私は彼が何者であるかなんて、全く知らなかった。 普通、知っているのだろうけれど、私の日常は、皇帝だとかそんなことなんか関係のない、狭い狭い世界にいたのだから。 「アンジェ、インペリアルスウィートのベッドメイキングをしておいて」 「はい、ただいま!」 客室係として、やはりスウィートルームのベッドメイキングは楽しい。 アンジェリークはリーダーに言われた通り、楽しげにインペリアルスウィートのベッドメイクを楽しんだ。 うちのホテルは高級だから、いったいどんな凄い男性がここに泊まるんだろうか・・・。 想像するだけでもとても楽しくて、完璧にベッドメイクをしあげる。 備品もきちんと置いて、完璧だ。 「よし! 完成!!」 アンジェリークは満足げに点検を終えると、部屋を後にした。 今日の仕事はこれで終わりだ。 ジーンズにジージャン、それにリュックというとてもカジュアルなスタイルに着替え、満足げに鏡を覗いた。 「あっ! ピアスのかたっぽがない〜!!」 思い付くといえば、やはり最後にベッドメイクをしたインペリアルスウィートだ。 たいへんっ! お客様が入る前にどうにかしなければならない。 アンジェリークは客室長に理由を説明し、鍵を借りて、一瞬だけ部屋に入らせてもらうことにした。 すでにチェックインの時間が間近に迫っている。 アンジェリークは必死になって、ピアスを探した。 だが、見つからないまま時間は無情に過ぎていく。 駄目、タイムリミット! アンジェリークは間一髪で何とか部屋から出た。 同時に、長身の漆黒の髪をした青年がエレベーターから降りてくるのが見える。 よかった・・・。 でも、ピアスを見つけられたら、きっと客室係の怠慢だと思われちゃうな・・・。 私、くびかな? ぼんやりと考えていたせいか、つい足下のゴミ箱を無意識で蹴り飛ばしてしまった。 大きな音が廊下に響き渡る。 はっとしたのか、長身の男が流れるように振り返った。 その余りにもの美麗さに、アンジェリークは息を飲む。 精悍でいて整った容だちに、おもわずじっと見つめてしまう。 余りに見とれていたせいか、アンジェリークは青年がここまで歩いて来たことに、全くと言っていいほど気がつかなかった。 「何をしている?」 躰に染み渡るような低い魅力的な声に、アンジェリークは導かれるように顔を上げる。 そこには黄金と翡翠が対をなす瞳を持つ魅力的な青年が立っていた。 「もうしわけございません。ピアスをこの辺りにおとしてしまって・・・」 青年の不思議な瞳の前では、嘘を吐くことなど出来やしない。 アンジェリークは正直に答えた。 「これと同じものです・・・。客室に落としてしまったのかもしれません」 アンジェリークは青年に頭を下げると、ピアスを青年に見せた。 恐る恐る青年の様子を伺いながら、アンジェリークは躰を更に小さくさせて恐縮している。 その姿が、青年には、妙に愛らしく映った。 「判った。もし見掛けたら拾っておこう・・・」 覇者の雰囲気を漂わせていた青年から、低くて優しい響きの声が下りてくる。 「すみません。フロントに届けて下さればいいですから」 アンジェリークは深々と頭を下げ、青年に丁重な態度を取る。 「携帯は持っているか?」 「あ、はい」 「俺の携帯番号を教えるから、おまえの番号を教えてくれ。見つかれば、そちらに連絡をしよう」 青年は胸ポケットから手帳を取り出すと、そこの一枚を破り、つらつらと番号を書く。 「あんたも書いてくれ」 「はい」 言われるままにアンジェリークは自分の携帯番号を書いた。 インペリアルスウィートに泊まる相手のせいか、安心出来るような気がする。 「有り難うございます!」 電話番号を受け取り、アンジェリークは深々と頭を下げると、青年がわずかに笑ったような気がした。 「見つかったら連絡する」 「はい、有り難うございました!」 頭を下げて、丁寧に礼を言ってから、アンジェリークはぎくしゃくと歩いていく。 