平安つれづれ物語

太政大臣ニの姫の恋

 宮廷より退出するために車宿りのところまでいくと見かける殿上童の二人を見る。
「あっ新一だぜ」
「ホントだ、頭中将様だ」
 我が中務卿宮邸にゆかりがある殿上童の光彦と元太だ。
「なんでココにいるんだ?父さんと帰るんじゃなかったのか?」
「先に帰るようにって言われたんだよ」
「なんでも帝からの急のお召しだとか」
 そう言ってオレの車に乗る。
「全く、おまえら自分の車があるだろう」
「良いじゃないですか、久しぶりですよ、中将様とお逢いするのは」
「光彦の言う通りだぜ。事件があったんだろ、教えてくれよ」
 光彦と元太は呆れているオレに口々に言う。
「……ったくわーったよ。屋敷に帰ったら教えてやるから、自分の車に戻れっ」
「はーい」
 オレの言葉に二人は素直に頷いた。
 屋敷に帰り、オレの住む東の対の屋に向かう。
「早かったのね」
「何で、オメェがいんだよっ灰原」
「あら、別に、久しぶりに乳兄弟のあなたに会いにきただけよ頭中将様」
 部屋にいたのは乳兄弟の灰原の君だった。
「わたしがいることに不満そうね、お兄さま」
「からかってんのかよ」
「別に、たまに会いにきたんだから、着替えぐらい手伝ってあげるわよ。今日は太政大臣様のところで宴でしょ?」
「まぁな…」
 灰原の言葉にオレは頷く。
 そう、今日は太政大臣様のところで宴がある。
 表向きは花の宴らしいんだが、どうも二の姫の婿探しらしい。
 ホントはいくつもりなかったんだが…後宮で園子が
「中将様、来るんでしょう?父様が、いろいろと話したいことがあるっていってたわよ」
 と言われたからにはいかないわけにはいかない。
「ところで、平気なの?」
「なにがだよ」
「決まってるじゃない。太政大臣様の今日の宴はムコ探しだった専らの噂よ」
「オレも、その噂は聞いた。けどさぁ、灰原、考えてもみろよ。東宮の後見人が決まってない段階で、園子のムコ探せるか?仮にも太政大臣様は今上の後見人を務めておられる」
「そうだけど」
 オレの言葉に納得はしながらもどこか信じきってない灰原。
「まぁ、もしムコ探しだとしてもさぁ園子と結婚する気にはなれねぇよなぁ…」
「相変わらず、藤の姫宮にご執心なのね」
「オメェには関係ねぇだろ。着替え手伝ってくれてありがとな。ほんじゃまぁ、いってきますか」
 夕刻近くなり、オレは太政大臣の屋敷がある中御門殿(別名桜花殿)に向かう。
「中将、まっていたぞ」
「この度は、お招きに頂きありがとうございます」
 宴の主宰である太政大臣に挨拶をする。
「君には期待しているんだよ」
「ありがとうございます」
「今は、宴の季節だからなぁと思っては見ても、風流に花を楽しむ暇なんてないも同然」
 やはり、太政大臣様は、東宮の後見人問題で頭を悩ませていらっしゃった。
 当然だろうな…。
 東宮が、宣言してから2月…何にも替わっていない。
 替わったといえば、東宮御所に参内する人間が増えたぐらいだ。
「期待しているんだよ」
 の言葉は…オレに東宮の後見人になれということだ。
 太政大臣派つまり帝側の人間で、東宮と年のころがあうのはたくさんいるが、家柄もつり合うとなると少なくなる。
 オレ、快斗、服部ぐらいかな…。
 後は五位蔵人とか権少将とかになる。
 政敵である左大臣派での筆頭と言えば、右大将、衛門督、左近少将、右衛門佐(左大臣様の御子息)とかいっぱいいる。
 服部と快斗が戦線離脱(って言う方もなんだけど)のために、必然的にオレが一番の有力候補って事らしい。
 期待と…野望とが入り交じっていやだ。
 期待は…東宮が服部や、快斗の言う通りにあの藤の姫宮だったら……。
 野望は、東宮の後見人となって、位を極める。
 殿上人なら誰でも思うことだ。
 が……けどなぁ…。
「頭中将、ココはいかがですか?あなたの歌でも一席聞きたいのですが」
 ふと声を掛けられるとそこにいたのは右大将。
 なんで右大将がいるんだ?
