「先生、自習だから勉強に来た」
「ちゃんと教室でなさい? ここは自習室じゃないわよ」
「ここだと集中して勉強できるからな」
このようなやり取りが、最近毎日のように繰り返されていた。
自習や昼休み、そして放課後まで、アリオスは保健室に来て勉強する。
仕事をするアンジェリークを見つめながらする勉強は、幸せで、そしてその分効率だった。
彼が余りに真面目に集中して勉強するので、アンジェリークは特に咎めることもせず、内心は、彼の訪問を心待ちにしている。
彼が勉強している間、彼女もまたパソコンに向かって、生徒の健康管理のデータなどを作成している。
どうしても自分がここにいる間に、やり遂げたい仕事なのだ。
鉛筆の音と、キーの音だけが保健室にこだまする。
「なあ、アンジェ」
「先生でしょ? アリオスくん」
「じゃあ先生」
少しむすっとした彼の声の響きに、彼女は優しく微笑む。
「何かしら、アリオスくん?」
「今度、デートしよう」
甘やかさの滲んだ視線を向けられて、アンジェリークは思わず深い微笑で応えてしまう。
「いいか?」
「----そうね…」
暫く考えるふりをして、彼女はそっと彼に囁く。
「期末テストで、今までの最高点をたたき出したらね?」
「マジでか!?」
彼の表情に嬉しそうな笑みが広がる。
「ええ。但し、最高点よ。解った?」
「ああ。やってやるぜ?」
俄然やる気が出てきたのか、アリオスは先ほどに増して、猛烈に集中して勉強を始めた。
この時、アンジェリークは、彼がやり遂げるとは思わなかった----

「アンジェ!!」
期末試験の成績発表が終わるなり、アリオスは保健室に駆け込んできた。
「どうしたの? アリオスくん」
今日がアリオスの期末試験の発表だとは知っていた。
その為に、彼が何を言いに来たか察しは着いていた。
アリオスは勝ち誇ったような不敵な笑顔をアンジェリークに向けた。
「満点!! 俺の勝ちだぜ? 先生」
成績表をぴらりと彼女の目の前にさりげなく差し出す。
「いいわ。女に二言はないもの。デートしましょう」
彼が自分とデートをするために頑張ってくれたかと思うと、彼女は自然と微笑をほころばせた。
太陽のような輝かしい微笑。
アリオスは思わずその微笑みに見惚れてしまう。
「サンキュ。今度の日曜日は?」
「----いいわ」
2人は、互いに明るい眼差しを交し合っていた----

日曜日----
2人は郊外の駅で待ち合わせた。
それは、ここなら生徒に見つかりにくいだろうという、アリオスの配慮だった。
それは自分のためではなく、彼女のためだった。
「お待たせ!」
明るい彼女の声が響き渡り、アリオスはその姿を見るなり、息を飲んだ。
いつもの白衣姿とは違い、白いコートに紙をポニーテールにして現れた彼女は、瑞々しい若さが溢れていた。
「アンジェ!」
彼は彼女に駆け寄るなり、視線を彼女の全身に這わせる。
「綺麗だ」
うっとりと囁かれた低い声に、彼女は思わず艶やかな笑みを漏らした。
「ありがと。アリオスくんと一緒だから、今日は若作り」
「おまえが一番綺麗だ」
「きゃ!」
そのまま腰を強引に引き寄せられ、思わずアンジェリークは子供のような悲鳴を上げ、身体を傾かせる。
「アリオスと呼んでくれ? 今日は俺たちは"恋人同士"だ」
挑むように言われ、見つめられ、アンジェリークははにかむような視線をそっと投げかけた。
「----うん」
フッと艶やかに微笑み、アリオスは彼女を支える腕に力を込め、優しい眼差しで彼女を見下ろす。
「どこ行く? 水族館? 動物園?」
どの行き先もアンジェリークは大好きだったが、彼の指定する場所が余りにも高校生的で、微笑ましくて笑ってしまった。
「ね? アリオス、いつも彼女とそんなデートをしてるの?」
「----いや、群がる女とは、テキトーにクラブで遊んでホテル」
白けた、明らかに大人な表情に、アンジェリークは胸を掴まれる思いがした。
「このままおまえさえよけりゃ連れてくぜ?」
「生意気言って大人をからかわないでね。水族館でいいわ」
あくまでも柔らかい彼女の口調。
全く、どんな仕草であろうとも、彼女は彼を魅了してしまう。
そんな自分に自嘲気味の笑みを浮かべると、アリオスは更に強く彼女の華奢な腰を抱く。
「水族館だな? 行こう」
「ええ」
2人はまるで恋人同士のようにお互いに微笑み合うと、水族館へと連れ立った。
水族館の入り口の券売機の前で、二人は仲良く並んでいた。
「俺が出すよ」
「私が出すわよ。社会人なんだから」
「ちゃんとバイトした金だ。心配すんな」
頼もしく言って、彼は素早く二人分のチケットを買うと、彼女の分を手渡した。
「有難う…」
満面の笑みで受け取られると、アリオスは心の奥底で感激してしまう。
おまえのその笑顔が、俺だけのものになればいいのに…
「さ、行こうぜ? アンジェ、足元が悪いから、掴まれよ」
さりげなく差し出された大きな手に、彼女はときめきを覚えながら差し出した。
「うん…」
水族館の中は薄暗く、カップルが多かった。
「ね、アリオス、あの皇帝ペンギン可愛い〜」
アンジェリークのはしゃぎようが、自分の年上の女性とは思えなくて、余りに可愛くて、彼は咽喉を鳴らして笑う。
「クッ! アンジェ、子供みたいだな?」
「もう! 子供みたいだなん…、きゃ!!」
勢い余ってアンジェリークは躓いてしまい、即座にアリオスに抱きかかえられた。
「こら、あまりはしゃぐからだ。しっかり俺に掴まっていろよ?」
不意に彼に抱きしめられ、彼女は心臓の高まりを覚える。
18歳は、もう立派な大人の男性なんだ…
彼の逞しい腕に抱きかかえられると、意識してしまう自分が、彼女は恐かった。
2人は、どのカップルよりも密着し、笑い合い、ゆっくりと水族館の仲を堪能し始める。
決して2人が"教師と生徒"だ何て、誰も思わなかった----
「本日はエンジェル水族館にお越しくださいまして、真に有難うございました。当館は午後5時を持ちまして閉館させていただきます。またのご来館を心よりお待ち申し上げております。有難うございました」
閉館を告げるアナウンスと共に、蛍の光が流れ始め、二人は名残惜しげに水族館を出た。
もう少しこうしていたい…
それが、今の彼らの願いだった----
「楽しい時間って、すぐに終わっちまうな」
少し拗ねるように呟くアリオスが可愛くて、アンジェリークは彼の顔を覗き込むように頷いた。
「行くか…」
「うん」
「夕日でも見るか?」
「いいわね」
二人はしっかりとお互いの手を絡ませたまま、水族館を出て、近くの公園へと向かう。
一緒に夕日を見つめるために----