その後ろ姿はぎこちなく、とても愛らしかった。 おもしろい女でだな…。 あんなの初めて見た…。 まだ胸がどきどきしている・・・。 余りに目の前に現れた青年が素敵だったせいか、息が詰まるほどの甘い気分に支配されている。 ピアスに感謝かな・・・? にんまりとアンジェリークは微笑みながら、学校に向かった。 アンジェリークは勤労学生で、午前中は働いて午後から大学に行って勉強をしている。 大学で講義を一こま受けた後、門を出るところで、携帯電話が鳴っているのに気がついた。 「はい、アンジェです」 「俺だ」 耳触りの良い声に、アンジェリークはすぐに誰かが判った。 ピアスの青年だ。 「こんにちは!」 思わず、元気よく挨拶をしてしまった。 「今、どこにいる?」 切り込んでくるように訊かれて、アンジェリークは応えずにはいられなくなる。 「アルカディア大学の前です」 「迎えにいくから待っていろ」 「あ、あの・・・!」 返事をする前に電話を切られてしまった。 「・・・強引」 携帯を見つめながら、アンジェリークは溜め息を吐いた 。だけど従わなければ居られず、、過を待ちわびる…。 アンジェリークの心のどこかにも、もう一度彼に逢いたいという思いも確かにあったからかもしれなかった。 大学の前で、青年が来るまでの間、アンジェリークは本を読みながら時間を潰す。 読書をたのしむのも悪くなかった。 突如、黒のBMWがアンジェリークの前に止まり、彼女ははっとする。 そこから、あの漆黒の髪の青年がゆっくりと下りてきた。 「待たせたな。車に乗ってくれ」 いきなりそんなことを言われても、アンジェリークは戸惑うばかりだ。 人一倍き真面目なアンジェリークは、ついつい構えた。 「あの・・・、どこに行くのですか?」 「レストランだ。夕食を一緒にしてもらいたい」 「ジーンズではレストランに入れません」 アンジェリークはきっぱりと言い切ると、少しずつ後退りする。 「だったら、着替えてもらうまでだ」 「そんな服は持っていません!」 きっぱりと言い切った後、アンジェリークは更に後づさるが、青年がそれを許してはくれない。 彼もまた距離を縮めた。 「警戒するな。あんたと話がしたいだけだ」 異色の瞳には魔力でもあるのだろうか。 じっと見つめられると、アンジェリークは断り難くなってしまう。 「・・・少しだけなら・・・」 結局、アンジェリークは折れてしまい、渋々ながらも頷いた。 「有り難う」 深みを帯びた青年の笑みに、アンジェリークは魅入られてしまう。 「名前をまだ訊いていなかったな」 「アンジェリークよ。あなたは?」 「レウ゛ィアスだ」 ふたりの視線が甘やかに絡み合った。 「行こう、アンジェリーク」 「はい」 アンジェリークは、レウ゛ィアスの不思議な力に引き寄せられて、車に乗り込む。 運転手もなく、彼一人で乗っているのがとても意外だ。 「車はご自分で運転をされるのですか?」 「いや・・・。いつもは違うが、たまにはこうやって自由に車ぐらいを運転したいと思うな」 しみじみとレウ゛ィアスは呟くと、エンジンをかける。 「どこか、お勧めのレストランがあればナビしてくれ。あいにくこの街は疎くて」 「畏まったところでなければ・・・」 アンジェリークは恐縮して、言った。 だが、レヴィアスは好ましいばかりに口角を上げる。 「そんなところの方がむしろ好都合だ」 「だったら、この道をまっすぐ行ったところに、小さなカフェがあります」 「だったらそこに行こう」 レウ゛ィアスは深く頷き、ハンドルを切ると、アンジェリークのナビゲーションにそって車を走らせる------ アンジェリークはなんだかときめかずにはいられない。 だが、レヴィアスの車の後ろには、不審な一台の車がぴったりと付いてた---- |
| コメント 春らしい新しい甘い物語です。 シンデレラっぽい、そんな物語を目指します。 宜しくお願いします。 |