 と不思議には思ってみても、一応、ときの権力者である太政大臣様の宴だから、とりあえず出ておこうとでも思ったんだろう。
「歌ですか?歌は苦手なんですがね」
「そんなことでは、春を戴く方はお喜びになられないのでは?」
 何となくムッ。
 なんでオメェにそんなこと言われなくちゃならねぇんだよっ。
「オヤ?かの芸事の達人、中務卿宮様の御子息とは思えませんよ」
「そこまでおっしゃるのでしたら、右大将の御期待に沿えるかどうか分かりませんが」
 そう言ってオレは宴の中心に向かい、謡う。
「色は匂(にほ)へど散りぬるを、わがよ誰そ常ならむ、有為(うゐ)の奥山今日(けふ)越えて、浅き夢見じ、酔(ゑ)ひもせず」
 そして、舞って見せた。
「ほぉ」
 感嘆の声をあげる人々、そして御簾の奥から聞こえる女房達の声。
 快斗に習っておいて良かった。
「見事、さすが、頭中将」
「ありがとうございます。、右大将、これでいかがですか?」
 みると右大将は苦虫をかみつぶしたような顔でオレを見ていた。
 オレの勝ちかな。
「中将様、園子姫様が中将様にお話があるとの事です」
 園子の腹心の女房がオレに耳打ちする。
 ったく、なんのようだよっ。
「新一君待ってたわよ」
 園子の声が御簾の向こう側から聞こえる。
「ったく、なんのようだよ」
「なんのようってさっきの舞い、見せてもらったわよ。さすがねぇ。左の中将様と舞った青海波も素晴らしかったけど、今回のもなかなかなんじゃないの?東宮様の御前でも舞ってみたら?絶対よろこぶわよ」
 そう、園子はまくし立てる。
「で、なんのようだよ」
「別に、暇だから呼びつけただけ」
「ったく…妙な噂がたったらどうすんだよ。しらねぇのか?今日はオメェのムコ探しだって」
「誰が決めたのよ、そんなこと」
「専らの噂なんだよ。今日の宴は太政大臣ニの姫のムコ探しだってな」
「冗談…でしょ?」
 オレの言葉に園子は面食らう。
「ま、噂だけどな」
「そんな噂お断りよ。わたしは自分で好きな人見つけるんだから。東宮のようにねっ」
「太政大臣様が認めないだろ?」
「大丈夫よ、父様はわたしに甘いもん」
 園子はそう言う。
 まぁ、確かに、太政大臣様は園子にあまいけどな。
「頭中将様?」
 突然、声がかかる。
「東宮亮どの、あなたもこちらに来られたのですか?」
 東宮亮。
 東宮の乳兄弟である彼は、春宮坊の亮になっている。
「東宮亮はわたしとアネキの書の先生なの。今日は、こんな日でしょ?だから来て下さいって連絡したのよ」
 園子の姉姫は富沢参議の北の方である。
「ほら、もともとは、女東宮が東宮じゃなくって、男御子が東宮だった場合、わたしって春宮妃になるじゃない?まぁ、それ以外にも、字が汚かったら誰も通ってこないってさんざん父様に言われちゃって、今上が東宮時代に、女東宮に東宮亮を紹介されたのよ。当代随一の書の名人だからって事で。そしたら結構はまっちゃったって訳」
 はまったってねぇ……。
「園子姫様はなかなかに筋がよろしいですよ。頭中将どの」
 東宮亮の言葉にオレは素直に頷く。
 確かに、園子の字は達者だ。
 普通の姫よりうまい字を書く。
 さすが、当代随一の書の達人に習っているだけはある。
「新一君も達筆だと思うけど?あの芸事では煩い中務卿宮様の息子だけはあるわよね」
 と園子はオレの字を褒める。
 なんで、園子がオレの字を知っているのかと言うと…園子とオレは文のやり取りをしているからである。
 その時だった。
 宴の会場が一瞬に静まり返ったかと思うと高い笛の音が聞こえてきた。

 

 静かに切ない笛の音…。
 竜笛だ。
「どなたが…吹いているの?」
 人が奏でる音色だと気づいたのは…その音色が奏でる音が終盤にさしかかったころだった。
 突然の静けさ、そして響いてきた音色にわたしは、我を忘れたのだ。
 わたしは、太政大臣のニの姫として大切に育てられてきた。
 そして、親友である蘭が東宮だから、わたしはちょくちょく内裏に参内していた。
 それが許されていた。
 内裏で催される宴にだって何度か参加したことがある。
 だけど…だけど…。
