次の週末も、アリオスは来なかった。
 電話もなく、また、彼女から彼の携帯に電話もしても出てくれず、メールを送っても返事はなかった。

 高望みだったのかな…。
 5つも年下の、あんなに素敵な彼なんて、私にはもったいなかったのよ…。

 アンジェリークは、何時しか自分自身にそう言い聞かせるようになっていた。
 しかし、心ではそう思っているものの、身体は正直な反応を示した。
 毎晩のように眠ることが出来ず、食欲も余りない。
 普段から華奢な彼女だったが、最近はさらに儚さが加わり、親友のレイチェルを心配させた。
 やはり、その次の週末になっても彼は現れず、アンジェリークの心はもう、こなごなに崩れ落ちそうになっていた。

 もう一度、もう一度だけ逢いたい。
 逢って、謝りたい…。
 それだけでいいの、もう…

 彼女は祈るような気持ちで、彼の携帯に電話をかけた。
『はい?』
 聴きなれた懐かしいテノールが聴こえて、アンジェリークは胸が高まるのを感じる。
「…あ、あの…、アリオス、あなたに…」
『失礼ですが、電話番号を間違われたんじゃないですか?。じゃあ』
 話もさせてくれずに、彼はそのまま感情もなく呟き、一方的に電話を切った。
 氷のように冷たい声。
 登録している番号を、彼女が、間違えるはずはないのに。
 涙が際限なく零れ落ちる。

 ね、アンジェ、もう諦めなさい…

 彼女は心にそう言い聞かせた。

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 アリオスもまた、悶々とした日々を過ごしていた。
 本当は、今すぐ彼女の元へ言って、その華奢な身体を抱きしめたかった。
 だが、どう彼女に謝っていいのかも判らず、また、自分が年下だということだけで、心の総てを預けてくれなかった彼女に苛立ちを覚えてもいた。
 それらの感情が複雑に絡み合って、彼に意地をはらせていた。
 先ほどかかってきた彼女の電話は、本当は嬉しかった。
 だが、意地を張るあまり、あのように傷つける行為をしてしまった。
 彼は、彼女だけに電話番号を教えている、彼女専用の携帯を持っていたが、最近は全く充電もしていなかった。 先ほど思い直して充電をすると、何通ものメールが彼女から来ていて、嬉しくなり、また、自分が歯がゆくもなった。
 そこで先ほどの彼女の電話。

 あんなこと言うつもりはなかったのに!!

 彼は、自分の子供加減に臍を噛んでいる。

 アンジェ…、どうしたら、おまえと元に戻れるんだ…?
 こんなに、おまえを愛しているなんて、気がつかなかった…
 アンジェ!!

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 アリオスの電話の受け応えを、アンジェリークは自分への”拒絶”と受け止めていた。
 かつて、週末はいつも二人で過ごし、彼と初めて結ばれたこの部屋にいることが、今の彼女には辛くて堪らなかった。
 この週末を利用して、新たな人生を、彼なしの人生を過ごすために、彼女は色々準備を始めた。
 先ずは新しい部屋を探すことから始めた。
 運良く、勤め先の小学校に近い、小さなアパートを見つけ、そこに週末には引っ越す手配を整えた。

 一人で生きていかなくっちゃね…

 崩れ落ちそうな自分自身を、彼女は何とか奮い立たせることに躍起になっていた。
 その週も、やはりアリオスからは一つの連絡もなく過ぎてゆく。
 思い出が詰まったベッドは嫌で、彼女は新たなベッドを買って、新居に入れた。
 その行為は、彼との事が終わってしまったことを知らしめるようで辛かったが、新たな旅立ちには欠かせないことと思い、彼女は受け入れた。
 引越しの朝、僅かに残った荷物が業者によって運び出され、がらんどうになった自分の部屋を彼女はじっと見つめる。

 さよなら…、一番大切な思い出…

 記憶の中に、彼と楽しく過ごした僅かな日々が駆け巡る。
 それを振り払うかのように、彼女は思い出の場所に決意を持って背を向ける。

 生きていこう…。一人で…

 彼女は背筋を伸ばすと、すっと部屋を出てゆく。
 最早そこには、彼女の気配は残されていなかった-----

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 その週、アリオスは、今度彼女から電話がかかってきたら、謝ろうと思っていた。
 だが、一向に彼女からは連絡がなかった。

