『−−−−−−−−−−−−なあ、キョウスケ』 桜の木の下で本を読んでいたキョウスケの側に彼は座ると、そのまま寝転んだ。 『…どうした?』 用で無い限り、彼は声をかけてはこない。だから、クラスから弾かれていた。 『お前は、この士官学校を卒業したらどうするんだ?』 士官学校を卒業して連邦軍に配属されるのを待つか、民間企業に就職するか。大体は軍に配属される事を望むが、そうでない者も最近は増えてきていた。地球外生命体との戦いを恐れて…。 『まだ、決めていない』 民間企業に就職する気はなかったが、今の軍のやり方にも疑問を感じていた。 「そうか。俺はなぁ、PTのテストパイロットになってガンガン新しい機体を乗りまわすんだ』 軍の中に於けるPTのパイロットというのは危険と隣り合わせであった。だから、報酬金は高い。 『お前らしいな』 士官学校でキョウスケと一・二を争うほどの近距離戦を得意としている彼ならば、危険なPTのテストパイロットも軽くこなせるだろう。 『んでもって、可愛い彼女作って一生楽させてやるんだ』 『…そうか』 ありきたり話だが、何故か彼と話す時は、イルムと話す位にとても心が落ち着いていた。 『そういえば、今度成績優秀者だけご褒美に宇宙旅行だったよな?』 どういう訳か、今回に限ってそんな計画が俄かに浮上していた。 『お前の知り合いの…確か、イルムとか言ったっけ?あいつから聞いてないのか?なんでいきなり「ご褒美」なんてもんをくれる様になったのか』 『…いや、それといって聴いてはいないが…』 そんな話がでた事は一度も無かった。もっとも、軍の最高機密に触れている事であったらイルムがそう簡単に口を開くはずもない。 『ま、くれるもんは有り難く受け取っておくのが筋ってもんだからな』 しかし、ただより高いものはない。本当に「ご褒美」なのか疑問である。 『それから帰ってきたら、卒業かぁ』 『その前に卒業試験があるだろう?大丈夫なのか?PT操縦以外の成績、随分悪いそうじゃないか』 『あー、そんなんは気合。気合で何とかなるって』 誤魔化す様に笑いながら呟いた。 『桜だなぁ…』 『…そうだな』 別に気にする事もなく、読んでいた本のページをめくる。 『俺は、桜って花が好きだ』 唐突な言葉だった。 『キョウスケは、どうだ?桜は好きか?』 『桜の花の樹の下に死体を埋めると、毎年花の咲く時期になるとそいつに逢えるらしいぞ』 実際はどうなのか知らない。やった事がないし、見た事がないから。 『おいキョウスケ。お前さあ、平然とそういう情緒のない事を言うなよ。それじゃあ、「桜の花びらがあんな淡い色をしているのは死体の血を吸上げているからだ」って事になっちまうだろう』 冗談交じりに身を震わせて見せる。 『昔の日本の歴史の勉強で習ったな。戦国時代の武将は、自分達の命を花に良く例えていたと』 物腰が「潔い」というのが売りの日本人を誇張するのに良く使っていた比喩表現だと。 『だったら桜って花は、日本人の心だよな。「咲いて美し、散って美し」ってのはまさに武士道だ』 軍の上層部に日本人が多いのは、そういうせいではないとは思うが。 『…ああ、そうかも知れないな』 『俺は、日本人に生まれて良かったと思う。キョウスケ、お前に逢えて良かったとも思う』 臆目も無くそういう事を彼は平然とした表情で言う。そんな彼を少し羨ましいと思った。 『…俺もだ』 不意に風が吹き始める。 桜の枝がこすれ、花びらが舞い落ちる。 それは、花吹雪となってキョウスケと彼に降り注ぐ。 『なあ、卒業しても俺の事忘れないでくれよな』 髪についた花びらを指でつまんでくるくると回しながら彼が微笑んだ。 『ああ、忘れない』 『約束だぞ』 あまりの強引さに、思わず口元が緩んでしまう。 『ああ、約束した』 しかし、その言葉に答えた彼の表情は覚えていない。 