「アンジェ!!」
補佐官の心配そうな声色に、アンジェリークははっと自分をと戻した。
「あ…、うん…、大丈夫だから…」
何とか女王としての精神力で踏みとどまり、泣き叫びたくなるのを我慢しながら、彼女は物憂げな微笑をアリオスとアーニャに向ける。
それが精一杯だった。
「それではお席に着かれて下さい、プリンセス」
「お言葉に甘えまして」
アーニャは妖艶な微笑を浮かべて、ちらりとアンジェリークを挑戦的な眼差しを、一瞬、向ける。
その眼差しが矢が刺さるように痛くて、アンジェリークは、刹那、目を伏せた。
もし女王の立場でここにいなかったら、陛下に頼まれたVIPじゃなかったら、私…、きっと言ってた。
"アリオスから離れて”って…
だけど今は新宇宙の女王としてここにいる。
そんなことなど出来るはずがない。
「ねえ、アリオス、あなたは私の隣よ? いいでしょ?」
「おい、待てよ。勝手に決めんな」
「いいじゃな〜い!!」
アリオスはあくまで彼女を軽くあしらってはいたが、それにも構わず彼女は彼にしだなれかかる。
その光景は、アンジェリークの心を傷つけるには充分だった。
うっすらと涙を浮かべた瞳で、アンジェリークは二人の様子を見る。
今夜のアーニャは、大胆な深紅のドレスを身に纏い、細いがグラマラスな肢体を魅力的に見せている。
輝ける瞳、艶やかな魅力は、決してアンジェリークが持ち合わせないものだった。
アリオスだって、きっと、あれぐらい綺麗で色気のある女性(ひと)が好きなんだろうな…
私とは正反対…
アンジェリークの様子がおかしいことにいち早く気がついたアリオスは、アーニャからさりげなく離れようとするが、それも叶わない。
チッ!! いつもだったらすぐにこんな女はほっといて、すぐにアンジェを慰めに行くのに、よりによってVIPとは。
アンジェに迷惑をかけたくねーから、さっきも付き合ってやったのによ…
ったく、だから普通の女は嫌なんだ…!!
「ね、アリオス、早く席につかないと」
アーニャは彼を離す気はないらしく、とうとうアリオスは諦めに似た溜め息を吐いた。
アンジェ、後でこの埋め合わせはする!
だから今は、おまえのために、このいけすかねえ女の相手をすることを許してくれ
----それに・・・。
アリオスは一瞬、アンジェリークに意味ありげな微笑を送る。
「ああ、判ったよ、座ればいいんだろ、座れば」
「嬉しい〜!!」
彼にこれ見よがしでアーニャは抱きつき、勝ち誇った笑みをアンジェリークに向ける。
それは、アンジェリークの心を削り取るには充分すぎるほどの行為だった。
彼女には判る。
心が血を流していることを。
だが、それを二人に知られることは嫌だ。
その想いだけが彼女を突き動かす。
「…では、プリンセスが…、お見えになったところで、乾杯をしましょう…、レイチェル?」
心の中に怒りを爆発させながら、レイチェルはアンジェリークに促され、乾杯の音頭をとる。
「では! プリンセスアーニャが新宇宙にお越し頂いた記念に乾杯」
補佐官のあまりにもの簡潔で、少し怒った口調に、アリオスは今更ながら、彼女の怒りを感じた。
ふと、彼がアンジェリークを見ると、彼女は視線を逸らした。
アンジェ…、ちょっとやりすぎたかもな・・・
彼女の態度に、アリオスのストレスもたまってゆく一方だった。----
アーニャの為にぜいを尽くした料理が運ばれてきても、アンジェリークは胸が苦しくて、咽喉にすら通らないありさまだった。
食事の間もアーニャは、アリオスが仕方なく隣に座ったことをいいことに、彼にばかり目を向け、話をする。
はっきりいって、外の者は”無視”に等しかった。
顔色が益々悪くなってくるアンジェリークに、レイチェルは堪らなくなって、声をかけた。
「大丈夫?」
「…ん…、でも公式行事だから、立つわけには行かないもの…」
「良いって!! 誰も気にしないよ!! お目しかえだとか何とか行って、立たしてあげる。それにもうコーヒーだけだし」
頼りになる補佐官の言葉にアンジェリークはそっと頷いた。
もちろん、アリオスもこのことには気がついていた。
アンジェリークの気分が悪い理由も。
ちょっと、やりすぎちまったかな…
彼は軽く舌打ちをした。
「すみません皆様!! 女王陛下はドレスのおめしかえをされますので、少し席を離れます!」
補佐官の堂々とした宣言の下、アンジェリークは立ち上がり、気力で控え室へと下がっていった。
その姿はどことなく儚げだ。
女王陛下が席を外した瞬間、アリオスは立ち上がった。
「アリオス!」
アーニャは引き止めるかのように彼の手を掴んだが、すぐに振りほどかれた。
鋭く冷酷な眼差しが彼女に降り落ちる。
「アリオス?」
一瞬、アーニャはその視線の冷たさに震え上がった。
「----悪いが妻が気分が悪そうだ。俺もいっしょに行かせて貰う」
「へ!?」
彼女は息を飲み、それこそ目を丸くした。
「そういうことだ」
有無言わせず彼は呟くと、颯爽と控えの間に消えてしまった。
その精悍な背中を見送りながら、アーニャは羨望の溜め息を吐く。
“アリオスを我が物にする”気持ちがなえてゆくのが判る。
そういうことだったの…
どうりで私は叶わないはずだわ…
ホント、あんなに愛されて羨ましいわ、女王陛下!!
