と言う叫び声と
ドスン
と言う物音にオレは完全に目を覚ました。
うつらうつらとしていた目覚めの朝になにやら下の事務所が騒がしいのは何となく気が付いていた。
時計を見れば
「んだよ…まだ7時じゃねぇか。おっちゃんまた朝帰りかよ……」
世の中は日曜日だって言うのに、なんでおっちゃんは、朝帰りしてくるんだ……。
事務所の騒ぎがまだ収まらない。
身体が縮んで、目覚めた時は夢オチじゃない事にがっくり来て。
結局オレは、幼なじみの蘭の家に転がり込んだ居候。
江戸川文代って妙な変装した母さんのおかげで大手を振るってこの場所にいられるって奴だが……。
って言うか、さっきの騒ぎはなんだよっ。
蘭のやつ起こしにも来てくれねぇ……。
ちえ…。
仕方なしにというか、叫び声が気になったのもあるが、オレはパジャマのまま階下の事務所におりていく事にした。
まだ、オレが蘭の家に居候していた頃。
黒の組織の気配なんて何一つなかった頃……。
オレは得体のしれない、男と出会った。
住居スペースを探しても蘭の姿はない。
仕方なしに階下に下りていけば、そこに繰り広げられていたのは……あり得ないだろう。
図体のでかい男の人が『100トン』と書かれたハンマー持った人に追いかけられてる。
おっちゃんは、その二人をまぁまぁと言った具合に抑えていた。
けど効果なし。
「………蘭姉ちゃん、何の騒ぎ」
入り口にどうしようとうろうろしていた蘭にオレは声をかけた。
「コナン君おはよう」
朝も晴れやかな…と言っても事務所内は阿鼻叫喚の図だが、蘭の笑顔は今日も晴れやかだった。
「おはよう蘭姉ちゃん。これ何の騒ぎ?」
「うーん、なんて言っていいのかなぁ。簡単に説明するとね、お父さんの飲み仲間とその彼女。かな?」
は?
今一つ蘭の言葉に納得がいかない。
「ど、どういう事?」
「だから、ハンマーで追い掛け回されてるのがお父さんの飲み仲間で。って聞いてよコナン君。お父さん今日朝帰りなのよっっ。しかも新宿でキャバレーに行って、起こしに来たわたしに抱きついたのよ。サイテー」
…………何やってんだよ…おっちゃん。
「で、何でこんな事になってるの?」
半ば呆れぎみで聞く。
やっぱりこの状況は分からない。
「でね、あの人も一緒だったのよ。事務所のドア開けたらお酒くさいのホントやんなっちゃう」
「ふ〜ん」
「で、あの人の家に電話して、彼女さんに迎えに来てもらったって訳。でも久しぶり。サエバさんとカオリさんに逢うの」
「あの図体のでかい人サエバさんって言うの?」
「そう、冴羽撩さん。彼女さんが槇村香さん。最初に逢ったのはわたしが中学生の時だったかなぁ……。その時もこんな感じで。全然変わらない〜」
楽しそうに言うけどさぁ。
って…ハンマーで追いかけっこしてるのがこんな感じ?
