Love Likes The Film


 アリオスに抱かれることは、まったくと言っていいほど、抵抗はなかった。
 彼が大好きだったから、その想いは止められない。
 心のどこかで、彼とは夢を叶えることが出来ないのは判っている。
 だが抱かれずにはいられなかった。


 翌日から、アンジェリークの演技は更に磨きがかかる。
 初々しさの中に、恋する娘が見せる艶やかさが加わり、更に素晴らしさを増していた。
 恋の相手は、もちろんアリオス。
 監督もその演技に絶賛していた。
 元来、忙しい身であるアリオスであるが、最近はとみに忙しくしているようで、中々逢えず、アンジェリークは一抹の寂しさを禁じ得なかった。

 逢いたいな・・・。

 ホテルの中庭を散歩していると、偶然、アリオスの姿を見掛けた。
 嬉しくて堪らなくて、彼に駆け寄ろうとする。
 だが。金髪の巻き毛の女優が先にアリオスに駆け寄り、キスをした。アンジェリークは呆然とそのシーンを見つめる。

 アリオス・・・。

 そのまま女と仲良さそうにホテルの中に消えるアリオスを見つめ、アンジェリークは声が出なくなる。
 彼女は切なくなりながら、ホテルの自室に戻ると、一晩中泣き続けた。


 翌日、親しくなったメイクの女性に上手く腫れた瞳をごまかしてもらった。
 明日はクランクアップだ。
 クランクアップしたら、すぐに飛行機に乗ることにした。
 荷物もまとめ、チケットも取った。

 夜には、彼女は最後の難関の別離シーンに挑んだものの、なかなか「泣く」ことが出来ず、今までじっと見ていたアリオスが出てきた。
「おい! 今何時だと思ってるんだ! おまえのせいで、スタッフは一晩中ここにいるんだ! ヒロインは愛する男性と、もう二度と逢えないかもしれねえんだ! そんな気持ちを考えてみろ! ヘタクソ!」
 初めての罵倒だった。アンジェリークはショックで、大きな瞳に涙をいっぱい溜め込んでいた。
「よし、回せ!」
 アリオスの命により、フィルムが回り始める。
 二度と逢えない------
 それは、アリオスとアンジェリークにも言えることであった。
 もう二度と逢えない。
 そう思うだけで、胸の奥が締め付けられるような気がし、自然に演技をすることが出来た
 別れる瞬間のシーンは最高の演技だと、誰をも唸らせる。
「カット。良く頑張ったな?」
 低い声に導かれ、アンジェリークは顔を上げる。
 そこには穏やかに微笑むアリオスがいた。
 その表情を見るだけでも胸が痛い。
「有り難うございました・・・」
 アンジェリークは素直に頷くと、礼を言い、彼のそばからすっと離れた。
 彼女流の防御策だ。
 決して惹かれてはいけない相手だから、これ以上深みにはまれない。
 そう、自分に言い聞かせていた。
 ホテルの自室に戻り、手早く寝る準備をはじめる。
 だが出るのは溜息ばかりだ。
 シャワーも浴びて、寝る準備も万端なのにも関わらず、ベッドに横になっても眠れない。

 判ってる・・・。私にはふさわしくないってことぐらい・・・。
 でも好きなの。大好きなの・・・!

 深みにはまってはいけないのは判ってはいるせいか、胸が痛んでしょうがない。
 疲れたのか、考えているうちにいつしか眠りに落ちていた

                --------------------------

 午前中に、ラストシーンの撮影が行われる。
 今までに出演したキャストやスタッフが周りに集まってきていた。
 撮影が始まった頃は真夏だったのに、今や秋の入り口に差し掛かっている。

 空が澄んで秋色になってきたな・・・。

 空を見上げながら、不思議とアンジェリークの心は不思議と落ち着いていた。

 ラストシーンは、お互いに反対方向に歩き、最後にボディガードが寂しげに振り返るところで終わる。

 私の夏の日々は、この瞬間に終わりを告げるから・・・。

 アンジェリークは背筋を延ばすと、カメラの前に向かった。
「アクション!」
 監督の最後の一言に、カメラは回り始める。
『さよならは言いたくないの・・・。だから笑って・・・』
『ああ』
 二人は笑顔で、それぞれの道を歩き始めた。
 相手に見えないことをいいことに、アンジェリーク扮するプリンセスは涙を零す。
 それはアリオスに恋をしての涙であった。

 アリオスさん・・・。
 「カット」の声がかかれば、私は、あなたとは違う世界の人間になるわ・・・。

「カット!!」
 監督は大声で叫ぶと、ディレクターズチェアーから立ち上がる。
「オッケ! 最高だった!」
 その瞬間、まわりのスタッフから拍手がわき起こり、アンジェリークは頭を下げた。

 すべてがおわったわ・・・

 ふっと寂しそうに笑うと、アンジェリークは、花束を持って来てくれたアリオスに頭を下げて、受け取った。
「クランクアップ記念のパーティを午後6時から開催するから、絶対来いよ? 5時30分に迎えに行く」
「はい・・・」
 アリオスの言葉に、花束に埋もれながらアンジェリークはわずかに頷く。

 私がそのパーティに出うことはもうないわ…

 監督と話しに行ったアリオスを見送りながら、アンジェリークは心の中で切なく呟くのだった。


 ホテルに戻るとシャワーを浴び、彼女は身支度を手早く済ませた。

 さよなら、アリオスさん…

 ホテルのチェックアウトシートはもう受け取っていた。
 これをサインして出すだけで、チェックアウトできるのだ。
 彼女がフロントにチェックアウトに行くと、フロント係は驚いたように一瞬だけ彼女を見たが、それだけできちんと手続きをしてくれた。
「お世話になりました」
「良い旅を!!」
 アンジェリークは誰にも見つからないように、タクシーを使い、空港へと向かった。


「アンジェリーク?」
 何度かノックをしたが、一向に返事はなかった。
 そこにホテルのベッドメイキング係が通りがかる。
「あら、そこのお客様なら、お昼過ぎにチェックアウトをされて、夕方の飛行機で帰国されましたよ?」
「-------!!!」

 迂闊だった…!!!

