NEVER GONNA LET YOU GO


 あなたがいなくなったなんて、考えられないから・・・。
 私のそばから黙って消えてしまうなんて・・・。

 恋人が職務中に消息不明になったと、同僚から聞かされたのは三か月前。
 どうしても信じられなくて、アンジェリークは、彼が消息不明になった場所まで、たったひとりで来ていた。
 そこの近くの街で、彼と似た人物がいたという情報があったからである。
 彼ともう一度逢えるのならどんなことも厭わない。
 今でも心が、悲鳴を上げているのが、彼女には判った。
 取りあえず、近くのホテルで宿を取り、その信憑性を知りたくて、写真を片手に訊いてみることにした。
 運良く、数人に当たっただけで、彼に似た人物に行き当たった。
「それなら、マリウス様じゃないかしら、アルジャーノ財閥の・・・」
 その一言に、アンジェリークは本社の場所を訊いて、そこに乗り込むことにした。
 随分立派な建物に、アンジェリークは思わず恐れをなして気後れしたが、勇気をもってそこに足を踏み入れた。

 逢って確かめれば、アリオスかそうじゃないか判るはず・・・。

「あの・・・、こちらにマリウス様はいらっしゃいますか?」
 勇気をもって、受付に問い合わせた。
「失礼ですが、社長秘書の面接の方でしょうか?」
「あ、あの、私は・・・」
 戸惑いを隠せないアンジェリークに、受付は直も続ける。
「社長を直接尋ねていらっしゃる方だと、お聞きしていましたので」
 これは当たって砕けろ的に、アンジェリークは覚悟を決めた。
「はい、ご案内頂けますか?」
「判りました」
 受付嬢はニコリと微笑むと、社長室を案内してくれた。

 逢えば判るから・・・。

「社長様は、最近交替されたんですよね?」
 アンジェリークは思い切ってかまをかけてみた。
「ええ。先代のお孫様に当たられましてね、就任されたのは、二か月前ですわ」
 アンジェリークは、益々疑念を膨らませていった。
「こちらですわ」
 受付嬢が重厚なドアの前で止まり、ノックをした。
「社長、面接の方です」
「入れ」
 低く良く通る声。聴き覚えのあるその声に、アンジェリークの鼓動は早まる。
「失礼致します」
 ドアが開け放たれ、アンジェリークは中へと促される。
「・・・!!」
 流れるように振り返った青年の姿に、アンジェリークは心臓が止まるかと思った。

 アリオス・・・!!!!

「有り難う、下がっていい」
「はい」
 後ろのドアが閉じられたのを感じて、アンジェリークは青年に向かって、呼び掛けてみた。
「アリオス!!!」
 アンジェリークが彼の腕に飛び込んだ瞬間、青年の表情が僅かに歪む。
「誰だ? おまえは何のつもりだ」
 低く冷酷な声。
 彼女の知るアリオスからは、とうてい聴くことが出来なかった声。
 全身から血の気がひき、彼から離れた。
 全身が震えて、アンジェリークは大きな瞳から涙をぽろぽろと流す。
 今までになかった冷たさにアンジェリークは狼狽する。
「アリオス! アンジェです! あなたの婚約者の!!」
 思い詰めたようにアンジェリークは言い、アリオスを見つめた。
「・・・悪ぃが、俺はマリウス。アリオスなんて名前じゃねえし、婚約者もちゃんと幼馴染みでいる」
 別人・・・? こんなによく似ているのに!?

