私の日課が決まった。
学校に来たら保健室に行く。
問題になっている保健室登校ではない。
ただ、保健室に行ってあの人に逢う。
ただ、それだけの為。
クラスで決める保健委員も無理やりなった。
なんで、こんなにむきになるのか分からなかったけれど、私は保健委員になってあの人に会う口実……。
口実なんてつくって会おうとしているのね…。
私、変わったのかしら……。
「宮野さん、おはよう。今朝の気分はどうですか?」
「別に、どうって事ないわ」
「貧血はありますか?」
「低血圧なのはいつものこと……」
まだ、生徒がたくさん登校してくる前に、あの人は保健室で家での仕事をする。
それから保健の事務等々。
授業中にすればいいのにって言う私の言葉を無視してあの人は仕事をする。
そうしないと、彼が抱えている仕事はすべて終わらないからだそうだ。
「新出先生、おはようございます!!!」
保健室から出た私と入れ替わりに他の女生徒が何人か入っていく。
「おはようございます」
聞きたくない。
あの人と他の人が話している声なんて聞きたくない。
他のひとと楽しそうに笑っている顔なんて見たくない。
だから私は誰もいないときを見計らってあの人がいる保健室へと向かう。
放課後、いつもだったらほとんどの人は帰っていて、保健室にはあの人しかいないのに、何故か他のひとの声がする……。
「………新出先生、私先生のことが……」
お決まりの告白シーンが保健室の中で展開される。
あんな告白シーン何度聞いて来たんだろう。
頭が痛くなる。
その時初めて知った。
嫉妬と言う意味を。
私は今まで嫉妬を知らなかった。
そう、彼を見ていたときも。
あいつの視線に入ろうとしていたときも……。
どうしてこんなにつらいの。
ひとを好きになるだけでどうしてこんなに苦しくなるの?
どうして?
こんなに苦しむんだったら好きになるんじゃなかった……。
彼を好きになって知ったのは生きること。
そして、あいつを好きだった私が知ったのは悦び。
でもあの人を好きになった私が知ったのは何かしら?
嫉妬……ね。
あの人を好きになったせいで私の中に醜い感情が吹き出すのが分かる。
その子の返事に応えないで。
私のことだけ見ていて。
あまりの強烈な感情に体中が拒否反応を起こし始める。
助けて……。
私は……。
あなたを好きになってしまったの……。
でも、好きになってはいけなかったのよ。
こんなに苦しい思いをするなら………。
「宮野さん!!!!」
クラスメートの声が消え行く意識の中で聞こえたような気がした。
……あの人に染みついているにおいが私の鼻腔を刺激する。
薬品臭い、昔いた部屋のにおいにも似たあのにおい……。
気がつくと私は保健室のベッドで寝かされていたことが分かる。
そして、私を心配そうにのぞき込んでいるあの人の透明な瞳……。
「……先生……、私、どうしたの?」
声があまり出ていない様な気がする。
「廊下で倒れたんだよ。大丈夫かい?病院には行ってるの?」
「……病院……行ってるわ……。ただの貧血よ……分かっているでしょう」
「ボクにはそうは見えないよ。志保さん」
そう行って新出先生は私の名前を呼ぶ。
その声が甘やかな感情を私に呼び起こす。
もっと名前を読んで欲しい。
他の人のは呼ばないで。
私だけの名前を読んで……。
「今何時?」
心に思っていることとは別のことがわたしの口をついて出る。
「今?5時だよ。そろそろ校舎がしまる時間かな……」
透明なあの瞳で彼は私を見つめながら言う。
「何があったの?」
「何もないわ」
私のこと好き?
聞きたいのはこれだけ。
「貧血を起こしたって顔じゃない……何かの拒否反応が君の顔に出ている」
「何?医者ってそんなことまで分かるの?」
愛しているって言って……。
「分からないよ……。ただ君の顔が泣き出しそうだから……そう思っただけだよ」
そう言ってあの人は私の頭をなでる。
そんなに優しくしないで……。
私は嫉妬に狂った醜い女よ……。
あなたを自分だけのモノにしたいのよ……。
「さっき…告白されていたわよね」
「そう言えば、そうだね」
そう言えば、そうだね…なんてあっさりと言わないで。
「あの子と……付き合うの……?」
長い沈黙の後口から出てきたのは思ってもみない言葉。
こんな事言いたくないのに、何故か出てきてしまう。
「どうして……」
不思議そうな顔をしてあの人は聞く。
「どうしてそう思ったんだい。ボクは君と付き合ってるんじゃなかったの?」
「え、ア、…あ……わ……」
あの人の突然の言葉に私は戸惑う。
「ボクは君が好きなんだよ」
その言葉に驚いて起き上がった私を彼は優しく抱き寄せる。
「不安になったんだね……。嬉しいな、君がやきもちを妬いてくれるなんて」
「こんなの私じゃない…、こんな私知らない」
「どうして……」
戸惑う私にあの人は驚く。
私はこんなに嫉妬深い女じゃない。
「知りたくなかった……。こんな私知りたくなかった。あなたに告白した周りの彼女達に嫉妬している私なんて知らなかった。私、あなたを好きにならなければよかった」
そう、好きにならなければよかった。
言わなければよかった。
そうすれば苦しい思いなんてしなくてすんだのに。
…彼には言わなかった。
彼が思っている人は知っていたし、彼がどんなに彼女を思っているのかも分かってた。
だから言わなかった。
言ったら困らせてしまう。
いいえ、……はっきり言われてしまうかも知れないわ。
「オレは彼女が好きだ」
って……。
はっきり言われるのが怖かった。
だから言えなかった。
だから自分のモノではないからというあきらめがあの時は私の中にあった。
でも今は違う。
あの人にはっきりと私は好きと言ってしまった。
そしてあの人も好きだと言った。
だから苦しい…。
自分のものになってしまったから苦しい。
だから、他の人の欲望が怖い。
「私だけを見ていて、他の人なんか見ないで。私だけ触れて。私以外の人に触れないで」
堰を切ったように言葉があふれ出る。
「愛してるっていって好きだっていって……」
誰も見ないで、私だけ見て…。
愛してるっていって私だけ愛してるって言って……。
「……志保さん……君以外の人なんて見れるわけないよ……。君のすべてに捕らわれてしまったのだから……」
「せ、先生……」
あの人は私をきつく抱き締める。
「苦しむ必要なんて全然ないんだ。ボクに君のすべてを預けてくれればいい。そうすれば君の苦しみは取り払うことが出来る」
「…せんせい…」
「君の思いをすべてぶつけて欲しい……」
そう言ってあとあの人は耳元でささやく。
「…愛してる…」
と。
体中に何かが走ったのを感じる。
ベッドの中であいつに言われ続けたおざなりな言葉じゃなく、本当の言葉。
あの人の表情を見たくて上を向けた顔に私は突然キスをされる。
甘やかな程深い口付け。
「信じていていいのね」
口唇が離れた後私は彼に聞いた。
私のことを愛している、そのことを確認したくて。
「もちろん、疑う必要なんてこれっぽっちもない」
そう言って彼はにっこり微笑んだのだ。
あの、私をうつす透明な瞳で……。