海に近いその公園は、水平線が見えて、夕日を見るのには最適な場所のように思われた。
「綺麗ね、夕日」
穏やかな表情で見つめる彼女の横顔こそ、アリオスは美しいと思った。
彼女にだったら翻弄されたって、手玉に取られたって、構いやしない。
彼だけの天使に、今、背中から抱きしめる。
「アリオスくん!?」
突然の抱擁に、もちろんアンジェリークはびっくりしてしまい、逃れようとその身を捩った。
「動くな。動かないでくれ」
彼はそのまま抱きしめる腕に力を込めて、彼は離さなかった。
「俺はずっと、おまえが好きだった。スモルニィの中等科に入学した時、おまえは高等科の三年で生徒会長をしてた。
最初に、俺に入学のコサージュをつけてくれたのは、おまえだった。
そこに、俺は天使がいるかと思った。
一目惚れだった。
それ以来、おまえは俺の心の一番綺麗な場所に住んでる」
年下の、しかも自分の生徒からの情熱的な告白に、アンジェリークは眩暈を覚えた。
全身が甘い旋律に震える。
こんなことは今まで一度だってなかった。
「アリオス…」
「おまえのこと諦めきれなかった。忘れようとして遊んだこともある。
だが----」
彼はそこで言葉をいったん切り、深呼吸をしてから続ける。
「おれはおまえを忘れることなんて出来やしないんだ。
この魂に、おまえの笑顔が刻まれている限り」
「アリオス…」
アンジェリークは、何とか彼の名前を呼ぶ。
それ以外の行為は、今の彼女には出来そうになかった。
「----愛してる…」
甘く低い囁きは、アンジェリークの心にすっと浸透し、理性を吹き飛ばしてゆく。
「アリオス…」
そっと身体を腕の中で回転させられ、彼と見つめあう格好になった。
彼女の潤んだ瞳が彼を捉えて離さない。
「愛してる、アンジェリーク」
繊細な彼の指に顎を持ち上げられても、彼女は抵抗できなかった。
アリオスは、立派な男性なんだ…
そっと彼の顔が優しく近付き、彼女は思わず瞳を閉じる。
温かい唇がそっと降りてくる。
最初は宥めるように優しかった彼の唇と舌の動きが徐々に激しくなってゆく。
唇を吸い上げ、舌でなぞり、その余りもの甘さに、彼女は吐息を漏らす。
それが合図とばかり、彼の舌は歯列を割り、口腔内をくまなく愛撫してくる。
その愛撫に、アンジェリークはぎこちなく応えた。
アリオスの脳裏に浮かぶ一つの考え。
まさか----
そのあまりもの初々しさに彼は感じる。
"アンジェリークははじめてなのかもしれない”と----
そう思うと、彼の欲望は否が応でも高まってゆく。
何度も角度を変えられて責められる口づけに、アンジェリークは頭が痺れ、体が支えられなくなってゆく。
とうとう彼の首に腕を回し、その身体にじぶんの身体を預ける。
ようやく唇を離され、アンジェリークの視線は自然と彼の唇を追いかけていた。
深い翡翠と黄金が対をなす瞳が彼女を捕える。
「----おまえ、初めてだろキス」
「それが…」
「俺、すっげー嬉しいぜ」
その情熱を伝えるために、アリオスはアンジェリークをこれでもかと言うぐらいに抱きすくめる。
「アリオス…、息が出来ない…」
「----あんたは、恋人がいて、こんなこと経験済みだと思ってた。だけれど、そうじゃねーなんて…」
「笑う?」
「笑うわけねーじゃねーか!!」
「うん…」
その言葉が嬉しくて、アンジェリークは彼の背中に手をまわす。
「愛してる…」
何度この言葉を囁かれただろうか。
彼女はそのたびに天国に昇る気持ちになる。
「----私も…愛してる・・・・。ずっと言いたかった」
彼の情熱は、彼女の心の氷ですら一気に溶けさせる。
「----おまえを愛したい。嫌か?」
彼の言葉に、彼女は素直に、少し恥ずかしそうに頷く。
「私があなたを愛してあげる」
2人のシルエットが再び重なり合う。
歳の差だろうと、立場の違いだろうと、今の2人には関係ない。
互いに、全ての障害を乗り越えた、幸福感だけがあった----
23年目の甘いキス…。
私は、初めて、恋に溺れることが出来るかもしれない----
この年下のどうしようもないほど素敵な彼ならば・・・。
THE END