SPECIAL EDITION 後編
泣きながら、何もかも省みずアンジェリークが辿り着いた先は、ロザリアの経営するブティックだった。
逃げ込むところは、そこしか脳裏になかった。
「ロザリア…さん…」
「アンジェちゃん!!」
泣きながら店に入ってきたアンジェリークを見つけ、ロザリアはすぐに彼女に駆け寄る。
「ロザリア…さん…」
「ねえ、何をどうしたか言ってごらんなさい? 泣いてちゃ、判らないでしょ?」
そっと、肩を震わせて泣きじゃくるアンジェリークの肩を抱いて、ロザリアは優しく諭した。
「----アリオスが…、浮気…、したの…」
途切れがちに話す少女の言葉に、ロザリアは怪訝そうに眉根を寄せる。
この栗色の髪の天使を愛し抜いている彼に限って、そんなことはあるはずはないと。
ふと彼女の目に、突き出はじめたアンジェリークの腹部が目に行き、ピンと来た。
ああ。マタニティブルーね・・・
優しく艶やかな微笑をアンジェリークに浮かべると、ポンとアンジェリークの華奢な肩を叩く。
「ここじゃなんだから、奥の事務所にいきましょう…」
「はい…」
ロザリア促され、アンジェリークは彼女と共に奥の事務所へと入って行った。
「・・だから、アリオスさんが…、浮気していると、言いたいのね…」
ロザリアの言葉に少女は何とか頷き、俯きながら泣きつづけている。
「アリオス…、だって…、綺麗な・・・、大人の女性の・・・、涙…、拭ってたから…」
肩を上下させる少女に、ロザリアはほおっと溜め息を吐いた。
「ね、アリオスさんは女性と二人っきりだったの!?」
かろうじてアンジェリークは頷く。
今日確か、オリヴィエと二人で大掛かりな離婚訴訟の打ち合わせをするはずだったわよね…、確か、女優の…
だが、今は何を言っても興奮状態にある少女を納得させることなど、出来やしないだろう。
「アンジェちゃん、今夜はうちに泊まっていきなさい。アリオスさんには連絡しとくから…」
「…アリオスなんか…、離婚するからいいんだもん…」
ロザリアは再び溜め息を吐くと、苦笑いをする。
「ちょっと待ってなさい、車を出してあげるから」
「あ、有難うございます…」
「いいのよ」
慈悲深い微笑をアンジェリークに向けると、ロザリアは店へと向かった。
もちろん、オリヴィエに電話をかけるために。
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「----というわけだから、アンジェちゃんは預かるから。今は”マタニティ・ブルー”で興奮状態だから、落ち着いたら帰らせるから…」
「サンキュ、ロザリア。今、レイチェルちゃんがアリオス呼びに行って、帰ってきたところだから伝えとく。今日は遅くなりそうだよ。相棒殿がかなり荒れてるから」
苦笑しながら、オリヴィエは答える。
「打ち合わせはどうしたの?」
「ああ。アンジェちゃんをアリオスが追っかけていった時点で終わってたから大丈夫。依頼人がね、打ち合わせ終わって泣いちゃって、そこであとは知っての通りだよ」
「そう。アンジェちゃん待ってるから、この辺で切るわね」
「またね」
オリヴィエは携帯を切ると、不機嫌なアリオスと心配そうなレイチェルに視線を這わせた。
「アンジェちゃん、ロザリアのところに行ったらしくて、今日はとりあえず預かるって」
レイチェルの顔は幾分か明るくなったが、アリオスは険しい表情のままだった。
「----迎えに行く!!」
「待ちなよ!」
アンジェリーク迎えに行こうとしたアリオスを、オリヴィエは冷静に制止する。
もちろん、その眼差しは真摯だ。
「----止めるな。俺の大事な女房と子供を迎えに行くだけだ」
アリオスの眼差しも鋭く冴えている。
「今行っても興奮してるからダメだよ。”マタニティ・ブルー”状態の彼女を興奮させたらやばいよ」
そういわれてしまえばみもふたもない。