 俺があんなことを言わなければ・…

 後悔先に立たずという言葉を、彼は身を持って知る。
 だが、彼には、彼女に自分からは連絡したくないという意地をまだ張りつづけていた。
 確実に、彼女が自分を諦め、新しい道を模索し始めたことにも気付かずに。

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 余り荷物のなかったアンジェリークの引越しは、午前中に総てが片付いた。
 その足で、彼女は携帯電話の解約を申請しに行き、そのまま新しい番号の電話に変えた。
 そして、古い電話から、アリオスに最後になるかもしれないメッセージを送った。

”色々ごめんね。有難う、さようなら”

 ただそれだけを送って、彼女は解約の手続きを取ったのだった。
 電話をかえたあと、彼女の足は、ふらふらと、アリオスの通うアルカディア大学へと向いていた。
 気付いた時には、もう近くまで来ていた。

 往生際が悪いな、私…。
 最後にアリオスの顔が一目みたいと思うなんて…

 アルカディアは、ほんの少し前まではアンジェリークも通っていた大学だった。
 彼女は、そっと、アリオスが通う法学部のキャンパスに入り、じっと木の陰から彼を捜していた。

 私って、ストーカーみたい…

 自嘲気味に笑うと、彼女は木に凭れかかる。

 でもこれが最後だから…、どうか許してね…

 遠くから来る人影に、アンジェリークははっとした。
 少し派手目の女子学生数人と、男子学生数人、そしてアリオスが話しながらこちらにやって来る。
 彼女は木陰から、そっと彼を見つめた。
 その心のシャッターに刻み付けるために。
 最初で最後の恋の相手を心の奥に閉じ込めるために。

 アンジェ!!

 アリオスも彼女の存在にいち早く気がついていた。

 華奢なあいつが、今にも触れると消えてしまいそうなまで儚くなってしまっている。
 俺がそうしたのか?

 壊れるほど彼女を抱きしめたかった。
 だが意地を張っているアリオスは、学友の手前もあり、そうすることが出来ずにいた。

 どうして、俺に連絡をくれずに、ひょっこり現れるんだよ!

 彼女を愛する余り、混乱をしているアリオスは、彼女に苛立ちを募らせてしまう。
 彼は意地をまたはってしまうのだ。
 彼女に近付くと、彼はわざと視線を逸らし、横の女の腰を抱いて、これ見よがしに彼女に見せつけた。
 そのまま横を通り過ぎてゆく彼に、彼女は全身を震わせて、俯くことしか出来ない。

 バカ…、諦めが悪いね、アンジェ…

 彼女はそのまま、彼らに背を向けると、力無く、今度は裏門から出てゆく。

 本当に、これで、さよならね・・・

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 傷つけるつもりなんてなかったのに、俺はまた傷つけてしまったのか…。
 自分のバカさ加減にあきれてしまうぜ!

 講義を受けながら、アリオスは今度こそ彼女を深く傷つけてしまったことを、自覚していた。
 抗議もろくに身に入らず、彼はその日の授業を終えた。

 俺から謝らなければ、きっと、もう俺たちは元に戻れないかもしれない。

 彼はようやくそう悟って、彼女専用の携帯電話を手に取った。
 そのディスプレーを見て、彼は慌ててメールを確認する。
 そのメッセージは、彼を奈落に突き落とした。

”色々ごめんね。有難う、さようなら”

 彼はそのメッセージを見、最早じっとして入られなかった。

 アンジェ! 俺は、俺は!

 電車に飛び乗り、彼女のアパートへと向かう。
 だが----
 彼が着いたときには、そこはもう抜け殻だった。
 表札が外され、郵便受けには”転居しました”とかかれた紙が揺れている。

 アンジェ!

 アリオスはそのまま郵便受けをやるせなく殴りつける。
 携帯に電話するも、既に使われていないというメッセージが虚しく流れるだけだ。

 アンジェ!! 許してくれ!

