平安つれづれ物語

藤壷での舞い

亥の刻(夜10時ごろ)。
 後宮内に明かりがともされるころ、宿直の声が各、宮殿中を響き渡る。
「今宵、この東宮御所の宿直の責任者は頭中将様ですよ」
 と歩美ちゃんはいう。
「じゃあ、そろそろ、中将が挨拶にくる頃ね」
「蘭姫様…、このごろ中将様のこと気になさってますよね」
 わたしの言葉を受けた歩美ちゃんが突然、思いがけないことをいう。
「えっ…そ、そんなことないわよ。歩美ちゃんの気のせいよっ」
 思わず、ごまかしてみる。
 やっぱり、そう見えるのかな…。
 確かに、中将はかっこいいわよね…。
 …あの時の若君が中将だったら…って思うけど。
 そしたら、どうして、父さまや、母様も、梅宮(うめのみや)のおじさま(中務卿宮:優作)も、桐宮(きりのみや)のおじさま(式部卿宮:遠山父)も、兵部卿宮のおじさま(服部平蔵)もどうして教えてくれないのってなるわよっ!
 …父さまってあの若君のこと嫌ってたわよね…。
 梅宮のおじさまいうとおり、わたしのこと溺愛してる(らしい)から…。
 わたしに近づく公達が気にくわないとか…って。
 わたしの後見人問題がここまで遅くなったのにもそういう理由があるとか…。
 しかも、梅宮のおじさまって…おもしろいことが好きだからいわないって可能性大よ!!!
 でも…それはあの『藤の君』が頭中将だったらの話よね…。
 あーん、もう、わかんないよぉ。
 聞ける人なんていないわよっっ。
 服部の中将は覚えてないっていうし…。
 灰原の君は知らないだろうし(わたしの藤の宮探しを手伝ってくれてるんだもん、知ってたら教えてくれるわよね…でも…中将と乳兄弟だったのよねぇ。後宮に居たんだから知ってるわよね…ってあの人結構教えてくれないんだよねぇ)
「東宮様、頭中将様が参られます」
 先触れの女房がわたしにいいにくる。
 その後に宿直装束に身を包んだ、頭中将が入ってきた。
「今宵、東宮御所の宿直を仰せつかりました」
「ご苦労様です、中将」
「ありがとうございます」
 そして、少しの間談笑。
 その間ふとあることを思い出す。
「頭中将、物の怪はこの頃どう?」
 そう、例の物の怪、中宮であられる母様のおられる弘徽殿にでてくる物の怪。
 父帝がおられる清涼殿やわたしがいた梨壺、そして、現在いる藤壷には現れないが不思議なのだけど。
「この頃被害は出てないということです。で…これはあまりお耳にいれたくなかったことなのですが、陰陽頭や僧都の話しではこの物の怪は人の手によるものでは無いかと」
 な…なんですって…。
 中将の言葉にわたしは驚く。
「それ、…本当のことなの?」
「おそらく…」
 中将は小さくだがはっきりとうなずく。
「酷い…ホントに人の仕業ならば、許せないわ。弘徽殿におはす中宮はもとよりその場にいる人を怖がらせて何が楽しいのっっ」
「……彼らのねらいは………これは、わたし個人の意見ですが」
 と前置きして中将は言葉を紡ぐ。
「一番の被害にあわられる中宮をそして東宮、はたまた今上を陥れたいと考えている人間の仕業なのかもしれない…と思っております」
 中将の言葉にわたしは愕然となる。
 後宮での物の怪騒ぎは、今上に徳がないと決めつけられてしまう。
 そのために、譲位を迫られた過去の帝たちに思いをはせる。
 そして、世が乱れていく様を思い出す。
「それだけは…さけて…。今上や、中宮様のためにも」
「六衛府そして蔵人所が調べておりますので」
「ありがとう、頭中将」
 頭中将に任せておけば大丈夫よね…。
 中将の視線がふと外に移る。
 その行為につられるかのようにわたしはも庭に、かがり火に照らされている藤棚の藤が闇に浮かんだ。
 そして、凛とした中将の横顔に見ほれる。
 不意に思い出す。
 園子の言葉。
 淡い期待を抱いて、わたしは言葉を紡ぐ。
「中将、太政大臣様の宴で舞を舞ったそうね」
「……へ…誰から…」
 中将はわたしの言葉に驚く。