風に運ばれてきたのか、何処からともなく淡い色のひとひらの花びらが床に舞い降りた。 「あ、桜のはなびらじゃないかっ。どっかに咲いているのかなぁ」 窓に張り付いてリュウセイが言う。 「もうそんな時期なんだね」 「桜の季節、といえば…」 「宴会でしょう」 異口同音にエクセレンとガーネットの声。 「どうしてそっちに走るかな」 マサキは露骨に嫌そうな表情をした。 「あら、マーサ。桜といったら花見、花見といったら宴会でしょう?」 「そうそう、宴会よねぇ」 この二人、酒が飲める席なら何でも良いようだ。 「宴会…。久しぶりね、そういうの」 「ああ。戦闘戦闘でそういう縁遠かったからな」 レオナとライがなにやら懐かしげな表情を浮かべながら言う。 「じゃあ、俺が腕によりをかけて料理を作ってやるよ。リョウトも手伝ってくれるよな?」 「自分も手伝います。こうみえても、日本料理得意ですので」 「じゃあ、ブリットも手伝ってくれ」 ブリットはともかく、リョウトとタスクの料理は旨いと定評がある。花見の為の料理メニューはまかせて安心である。 「ああ、構わないよ。なんだったら、クロガネから食材を分けて貰おうか。あの艦だったら。結構良い食材とか料理とか知っているかも知れないし…」 「そっ、それだけは止めてくれリョウト。クロガネだけは…」 突然クロガネの名前を持ち出されて、あからさまに狼狽えるライだった。 「お兄さんと仲直りしたのに、まだ慣れないんだねライは」 しかし、そこまで動揺する理由は何か別にあるのではないだろうかと詮索してしまいそうになるのはいうまでもない。 「あ!!あったぁ!あんな所にでっかい桜の木!!」 突然声を上げるリュウセイ。 「本当だぁ。格納庫の裏なんて気が付かなかった。良く今まで折れなかったよねあんなでかいの」 一緒になって探していたリューネも声を上げる。 どれどれとエクセレンが確認をする。 「決まりっ!皆で、お花見しましょう。カーク博士やマリオン博士、カイ少佐とかも呼んで、パアーっと盛大に」 「いいねぇ!ダイテツ艦長とショーン副長の秘蔵のお酒を頂いてさぁ」 ガーネットがはしゃぎながら言う。 「ああ、それだったらダイテツ艦長、最近隠し場所変えたみたいよ。この間行ったら無かったもの」 思い切りショックを受けた表情をしてその場でしなを作って見せた。 「それなら知ってるニャ。隠してる場所、見たニャ」 その言葉に態度を一変させ、思わずシロを両手で鷲掴みにしてキスの嵐を降らせたのだった。 「でかしたわシロちゃん!」 「そ、それほどでもないニャ」 鼻の下を伸ばし切ったシロがクロに後で制裁を加えられたのは言うまでも無い。 言い出したら止まらない。あれよあれよという間に日取りも時間も決まっていった。 「全くこの飲兵衛は…」 苦虫を噛み潰した様な表情をしながら、小さく呟く。しかし、それを聞き逃すエクセレンではなかった。 「あ、そういう事言うのなら、マーサは花見不参加って事ね」 「マーサって呼ぶな。誰が参加しないって言ったんだ」 「あらだって嫌そうな顔しているじゃない」 「具合が悪いの?だったら、私が健康ドリンクを…」 「わっ!待った!!それだけは、勘弁!!」 「クスハの健康ドリンクは、飲んだら不健康になっちゃうから駄目よ」 「え、でもこの間ラーダさんが『美味しい』っていってくれたけど…」 クスハの言葉に一瞬、全員がラーダの方を向いた。 「…美味しかったですよ?」 その言葉に、ラーダが味覚オンチではないかという噂が基地内に流れたのは後の事である。 「じゃあ、後で役割分担決めて掲示板に貼っておくからね」 「外でやってるアヤ大尉とカチーナ中尉とラッセルくんとラトゥーニにも伝えておいてね、リュウセイ」 「あ、俺かよ?」 