スタンレーの優しく繊細な音が聞こえて、アンジェリークは思わず立ち止まった。 そこは立派な屋敷で、高価なピアノが弾かれるに相応しい。 スタンレーの音だけは、私、判るんだ。 ピアノを習ったりする費用も時間など、彼女にはない。 ただ、”耳”だけは抜群に良くて、リズムを取ることが出来る。 音が止み、アンジェリークは微笑みながらその場所を立ち去った。 聴いた音を正確にハミングすれば、とても幸せな気分になれる。 曲のタイトルすらわからない。 だがこの美しいメロディを口ずさむだけで心が楽しくなるのは何故だろうか。 今度からこのルートで帰ろうかな。 こんなに良い”音”がただで聴けちゃうんだもん。 幸せな気分に、アンジェリークは微笑まずにはいられなかった。 次の日もまた同じ屋敷の前をわざと通る。 再び音が聴こえ、アンジェリークはしばらく音に聞き入った。 なんて綺麗な音を出す人なんだろう・・・。 音が止み、しばらく幸せに浸ってから、アンジェリークは家路に急ぐ。 昨日と同じメロディを正確に口ずさみながら、とても幸せな帰り道。 アルバイトの新聞配達の道を覚えるために歩いた道だが、こんなに素敵なことが待っているとは思わなかった。 ちっぽけなことかもしれない。 だが、アンジェリークにとってはそれはとても幸せなことだった。 この局なんだか知らないけど、凄く素敵な曲…。 Why Does The Sun Go On Shining… ------フォノジェニックな声か… 屋敷の影から彼女を見ている影があることを、アンジェリークは気がつかない。 それほど大きな声でアンジェリークは歌ってしまっている。 聴いてる者の口角が楽しげに上がる。 春の幸せな、ひとときだった----- 音を聴くために学校から帰るルートを変え、アンジェリークは足げに屋敷の前に通った。 だが、あの二日以来、幸せな音を聴くことはなかった。 もう聴けないのかな・・・? しょんぼりとしながらも、アンジェリークは諦めきれずに屋敷の前を何度も通った。 が、音を聴くこともなく、中学生だったアンジェリークはいつしか高校生になっていた。 今はもう、あのルートと全く反対側通うことになったいる、特に用事のない時以外は屋敷の前は通らなくなっていた----- 「ねえアンジェ! 今度の芸術観賞会は、ピアノらしいのよ! 何校か合同らしいんだけど、そのピアノを弾くのがアリオスらしいのよ!」 興奮気味のレイチェルに、アンジェリークは首を傾げる。 「アリオス?」 「もう知らないの!? アナタはクラッシック一辺倒だもんね。凄く有名な作曲家兼プレイヤーよ。今、凄く人気なんだから!」 「そうなんだ・・・」 レイチェルの強い力説にアンジェリークは感心するかのように頷いた。 いくらレイチェルが強く言ったとしても、あの音に勝る音はないと、アンジェリークは考えている。 「とにかく! ワタシがCD貸してあげるから、少し予習してね〜!」 「うん」 親友が力説するのだ。とても良い音楽に違いないのだろう。 芸術観賞会か・・・。 少し楽しみだな・・・。 音楽はとても好きだし、聴いているだけで心が躍る。 だが、アンジェリークにとっては”音楽”はとても贅沢なもの。 母子家庭で育つ彼女は、母親に迷惑をかけずに大学に進学をするために、一生懸命アルバイトで学費を溜めているのだ。 CDすらも中々買えないのが現状だった。 翌日、レイチェルがCDを貸してくれた。 アンジェリークは、家に帰って早速CDを聴いてみる。 音が始まった瞬間 心の奥底から震えが来るのを感じた。 聴いたことのある音。 魂の根底が揺さぶられるような、そんな音を持っていた。 この音はもしかして・・・! アンジェリークはすぐに直感する。 この音は、中学生の時に聴いたあの音に違いないと。 僅か二度しか聴いたことがない音だが、無意識に絶対音感のあるアンジェリークにはすぐに判った 「そうよ! 絶対そうだわ!!」 アンジェリークは早速MDにダビングをして、そのアルバムを何度も聴き込むことにした。 アルバムの解説書にあるプロフィールで、彼が今年28才で最近まで海外を拠点としていたのが判った。 その上、この街”エンジェル・タウン”の出身であることも確認でき、いよいよ確信してしまう。 きっとそうよ! アリオスさんはあのピアノの音の主だわ! アンジェリークの期待はいやおうなく高まりを見せ、期待は大きく膨らむ。 