今朝はアルカディアに来てから一番熟睡できた。目覚めが良く、体に羽根が生えたような、ふわふわとした感覚だった。
「アンジェ、ちょっと!!」
目覚めて仕度も整ったころ、信頼すべく我が補佐官で親友のレイチェルが、いつもよりも明るく、そして少し興奮気味に部屋に入って来る。
「何レイチェル?」
彼女の明るさと笑顔は、私に勇気と元気を与えてくれる。レイチェルと一緒にいると心が深呼吸する。
「あのね! アルカディアに新しい浮遊大陸がくっついたんだよ!」
思わず私も嬉しくなり、彼女の手を無意識に取っていた。
「ホント!! これって育成が進んでいることよね!」
「そうだよ! あなたがエレミアを愛してるからだよ! 楽しみだね!! これからどうなるか!!」
「うん!」
私とレイチェルは手を取り合って、ジャンプをしながら喜び合う。
親友と同じ喜びを共有できるというのは、何て嬉しいことなんだろうか。
「そうだ! あのね、午後から少し時間が出来るから、よかったら行ってみたら? その場所はね、“約束の地”ってゆーらしーよ」
「”約束の地“」
その名は、何か特別な響きを、私に齎した。噛み締めるようにその名を呟くと、その地に言いようのない憧憬を持つ。
「うん行ってみる!」
「いってらっしゃい!」
レイチェルの笑顔に見送られて、育成もそこそこに”約束の地“へと向かった。
胸が何故か高まり、速まる。逸る心を抑えて、目的の場所についたのは、昼下がり。
緑が茂る立派な木に、人影を感じた。
その姿を見た時、一瞬、心臓が止まるかと思った。
艶やかな銀の髪、しなやかな肢体。そして、翡翠と黄金の瞳。
間違いない、彼だ、アリオスだ。
私は、嬉しさのあまり泣いて良いのか、笑って良いのかわからない。
逢いたかった。
心から逢いたかった男性。
「おい」
声を掛けられて、私は咽喉を鳴らした。
久しぶりに、甘い旋律が全身を駆け巡ってくる。
テノールも、甘く響くところも、総て同じ。
「あんたここの人か?」
彼は私のことを覚えていないかもしれない。
ショックだった。
どうしても思い出して欲しい。
切ない思いで、私は彼を見上げる。
黒のブルゾンとパンツ姿の彼の胸元に、あの漆黒の石を見つけた。
石は、アンティークなチョーカー台にしつらえてあり、私は目を凝らして見つめずにはいられない。
また、“石”がめぐり逢わせてくれた。
「おい?」
心が息苦しくなるのを抑えながら、何とか首を横に振ることしか出来なかった。
「いや、なんでもねえ、じゃあな」
彼の精悍な背中を見つめながら、私は言いようのない、苦しみと悲しみをそこから感じずにはいられない。
彼が、このアルカディアにいることが判っただけでも、嬉しかった。
どんなことがあっても、私は、元のあなたに戻るまで、ずっと待ちつづけるから----
それからというもの、私はアリオスに逢う為だけに、”約束の地“に通い続けた。
「悪ぃ、何にも覚えちゃいねえんだ」
彼はそう言うと、自嘲気味に微笑む。翡翠と黄金の瞳に憂いが煙り、私はそれを取り除いてあげたくなった。
けれども、私が手を差し伸べてあげたとしても、それは本当に彼の自己を捜す旅の完結にならないと感じて、結局は、何も言えなかった。
彼はそれでも良いと言ってくれた。
本当は、切なかった。
本当のことを、言いたかったのよ、アリオス。
絶滅しかけた蝶を、一緒に見たこともあった。
絶滅するとわかっていながら、その意志を決して変えようとしない蝶の姿が、あなたの姿と重なって、言いようのない苦しさを。心に覚えた。
心の中では、”あなたに思い出して欲しい”と、アリオスの胸に光る漆黒の石に願いを込める。
それは私にとって聖なる願いだった。
久しぶりにアリオスと雪を見た。
アルカディアで見る雪というよりも、彼と一緒だということが、私の心に開放感を与える。
記憶を失っているとはいえ、やはり彼は私の心の拠り所だった。
以前も同じように彼と雪を見たことがあった。あの時と同じように、やはり、私の心は暖かくなった。
エレミアの育成も、彼がいるから、頑張れる。彼がいる場所だから、幸福にしたかった。
雪を見るアリオスの眼差しは暖かくて、私は何時までもそれに包まれたいと思う。