 アリオスは唇を噛締めると、決心を固める。

 おまえが逃げるなら俺は追い駆ける。
 それだけだ…!!!

                   ----------------------

 ハリウッドで起こったことは、もう過去の夢なのではないか------
 そんな気がアンジェリークはしていた。
 いつものように、ワンピース着て、自転車をこぐ。

 私はもう普通の女の子に戻ったんだもの。
 魔法は解けたのよ…。
 アンジェ…

 いつもの坂をゆっくりと上がって視界が広がってくる。
 その瞬間、彼女は幻を見ているのではないかと錯覚した。

 アリオス-------!!

 彼は、ジャケットを肩にかけ、彼女に向かって微笑んでいる。
「待ってた」
「あ、あの…」
「おっと!」
 バランスを崩した自転車を彼は途中で上手く止めてくれた。
「ちょっと、歩かねえか?」
 アンジェリークはコクリと頷き、アリオスはほっとしたように笑った。
「映画は完成したぜ? 後はプレミアを待つまでだ」
「有難うございます」
 ぎこちなく話す彼女が、アリオスにはたまらなく可愛くて仕方がない。
「------なあ、どうして逃げるように国に帰った?」
「・・・それは…」
 アリオスを真っ直ぐと見て、言うことは出来なかった。

 あなたが好きだからなんて、どうすれば言えるの?

 大きな瞳に涙をいっぱい溜めて、アンジェリークはしゅんと肩を落としてしまう。
「俺にちゃんと言いたいこと言わせねえで」
「言いたいこと?」
 少し力なく彼女は言うと、アリオスを切なげにみつめた。
「・・・女優を続けろって言うのは出来ません…」
「んなこと判ってる」
「だったら何を!」
 彼がこれ以上自分に何を言うというのだろうか。
 アンジェリークは意味が判らなくて困惑するばかりだった。
「-------おまえの夢、俺になら叶えてやれそうな気がしてな」
 彼はアンジェリークの前に、突然指輪ケースを差し出した。
「・・・あ・・・」
 最初は何が起こっているか、アンジェリークには判らなかった。
「…一緒にならねえか?」
 言葉にしてもらって、彼女はようやく実感する。
「あ、私…」
 明らかに戸惑いを見せたアンジェリークにアリオスは眉を顰めた。
「おまえが嫌なら無理強いはしない…」
 彼女はそれには慌てて頭を振る。
「…嬉しいの・・・、嬉しいけれど・・・、あなたには他に大切な女性がいるんじゃないの?」
「いねえよ」
 きっぱりと力強いことばだった。
「本当に? だったらこの間の女性は? あなたにキスしてた…」
 アリオスは直ぐに誰かは判った。

 見られてたのか・・・

「あの女優とは何ともねえよ。勝手にキスしてきやがったから、逆に役はやらなかった。今ごろ違うプロデューサーを誘惑してるだろうよ」
「うそ…」
「嘘だと思ったら、ゴシップ誌でも読んでみろよ。すぐにわかるぜ?」
 アリオスの態度は終始きっぱりとしていた。
 信じられるかもしれない。
 いや信じたかった。
「おまえと将来生まれてくる子供のために家も買った」
 彼女がプロポーズを受ける確約などはない。
 だが、アリオスは彼女のために”屋敷”までも用意してくれていた。
「これだ」
 目の前に写真が渡され、アンジェリークはそれを見つめる。
 そこには、彼女が夢に描いていた美しい屋敷が映っていた。
「今すぐここにいけるように、チケットも用意をした。
 一緒に、夢を叶えてみねえか?」
 アリオスは曇りのない眼差しで見つめてくる。

 何を迷ってるの・・・。
 私の気持ちは、最初から決まっていたじゃない…

「・・・アリオスっ!!」
 その目を見れば、もう全てを信じられると思った。
 アンジェリークはアリオスにしっかりと抱きつくと、彼もそれに答えて彼女を受け止める。
「…アリオス!!! 大好き・・・。
 私の夢を叶えてください!!!」
「アンジェ・・・、サンキュ」
 彼は彼女に甘く微笑みかけると、その顎を持ち上げる。
「愛してる・・・、アンジェリーク」
「私も・・・」
 彼は笑うと、そのまま深く彼女にキスをする。
 何度も、何度も角度を変えて。
 愛しげに。
「今回の映画でキスシーンがなかったのはなぜか知ってるか?」
「どうして?」
「おまえに他の男とキスさせたくなかったからだ」
「アリオス・・・」
 甘いキスには真実がある。
 幸せに酔いしれながら、二人は何度も何度もキスを続けた------ 



 「間奏曲」はその年のアカデミー作品賞に輝いた。
 もちろん、主演女優賞はアンジェリークが手にしたが、彼女は、この1作で引退したために、”幻の受賞”となった。
 今彼女は、ハリウッドの郊外で、夫のアリオスと幸せに暮らしている。
 おなかには最初の子供がいて、彼女の本当の夢も間もなくかないそうである。

 そして、アンジェリーク・コレットは、伝説となり、二度とスクリーンの上に登場することはなかった-------
コメント

3回目です。
何とか完結することが出来ました。
書いててとても楽しい作品でした。
やっぱり「HAPPY END」は幸せ

マエ モドル