…楽しくない。
誰にも気付かれないように溜息を吐き、いい加減温くなったビールの入ったコップに口をつける。
飲み会、なんて本当は嫌い。
でも、世の中には『つきあい』なんてモノがあって。残念ながら飲み会も、ある意味で任務・仕事の一部だったりする。『日常業務を潤滑に進める為』等と言われてしまえば、反論したい気持ちも封じ込め、諦めざるを得ない。
いくら公私の別をつけていたって、人間、基本の感情には正直なものだから。
それでも誘われる9割はなんとか断っているのだが、今回ばかりは逃げられず、半強制で連れてこられた居酒屋はもう、凄い状態になっている。
珍しく、非常に珍しく、上忍と中忍──── それもアカデミーや受付業務を主とした内勤担当の──── の飲み会なのだ。おまけに、何とも気前のいい事に上忍側の奢り、である。
憧れの上忍が間近に、しかもほぼ無礼講、更にただ酒、とあっては中忍達が盛り上がらない訳がない。
異様にハイテンションな中忍の中で、たった一人しらけているイルカは、今夜、何度目かの溜息をコップの中に落とした。
「イルカ〜。飲んでるかぁ?」
「…飲んでるよ」
どろどろに酔っ払い始めた同僚に絡まれそうになるのを巧みに避けて立ち上がる。ドサクサで抱き着こうとしたのをかわされ、不思議そうに見上げる顔に苦笑を浮かべ、手近な瓶を持ち上げた。開けたばかりのそれは、まだ冷えている上に量もある。
「ちょっと、お酌してくるね」
言い置くと、上座の方にいる上忍達の下へと向かった。
「何、お飲みですか?」
柔らかく聞きながら一人一人に酌をしていく。ちょっと、信じられない程の酒瓶が転がっていて、上忍と言えどかなり酔っているらしいのが見て取れる。
それでも『内勤中忍の前で無様な姿は見せられない』という、無駄に高い矜持のお蔭で下手に絡まれなくて済むのが有難い。中には酒癖の悪い上忍もいない訳ではないが、その辺は静かに睨みを利かせている人がいるようだ。
見る者が見れば、明らかに営業用と判る微笑を顔に貼り付けて、ゆっくりと一番の上座へと進む。
最奥。
憂鬱の元へ。
「…どうぞ、カカシ先生」
営業用微笑をあっさり消し、無表情に近い、硬い表情で銚子を差し出す。他の上忍達と違い、『何を飲んでいるか』なんて、今更聞く必要もない。
どうせ、飲んでいるのはこの店で一番高い酒。
目下の者が変に遠慮しないよう、態と高価な物を頼むのだ、この男は。自ら口にし、周囲…特に下の者にそれと知らせず勧め、気付いた時には遠慮するのが今更という状況にまで持っていく。今回は人数が多い所為か、淡々と高い酒を空けているだけのようだが、それでも効果は絶大。現に、中忍達は緊張から開放され、上忍共々、辟易する程のテンションを保っているのだから。
それはそれとして、つい先刻まで、ミーハー気味な中忍くの一の大群に囲まれていた筈なのに、一体どんな手を使ったやら。イルカが傍に寄った時には周囲に誰も居なくなっている。意味ありげに目だけで笑い、くいくいと気安く空になる猪口に、呆れ半分、酌を続ける。
お互い無言。
それでも。
他の誰の酌の時も反される事のなかった掌が、ちらりちらりと相手に見せられる。
他者からは見えないように左手を添え、相手だけに見せるそれは、知る人ぞ知る、花街の流儀。
反す手の、内を見せるは貴方だけ。
そう伝えるのを、正しく理解する相手でなければ、こんな事はしない。手の内の言葉を取って欲しくて、こんな奥まで態々立ち来たのだから。
澄ました顔で続けるイルカにくつりと喉の奥で笑うのが癪に触る。言葉交わせぬ中でも伝え来いと、この所作を教えた張本人のクセに。少し憮然としながらも、漸く寄れた傍らに、酒を注ぐ速度が無意識に緩くなってしまう。それはきっと、相手も感じている事なのだろう。猪口を差し出す手は常より微かに遅い。
「じゃあ、失礼します」
「もう少し、こっちに居れば?」
「…向こう、大変そうですから」
「そうですか」
とうとう空になった銚子と瓶を片手に立ち上がり、暇乞いをすると、礼儀染みた声音で引き止められる。それを下座を示すことで断る。納得顔で酒を口にする相手を置いてさっさと元の席へと戻る。
『もうすぐ、帰るよ』
だから拗ねるな、と。
ちりり、と感じたチャクラがそのまま身体に纏わり着き、甘い意思となってイルカを包み込む。
あまりに薄く、また穏やかなチャクラ故に、上忍・中忍を問わず、気付かれる事はないだろう。
だが、居酒屋を埋め尽くすような忍の集団の中、素知らぬ顔でこんな事をやってのける男に、知らず甘やかな笑みが灯る。
「─────────── …ばか」
背を向けたまま、呟いた一言は。
ちゃんと伝わっているに違いない。
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