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ひょっとしてして、アリオス先生は私をずっと待っていてくれたの・・・? そんな甘い妄想を抱きたくなっちゃう・・・。 だって、きっと先生の車に乗るのはこれが最後だろうから・・・。 アンジェリークは心の奥底で切なく思いながら、前を歩くアリオスの後ろを着いていく。 彼の背中がとても広く感じる。 思えば、愚図な私が、進学特殊クラスに着いていけたのは、先生がいつも怒ってくれたから・・・。 真剣に私を面倒見てくれたからなのね。 駐車場に着くと、アリオスのシルバーメタリックのスポーツカーが、月光に妖しく照らされていた。 「乗れ」 「はい」 もう二度とないかもしれないと、アンジェリークはしっかりと空間を心に刻み付けるかのように、助手席に乗り込む。 アリオスがすぐに乗り込んできて、エンジンが掛けられた。 車内に籠る煙草の香りも、もう二度と感じることができない。 何だか、煙草の香りが目に染みてきた。 「明日からは、ゆっくり出来るな」 「先生は逆に忙しくなるんでしょ?」 くすりと笑った後、アンジェリークは少しだけ俯いた。 「まあな。だが、おまえらみんな優秀だからな。採点するこっちは楽なんだぜ」 「私はみそっかすだから」 「んなことはねえよ」 綺麗な指先で栗色の髪をくしゃりとされて、胸が甘く苦しい。 「おまえは優秀な生徒だ」 しみじみと言った後、アリオスはゆっくりと車を駐車場から出した。 運転をするアリオスを横目で見つめながら、アンジェリークは一生懸命勇気をかき集める。 どうせ、振られてしまうことは判っている。 だが、今を逃してしまえば、もうチャンスが無くなる。勇気はなかなか集まらなかった。 「・・・先生、今日は有り難うございました。アルのことで、みんな謝ってくれましたから」 頭を軽く下げて、アンジェリークはアリオスを見た。 まだまだ言い足りない。 だが上手く言葉で表現できない。 「おまえがアルフォンシアを思う気持ちがあいつらに伝わったんだ」 「先生・・・」 アンジェリークはアリオスの精悍で整った横顔をじっと見つめる。 胸が甘く震えて痛かった。 車はどんどん家に近付いている。 考える時間が、時間の過ぎる速度に追い付いていかず、もどかしい。 言おうとしても、どうしても言うことが出来なかった。 「・・・腹減らねえか?」 「少し空きました」 「だったら、今日頑張ったおまえへのご褒美だ。美味いメシ屋があるんだ。食べにいこうぜ」 アリオスからの提案は、手放しで喜びたくなるほど嬉しかった。 これで勇気をかき集める時間がもてる。 「はいっ!」 間髪入れずに、アンジェリークは返事をする。 もう少しだけでも、アリオスのそばにいたかった。 切なる欲望が満たされ、アンジェリークは心から嬉しい。 だからこそ、あの一言を言わなければならないと思った。 アリオスが連れていってくれた店は、小さな古びたちゃんこ屋だった。 ふたりでつつき合うのには丁度いい大きさの鍋に、野菜や魚介がたっぷり入っている。 「おまえは栄養つけなきゃならねえからな?」 「有り難うございます」 女の子向けの洒落た店ではなかったが、味は抜群に良い。 苦手なイワシのつみれも難なく食べられる。 そして何よりも、横にアリオスがいてくれることが、食べものを美味しくしてくれていた。 「美味しいです〜!!」 「そいつは良かったな。いっぱい食って、体力を養えよ?」 「はいっ!!」 アリオスにとっても、美味しそうなアンジェリークの顔が、何よりものごちそうになった。 あまりにも美味しかったせいか、アンジェリークはするすると食べる。 締めのラーメンの美味しさと言えば、それこそ”頬が落ちる”ほどだった。 「あ〜、もうおなかがいっぱいです!」 満足な悲鳴を上げながら、アンジェリークはすっかり満足そうに笑った。 「そいつは良かったな。これで栄養付けて、四月からがんばらねえとな?」 「はいっ!!」 先生・・・。 先生との想い出の方が、私にはずっとずっと栄養になります。 心の栄養に・・・。 夕食をたっぷり食べた後、ふたりは再び車に乗り込む。 どうして楽しい時間は、こんなに早く過ぎてしまうんだろうか。 車に乗り込むなり、ふたりはどこか暗い雰囲気になった。 