 アンジェリークは俯くと、そのままぽたりと足下に涙を流す。
「申し分けありませんでした!」
 震える声でアンジェリークは謝ると、そのまま勢い良く出ていこうとする。
「待て!」
 マリウスは、慌ててアンジェリークの腕を掴む。
「放して下さい! このことについては、本当に謝ります。申しわけございませんでした」
「ちがう、別におまえさんを責めちゃいねえ」
「落ち着いて、ちょっと座ってくれねえか?」
「・・・判りました・・・」
 がっくりと肩を落としている彼女が少し可愛そうに思いながら、マリウスは応接セットに促す。
 自分でもなぜそうしたいのか、判らないでいた。
「落ち着いてくれ」
「はい」
 アンジェリークは、愛する男性と瓜二つの男性に優しくされるのが辛くて、ずっと俯いたままでいた。
「で、おまえさんの名前とどこに住んで、何をしているのか教えてくれ」
 感情が籠っていない声だった。
 まるで尋問のように聞こえて、アンジェリークはびくりと体を小さくさせた。
「おい、変に怖がるな」
「はい・・・」
益々小さくなる彼女に、マリウスという名の青年は、困ったように溜め息を吐く。
「警察に突き出したりはしねえから、言ってくれ。煮たり食ったりはしねえよ」
 アンジェリークはコクリと頷き、口を開いた。
「アンジェリーク・コレットです。ここから電車で5時間の、隣のアルカディア公国から来ました。前は、小さな会社で秘書業務をしてました」
「秘書か・・・」
 マリウスは頷く。その時、内線が鳴り、彼はすっと立ち上がった。
「待っていてくれ」
 そう言うと、彼は電話に出る。
「マリウスだ。あ、秘書候補がまた来た? あ、悪ぃが、秘書課にまわしてくれ」
 彼はそこで電話を切ると、今度は秘書課に電話を掛ける。
「あ、マリウスだ。今から秘書志望の者をそちらに回すから、面接しておいてくれ。課の欠員にふさわしければ採用しろ。俺の秘書以外だ」
 そこまで言って電話を切ると、彼は再び席に着いた。
「で、俺にそっくりな恋人とやらは、どんなやつだ」
「こちらには仕事で行ったんです。ですが、職務中の事故で海に流されて、行方不明に・・・」
 アンジェリークはそれ以上は言えなかった。
 嗚咽が漏れ、これ以上話せない。
 アリオスは体をびくりとさせた。
 ほんの一瞬冷たいものが流れる。

 どうして、こんなに胸が苦しい・・・!

「で、その彼の影を追ってここまでひとりでやって来たのか?」
 コクリと彼女は素直に頷く。再び肩を震わせ始めたその震えに、マリウスは愛の深さを感じる。

 こんなに愛されて羨ましい限りだな・・・。
 俺は今、なんて・・・。

 マリウスは自分が考えたことに、一瞬、衝撃を覚える。
「すみませんお騒がせをしてしまって・・・。もう二度とこんなことは・・・」
 ここまで言って、アンジェリークは胸を詰まらせた。
「おい…、泣くな…」
 彼は無意識にアンジェリークの頬に手を触れていた。

 俺は…この頬の感触をどこかで知っているような気がする…。
 どこかで・…。
 だが…、思い出せない・…。

「おまえ…俺に秘書として働きながら、その恋人とやらを探してはみねえか?」
 彼は無意識にそう言っていた。
「え…っ」
 アンジェリークは思わず潤んだ大きな瞳をマリウスに向ける。
 そこには期待と不安が入り混じっている。
「ちゃんと住む所も用意をしてやる。どうだ?」
「・…あ、よろしいんですか?」
 アンジェリークは体が震えるのを感じる。
 そしてこの優しさがさらにアンジェリークの疑念を膨らませる。

 この人は…、私のアリオスかもしれない…。
 それを調べるのにも、これ以上のものはない…。

「決まりだな…」
 フッと彼が笑ったのを見て、アンジェリークは確信した。

 彼は絶対にアリオスだわ----

 マリウスは立ち上がりアンジェリークに手を差し伸べる。
「宜しく、アンジェリーク」
「宜しく・…」
 二人は手をしっかりと握り合った---- 

コメント

20000番のキリ番を踏まれたnemori様のリクエストで、
「失踪した恋人アリオスを見つけたアンジェだが、アリオスは記憶喪失になっていてアンジェのことが判らなくなっていた」
です。
長くなりますが、宜しくお願いします。