今思えば、これはささやかな漆黒の石からの贈り物だったかもしれない。
その日は、運命の日になった。
“約束の地”に訪れたときから、彼の様子が違っていた。
彼は険しい顔で私を見つめ、その眼差しはかつての彼のようで、哀しかった。
アリオスが激昂しても、私は彼を説得したかった。
彼を繋ぎ止めたい。
ただその一心だった。
アリオスは、やはり、優しい人だった。
私の気持ちを汲んでくれた。彼の本意ではなかったかもしれないが、その気持ちが私には嬉しい。
私は涙で視界が滲んでいることも構わず、震える指先を彼のチョーカーに伸ばしていた。
「覚えてる?」
「ああ。覚えてる」
深い慈しみの溢れる眼差しを浮かべて、アリオスもまた、石を優しく撫でている。
「あの旅でおまえに貰ったものだ」
言って、彼は澄み渡るアルカディアの空を見上げる。
その眼差しは、今までのものと違い、澄んでいた。
その今までにも増して輝く、翡翠と黄金の瞳が、私を捕えて離さない。
「----魂を浄化する旅を続け、自分の記憶を捜す旅を俺は続けていた」
彼の眼差しはゆっくりと私を捕える。
その眼差しの、深く真摯な光を目の当たりにすると、息が出来なくなる。
「この石は気がついたら持っていた。どうしてこの石だけが俺についてきたかは判らねえが」
「それは、きっと、私の心よ…。私の代わりに、あなたの傍にいたんだと思うわ」
本当にそう思った。
思えば、この石こそが、私の心の分身だった。だからこそ、彼に渡したかった。
「サンキュ」
聞きなれたテノールでその言葉を耳にすると、今までのことが綺麗に輝いてゆくような気がする。
アリオスとの大切な想い出が。
「俺、何か不安な気持ちになると、この石に触れてた。そうすると、何だか穏やかな気持ちになって、俺の心を癒してくれた。
-----今思えば、それはおまえ自身だったからなんだな」
彼は瞳を伏せ、穏やかな微笑を湛える。
「…アリオス…」
声が震えてしまって、私はまるで年端の行かない女の子みたいだった。
「この石が俺を守ってくれた。そして、きっと…」
一旦そこで言葉を切ると、軽く息を吸い込む。その仕草が、私の心を乱す。
「おまえへの再会を導いてくれたんだろうな。この石とおまえが、俺に道をくれた」
よく響くテノールは、かつてのように哀しみに切れるような響きはもうなく、新たに明るい響きがそこにある。
「有難う。私こそ、思い出してくれて。石を大事にしてくれて…」
今の私にとっては、彼の言葉は、それこそこれ以上ないといっても良いほどのものだった。
自然と涙が溢れる。一体、何度彼の前でないたことだろう。
アリオスとレイチェルの前だけ、私は素直に泣くことが出来る。
これも石が導いてくれた人たちだからかもしれない。
「おい、相変わらず泣き虫だな? ちっとは成長したと思ってたのによ?」
からかうように言って、彼は意地悪な態度だが、その瞳は優しく包んでくれている。
それは私が求めていたアリオス。
かけがいのない彼が、今、ここにいる。
魂の旅を終え、ようやく私の前に姿を現した彼は、今までにも増して私の心を掴んで離さない。
「お礼を言うのは俺のほうだろ? ったく、これじゃああべこべだな?」
苦笑しながらもアリオスは、私をしっかりその眼差しで見守ってくれている。
あの夢は、再会を私に知らせてくれたのかもしれない。
今朝見た夢を伝えたくなった。
伝えなければならないと思った。
私は静かに彼に語り始める。
つまり、この物語の最初からです。
語りたい、アリオスに。
不思議な石のことを。
ようやくめぐり逢えた、私だけの大切なあなたに、語りたい、不思議な物語がある----
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コメント
アリオスのチョーかの石にまつわるお話は、今回で終了です。
今回は「アンジェリーク」の視点で書かせていただきましたが、今度は「アリオス」「レイチェル」の視点でも書きたいと思っています。
特にアリオス編は彼が記憶をなくしている間の話になると思います。
また、よろしくお願いしますね。
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