「適材適所ってものがあるでしょ、だから宜しくね」 「なんか、その言葉意味違う様な気がすんだけどなぁ」 言いつつ、流されてしまうのもまたリュウセイであった。 「判った判った。伝えてくれば良いんだろ?おいっマサキ。お前も付き合え!」 言うなり、マサキの襟首を後ろから引っつかむ。 「お、俺は関係ないだろぉ」 「良いから良いから。リューネも一緒に行こうぜ。ついでに、桜の花事前下見してこようぜ」 「あ、行く行く。あたし、桜ってモニターでしか見た事無いから見てみたかったんだ」 モニターって、時代劇のことではないだろうかと思うのだが、あえて突っ込みを入れるのを二人は避けた。 「じゃあ、これから買出しに行ってこようぜリョウト」 「あ、買い物リストを作成するから待ってて。リオも行くかい?」 「一緒に行っても良いの??」 「リオが一緒だったら、中華食材買うのに苦労しないからいいよ」 「買い物行ってきま〜す」 リオ・リョウト・タスクは買い物リストを作成しながら、部屋から出て行った。 「シロちゃ〜ん。お酒調達に行くわよん。ジャーダも付き合ってね」 「げっ!俺もかよっ?」 「当たり前でしょっ!」 「あっ!シロちゃん逃げないの!!」 シロの首根っこを掴み、ジャーダの腕を取ったガーネットがウキウキとした表情を浮かべながら廊下の外に消えていった。 「あ、キョウスケ。キョウスケも、参加するわよね?」 独りだけ離れた位置に座ってぼんやりと外を眺めていたキョウスケ側に寄る。 「キョウスケ?」 心ここにあらずの表情をしている。 「花見の件なんだけど…」 「いや、いい」 切り出すのを一瞬躊躇わせる程の表情を一瞬見せた。 「俺は…桜は嫌いなんでな」 それだけ言うと立ち上がる。 「やりたければ、勝手にやってくれ。俺は、今回は加わらん」 にべもなく言い捨てて、出て行ってしまった。 「よお、どうしたんだキョウスケ?」 場の悪い所にいつも登場するイルムだった。 「イルム中尉」 「何か、あったのか?」 察しが良い。下手に古い付き合いというのは困り者である。 「別に…」 目を合わせるのも面倒くさい。俯いたままその場をやり過ごそうと踵を返した刹那、強引に横入りしてくる。 「キョウスケ」 壁に押し付けられる。 「何もないと言ったはずだ中尉」 だから、頼む。どいてくれ。今の俺に構わないでくれ。 「キョウスケ…」 イルムの体を強引に押し退けて前に進もうとした。が、がっちりと肩を掴まれてしまいその行動も不可能となる。 「何もないって面じゃねぇだろう、キョウスケ」 本当、付き合いが長いというのも困りものである。 「慰めてやろうか?」 言いながら、顎に手を掛けてクイっと持ち上げる。 「冗談なら、他でやって下さい」 イルムの突拍子も無い行動に踊らされるほど未熟ではない。 その手を払い除けようと動く。 「冗談じゃなかったら…?」 強引に唇が触れた瞬間、 「うぐっ…」 思い切り鳩尾にキョウスケの左の拳が突き刺さった。 「自業自得ですよ、中尉。俺は、そういう冗談は嫌いなんで…」 冗談でやった事と判っている。だが、その冗談を冗談として受け止められるほど、今の自分に余裕が無い。 微かに触れた唇を右手の甲で拭うと、そのまま歩き出した。 「あだだだ…。キョウスケの奴、手加減てものを」 言い終えぬうちにイルムの顔から血の気が抜けた。無理も無い、目の前にリンが立っていたのだから。 「お前という男は…。女だけでは飽き足らず、男にまで…」 「ま、待てリン。今のあれは、冗談で…」 「問答無用だぁ!!!!!」 廊下を歩いていると掲示板に『明日はお花見』とタスクの文字で書かれていた。 状況を把握し切れていない仲間の余りの楽天さ加減に怒りがこみあげて来る。 「こんなもの…!」 勢いに任せて、掲示板に貼ってある用紙に手を掛けた。そのままいけば確実に破る勢いで。 