不本意ながら、アリオスは迎えに行こうとした足を止めた、苦しげに表情を歪ませる。
「あ、あの!」
レイチェルの声に、二人は注目した。
「私そろそろ帰ります。明日、アンジェは、朝迎えに行きますから」
「サンキュ。あ、そうだ…」
アリオスは持っていたブリーフケースから、包みを取り出して、それをレイチェルに渡した。
「本当は今日渡すつもりだったが、あいつに渡してやってくれ」
「何ですか!?」
「風邪ひかないように、マタニティ用のカーディガンだ」
アリオスのさりげない気遣いに、レイチェルの心は温かくなる。
アンジェ…、あなたはこんなにもアリオスさんに愛されてるんだよ…
「判りました! 確かに、お渡しします!! それじゃあ、アリオスさん、オリヴィエさん」
「またね、レイチェルちゃん」
「頼んだ、レイチェル」
二人の美麗な男性に何度も手を振りながら、しっかりものの親友は走って家路に着いた。
「さてこれからどうする? アリオス?」
「飲むに決まってんだろ!! 付き合えよ、オリヴィエ!!」
踏み込むように言って、アリオスはすたすたと歩き出す。
その瞳は冷たい炎に燃え盛っている。
「待ちなよ、アリオス!!」
しょうがないとばかりに、オリヴィエもその後についていった。
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結局、アリオスは深夜3時までウォッカを何杯も煽り、一緒にいたオリヴィエが閉口するほどだった。
彼は結婚して初めて、電気の点いていない我が家に帰った。
それはとても冷たくわびしく感じられる。
彼の脳裏に、温かなアンジェリークの笑顔が浮かぶ。
『おかえりなさい! アリオス!!』
静まり返った部屋が、彼女がいないこと強調させる。
「アンジェ…!!!」
アリオスは悲痛に彼女の名前を呼ぶと、傍にあったごみ箱を思いきり蹴飛ばした。
結局、その日はアンジェリークもアリオスもよく眠れなかった。
隣に自分の半身がいないせいで、2人とも相当参っていた。
朝レイチェルがロザリアの元にアンジェリークを迎えに来た時に、彼女の目の下のクマを見てびっくりした。
「どうしたの!!」
「うん…、余り眠れなくて…」
そう語る彼女は、もちろん何時ものような元気がない。
「アンジェちゃん気をつけて、レイチェルちゃんもアンジェちゃんを頼んだわよ」
「はい! いってきます!」
「いってきます、ロザリアさん…」
ロザリアに見送られて、二人は学校へと急いだ。
「アンジェ、アリオスさんから預かり物があるんだけど…」
アリオスの名前を聞いただけでアンジェリークは敏感に反応する。
「これ」
包みをレイチェルから渡され、アンジェリークは戸惑いがちにそれを受け取った。
「それ、カーディガンだって…、アリオスさんが風邪をひかないようにって、昨日買ってたみたい…」
涙で潤んだ瞳を一瞬レイチェルに向けたが、アンジェリークはそれを隠すかのように俯く。
「・・・こんなんで、騙されないんだから…」
口ではそんなことを言っていたが、彼女は愛しげに包みをぎゅっと抱きしめていた。
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放課後、レイチェルは委員会があるため、アンジェリークはひとりで家路を急ぐ。
向かうのはロザリアのマンションではなく、自分の家。
アリオスとの愛の巣だ。
彼女は途中で、一人分の夕食の買い物だけを済ませて、家へ戻った。
インスタント嫌いの彼のためにカレーを小鍋に準備し、掃除、洗濯などもいつものようにやってゆく。
手早くカレーを作り、掃除を終え、乾燥機で乾かした洗濯物にアイロンを掛けるといい時間になった。
彼女は全てをし終えると、再びロザリアのマンションへと戻った。
もちろん後ろ髪が惹かれる想いで。
どうやって、アリオスと仲直りをすればいいの…?