「そんなに驚かないで。太政大臣の姫君から聞いたのよ。とってもすばらしい舞だったって」
「お恥ずかしい限りでございます」
 そういって中将は目を伏せる。
「もしかして…知られたくなかった…とか」
「はい…その通りです…。ですが…東宮様のお望みならば…」
「舞ってくれるの?」
「あまり、ほめられたものではありませんが」
 そういって中将は広廂の中央に向かう。
 わたしは、その中将がよく見えるように端近に近寄る。
「では」
 そう、声をかけ、一呼吸の後に中将の舞が始まった。
「色は匂(にほ)へど散りぬるを、わがよ誰そ常ならむ、有為(うゐ)の奥山今日(けふ)越えて、浅き夢見じ、酔(ゑ)ひもせず」
 頭中将の凛とした声が響き渡る。
 新年に、服部の中将と舞った力強さではなく、華やかで、あでやかな舞だった。
 今様。
 近頃は頓にやりだした舞い。
 それを中将が舞うとは思わなかった。
 そういえば…故院も今様が好きな方だった。
 弘徽殿から東宮御所に遊びに来るたびに、舞を見せられたっけ…。
「すごい…、中将様の舞い、わたし始めて見ました。東宮様、東宮様は頭中将様の舞、いかがでした?」
 と歩美。
 歩美の声に我に返る。
 中将の舞のすばらしさに我を忘れたのだ。
「中将、すばらしいものをありがとう。父帝(小五郎)や、母宮に(英理)見せたいわ」
「えっ…恐れながら、それだけはご勘弁下さい。実は、今のものしか覚えていないので、ほかのものをお見せするということはとてもじゃないですが…」
 そう恥ずかしそうに、中将はいう。
「でも、中将様の舞い、すばらしかったですよ。服部の中将様と、新年の時に舞われた青外波も素敵だったんですもの」
 と、歩美ちゃん。
 その言葉にうなずきながら、わたしは中将に思っていたことを聞く。
「一つ、聞きたいんだけど。今の舞は今様よね。どなたに習ったの?中将にしては珍しいかなって思ったの。中将だったら、中務卿宮が催馬楽をよく舞ってらしたから…。催馬楽かなって」
「…故院の影響です。あとは…まぁ、頭弁に今様を教わって…」
 中将はわたしの言葉に恥ずかしそうに答えた。
 そういえば、頭弁は多芸多才だったわね。
「雪解けの頃に初めて見賜いし富士の姿をいまふたたびと(by葉月秋人様)」
 ふと中将が詠を口ずさむ。
「へっ」
 歩美ちゃんが詠を聞いて驚く。
 中将…それって…。
「君がふと紡ぎし言葉にいざなわれ我が心にも富士の思い出(by葉月秋人様)」
 思わず返歌をしてしまう。
 どうしてだろう。
 あのときを思い出す。
 藤棚の下の出来事を。
 同じような思い出を持つ。
 期待しちゃっていいのかな…。
 中将が…あのときの藤の君だって。
 じゃあ…中将の乳兄弟である灰原の君が何も言わないのはどうして?
 灰原の君も…隠してるって事?
 じゃあ、どうして手伝ってくれるの?
 わたしの、事…。
 聞いても教えてくれなさそうなんだけど…。
 確認…しようにも違ったらいやなんだよね…。

 一晩の宿直も終わり、藤壷を辞する時だった。
 近頃、宮中(正確には東宮御所)にあがっている女房の姿が見えた。
「藤式部殿」
 先頃、東宮付きの女房となった方。
 後宮に、帝や、中宮、東宮に使えている女房は美しい方揃いと聞くが、かの式部殿には負けるだろう…オレはそう思っていた。
 人目を引くようなあでやかさを持ちながら、少女のように可憐なほほえみを持つ女房。
 父親が先の式部丞(しきぶのじょう)だったらしいが、もう少し身分が高ければ、女房などではなく女御として宮中にあがれるのも夢ではなかったはずだ。
 まぁ…だとしても、今の帝の女御というのは万に一つもないが。
 今上はたいそう中宮を大切になさっておられるから。
 そうでなくても、話題になっていたのは間違いないだろう。
「中将様、宿直ご苦労様です。お疲れのようですね、どうかなさいましたか?」
 藤式部はオレを見ながらそういう。
 よっぽど、オレの顔は疲れているように見えるのだろうか?