「すまねえな。遅くなっちまった」 「大丈夫です。今日はうちの人たちはいないんです。両親と祖母は温泉旅行中ですから」 本当にこれこそ幸いだ。最初は、卒業レポートで自分一人が行けないのが悔しかったが、今や、それも喜と転じている。 「そうか。だったら不良ついでに、ドライブするか?」 「はいっ!」 これにも、アンジェリークは本当に嬉しそうに頷いた。 もっともっとお互いにそばにいたい---- その気持ちが、ふたりの中で一致した。 車は、アンジェリークの家とは別方向に向かって走り出す。 「いい夜景スポットがある」 「楽しみです!!」 ゆらゆらと揺れるコンパートメントに、心地好く躰を預けて、彼女は飛び去るように動く窓の向こうの景色を見つめた。 「先生・・・」 「何だ?」 「先生って、”女嫌い”って言われいるのを知っていますか?」 恐る恐る訊いてくるアンジェリークに、アリオスは苦笑した。 「ああ、知ってる」 「それを聞いて、最初は先生がおっかなかったんですよ。実際、先生はきつかったし。筋金入りの女嫌いだって、そう思ってました」 懐かしそうに、アンジェリークは言い、言葉尻に笑みがこぼれる。 「俺は女嫌いなんかじゃねえよ。ただ、女は、たまにロクデモねえのがいるからな。根性を叩きなおさねえとな」 アリオスはさばさばと言い、アンジェリークは思わずへの字に口を曲げた。 「おまえやハートはそんな女じゃねえのが判ってる」 アンジェリークは頬を染めて、少し照れくさそうに俯く。 「有り難うございます」 一緒に過ごす時間が長いほど、アリオスのことをどんどん好きになっていく。 それが苦しくて泣きたくなった。 「この先を上がっていけば、夜景が綺麗な場所に着く」 「楽しみです」 車体が傾き、山道を上がっていくのが判り、わくわくする。 しばらくして減速して、車はゆっくりと止まった。 「着いたぜ?」 「はいっ!!」 車から降りると、流石にこの時期はまだまだ寒かった。 ぶるっと躰を震わせると、アンジェリークの後ろに優しくアリオスが立つ。 「寒いのか?」 「少し・・・」 「これ着るか?」 革のジャケットを脱ごうとしてくれたので、アンジェリークは慌ててそれを制する。 「先生が風邪を引きます」 「このままだとおまえだって、風邪を引くじゃねえか!?」 アリオスが逆に押しつけようとすると、アンジェリークは首を振る。 「ったく、頑固ややつだぜ・・・。しょうがねえ、こうするか・・・」 え・・・。 一瞬、何が起こったか、良く判らなかった。 思考が上手く回り出したときには、温かく包まれていた。 背後からしっかりと包み込むように抱き締められるのが、とても心地好い。 「先生・・・」 「これだったら温かいだろ?」 温かいどころか、躰がとても熱い。 芯まで蕩けそうだ。 「はい・・・」 かすれた声で、アンジェリークは何とか返事をした。 足が震える。 「なあ、凄く綺麗だろ?」 「あ・・・」 躰の熱に気を取られていて、目の前にある宝石のような光景には、全く気付いてはいなかった。 熱で艶やかに潤んだ瞳に、夜景が美しく滲んで写る。 街の灯は本当に絶景だった。宝石や星屑を散らばめるよりも美しい。 「・・・綺麗・・・」 感嘆の息を吐けば、アリオスの腕に力が込められた。 「明かりの下には、色々な人生があるから、夜景は綺麗なんだ。命の明かりだ」 「命の明かり・・・」 アリオスの言葉を噛み締めるように呟いて、アンジェリークは夜景を凝視する。 明かりが本当に命の明かりに見えるから不思議だ。 「アンジェリーク・・・」 甘いくぐもった声で、初めて名前が囁かれた。 名前を呼んでもらっただけなのに、甘く心が乱れる。 「先生・・・」 「アリオスだ、アンジェリーク」 腕の中で躰を回転され、向かい合わせにさせられる。 甘いアリオスの声に、脳の芯が甘く痺れてぼうっとした。 「・・・アリ、オス・・・」 かすれた声で名前を呼ぶと、彼は満足げに笑う。 そのまま熱い唇が重なり合い、めくるめく情熱に燃え尽くされる。 三度目のキスは、溺れたくなるほど甘いものだった。 甘い時間もまた、終わりを迎える。 深夜近くになったので、家路についた。 まるでシンデレラの魔法が解けるみたいね・・・。 助手席に座りながら、アンジェリークは、初めて、シンデレラの惨めな気持ちが判ったような気がする。 