刹那、それを一瞬破り捨てかけて、止める。 「…らしくないな…」 誰に言うまでも無く、ぽつりと呟いた。 「これでは、八つ当たりだな…」 用紙を貼り直して元通りにすると、踵を返した。 満月に程近い月明かりが闇夜を照らし出す。 人目を避けながら、キョウスケは格納庫の裏にひっそりと立つ桜の木の下に立った。 微かに吹く風に揺れ、花びらが散る。 「…桜は、嫌いだ…」 花の散り様が忘れようと思っていた感情を 俄かに思い起こさせてくれる。 忘れようとしていた感情。 「………」 こみあげてくる感情を抑える為に自然に胸を抑えていた。何時からだろう、こんな風に感情を表面に出さなくなってしまったのは。何時からだろう、素直に泣けなくなってしまったのは。 「何で……」 さやさやと葉擦れの音が響き、月明かりに照らされて淡い光を放つ樹から花びらがひらひらと舞い落ちる。 「…そこで、何をしているんだ」 暗がりに声を掛ける。 「キョウスケ」 何時からそこに居たのだろう。エクセレンが立っていた。 「…なんだ?何か用か?」 「んー、用は別に無いんだけどね」 「だったら、すまないが放っておいてくれないか」 暫くの沈黙。 「キョウスケ…」 不意に胸元に引き寄せて抱きしめる。 「泣いても良いのよ?」 「何を…」 どうした事だろう、次の言葉が詰まってしまって出て来ない。 「私も、あのシャトルの事故で友達を亡くしたわ。そりゃそうよね。私とキョウスケしか生き残ってないんだから」 ぽつりと呟いた。 「私は、泣くだけ泣いたらすっきりしちゃったわ。でも、キョウスケは…泣いていないでしょ?」 言いながら、髪を下ろす。微かな風にサラサラとした髪が靡く。 「だから、泣いて良いのよ。私の前でなら…」 ゆっくりと微笑んだ。 「泣いて良いのよ」 この光景は、何処かで見覚えがあった。しかし、何処であったか思い出せない。 「俺は……」 ポタリ…、エクセレンの体を引き離した手の甲に雫が落ちる。 「な…」 ポタポタ…と、後から後から溢れて零れ落ちる。 「俺は……」 掌で自分の顔を覆ってみる。 「泣いてなんか…」 いないという言葉が出てこない。 「………くっ………」 堪えていたものが一気にこみあげてくる。 「キョウスケ…」 『気楽なもんだ…』 上層部の命令だろうか、ご褒美に対する拒否権も行使する事ができなかった為、シャトルに搭乗している。 『なあ、キョウスケ』 シャトルも安定したためシートベルトを取って彼が座席越しに振り返って話しかけてくる。 『…なんだ?』 隣に座っている最優秀生徒のエクセレン・ブロウニングに聞こえない様にこそこそと言う。 『俺がさぁ…』 またろくでもない事を口走るのではないかと思いながら耳を傾ける。 『俺がもしPTのテストパイロットで失敗して死んだら、お前だけでも泣いてくれよな』 『…こんな時にそんな事』 縁起でもないと言おうとした。が、 『なあ、キョウスケ。頼むよ』 彼の危機迫る眼差しに簡単に促す事が出来なかった。 『……死ぬなんて、言うなよ』 その言葉が本心かどうかは判らない。 『俺は、死なないよ。だって、彼女に一生楽な生活させてやんだから。万が一って事だよ』 万が一などという事があってはならない。万が一などという言葉は、存在してはいけない。 『………………』 そう、あってはならない事。 『キョウスケ、本当は俺さぁ…………』 彼の言葉は、突然の閃光に包まれて聞く事は出来なかった。 『チッ…!』 無意識だった。とっさに隣に座っていたエクセレンの体を庇う様に覆い被さる。 覚えているのは、思い出したのはそこまでだった。 忘れないと言っていたはずだった。 忘れないと思っていた。 涙が止まらなかった。 桜が好きだと、桜の様な生き方がしたいと言っていたあいつのために………初めて泣いた。 |