儀式


「…何の騒ぎだ?」
「物資が届いたみたいだぞ」
「あぁ。そろそろ一ヶ月だからな」
「確か、慰安用の中忍が運んできた筈だぞ」
「あぁ。だから騒がしいのか」
 宿営地を囲む樹の上で暗部隊員たちが、俄かに騒がしくなった下を覗く。
 長期に及ぶ任地では、里より定期的に補給物資が届く。
 それには、禁欲を余儀なくされている戦忍たちに対する慰安も、当然のように含まれていて。一ヶ月置きに届けられる物資輸送を担う忍には『それ』もまた任務の一つなのである。
「…ったく、この程度の戦闘で慰安が必要なんて、修行が足らない…」
「…なぁ」
「ん?」
 血に酔わない…とまでは言わないが、下に居る一般忍と較べて遥かに精神修養に長けた暗部から見れば、現状で過酷とは言い難い任地において、たかが一ヶ月程度の任期に慰安が到着したくらいでこれ程の騒ぎになるのは理解できない。
 苦々しく、侮蔑の言葉を吐こうとした暗部を、別の一人が遮る。
「あそこに居る中忍くの一なんだが…」
「何だ?」
 同意ではない言葉に全員の意識が向けられる。
「…誰に見える?」
「誰って………え?」
──────── …あ…」
 真っ直ぐに示された目標ブツを全員で視認する。刹那、嫌な空気が樹の上を包み込む。


 ありえない。

 信じたくない。

 まさか。

  そんな意識に支配され、思わず顔を見合わせる。そして、今一度視認。
 彼らの目に映る一人の中忍のくの一。
 未だ少女にしか見えない彼女は、艶やかな黒髪をかなり高い位置でポニーテールにしており、顔立ちそのものは美人、というよりどちらかと言うと可愛らしい。
 そして、何より彼女を特徴付けているのは、鼻梁を横に走る大きな傷。
本来、そんな傷はマイナスにしかならないのだが、ふんわりとした空気をその身に纏っている所為だろうか。彼女に限って言えば、それもまた一つのチャームポイントになっているようだった。
 そんな容姿を持つ、年若いくの一なんて、彼らにはたった一人しか思い当たらない。
「…い、言っても良いか?」
「……お、おう」
──────── …俺の目がおかしくなきゃ、奥方様に見えるんだが…」
「…奇遇だな。俺にもだ」
 意を決して洩らされた答に、重苦しい沈黙が落ちてくる。
どんなに幻だと、見間違いだと思いたくても、哀しいまでに優秀な視力と現状認識能力は、唯一弾き出された答を真実だと告げている。
 それは。
 彼ら暗殺戦術特殊部隊を纏め上げる、唯一絶対の存在が心の奥底から愛しんでいる人間。未だ充分に若い、彼らの長が唯一人と決めた相手
「…」
「……」
「………」
「…………」
「……………」
──────── …すまん。下世話な事聞いて良いか?」
 無言で近くの仲間の肘をつつき合い、視線を泳がせながら一人が口を開く。
「………言えよ」
 一人がやはり、落ち着かない様子で応じる。
「奥方様って確か…」
「……先だっての中忍試験に合格されたばかりだ」
 確認の為に告げられたのは、件の彼女の最新の経歴。互いの記憶に間違いがないか、肯き合う。
「…銀隊長は里に…」
「…戻ってないのは、我々が一番よく知ってるだろう」
 救いを求めるように喘いだ一人に応えたのは、比較的落ち着いた声を持つ一人。
 ただし、その声色には苦渋の色が見え隠れしている。
「…て…事…は…」
「…多分…」
 恐る恐る…と言った風情で互いを見る。

 走る沈黙。
 漂う緊張。
 背筋を伝う、冷たい汗。

 動揺のあまり認識が遅れたが、あの場所に、こんな状況下で居てはならない存在なのだ。あの少女は。
「お、おい!誰か隊長呼び戻せ!」
「あの様子じゃ、慰安任務なんて、絶対!気付いてないぞ!」
「馬鹿!それ以前に三代目があの方をそんな任務に出すか!」
「じゃ、ハメられたのかよ!」
「とにかく隊長を呼び戻せ!」
 突然、樹の上が蜂の巣をつついたような大騒ぎになる。
 それでも下の一般忍(上忍含)に気付かれないのは、流石は暗部、と言うところだろう。
 とにかく、彼らの長を戦場から呼び戻さないと話にならない。あの状態を打開させるのが第一義。手を拱いている場合ではなかった。
「…何、大騒ぎしてんのよ」
「た、隊長!」
「銀様!」
 呆れた声と共にいきなり現れた自分たちの隊長に慌てる。
 確かに呼び戻さなければ、とは思ってはいたが、不意の登場にパニックから抜け出せなかったのだ。
「…ん?物資が届いたの?」
 地上の騒ぎに気付いたのだろう。
 無造作に下を覗き見る。刹那、パニックを起こしていた彼らの間に嫌な緊張が走る。
「あ、あの隊長…」
「実は…」
 見つかる前に…と意を決して話しかける。だが、それは無駄に終わった。
─────────── ……あれ?」
「し、銀様?」
「…………」
 彷徨わせていた視線を一点に止め、黙ってしまう。
 すう…と目が不機嫌に据わっていくのが、面に遮られているにも関わらず、判る。
 常に飄々として、年齢の割に感情を表に出さない彼らしくない様子に、ぞくりと背中に冷たいモノが伝わる。
「…か、カカシ様…?」
 無言のまま、段々と不穏になっていく気配につい、本名を呼んでしまう。見事な気殺故に、下には解らないだろうが、傍にいる暗部隊員たちには、微かに滲み出る殺気がそのまま当てられているのだ。
 堪ったものじゃなかった。
「……ちょっと、テント整えといて」
 殊更に低い声で呟くと、その場から消えた。


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