CHAPTER1
初めて喪服を着たのは、雨の日だった。
私はぼんやりと、雨に打たれていた。
頬をぬらすのは、自分の涙なのか、雨なのか、私にはもうわからなくなっていた。
ふいに、傘が差し出され、私が見上げると、そこには、銀糸の髪をした美しい「雨の精」が立っていた。
『これからは、俺が、おまえの兄で、父親で、母親だ・・・』
夕食の支度をしながら、少女はぼんやりと、窓に広がる空を見ていた。
霏々と雨が降り注ぐ光景は、少女を切なくさせる。
雨の日は複雑。一番悲しかったことと、一番うれしかったことが交差するから・・・。
物思いに耽っていると、ふいに玄関のベルが鳴り、少女は、慌てて玄関へと向かった。
「お待たせしました!」
少女がドアを開けると、そこには、世話好きの遠縁に当たる中年の女性が立っていた。
「こんにちわ、アンジェリーク、アリオスはいるかしら?」
「いえ、叔父さんはまだです・・・」
アンジェリークと呼ばれた少女は、明らかに戸惑いを隠せず、言葉を濁す。
「そう。相変わらず忙しいのかしら」
「もうすぐ帰ってくると思いますが・・・」
アンジェリークは、そこでいったん言葉を切り、次の言葉に躊躇する。この女性が苦手だが、親戚である以上邪険にすることはできない。だが・・・。
短い沈黙がアンジェリークの思いを代弁する。
「まぁ、良いわ。アリオスの顔を見に来ただけだし・・・」
沈黙に痺れを切らしたのか、女が先に口を開いた。しかし、その表情は、明らかにアンジェリークへの嫌悪が見え隠れしていた。'まったく、とろい娘‘と言わんばかりに。
「これ、アリオスに渡しといてくれる? 今度こそ喜んでくれるから」
「あ、はい・・・」
女は、アンジェリークにB5サイズの白い封筒を押し付け、彼女はたじたじになりながらそれを受け取る。本当は、こんなものを受け取りたくないと思いながら・・・。
アンジェリークは、気づいていなかった。この封筒の存在こそが、この女性を苦手とする最大の原因だとは。
「そうそう、アンジェリーク」
「はい?」
「何年生になったかしら?」
「高2です」
「じゃあそろそろ、'叔父さん‘に甘えている年ではないわね・・・」
アンジェリークは、胸に大きな楔を打ちつけられる思いだった。息苦しく、切ない・・・。頭の中が真っ白になり何も思考できない。
「じゃあ、アリオスにくれぐれもよろしく・・・」
意地悪げな言葉の響きとともに、女は去っていった。
玄関のドアがしまる音とともに、アンジェリ−クの大きな青い瞳からは、大粒の涙が零れ落ちてきた。
叔父に迷惑をかけていることを、考えないわけじゃない・・・。叔父さんは28の適齢期で、私の存在が結婚の障害になる事ぐらい、わかってる。だけど・・・!
アンジェリークは、虚ろな瞳で、やるせなく、手の中にある封筒を見つめていた・・・。
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「なんだ、俺の顔になんかついているか?」
アリオスは、探るように自分を見つめるアンジェリークが気になり、思わず夕食の箸を止める。
「う・・・、うん・・・、なんでもない・・・」
「俺に見とれんなよ」
アリオスは、喉をクッと鳴らしながら、からかうように笑う。その表情に、アンジェリークは照れくさくなり、俯いてしまう。
「----あのね・・・」
アンジェリークは、俯きながら、先ほどの封筒の話を切り出す。
「−−−−今日、おばさんが来て・・・、また、お見合い写真の封筒を置いていった」
アンジェリークは、おずおずと白い封筒をアリオスに差し出した。アリオスの美眉が険しく顰められる。
「またか・・・」
「うん・・・」
「いいかげんにしつこいぜ、あのおばさんも! 結婚か・・・。俺はぜんぜんその気がねぇのによ」
アリオスは、うざったそうに鼻を鳴らす。
「アンジェリーク、おまえも受け取らなくていいぜ?」
「うん・・・!」
アリオスの言葉は、アンジェリークの表情を一気に明るくさせ、心を暖かいものでじんわりと満たしてくれる。一気に地獄から天国に行ったようだった。
彼女は、叔父の言葉がうれしくて、まるで太陽のような微笑を浮かべながら、滞っていた箸を進め始めた。
そんなアンジェリークを、アリオスは誰よりも大事に思っていた。
彼女が10歳のときに引き取ってから、7年・・・。今までがんばってこれたのも、彼女の笑顔のおかげだと思う。アンジェリークの世話に負われながら、バイトと、司法試験に向けた勉強に明け暮れた日々。歯を食いしばってがんばってこれたのも、すべて彼女がいたからだ。
アリオスは、この関係が壊れることを、誰よりも恐れていた。
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「では、来週までに進路表を記入して提出するように! これをもとに保護者を交えた三者面談を行うからな! では今日はここまで」
担任のヴィクトールの掛け声とともに、クラス委員のレイチェルの起立・礼の号令がかけられ、一日の授業が終了した。
アンジェリークは、配られた進路表を、穴をあくほど見つめながら、溜め息を吐いた。
「なぁーに溜め息吐いてんの! 優等生のあなたなら、どこの志望校書いても大丈夫じゃない?」
後ろの席にいた親友レイチェルが、不思議そうに話し掛けてきた。いつも明るく元気な親友は、アンジェリークの心を和ませてくれる。
「大丈夫よ、なんでもないから・・・」
アンジェリークの沈んだ様子に、レイチェルはすぐにピンと来る。
「アナタ、進学したら、またアリオスさんに迷惑がかかるっておもてったんじゃないの?」