解説書をじっくりと読みながら、音を確認していった。 全部作っているんだ…。 凄い…。 だがその中で、ひとつだけカヴァー曲が含まれている。 アンジェリークはオリジナルの曲がいいだけに、このピアニストの思い出の曲だと感じずに入られなかった。 THE END OF WORLD----- その曲が始まり、アンジェリークは驚かずにはいられなかった。 あの曲だ----- やっぱりあなたは…!!! 何よりもの証拠。 毛が逆立つような感動をアンジェリークは感じていた------ それまでに耳で復習しようとばかりに、何度も聴き込む。 最も、アンジェリークは自分で意識していないところで”絶対音感”をもっているせいか、一度聴いただけで正確なリズムを取ることが出来た。 いよいよ芸術鑑賞会の日。 生徒たちにはプログラムと共に、”THE END OF THE WORLD”の歌詞が配られる。 アンジェリークは、このひと時が楽しみで堪らなかったせいか、興奮が体中を駆け巡っている。 楽しみ!! どんな音が聞けるんだろう! 姿勢を前のめりにして、アンジェリークはステージをただ一点見つめていた。 「アリオス、また曲の以来ですよ」 マネージャーであるエルンストが、少しうんざり儀身になりながらも、一応はアリオスにお伺いを立てる。 「何だよ、またアイドルかよ。 俺は”フォノジェニック”(音に乗り易い声)な声の持ち主しか曲は書かねえんだよ」 アリオスは煙草をふかしながら少し苛立ちげに答えると、ソファから立ち上がった。 「中々”フォノジェニック”な声はいませんからねえ」 「-----いや、俺は二回だけ聴いた事がある。3、4年前だけどな。 中学生ぐらいのガキが完璧な”フォノジェニック”だった」 「中学生が」 感心するかのようにエルンストは頷き、アリオスを見る。 「その子をスカウトしないんですか?」 「------出来れば苦労しねえよ。 今日の高校の”芸術鑑賞会”を引き受けたのもそのためだ。 あの子がいればもうけものだ。 だから曲も”THE END OF THE WORLD”だ。あの子が口ずさんでたな」 「なるほど」 ノックが鳴り響いた。 「はい」 「アリオスさん時間です。お願いします」 会の主催者が声を掛けてくれる。 「判りました直ぐに行きます」 エルンストは返事をした後、アリオスに向き直る。 「アリオス、時間です」 「オッケ」 運命の時間が、今幕を開ける------ 開幕のベルが鳴った。 いよいよだと思うと、アンジェリークは緊張の余り生唾を飲み込んでしまう。 ゆっくりと緞帳が開き、そこには一台のスタンレーが置いてある。 やっぱり!!! 現れたのは、銀の髪をした長身の青年だった。 ライトを浴びたその姿は幻想的で、黄金と翡翠の対成す異色の不思議な瞳が、整った容姿をさらに引き立てていた。 青年は椅子に腰をかけると、手を軽やかに揚げる。 次の瞬間、滑るように、鍵盤に指が落とされた。 ゾクリ------- 背中に寒気が走る。 それは決して不快なものではなく、感動ゆえの鳥肌感だった。 やっぱりCDで聴くよりも、名まで聞くほうがあの音に近い・・・。 前よりも深みが増したような気がする… アンジェリークの耳はアリオスの音をしっかりと捉え、彼女は前のめりになって音を拾い続ける。 彼女は夢中になり、もうステージにいるアリオスしか見えなかった。 全身に興奮と幸せの血が脈打ち、彼女は、そこにいられるだけで至福を感じる。 貴重な夢の時間だった。 アンジェリークの耳は、あの曲を捉えた。 ”THE END OF THE WORLD” 歌詞カードを頼りに、アンジェリークは誰も歌っていないのにもかかわらず、口ずさんでいた。 Why Does The Sun Go On Shining… この音を聞いた瞬間------ この子だ・・・!! アリオスの背中にもまたゾクリとしたものが感じられる。 ようやく見つけた感動がそこにある。 フォノジェニックな声…!!!!! |
| コメント 昨日TVでTHE CARPENTERS がやってて思わず書いちまった・・・。 懲りない俺。 ちなみに「フォノジェニック」というのは音楽用語のようで、音に乗り易いCD向けの声を言うらしいです。 カレン・カーペンターがそうだそうです。 やっぱりねえ |