「撩っっ。あんたねぇ、何度人様に迷惑かけるなって言えば気が済む訳っっ?」
そう言って彼女…香さんはハンマーを担いだまま正座した冴羽さんの前で仁王立ちする。
最初見た時は顔見えなくって分かんなかったけど。
この人すっげー美人。
化粧しないでこんなに美人って始めてみた。
「い、いやぁ、昨日は久しぶりに小五郎さんにあってさぁ」
図体のでかい冴羽さんはそんな美人の香さんに頭が上がらないって感じだ。
にしても………。
「逢ってさぁじゃないわよっ。今日仕事があるってあたし、昨日の朝言ったわよね」
「そう言えば……」
「そう言えば……じゃないわよっっ。それなのにあんたってば人の話聞かないでナンパに出かけるわ、朝帰りどころか人ん家に泊まり込むわっ。蘭ちゃんや小五郎さんに悪いって思わない訳っっ」
「いや、それはもうすごーく申し訳なくっっ」
冴羽さんは平身低頭謝り続ける。
うーすっげー弱々。
「ホントに分かってるんだろうなぁ」
「分かってるってばぁ」
「じゃあ、あたしが昨日寝てないって言うのも分かってるわよね」
そう言って香さんは綺麗に微笑む。
綺麗って言うよりもどこか底冷えがする笑顔。
うー、なんかすっげーやばそう。
また怒鳴り出すかも。
「あ、は、は、はい。ごめんなさい」
それには冴羽さんも気付いたようで。
謝罪の言葉が出てきた。
「いつも、こうなの?」
成り行きを思わず見守ってしまっていたオレはそう蘭に聞く。
「だいたいね。でも今日の香さんいつもよりちょっと優しいかも。冴羽さんもいつもよりちゃんと謝ってるかも」
………いつもよりって今までどんだけすごかったんだよっ。
「全く。こんどこんな事やらかしたら承知しないからね」
「それはもう重々にっ」
平身低頭っぷりの冴羽さんを見て香さんはため息をつき、オレ達の方に向きやる。
気が付いたらおっちゃんもオレ達の方に避難してきていた。
「もう、ホントごめんなさい。小五郎さんと蘭ちゃんに会うのは久しぶりだって言うのに、こんな所お見せしちゃって」
そう言って今度は香さんが平身低頭謝ってくる。
なんだかすっごく、冴羽さんの件に関して謝り慣れてる感じがする。
いつもって言うぐらいだから、なんどもこういう事があったんだろう。
しかもおっちゃんと似たタイプ。
ナンパするほどの女好きで、酒好き。
…こういう大人を間近で見ると、オレは絶対こうならないって誓ってやる。
「気にしないでください。それより仕事大丈夫ですか?」
「時間はまだあるから大丈夫なの。それに一回家かえってこのバカ着替えさせないと先方に逢うとき失礼だしね」
そう言って香さんは屈託なく微笑む。
「香ちゃん、バカって言っちゃあ撩ちゃんが可愛そうだろうよ」
「いいんです、これはバカで。まったく、小五郎さんに迷惑かけてどうすんのよっっ。わざわざ米花町にまで来てっ。ともかく、失礼しますね。じゃあ、今度はこんな風じゃなくってもっと普通にお邪魔させてもらいます」
そう言って香さんは冴羽さんの首根っこを捕まえるように襟元をつかんで出ていった。
「香ちゃんもなぁ、あれさえなけりゃ、良い女なんだがなぁ………」
とおっちゃんはため息ついて椅子に座る。
「蘭、腹減った」
「ったく。お父さんももうちょっとちゃんとしてよねっ」
そう言って蘭は階段を上がっていく。
「コナン君、どうしたの?」
「へ?あうん」
立ち止まっていたオレを不思議に思ったのか蘭が声をかけてくる。
その声に返事をしてオレは蘭の後をついて階段を上る。
「ねぇ、蘭姉ちゃん」
「何?コナン君」
「冴羽さんと香さんってなんの仕事してるの?」
「ん〜、探偵さんだって」
探偵?
「って小五郎オジサンの商売敵?」
「商売敵って言う訳ではないみたいだけど、そうみたいなモノだって言ってたよ」
探偵…ねぇ。
すれ違った時に感じた気配は、普通の男の気がしなかった。
どこか、血のにおい。
まさか…な。
でも、得体のしれない男である事は間違いようがなかった。
それが、オレが『冴羽撩』と言う男と『槇村香』と言う女に会った最初の事だった。
「随分と神経質じゃねぇか」
おれは香の言葉に反論する。
「半分二日酔い気味のまま運転させる訳には行かない」
そう言って今フィアットを運転してるのは香。
二日酔い明けの香のハンマーはさすがにつらかった…。
小五郎さんに申し訳ないと思いつつ……、思わず飲ませたのはあの人だったよなぁ…と思い出しつつ。
現時点で有名となりつつ『眠りの小五郎』におごってもらうのも悪くないなんて思いながらも…。
結局、飲み明かして、マンションに帰るのがどうしても恐ろしく(怒った香はマジで怖いっっ)。
小五郎さんの所にお邪魔した。
まぁ、小五郎さんだって「いいぞ、いいぞ、撩ちゃんっ」って上機嫌だった。
昨夜はテレビのドキュメンタリーで『推理さえわたる、眠る、名探偵。毛利小五郎』と言う特集が組まれていた。
それで小五郎さんは上機嫌で……飲みに行く前に「明日仕事なんだからねっ」そう言った香の言葉をさらりと躱し、そのままネオン街に向かったら、上機嫌の小五郎さんとばったりと言う訳だ。
そしたら、止まらねぇよなぁ……。
飲めや歌えや、踊れやと大騒ぎになるだろうよ。
「……香、運転荒くねぇか?おれ、二日酔い何だけど」
「…運転は荒くありません。二日酔いは自業自得です」
運転は荒くないけれど…二日酔いにはきついんだよっ。
自業自得で躱されたらどうしようもない…。
「ともかく、マンション帰ったらシャワー浴びてよね。そのお酒臭いのと香水臭いのどうにかしろっ。ホントやんなっちゃう」
香水臭いって……まぁ、キャバレーやらパブやらいろいろ回ったしなぁ……。
「って、何でそこまでこだわんだよ」
「こだわるに決まってるでしょう?信用第一の仕事なのに二日酔いで香水臭いんじゃ依頼人だって不安でしょうがないじゃないのよっ。だいいち、これは依頼人の要望なのっ」
依頼人の要望??