 アリオスは、一つの決意を秘め、月曜日を迎えることにした。

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 月曜日、授業をそこそこにして、アリオスは、アンジェリークの勤める、スモルニィ学院の初等部へと足を向けた。
 彼女が出てくるのを待ち伏せするために、職員通用口にずっと張り付いていた。

 アンジェ、もし俺を許してくれたら、俺は…

 彼は祈るような気持ちを込めて、空を見上げていた。
 やがて、教師らしい者たちが通用口に出てき始め、その中に、白いワンピース姿のアンジェリークも姿を見せた。
 何時にも増して、透明感のました彼女は、やつれた感じにはなっていたが、以前にも増して美しかった。
「アンジェ!」
「アリオス…」
 彼女は息を飲みその場に立ち尽くし、彼を潤んだ瞳で、まるで傷ついた小鹿のように見つめている。
「話があるんだが、いいか?」
 彼の申し出に、彼女は戸惑いがちに頷いた。

                   --------------------------------------

 二人は、学校近くの児童公園で話をすることにした。
「話って、何かしら、アリオスくん」
 そのアンジェリークの言葉が、傷ついた彼女の傷の深さを彼に思い知らさせる。
「-----すまなかった」
 珍しく、彼は深々とアンジェリークに頭をたれ、彼女はそれに驚愕した。
「どうして…、傷ついたのはあなたのほうでしょ?」
「おまえが傷ついたのに決まってるじゃねえか!!」
 突然情熱的に抱きすくめられ、アンジェリークは思わず喘いだ。
「アリオス…くん…、止めて…」
 力無く言う彼女は、瞳に涙をいっぱい貯めている。
「離さねえ! おまえが俺を許してくれるまでは、絶対に離さねえ!」
 彼は更に抱きしめる腕に力を込め、彼女を腕の中に閉じ込める。
「…アリオス…」
「俺がガキだったばかりに、おまえを傷つけてしまった。許してくれるか?」
 涙で濡れる彼女の顔をついっと持ち上げて、彼はじっと真摯な眼差しで見つめる。
「…うん…」
 消え入りそうな彼女の言葉に、彼は柔らかな笑みを始めて漏らす。
 もう何週間も笑っていなかった。
 最後に笑ったのは何時だろう…。
「愛してるから、おまえ以外にだれも愛せねえよ」
「----私こそ…、ごめんね…、あなたに真っ先に言うべきだったのに・…」
 彼女が切なげに涙を零すのが愛しくて、彼はそれを唇で拭う。
「なあ、今度こんなことがあっても、不安になるなよ? おまえは産んでいいんだから、おれがちゃんと責任を持つから、安心しろ」
「うん…」
 彼はそっとジャケットのポケットから、青いヴェルヴェットの箱を彼女に差し出す。
「アリオス!」
 嬉しいのに泣けてくるのは何故だろうかと思いながら、アンジェリークはその箱をしっかりと受け取った。
 開けてみると、小さなエメラルドの可愛い指輪が入っている。
 学生の彼が無理して買ったものなのだろう。
 それだけで、今までのことが総て流されるような気がする。
「約束の指輪だ。こんなちっぽけだけが、俺の想いが込められてる」
「アリオス・・・!」
 彼女はそのまま彼に抱きつき、彼もそれに答える。
「愛してる・・・」
「うん、私も愛してる…」
「じゃあ、お預けを食ったこの数週間を埋めてもらわねえとな」
 よくない微笑を浮かべられ、アンジェリークは恥ずかしげに俯いてしまう。
「おまえの新しい場所に案内してくれよ」
「うん…」
 二人は手をしっかりと繋ぎ合って、彼女の家へと向かう。
 今回の騒動は二人の絆をより深くする結果となった----      

Love Is Never Surrender

後編































































































































































































































































コメント

アンジェ保険医、アリオス高校生による、お話の波乱編です。
年の差カップル逆パターンにはこのようなことが怒りがちだろうということでの創作でした。
この作品元アイディアを下さったさくら様に捧げます。
年下のアリオスもいいというご意見も、この作品に花を添えていただいたかな。
タイトルは「愛とは決して後悔しないこと」です。