「そんなにつかれているように見えますか?」
「えぇ、心労が重なっておいでとお見受けするのですが」
「確かにその通りですね」
  心労の最大の原因は『東宮の後見人問題』、そして、弘徽殿での、物の怪騒ぎそれから、反対派閥との軋轢、それからひっきりなしに舞い込む事件。
 中将で、蔵人頭だから仕方ないんだけどさ。
「そう言えば、昨晩の舞い、すばらしかったと東宮様がおっしゃってましたよ」
 突然の言葉にオレは顔が紅くなるのがわかる。
 今様、舞うつもりはなかったんだけど、東宮の希望とあらば、舞わないわけには行かない。
 だが、今のオレの頭に回っている物は、東宮の眼前で舞ってしまったと言うことよりも、東宮が、オレの詠に返歌をなされたと言うことが重要だった。
 今様をよく舞っていらした故院を思い出し、そしてこの飛香舎…藤壷…はかの姫と出会った場所。
 同じ思い出を持つと言うことはやはり東宮があのときの姫…。
 じゃあ、なんで誰も言わないんだよ。
 言えない理由…があるとしか思えない。
 今の主要宮家しか知らない秘密が…。
「おや、こんなところで話し声がすると思ったら、頭中将と藤式部殿ではないですか?」
「な、中務卿宮」
 物陰から現れたのは、父宮の中務卿宮だった。
 くーっなんでこんな時にでてくんだよ!!!
「中務卿宮様、どうなされたのですか?東宮様に何かご用ですか?ならば私が先触れとして参ります」
「いや、今は東宮ではなく、藤式部殿あなたに用があるんだよ」
「私ですか?」
 穏やかだが何を考えているのか全くわからない中務卿宮に藤式部は少しだけ警戒をする。
 何を考えてるか知らないけど、ここは、席を外した方がいいな。
「では、私は」
 と立ち去ろうとしたときだった。
「中将、あなたにも話があるから少し待ちなさい」
 と中務卿宮。
 な、何なんだよ、一体。
「話とは何ですか?中務卿宮様」
「帝が、あなたに、お話があるそうですよ」
「えっ…お上がですか?」
 父さんの言葉に、藤式部はほんの一瞬顔をしかめる。
「帝のお召しとあれば参らないわけにはならないものですよね」
「そうですね。…ふぅ、相変わらず、ここの藤は見事ですね。東宮が愛されているだけのことはある。ここを、東宮の御座所としてからは藤には手を入れられたのかな?」
「いえ、昔のままでございます。故院がここにおられたときのままでございます」
「なるほど…。ところで、中将、君の想い姫は見つかったかな?」
 ………なんで、そこまで話が一気に飛ぶんだよっっ。
「中将様に、想われる方がおられたとは初耳です」
「そうですか?宮中では、有名な話ですよ。あぁ、あなたはここにあがったばかりだから知らないのも無理はないですね」
「そのこと、東宮はご存じなのでしょうか?」
「さぁ。そこまでは知らないが、東宮は存じているかもしれないね。まぁ、藤のように艶やかな姫というのを知っているのは私ぐらいですが。あぁ、藤式部殿も今、知られましたね」
 そう言って父さんは楽しそうに笑った。
「ち、父宮っっ。いきなりでてきて、そう言う話をしないで頂きたいっっっ」
 な、何なんだよぉっっ。
 オレの抗議に父さんは扇の端で笑う。
 なに考えてんだ?
「でも、中将様に想われる方がいらっしゃるのなら東宮は中将様をご心配なされます。東宮様は、『好きな方と結ばれた方がいい』そう言う考えを持っておられる方です。中務卿宮様だってご存じのはずです」
「そうですね。でも、大丈夫なんですよ、気にしなくても。大丈夫なんだよ」
 藤式部は不思議そうに父さんの言葉を聞いていた。
 大丈夫…とはどういう事だ?
