月待ち


 吹く風に涼しさを感じられるようになった頃。
 習慣のように残業した後、のんびり歩く帰り道。
 里外れに向かうその道に、早々と落ちてしまった太陽の恵みは勿論なく、仄かに照らす月を見上げる。
「…弓張月」
 呟く視線の先には、下弦の月。
 綺麗ではあるけれど、半分に欠けたままの月では、何か物足りない気がする。
 もしかしたら、中秋が近いからかもしれない。


 否。


 物足らない理由は別にあって。
 解ってはいるものの、認める気がないだけ。
 するりと月から視線を外し、小さく苦笑を浮かべると今一度月を見上げて指を差す。
「今日は、一楽行っちゃったけど。…明日は秋刀魚と茄子ですからね」
 脅しに近い口調で告げる、その言葉には月以外に聞く宛てもなく。風に紛れて闇に溶けてしまう。
「どうせ、今年もまたお忘れなんでしょうけど」
 諦めた声は月に向かう。
 溜息と共に閉じた瞼の裏には、月の化身のような人が苦笑付きで浮かぶ。
 任務第一で、危険度外視。
 自分の事は二の次どころか、全ての後。
 優しくて、優し過ぎて、それが欠点になってしまう稀有の人物。
 誰よりも何よりも大切な…
 そこまで思って、もう一度溜息。彼の人は、今はどこぞの空の下。
「…ナルト達だって楽しみにしてるのに」
 居ない人に愚痴を言っても詮ないと、頭ではちゃんと解っている。それでも、期待に満ちた子供達の瞳を覗いてしまった今は、止め処もなく漏れてしまう。
「おとーさん、失格ですよ」
 殊更小さく呟く。
 自分は慣れた。慣れるよう、努力した。
 けれど。

 あの子は。
 あの子達は。
 初めての経験と言ってもおかしくないのに。

「貴方の可愛い息子達が拗ねちゃいますよー」
 子供に甘い彼の、今、一番辛い事だろうに。ついでに言えば、自分だってかなりの割合で拗ねたいのだから。そうすればきっと、困るのは彼なのに。
 その、困りきった姿が容易に浮かび、ほんの少しだけ溜飲を下げた。

 刹那。

 周囲の空気が変わる。
 ざわりと樹木がざわめき、薄い、本当に薄い気配が近付いて来る。
 全く心当たりがなく、一瞬、首を傾げると、ゆるりと立ち止まった。
「今晩は」
「御前、ご無礼致します」
 目の前に跪く暗部隊員に穏やかに笑いかける。
「どうしました?」
「えぇ。これから銀隊長…いえ、カカシ先輩の下へ出立致しますので、何かご伝言でもと」
「…伝言、ですか」
 常にはあり得ない、珍しい申し出に軽く目を見開く。ふわりと合った視線に、多分に悪戯っ気を含んだ色を見付け、思わず笑みが零れた。
 今日と言う日付と、自分の任務先の偶然。二つの僥倖を分けてくれようと言うのだろう。
「…では、一つ、お願い出来ますか?」
「はい」
「『明日、夕方までに帰って来ないと、暫くは茄子の天麩羅です』」
「…天麩羅ですか」
「えぇ」
「しかもナスの」
「罰ゲームですからね」
 顔を見合わせて笑い合う。
 好物を、嫌いな調理法で提供され、渋面を作る姿を思い描く。
「ご伝言、確かに承りました。必ずお伝えします。…それと」
「はい」
「暗部の威信にかけましても、明日の夕方にはお返し致します」
 その言葉と同時に複数の気配が忽然と現れる。…本来なら必要としない筈の動員数。これはおそらく、暗部有志と火影からの、最高の贈り物。
 甘やかされている、と感じつつも、その心に甘えてしまう自身を自覚する。
「無理を言ってすみません」
「明日は、特別な日ですから」
「ありがとうございます」
「では、失礼致します」
「…あ。テンちゃん」
──────── …奥方様、テンちゃんは止めてくださいと…」
 消えようとした相手に声をかけると、体勢を崩し、顔から地面にめり込んだ姿に、それを受けて沸き起こる、低い笑い声。有能で歳若い彼は、実は暗部隊員の中でも一番の揶揄いの対象。
 それに、少しだけ便乗してしまったのだ。
「気をつけて」
「有難う御座います」
 言葉だけを残し、現れた時同様、忽然と消え失せた気配にくすりと笑う。


「明日、サクラとケーキ焼こうかな」




 子供達の喜ぶ甘い香りの中、祝われた彼は、どんな表情をするだろう。







平成十八年カカシ先生誕生日記念。
今年は、NARUTO部屋開通1周年を記念して、『銀真珠ver』で(笑)。
ちなみに、今年の中秋は十月六日。満月は十月七日。

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