 これほど、見事な音色を聞いた事がなかった。
 声を出すのもはばかられる程のその音色の持ち主をわたしは知りたくなった。
 そして、わたしは側にいた新一君と東宮亮に問い掛けたのだ。
「京極兵衛佐真どのだよ」
 新一君のしずかな声が聞こえる。
「見事な笛の音だろ?この音色は今上も気にいっておられる。女東宮も何度かお召しになったことがあるかな?仕事にまじめで、実直な人間だ。女房の噂では「宿直の時の声がいい」と言う話しだ。ホントにまじめな方だよ。聞けば、彼の父親は、あの笛の達人の先の京極参議どのだそうだ」
 新一君の言葉は半分も耳に入ってなかった。
 ただ、『京極兵衛佐真』それだけをずっと反すうしていた。
 どんな人だろう。
「園子、どうしたの?」
 次の日、わたしは蘭の所に遊びに行った。
「へ?何よぉ、急に」
「急にって園子が急にぼんやりしてるから聞いたんでしょ?もぉしっかりしてよね」
「ごめんごめん」
 蘭の言葉にわたしは謝る。
「で、昨日の宴はどうだったの?前の日かなり楽しみにしてたじゃない?」
「まぁね…」
 そう、確かに、期待していた。
 父様が太政大臣だから、有能な公達やらが集まる、夏も近い宴。
 カッコイイと噂される、殿上人を御簾の中から眺めて、それから新一君を呼びつけて、からかう。
 これが大概のわたしの宴の楽しみ。
「園子のムコ探しだって事ホント?」
「そうらしいわね。聞いたところによると。でもぉ、だいたい、蘭の後見人が決まってないのに、どうしてわたしのムコ探しするのよぉって感じなのよね」
 蘭に愚痴る。
 新一君にも言ったけど、わたしだって、好きな人と結婚したいわよ。
 式部卿宮姫である和葉ちゃんや、内大臣姫である青子ちゃんだって好きな人と結婚するのよ。
 こういう人がわたしの周りにいるのよ。
 しかも、女東宮である蘭だって好きな人「藤の君」と結婚したいって思ってるのよっ。
 わたしだって、好きな人と結婚したいって思うじゃない。
「落ち着いてよ、園子」
「ムーーーーーーーー」
 だから、気になる。
 わたしの心の中に突然入ってきた笛の音の持ち主に…。
「今日は帰るわ、蘭」
「うん、またね」
 蘭につげわたしは帰ることにした。
 ふと考える、ここは後宮…。
 もしかすると『京極兵衛佐真』様にあえるかも…。
 なんてね。
 そう簡単にあえる訳ないか。
 そんなことあったら都合良すぎるわよね。
 たしか、兵衛府って言うのは内裏の警護もしてるから…兵衛佐である彼には会えるかもしれないって思うんだけど…。
 藤壷から車宿りに向かう道すがら、清涼殿の方から歓声が聞こえた。
 何事だろう…そうただ思っていた。
「兵衛佐様がいらっしゃるんですわ」
 わたしを先導してくれている女房が歓声に歩みを止めたわたしに伝える。
「兵衛佐って…京極兵衛佐真様?」
 その言葉にわたしは聞き返す。
「御存知でしたか?兵衛佐様の事」
「え…えぇ。噂でしかないけれど…」
「園子姫様は兵衛佐様の笛はお聞きになったことないのですか?」
「え…まぁ…」
 女房の言うことにわたしは本当のこと答えられなかった。
 何でだか分からないんだけど…。
 別にあいまいに答えなくても良かったんだけど…。
「東宮様も何度かお召しになられますから、園子姫様がおられるときにお召しになられるよう女東宮様にお伝えしておきますね」
 そう女房は言ってくれた。
 車に乗る直前、精悍な公達と視線が合う。
 宮中なので、武官の束帯…闕腋(けってき)の袍に身をやつし、内裏に参内のために衛府の剣のみをを腰に差した眼光鋭い公達。
「兵衛佐、かなり、今上が褒めておられたぞ」
「そうですか、それは光栄です」
 そう受け答えした、眼光鋭い公達。
 彼が、京極兵衛佐真。
「園子姫様?」
 女房に言われわたしはハッとする。
 あの人から…視線が外せなかったのだ。
「どうかなされたのですか?」
「何でもないわよ」
 そう答えて、わたしは車に乗る。
 あの精悍な表情から、あの切ない笛の音が奏でられるのか…。
 そう思う日が…これから毎日続くなんて…思いも寄らなかった。