彼女は何故か幸せな気分になり、心からの微笑が湧き出てくる。
ごめんね、陛下、アリオス…
ちゃんと仲直りしてね!!

「アンジェ…」
「ふえっ!!」
女王の控えの間に入るなり、アンジェリークはレイチェルに泣きつき、そのまま崩れ落ちた。
「アンジェ!!」
強くドアが開かれ、銀の髪を乱したアリオスが姿を現した。
「あら、原因さんが姿を現したわよ」
レイチェルに囁かれ、アンジェリークはピクリと身体を震えさせる。
「アンジェ…」
「この子どうしようもないことになってるわよ。アナタとあの女のせいで!」
「ああ」
「だからどうにかして頂戴。はいバトンタッチ!」
アリオスとレイチェルは手をぽんと叩いて、“慰め役“のバトンを受け渡す。
「サンキュ」
「ちょっとレイチェル〜、勝手に、きゃあ!」
素早くレイチェルと入れ替わり、アンジェリークの身体を彼は受け止める。
「ちょっと! 嫌だ…!! …離して…!! 離してよアリオス!!」
アンジェリークはじたばたともがきながら彼の腕かな逃れようとするが、押さえ込まれる力が強くて、それは叶わない。
「じゃ、お後宜しく〜!!」
レイチェルは楽しそうに控え室から出て行った。
「アンジェ!」
「アリオスなんか、アリオスなんか・・・、大嫌いなんだから…、アーニャとどこへでもいっちゃえ〜!!」
彼女は、それこそ泣きながら、何度も身体を捩る。
こんな甘美な拷問は沢山だ。
そう想いながら。
「離さないぜ! 俺はおまえに嫌われたって離さない!! 俺はずっとおまえの傍にいるって、誓ったんだからな…」
彼の甘く必死な囁きと、力が込められる腕に、彼女は喘ぎながら、抵抗を止めてゆく。
「----おまえが、困らないようにってやったが、逆に傷つけちまったなら謝る…」
アリオスの甘く優しい告白は、アンジェリークから総ての抵抗を取り除いた。
「アンジェ?」
力を抜いた彼女は、そのまま彼の腕の中でくるりと身体を回転させて、その首に腕を回した。
泣きはらして赤くなり、少し潤んだ瞳で彼を見つめる。
「----!」
突然、彼の唇にぎこちない優しい口づけを、彼女はした。
「アンジェ…」
「ごめんね、私こそ。アリオスの気持ちがわからなくて、やきもち妬いちゃって」
「やきもちなら大歓迎だ」
「え?」
今度は彼が彼女に口づけを送る。
深く、激しい、甘い口づけを----
「ふわあっ!」
唇がようやく離されて、アンジェリークは切なげな声を上げた。
「やきもちを妬くおまえなんて中々見えねえからな? あまりにも可愛らしくて、食っちまいたいぐらいだ…」
「…ダメよ・・・、後で…ね?」
上目遣いではにかむように見る彼女が更に愛しい。
「判ったよ? 今夜は昨日より凄いぜ?」
「陛下、アリオス、本当にごめんなさい。そして、有難うございました!!」
大広間に、二人が仲良く戻るなり、アーニャは深々と頭をたれた。
「お二人はとても素敵な、カップルなのに、それを邪魔してしまって」
アーニャの言葉に、アリオスもアンジェリークも総てを洗い流せるような気がして、彼女に微笑む。
「いいぜ? おまえのお蔭で、コイツの可愛いところがまた発見できたし」
「もう!!」
微笑ましい二人に、アーニャは微笑ましそうに笑う。
「ではこれで今夜は失礼します」
踵を返し、行きかけて、彼女は再び振り返る。
「おじゃま虫は部屋に戻りますね?」
ウィンクをする アーニャに、アンジェリークは真赤になる。
「おやすみなさ〜い」
アーニャが去った後、アリオスはアンジェリークに良くない微笑を向けた。
「----さあ、覚悟しろよ?」

翌朝、アーニャは新宇宙を去った。
思えば自分にとっては台風だったとアンジェリークは想う。
だけどそれは、アリオスと自分の絆をより深めてくれる台風だった。
ほとんど寝ていなかったにもかかわらず、アンジェリークは爽やかにアーニャを元の宇宙へと送り出すことが出来たのは、この気持ちがあったからであろう。
「女王陛下?」
アリオスは彼女の華奢な腰を抱きながら、囁く。
「何?」
「今から昨日の夜の続きをしねーか?」
彼の魅惑的な微笑みに、彼女はまた抵抗することなんて出来なかった。
女王陛下の甘美な睡眠不足の日々はまだまだ続く