目覚めたとき、アンジェリークの身体は気怠かった。 甘い痺れが身体の奥に感じる。 不意にリビングから、聞き慣れた艶やかな声が聞こえた。 「ウ゛ィクトールか? 俺だ、アリオスだ。アンジェを連れて、近いうちに帰る。いろいろすまなかった」 その話声に、アンジェリークは全身がぞくりとするのを感じる。 まさか・・・!? そのままアンジェリークはシーツを身体に巻き付けて、リビングへと飛んでいった。 「アリオス!」 その呼び声にも、今は笑顔で応えてくれる。 「アンジェ」 飛び込んできた彼女を、アリオスはしっかりと受け止めてやった。 彼はスーツのスラックス部分だけを履いた状態で、その腕の中に閉じ込められたアンジェリークは頬を染めてしまう 「ねえ、今、電話したのはウ゛ィクトールさんでしょ? 全部・・・、思い出してくれたの?」 アリオスは穏やかな微笑みを浮かべた後、アンジェリークのまなざしを深く見つめる。 「おまえのおかげだ、アンジェリーク・・・」 簡潔だが、彼の思いは凝縮されていた。アンジェリークは思わず涙ぐんでしまう。 「こら、泣くな? おまえはいつまでたっても泣き虫だな?」 「アリオス・・・」 唇が重ねられる。 二人は互いの再会の喜びを、深く重くかみ締めていた。 ------------------------------ 朝食後、アンジェリークはアリオスと共に、彼を助け、孫に仕立てあげていた老人に逢いに行くことにした。 そこで真実を聞き出すのだ。 移動の間も、緊張の余り僅かに震える彼女の手を、しっかりと彼は包みこんでやっていた。 屋敷につき、アリオスは執事に主人への面通しを願う。 「マリウスではなく、アリオスとして、ジェローム氏とお目にかかりたい」 そのたった一言で、全てを知る執事は無言で頷いた。 応接室に通され、しばらくして、品が良く、少し頑固そうな年老いた男性が現れる。 その威厳に、アンジェリークは固唾を飲む。 「楽にしてくれ・・・。私から全てを話そう」 苦渋に満ちた表情を、彼は浮かべながら、ゆったりとソファに付く。 「とうとう記憶が戻ったか・・・」 感慨深げに呟くと、ジェロームは俯いた。 「三月前、私はその一週間前にヨット事故で亡くなった、孫のマリウスの供養のために、海に出ていた。 その時、意識を失ったおまえを偶然に発見した・・・。 おまえを見て、マリウスと寸分違わぬさの姿に、私は、神が私の元におまえを遣わせたのかと思った・・・」 そこまで話し切るとジェロームは大きな溜め息を吐いた。 「助けたとき、おまえは何も覚えてはいなかったが、眠っているとき、うわ言のように何度も呟いていた。 ----”アンジェリーク”と」 アンジェリークは、瀕死の状態にも関わらず、自分の名前を呼んでくれた彼が、とても嬉しい。 「アリオス・・・」 ぎゅっと手を握り締めて、彼女はその思いを伝える。 「このお嬢さんが、アンジェリークか・・・」 「はい・・・」 アリオスは感慨深く呟く。 「このお穣さんが、思い出させたのだな」 じっと見つめた後、ジェロームは大きく溜め息を吐いた。 「良くわかった。 アリオス、すまないが、帰る前に、おまえがやりかけた仕事を引継ぎだけをしてもらえぬか? おまえがいなくなると、スタッフも大変だからな…」 「判りました」 アリオスの声は凛と返事をした。 だが、アンジェリークはなぜか不安に刈られて、彼の服を掴んだ。 「アンジェ?」 不安げに彼を見上げる彼女に、アリオスフッと優しい微笑を浮かべた。 「大丈夫だ、終わったら直ぐに来る。心配すんな・・・」 「・・・うん」 アンジェリークが仕方なしに彼の服を離すと、アリオスは紙をクシャりと撫でたあと、扉の奥へと消えていった。 どうして、こんなに不安になるのかしら… 「----さて、アリオスも行った所で、お嬢さんに相談がある 残念だが、お嬢さんに素直にアリオスを渡すわけにはいかなくてな・・・」 そう言うと、彼は扉を見た。 「メリッサ」 その声を合図に、マリウスの婚約者であるメリッサが現れた。 アンジェリークは背中に冷たい汗が流れるのを感じる。 「メリッサはアリオスの子供を身ごもっている」 その瞬間、アンジェリークは時間が止まってしまうのではないかと、感じた。 心臓が今にも停まりそうだった。 ジェロームとメリッサは怯まず続ける。 「アリオスは一度だけ私を抱いたわ・・・。記憶が混乱しているときに・・・」 少し苦しげにメリッサは笑うと、おなかを優しく撫でる。 「子供のためにも、身を引いてもらえぬか?」 部屋の空気が、無機質で耐えがたいもののように、アンジェリークは感じる。 アンジェリークは全てを悟り、すっとソファから立ち上がった。 「・・・判りました・・・」 「国までの特急のチケットだ。二時間後に出発だ」 涙で潤んだ瞳でジェロームを見つめると、アンジェリークは深々と頭を下げ、それを受け取る。 「・・・生きていてくれるだけで、よかった・・・ですから・・・」 それだけを言うと、アンジェリークは静かにその場を辞した。 そのはかなげな表情に、メリッサの表情は揺らぐ。 「お子様を大切に・・・。