そういや…おれ、どんな依頼人だか聞いてねぇ…。
飲み行く前に『明日仕事だから』って聞かされて、気にもせずに出かけちまった。
ヤバイ、男って可能性だいじゃねぇか。
香は、絶対女の依頼受けねぇからな(よっぽどピンチじゃない限り)。
「所で、香、依頼人は女なんだろうな」
そう聞いたら、ちょうど信号が赤で止まって、ため息ついでにハンマーを出された。
「って香っ」
「あんたってどうしてそう男か女かってこだわるのよ」
「おめぇーだってこだわってんじゃねぇか。女の依頼絶対受けねえくせに」
「誰のせいだ誰のっ。あんたが依頼人に手を出すから問題なんでしょう?そこのとこ考えてよ」
「依頼料もらおうとして何が悪いっ」
「依頼人はそれで依頼料払おうなんてこれっぽっちも思ってないわよっ。バカっ」
そう言って香はハンマーをおれに落とす。
タイミング良く信号は青になり、おれの上に落ちたハンマーは無くならない……。
「で、依頼人はどんな奴なんだよ」
おれの言葉に香はちらりと視線を向け、ため息をつきながら、言う。
「依頼人は、あんたの希望どおり女性よ」
と深くため息。
香がここまで落ち込むって事はかなりの美女っ。
と見た。
が次の瞬間こっちを見てニヤリと笑う。
な、なんだ?
「ただし、すご腕の美人弁護士さん。法曹界のクイーン」
は?
どっかで聞いた事のある、通り名。
…つい最近、テレビに出だした美人弁護士さん……。
「ま、まさか…英理センセじゃ……」
嫌な予感を振りきりながらおれは恐る恐る香に聞く。
「あったり〜〜〜〜、良くできました。依頼人は妃英理先生よ」
うそだろ〜〜〜〜。
思わず頭を抱える。
あの人なら、香が言った数々の条件も分かる。
あの人は「酒好き、博打好き、女好き」って言うこの三拍子がものすごくキライだ。
理由はもう………。
「何?嫌なの?英理さん美人じゃない。あんたの大好きなもっこり美女」
美女は美女だが……。
相変わらずテレビで観る姿は美人だがっっ。
「あん時みたいなごたごたはもうごめんだっっ」
思わず呟く。
「それは、あの時のは仕方ないじゃない。事件とは全く別な事だった訳だし?」
苦笑いを浮かべながら香は言う。
だとしてもだっっ。
また、誤解したらどうするんだよっ。
「今回は、大丈夫だってばぁ」
うーうーうーうー。
「もう、唸らないっっ。あんたの希望通り『女性』の依頼なんだから、ちゃんと身支度してよねっっ」
マンションの車庫に入れながら香は言う。
確かに女性だ。
しかももっこり熟女。
って言ったら英理先生に失礼か?
そんな事思ってるって英理先生知られたら
「冴羽さん、あなたを訴えるわよ?」
なんてあのきつい笑顔で言われそうだ…ついでに
「サイテー」
ってハンマーを香に落とされかねない。
気分をすっきりさせる為にも、依頼人である英理先生に怒られない為にも、おれは重い足取りで風呂場に向かった。