車に揺られ、家に着いたのは、違う日付を刻む実に5分前。 「着いたぜ」 アリオスの事務的な声にアンジェリークは頷いた。 -------今しかチャンスはない。 アンジェリークはぎりぎりになり、ようやく勇気がかき集まった。 言わないよりも、ここで言った方が後悔しない----- それだけを一年に、かの上はゆっくりと口を開いた。 「・・・先生、私ね・・・ずっと先生に恋をしていたの。あなたがいればたとえどんなことでも、頑張れた・・・。今まで、有り難うございました」 震える声で一生懸命言った後、アンジェリークは一瞬アリオスを見つめてから、静かに車から出る。 返事は聞きたくはなかった。 どうせ断られるから。 惨めになるからと、彼女はアリオスが答える前に、自分を防御するように車から降りたのだ。 急いで玄関先に走っていき、隙を与えない。 鍵を開け、少し振り返る。 車は止まったまま、彼女が家の中に入るのを見守ってくれていた。 有り難う、先生。 ドアを閉め鍵をかけたのとほぼ同時に、アリオスの車が走り出すのが聞こえる。 その音に、アンジェリークはむせび泣いた---- 卒業式の日を、アンジェリークは胸の苦しみと共に向かえた。 白い清楚なワンピースで清らかなお洒落をして、式に臨む。 式が挙行されている間は、職員席にいるアリオスを目で追わずにはいられなかった。 先生、いよいよお別れですね・・・。 こんなことなら、卒業レポートを思い切り手を抜けば良かったって思っちゃう。 落第したら、また先生と一緒にいられるのに・・・。 心の奥底からそう思わずにはいられない。 卒業の涙に紛れて、アンジェリークは失恋の涙を噛みしめた。 式が終わり、中庭近くで友達と別れを告げる。 クラスメイトとまた逢おうとしっかりと約束をして。 同窓会で今度逢う時は、先生は可愛いお嫁さんがいるかもしれない。 子供も・・・。 そう思うと、また涙が滲んでしょうがない。 「アンジェ、帰ろうか?」 「うん」 レイチェルに言われて頷いた後、涙を拭いながら校門を潜ろうとした。 「あれ、アリオス先生だわ」 アンジェリークはどきりとして、思わずアリオスの居る方向を向く。 彼のスーツは少し乱れていて、相変わらず素敵で、胸がきゅんと締まる。 「何、先生、あんなに慌てて…」 レイチェルは何事とばかりに、不思議そうにしていた。 「コレット…」 アリオスの息は、服装と同じく少し乱れている。 「先生…、今まで、長い間お世話になりました」 「ああ」 深々と頭を下げた後、アンジェリークはこれ以上アリオスの顔を見ることが出来ず、直ぐに振り向いた。 大きな瞳には止めどとなく涙が溢れている。 「行こう、レイチェル」 「うん」 ふたりが揃って校門をくぐったときだった。 「アンジェリーク!!!」 名前を呼ばれて、アンジェリークは思わず振り向いた。 「先生…?」 アリオスもまた校門をくぐり、アンジェリークに近付いていく。 「この間、おまえにちゃんと返事をしなかったからな」 「先生…」 アリオスは指先で、アンジェリークの円やかでマシュマロのような頬にふれると、ふっと甘く笑った。 「------おまえの夢を俺に叶えさせてくれ」 「アリオス…!!!」 手を伸ばした瞬間、アンジェリークはアリオスの胸に飛び込んでいく。 周りにいた誰もが驚いて、ざわついている。 「ワタシも抱きつきたくなったな〜」 レイチェルは幸せの伝染を受け、大胆にも学校内にいるエルンストのところにわざわざ行き、抱きつきに行く。 「アンジェ…」 「アリオス…」 アリオスとアンジェリークはと言えば、お互いに見つめ合い、その思いを伝えあった。 「あ〜あ。お嬢ちゃんもとうとう他の男の者になってしまうのか。 まあ、あの女嫌いのアリオスが、最初に好きになった女だからな。あいつはもうおっさんだから、譲ってやるしかないか…」 二人を見ながらオスカーは苦笑する。 アリオス…。 今日で先生と生徒はさよならね。 明日からは、私だけのあなただもん…。 春の日差しを浴びながら、二人はいつまでもお互いを抱きあっていた------ |
| コメント アリコレの季節的にはぎりぎり「卒業」の物語です。 短く甘い恋物語です。 お楽しみいただけると嬉しいです。 終りました〜!! |