アリオスを宜しくお願いします」 それだけを言い残して、アンジェリークは屋敷を後にした--- さよなら・…、アリオス… ---------------------------- その後、アリオスはようやく残務整理から開放され、応接室に向かうと、そこにはアンジェリークの姿はなかった。 「アンジェはどこだ!?」 アリオスは冷酷な表情でジェロームをにらみ付け、迫った。 「…国に帰った」 「何だと! おまえ、アンジェに何を言いやがった!!」 アリオスの表情は、苦悩に揺れ、必死になっている。 こんなアリオス見たことがないわ・・・。 「命の恩人に何を言う! おまえは私の元で生まれ変わったのだ」 「何、勝手に言いやがる・・・」 命を救ってもらった恩義もあり、アリオスは苦しげに眉根を寄せる。 苦しげな彼を見るのは耐え切れない。 メリッサはもう堪らなくなった。 「おじいさまは、私が妊娠したと嘘を吐いて彼女を帰国させたの!」 「メリッサ!」 突然の裏切りに、ジェロームは戸惑いを隠せない。 「この・・・」 愛する者を奪われた憎しみが、全てジェロームに向けられる。 「待って! アリオス! こんなことをしている場合じゃないわ! 彼女は20分後発の特急で帰るわ! 追いかけて!」 「何!?」 「早く!」 アリオスは一度だけ、大きく椅子を蹴飛ばすと、そのまま部屋を出て行く。 「メリッサ! おまえは良い女だぜ! アンジェには負けるけどな!」 アリオスはそれだけ言い残して、アンジェリークを追いかける。 残されたジェロームは、メリッサを責めるように見た。 「なぜあんなことを言った!」 メリッサは深い微笑を浮かべると、真っ直ぐとした瞳で彼を見つめた。 「あんなに愛し合っている二人を、誰も引き離す権利はありません…。 誰にも・…」 彼女はそういうと、寂しげに宙を見上げる。 あれじゃあ離れようがないわ…。 「おじい様。雪ですわ…」 ------------------------- アリオスは、来るまで必死になって駅に向う。 だが、途中で道路渋滞に巻き込まれ、上手く進まない。 くそ! アンジェ! 何とか動いたものの、で駅についたときには、もう列車は行った後だった。 アンジェ・… アリオスは呆然として、暫く駅のホームを見つめずに入られない。 白いものが、肩にふわりと舞った。 「雪か…」 アンジェリークの心みたいだ…。 真っ直ぐで綺麗な… アリオスは樹を取り直して、次の列車でアンジェリークを追いかけることにした。 だが---- 雪は激しさを増し、次の列車が出れないほどまでになっていた。 ---------------------- アンジェリークは列車の中で雪を見ていた。 もうこんな季節なのね… 突然、列車が止まり、アンジェリークは何音かと外を見た。 吹雪はかなりひどくなっているようだ。 「お客様にお知らせを申し上げます。ただいま吹雪のため列車の運行が困難になってしまいました。直ぐ先のエンジェルタウン駅に向い、そこで暫く停止いたします」 再び列車は動き、ゆっくりと隣の駅に向い、そこで停車した。 「もう直ぐ国境なのにね…」 ゆっくりと日は落ち始め、結局、長時間停車することとなった。 「ちょっと空気でも吸いに行こう」 アンジェリークは、身体にストールをかけると、少しホームに出ることにした。 手を息で温めながら、深呼吸をする。 不意に、アンジェリークは懐かしい気配を感じ、振り向いた。 すると、遠くから、ゆっくりと影がこちらに近づいてくるのが判る。 目を凝らせば、そこには---- アンジェリークはその姿に、思わず息を飲んだ。 雪まみれのアリオスがゆっくりと近づいてくる。 夢じゃない…? 夢…? 「アンジェ…!!!」 いきなりしっかりと抱きすくめられて、彼女は喘ぐ。 「…アリオス…、メリッサさんは?」 「あれは全部嘘だ! 俺は記憶を失っている間も、おまえ以外の女を抱くことなんて出来なかった! あのおっさんが、おまえと俺を引き離すために…!」 情熱的な告白にアンジェリークは胸を詰まらせ、彼に答えるように腕を回す。 「一緒に帰ろう…」 「うん、うん!」 柔らかな彼女の身体を抱きしめた後、アリオスは安心したように微笑んだ。 「アンジェ、俺は雪の中ここまで駆けて来た。全身が凍えそうだ…、温めてくれ?」 「うん…」 「ついでに唇も…。愛してる…」 アリオスの唇が彼女の唇を塞ぐ。 この瞬間、二人は永遠に離れないことを心に誓った---- ------------------------ 一年後---- ジェロームの元に一通の手紙が届いた。 それはアリオスから。 その中に写真が入っており、そこにはアンジェリークと生まれたばかりの子供が写っている。 アリオスとジェロームはあの後、アンジェリークとメリッサが中に入ることで、関係を修復していた。 ジェロームはこの写真を見つめながら、まるでひ孫を得たような不思議な気分に浸っていた---- 春の訪れとともに、この一家がやってくるのを待ちわびながら---- |
コメント
20000番のキリ番を踏まれたnemori様のリクエストで、
「失踪した恋人アリオスを見つけたアンジェだが、アリオスは記憶喪失になっていてアンジェのことが判らなくなっていた」
ラストをどうしてもこうしたくて、少し強引な展開になっちゃいました。
反省…