あんな酷いこと言っちゃって、きっと怒ってるよね…
アンジェリークと入れ違いにアリオスが帰ってきた。
家にはいると、昨夜とは違い、暖かい感じがするのは何故だろうか。
「アンジェ?」
一瞬彼女がいるかと思ったが、何度呼んでも返事はなく、彼は切なげに肩を落す。
キッチンに入ったとき、彼は小鍋にメモが張ってあるのに気がついた。
”おかえり、カーディガンのお礼。食べてね”
たったそれだけの言葉だったが、彼の心を癒すのは充分だ。
「アンジェ…」
彼はフッと優しい微笑を浮かべた。
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それからというものの、彼が帰ると、必ず、洗濯と掃除がされており、夕食が作られるようになった。
----だが、相変らず、アンジェリークの姿はなかったが。
最初はそれだけでもいいと思っていたが、段々彼女がいない日々は辛くなる一方になってきた。
誰から見ても、アリオスが消耗しているのは明らかだった。
仕事を何とか午前中で一段落つけることが出来たアリオスは、金曜の午後、家に帰り、アンジェリークがやってくるのを待った。
もちろん、彼女が入らない、自分の書斎でである。
案の定、彼女はうちにやってきた。
そして手早く作業をはじめているのが、音を聴いて判る。
今しかない…
アリオスは必死の思いを抱いて、書斎から出ると、気配を消して彼女に近付いた。
「アンジェ!!」
突然彼は彼女を背後から強く抱きすくめた。
「・…!!」
息を飲む間もなく、逞しいリオスの腕に包まれてアンジェリークは喘いだ。
「…いや・・・っ!! アリオスなんか…、大嫌い…なんだから…!! 離婚するんだから!!」
「アンジェ!! 俺は絶対に別れねえ!! おまえがなんと言おうが別れねえ!! 離さねえ!!」
彼の力が強くて、抗うことさえ彼女は出来ない。
「浮気する男性(ひと)なんて…信じない…」
「してない!!」
「してるわよ!! だって、あの女性の涙拭ってた…」
最後は涙が混じって語尾がかき消される。
「バカ…、惚れた女の涙を拭うのに、ハンカチなんて使うわけねえだろ?」
「でも!!」
言い返そうとして、アンジェリークは彼の腕の中で一回転させられ、彼と見つめあう格好になる。
「惚れてる女の涙を拭うのはこうだ…」
「え!?」
気がついたときにはもう遅かった。
アリオスは丁寧に彼女の涙を舌で拭い、宥めるように何度も口づける。
その余りもの甘美な慰められ方に、彼女はいつの間にか彼の首にその細い腕を回していた。
「アンジェ…、あの時は、ちゃんとオリヴィエも一緒だったんだ…」
「うん…、ごめんなさい、アリオス!!」
ロザリアから聞かされて知っていた。
アリオスがかなり参っていたことも。
だが、彼の口からもう一度聞きたかった。
彼女の瞳から更に大粒の涙が流れ、彼はそれを丹念に舐めとってゆく。
「あんな…、ひどいこと言って、ごめんね…。”生物学上の父親”なんて言ってごめんね。あなたを愛してるから、愛してくれたから、あかちゃんがいるのに…」
「もう何も言うな…。俺の元に戻ってきてくれるか?」
彼は低い声で甘く彼女に囁く。
「うん…。戻っていいの? 私ほんとに戻っていいの?」
「ああ」
彼はそれ以上答えず、そのまま彼女を抱き上げ、二階へと連れて行く。
2人でいれなかった時間を埋めるために----
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「ああ。アンジェはもうそっちには行かないから。いろいろ世話をかけたな。済まなかった」
「いいわよ。その代わり、またうちで彼女の服を可買ってね? この間みたいに」
「ああ。二人で行くから。有難う、またな」
隣ですやすやと、まるで今までの寝不足を取り戻すかのように眠り続けるアンジェリークを、アリオスはしっかり抱きしめながら、ロザリアへの電話を切った。
柔らかい暖かさが、彼の血の滲んだ心を癒す。
その余りにも無防備で幼い寝顔に、アリオスはフッと優しい笑みを浮かべる。
もうすぐ母親になるとは思えにほどの可愛らしさがそこにある。
その笑顔に答えるように、アンジェリークの紺碧の瞳がゆっくりと開かれた。
「----アリオス…」
「今、ロザリアに電話しておいたからな?」
「うん・・・。お礼言いに行かなくっちゃ」
そっと彼の身体に身体を寄せながら、彼女はうっとりと頷く。
「おまえが逃げても、何度でも捕まえるからな…? 覚悟しとけよ?」
アリオスは彼女の腰を引き寄せた。
「----うん、何度でも捕まえて」
再び唇が重ねられる。
これから、色々な誤解が生じることもあるかもしれない。
だが、二人ならそれを乗り越えてゆける。
今回のことでより二人の気綱が深くなったことは間違いなかった。
二人の愛は、更に大きな翼を得ることが出来たのだ。
THE END
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コメント
「WHERE DO WE GO FROM HERE」の波風編です。
マタニティブルーで気が立っていたアンジェちゃんを、見事にアリオスが宥める物語です。
いつもバカップルなので、たまにはこういうのも…。
ヒントを下さいましたあき様本当に有難うございました
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