抑える姿に心が痛む。 どうして素直に感情を出さないのか。出すまいとするのか。 不器用な青年に哀しくなる。 「何で……」 呟く声が砕けたガラスの様だと、本人は気付いてないのだろう。 月明かりに照らされた、傷ついた表情を黙って見ていられなくて、半歩だけ進み出た。 「…そこで、何をしているんだ」 「キョウスケ」 足音を立てた訳ではないが、かなり神経が過敏になっているのだろう。気配を現したのと同時の誰何に吐息が漏れる。 「…なんだ?何か用か?」 「んー、用は別に無いんだけどね」 怪訝そうな相手に、偶然と平静を装って応える。 「だったら、すまないが放っておいてくれないか」 冷たく響く声。…だが、そう言われて放っておけるのなら、今、目の前に出てはいない。それ程、弱くもない。 「キョウスケ…」 名を呼びながら傍により、半ば強引に胸元に引き寄せて抱きしめる。トクン…と心臓が跳ねたが、そんな事に構ってもいられない。 「…泣いても良いのよ?」 耳元に囁く。 「何を…」 馬鹿なことを…と、自分を見返してくる相手にうっすらと笑みを溢す。。 「私も、あのシャトルの事故で友達を亡くしたわ。そりゃそうよね。私とキョウスケしか生き残ってないんだから」 ゆっくりと告げる。 キョウスケが『桜嫌い』になったのは、二人が居合わせたあのシャトル事故の後からと聞いた。その時に、親友を亡くしていると。ならば、その要因はそこにあるのだろう。 互いに、失くしたものの多い、未だ心のどこかに塞がらない傷を作り続けるあの事故で。 生き残ったのは、たった二人。互いだけ。それも、キョウスケがエクセレンを事故の生き残りと知ったのは最近の事らしい。 では、彼はどれだけの間たった独りで耐えてきたのか。想像するにあまりある。 「私は、泣くだけ泣いたらすっきりしちゃったわ。でも、キョウスケは…泣いていないでしょ?」 言いながら、片手で髪を解く。微かな風に髪が靡くのが純粋に気持ち良い。 あまりのショックに、泣けずにいたのは、お互い様だろう。でも、少しでも泣いている分、エクセレンの方がまだ、感情の整理がついている筈。 「だから、泣いて良いのよ。私の前でなら…」 微笑いかける。…少しでも安心出来るよう、感情を吐露出来るよう、願いを込めて。 「泣いて良いのよ」 ずっと…、泣きたかったんでしょ? 柔らかく囁きかける。 癒せる、なんて思い上がってはいない。けれど、同じ経験をして、似た痛みを抱える自分の前でなら…泣くのは悪くないと、そう、言外に込める。 泣かなければ、先に進めない事もあるのだ。 「俺は……」 ポタ…。 否定しようとしてか、エクセレンの体を引き離すキョウスケの手の甲に雫が落ちる。 「な…」 信じられないものを見るように目を見開くキョウスケの両眼から、後から後から溢れては零れ落ちていく。 「俺は……」 驚きのあまり、掌で自分の顔を覆う。感情の発露を認めたくないのかもしれない。 「泣いてなんか…」 否定しかけて失敗する。一度零れた感情は、堰を切ったように溢れていく。 「………くっ………」 「キョウスケ…」 溢れ始めた激情ごと、やんわりと抱き締める。長い間、心の傷を認識出来ずに放置したまま立っていた相手を慈しむように。 …痛みは、どれほど代わりたいと切望しても代われない。だからその分、少しでも癒せれば良いと、ただ、それだけを願いながら。 「…落ち着いた?」 慟哭が収まるのを待って声をかける。 「…あぁ。すまなかった」 少しはすっきりしたのだろうか。頭を振って顔を上げる相手の顔を覗き込む。 「どう致しまして。…桜にもお礼言ってあげてね?」 「………」 「キョウスケ?」 「…あいつ…桜が好きだと言っていた…。桜の様な生き方がしたいと…」 絞り出す声に、ついキョウスケの服の裾を握ってしまう。 「…忘れないと…約束した…なのに…」 「…忘れなかったじゃない」 唇を噛み、軽く深呼吸すると思い切ったように呟いた。 「エクセレン?」 「…桜、嫌いだって言う位に憶えていたじゃない」 「それは…」 「無理して忘れる事はないわ。でも、無理して思い出すこともなかったのよ」 思い出そうとするから辛くなる。そして、辛すぎるから無意識に忘れようとしてしまうのだ。 泣けなくなる程。 その理由すら、記憶の中に封じてしまうくらい。 「貴方が本当に忘れちゃったら…。彼、死んじゃうわ」 「……」 「貴方が憶えている限り、彼は生きていられるのに」 戸惑う視線を真っ直ぐに見返し、微笑みかける。 ある種の発想の転換。それすらも思いつかなかっただろう、相手に。 「…彼、怒ってるわよぉ?…何年も無視されて」 「…それは…気付かなかったな…」 おどけた、いつもの口調で言ってみると、キョウスケの口元が微かに笑いの形を作る。 「もお。絶対怒ってるわよ?こぉんな綺麗な恋人まで出来たのに、報告もなしなんだから」 「…自分で言ってどうする」 「客観的事実だから、仕方ないのよ」 綺麗にウィンクをしてみせながら優しい笑顔を向ける。いつもの、鮮やかな笑顔ではない、柔らかな微笑み。 「……確かに、お前の事、あいつが綺麗だと言っていたな」 一瞬の突風に髪を抑えるエクセレンに向けて小さく呟く。その声は、彼女には届かなかったろうが。 「なぁに?何か言った?キョウスケ」 「…いや。紹介しないとな」 キョウスケの返事を期待してなかったのだろう。反芻するように言葉を吟味して、それからゆっくりと嬉しそうに笑う。 「…ねぇ、キョウスケ。明日、やっぱり一緒にお花見しましょ?」 「……」 「私達は宴会してるから、貴方は彼とゆっくり話をしたら良いわ」 …やっぱり、楽しい方が良いでしょう? ねだるように言う相手に首肯する。 いつも、いつでも、エクセレンはキョウスケの思いもつかないことを言う。 それを心地良いと感じたのは、いつだったろうか。 「…エクセレン」 「なぁに?」 「…ありがとう」 「…どう致しまして」 |