アンジェリークは、びっくりして、思わず親友の顔を見た。
「図星ね。」
そう云って、レイチェルはアンジェリークの華奢な肩に手をおいた。
「いい! アリオスさんは絶対そんなこと思ってないよ! アナタはこの学園でも奨学金を取ってがんばってるし、きっと進学してほしいと思ってるよ! もし、気が引けるんなら、奨学金の出る大学を探せばいいじゃない!」
レイチェルの力強い言葉は、アンジェリークにとっては何よりもうれしかった。この親友は、何よりも欲しい言葉をくれる。
「ありがとう・・・! おかげで元気が出た!」
アンジェリークは、ひまわりのような、それでいて、誰もが抱きしめたくなるような笑顔を、レイチェルに向ける。
「それでこそアンジェだよ」
レイチェルは思う・・・。
アナタの笑顔はとても幸せな気分にさせてくれるんだよ・・・。ワタシも、そして、アリオスさんも・・・。
「ところでアンジェ、今日これからヒマ?」
「うん。叔父さん夕ご飯いらないって言ってたから、大丈夫よ」
「じゃあさ、駅前に新しくできたケーキ屋さんに行かない? バナナケーキが絶品らし〜よ!」
「行く!」
二人は、足取りを軽くして、久々に一緒の放課後を楽しむことにした。
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二人の通う王立スモルニィ学院は名門として名高い。その影響か、学院の最寄駅も閑静で、ロマンティックな雰囲気のたたずまいだ。そのせいか、大変おしゃれでスマートなお店も多く、アンジェリークやレイチェルのような女子高生には手が届かない店も多かった。そんな中、リーズナブルでおしゃれなケーキと紅茶の店「パティスリー・シマ」がオープンし、学園の生徒の人気を集めていた。
アンジェリークとレイチェルは、バナナケーキとアールグレイを注文し、話に花を咲かせた。学校のことクラブのこと、そしてレイチェルの恋の話。レイチェルは、堅物秀才大学生のエルンストにどうしようもなく恋をしており、彼に素直になれないことがおもな相談ごとだった。
アンジェリ−クは、親友と一緒に一喜一憂したりして、まるで自分のことのように、一生懸命話を聞いていた。
アンジェリークは感謝していた。一生懸命気を紛らわせようと話してくれる、この素晴らしき親友に。
二人は、かれこれ2時間近くも店で話し込み、ようやく家路につこうと店の前へと出た。
「おいしかったね〜」
「うん! レイチェル、つれてきてくれて有難う」
「どういたしまして・・・、あれ・・・?」
最初にその姿に気がついたのは、レイチェルだった。
「どうしたの・・・?」
レイチェルははっとして、アンジェの前に立ちはだかると、顔をひきつらせながら笑った。
「なんなの?」
「なんでもないって!」
覗き込もうとするアンジェリークに、レイチェルは立ちはだかる。親友の不審な行動に、アンジェリークは、訝しげに眉根を寄せた。
「なんでもないって・・・・・・、あっ!!!」
その姿を見つけた瞬間、アンジェリークは声にならない悲鳴を上げた。
銀色の髪に、金と翠の左右違う瞳の持つ人・・・。瞳には、いつも激しさと焦燥の影があり、その奥には大きなやさしさが秘められた、ぶっきらぼうな人・・・。背が高くて、細いけど、その胸は大きく、頼れる人。細くてきれいな指を持つ人・・・。
そこにはまぎれもなく、華麗な女性を連れた、アリオスの姿があった。
いつもは自分に向けられている眼差しが、今は横にいるとても大人で美しい女性に向けられている。
その眼差しのそばにいるのは、いつも自分でありたいのに!
アンジェリークは自分を省みる。
あの女性に比べると、自分はまだまだ子供だ・・・。11も年上の叔父に釣り合う筈がない・・・。
そう思うと泣けてきた。どうして子供なんだろうか・・・。どうして大人の女性ではないのだろうか・・・。
アンジェリークの小さな胸は、激しい痛みに、鼓動が早くなる。切なくて、苦しくて、涙が溢れ、息苦しさを覚える。
泣きたいのに泣けない・・・。駆け寄りたいのに、足がすくんで出来ない。
アンジェリークに見られていると気づかないアリオスは、そのままイタリアンレストランの中へ、女を伴って消えた。
「アンジェリーク・・・」
親友の気遣う声も、今のアンジェリークには届かない。
『結婚か・・・。俺はぜんぜんその気はねぇのによ』
『じゃあそろそろ、'叔父さん'に甘える年ではないわね・・・』
アンジェリークは、二人の言葉を頭の中で反芻する。
いやっ! いやっ!! いやっ!!! 本当は、叔父さんに誰も見て欲しくない! 私だけを見ていて欲しい!
そう思って、アンジェリークは、はっとする。
これは嫉妬・・・?
私・・・、叔父さんの事が好きなんだ・・・、どうしようもなく・・・。
アンジェリ−クはこのとき初めて、アリオスへの思いを自覚し、呆然とその場に立ち尽くしていた・・・。
To be continued
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コメント
若き叔父・アリオスと姪・アンジェリークの禁断の恋の1回目です。切ない話を目指していますが・・・、書き手がお笑いなどでぜんぜんなってません。しかもアリオスさん、あまり出てきませんし(^^:)実は、私には8歳違いの叔父がいまして(姉なんて2歳違い)、なんとなく若き叔父の設定を思いつきました。長くなるかもしれませんが、よろしくお願いします。ちなみにタイトルは「愛の行方」というニュアンスでつけました。