 暗に東宮はかの藤の姫宮と言うことをオレに教えてくれてるのだろうか。
 その日の午後、物の怪の調査のために、弘徽殿につれてこられた。
 帰ろうとした矢先のことだ。
 以前から問題になっていた物の怪騒ぎ。
 弘徽殿の女房が詰める局の床下に原因と思われる物があるかの確認である。
 陰陽師である真田一三が言うには局の床下に何かが故意におかれていてそれが物の怪騒ぎを引き起こしてると思われるそうだ。
「どうだ」
「ただいま、蔵人の五位が調べ中でございます。もうまもなく、連絡が入ると思われますので、今しばらくお待ち下さい」
 高木五位の蔵人は言った。
「ホンマにこんな所にあるんか?」
「陰陽頭が言っておられるんだ間違いはないよ」
 服部の疑問に快斗が答える。
「陰陽頭真田一三殿は、かの安部晴明に師事しその力は、師である晴明が認めたほどの人物だよ。その人物の力を信じ切れないとは、ホントにおまえ、今の世に生きる貴族か?」
「関係あらへんやろ」
 そのときだった。
「見つけました」
 と人型の型代をもった蔵人の五位がやってきた。
「ご苦労。快斗、これかな?」
「間違いないな。一三殿」
 ふと、快斗が背後に視線を向ける。
 今までなかった人影が、人の気配が、不意に現れる。
 人の気配を、感じなかったことは今までになかった。
 だが……そこにはかの陰陽師安部晴明に師事した陰陽頭真田一三が微笑を携え静かにたたずんでいた。
「気づかれましたか。さすがですね。うまく隠れていたつもりだったのだけど」
「まぁ、……一応はですけどね。それより、これで間違いないですね]
 快斗は陰陽頭に型代を見せる。
「間違いないですね、これです」
 陰陽頭のはっきりとした言葉にその場に居合わせた人たちは一様にほっと息を吐く。
「しかし、まだ安心は出来ません。何者が、これを弘徽殿の下に置いたのか。そして、その人物の背後の人物を見つけださなくてはなりません」
「一三殿の言うとおりですね」
「では、私は引き続き調べを進めます」
 そう言って陰陽頭は型代をもって陰陽寮に戻っていく。
「物の怪騒ぎも、これでほとんど解決したようなもんやな」
「だな、犯人はさしずめ対帝勢力って事だろな」
「だね、じゃあ、オレと服部の中将は帝と中宮にこれまでのいきさつを説明してくるから、新一君、君は東宮の所へ行ってらっしゃい」
 ほっと一息つきこれからのことを考えていた時に快斗はそう言う。
「なんだよ…それ……」
 なんの表情も読めないほほえみで快斗はオレを見る。
 何をたくらんでるんだ?こいつは…。
 服部はそんな快斗を不思議そうに見てる。
「別に、他意はないぜ。平、いくか」
「あ…そやな」
 そう言って服部と快斗は清涼殿へと向かった。
 ともかく、オレはこの物の怪事件に心を痛めている東宮の元へと向かう。
 藤壷の控えの間で、藤式部に出逢う。
「中将様、今日はもうお帰りになったと思ってましたけど。何かあったのですか?」
「例の弘徽殿の件の途中報告に参内したんですよ」
 オレの言葉に藤式部は少しだけ顔をしかめる。
「と、言いますと、物の怪騒ぎの事ですね。どうなったのですか?」
「ほぼ原因となった物を見つけて…あとはそれを陰陽頭殿が術元を探し出せば、ほぼ解決ですよ」
「なら、もう、弘徽殿では物の怪騒ぎは起きないのね」
「そうですね、最近頓に騒がしていた物の怪騒ぎは消えるでしょうね」
 藤式部はオレの言葉にほっと息をつく。
「その報告を東宮様も聞けば安心なされることでしょう。では、わたくしは先触れとして東宮様の元に参りますね」
 そう言って藤式部が東宮の御座所に向かおうとしたときだった。
「蘭姫様っっやっと見つけたっっ」
 そう言って宮本尚侍がやって来た。
 蘭姫様?????!!!!
 ってどういうことだ?
 蘭ってたしか…東宮の御名だったよな…。
「な、由美さんっっ」
「へっ?!どうかなさった……っっ」
 息をのむ音が聞こえる。
 尚侍がオレの事に気づいた様子だ。
「…由美、東宮見つかった?」
 そう言って佐藤典侍もやってくる。
「…美和子…」
「ん?……頭中将っっ。ら……藤式部…由美、これって…」
「えっとぉ……中将様?」
 尚侍がオレをじっと見る。
「あの…どういう事ですか」
 オレはどうやら今の状況を把握してないらしい。
 藤式部が東宮?
 東宮が藤式部?
 って事はどういうことだ???!!
 つまり、東宮は女房になって後宮内をうろついていたわけか?
「あの…」
「……尚侍、典侍。わたしのこと探していたのでしょう。何かあった?」
 おそるおそるオレに向かって言葉を紡ごうとした尚侍を遮りと藤式部=東宮(?)は尚侍と典侍に事を聞く。
「いいんですか?」
「いいから…」
 尚侍の言葉に静かに頷く。
「先程、大臣達が…帝に申し立てを致しました。近日中に、東宮様の後見人の事をはっきりさせたいと…。そして、半刻後、天皇家の後見人であらせられる太政大臣様が東宮御所に参内なされます。…大丈夫ですか?」
 微動だにしない彼女に向かって佐藤典侍は気づかう。
「大丈夫…よ。安心して。典侍、中務卿宮をお呼びして。聞きたいことが…あるから」
「かしこまりました」
「では、東宮、戻りましょう」
 尚侍の言葉に東宮…は静かに頷いた。
「…ごめんなさい…」
 そうオレに言い残し、二人はこの場から立ち去った。
 オレは…突然の出来事にただ呆然としていた。