|
バンッッ
音をたてて近くの木の幹が弾け飛ぶ。
「…ちっ」
咄嗟にアンジェリークを庇いながら身を低くしたレヴィアスは、苛立ちに紛れて小さく舌打ちをした。
思っていたよりも敵の数が多い。
宮殿の入り口は見えているというのに、そこに辿りつけない。
かと言って、そこから誰かが出てくる気配もまるでない。
先刻の爆音といい、この銃声といい、気付いてもおかしくないはずなのに。
それとも、わざとこちらによりつかせていないのか。
あり得る話だ。
第一、これだけの賊が王宮内に入れると言うこと自体がまずおかしい。
周囲に疑問に思われずに人員を手配でき、何より、アンジェリークが死んで得をする人物。
そうしてもうひとつ。
根はかなりの臆病者。
いや―――その人物の面子に免じて言いなおすとすれば、慎重な性格というべきか。
レヴィアスの記憶の中でその人物が当てはまる人物といえば―――
思わず苦笑が漏れる。
分かっていた事だが、改めて考えるとひどく笑えた。
ばかばかしい。
本当に、ばかばかしい。
もっとも、その喜劇に巻き込まれた方はたまったものではないが。
おそらく、こちらに向かっているはずの人物も足止めを食らっているのだろう。
だとすれば援軍を期待するのは諦めた方がいい。
異色の双眸を僅かに動かし、すぐ隣で同じように息を潜めているアンジェリークを見やる。
恐怖か、それとも緊張からか、小さな肩が小刻みに震えていた。
それがひどく痛々しく、彼は瞳を揺らせる。
口にこそ出さないが、命を狙われていると言うプレッシャーは、まだ幼い少女にとってどれほどのものだろう。
微かな哀れみが瞳に揺らめく。
しかしそれはすぐに、迫っていた殺気へと向けられた。
素早く狙いをつけ、指にかかったトリガーを引く。
「ぐぁっ」
短い悲鳴と共に近くの木の陰で男が腕を押さえてうずくまった。
「……っ」
「行くぞ」
アンジェリークの瞳に一瞬走った怯えには気付かないフリをして、レヴィアスは小さな手を引いてその横を走り抜けた。
こんなところで、いつまでもじっとしているわけにはいかない。
遊歩道の脇の茂みの中に隠れて、レヴィアスは小さく息をついた。
らしくもない焦りがじわじわと這い上がってくる。
内ポケットに入れておいた銃弾はもう残っていない。
すでに装填されている残りの銃弾は三発。
―――いい加減限界だ。
弾の数も。
アンジェリークの精神力も。
いくら気丈な少女とは言え、こんな状況の中で普通でいられるはずがない。
血の気の引いた顔で荒い息をついているのがその証拠だ。
金と翠の瞳に紛れもない焦りを滲ませ、前方をきつく睨みつける。
そしてなにより―――自分も。
誰かを守ると言うことが、これほど精神をすり減らすものだとは思わなかった。
このままではいけない。
このままではいずれ隙ができる―――
「―――なんで」
ふとアンジェリークが呟いた。
レヴィアスは思考を中断させて少女を見やる。
彼女は彼の視線に気づいた様子もなく、バラ園に続く道を振り返り、宮殿を見る。
「なんで、こんなことになっちゃったのかな」
目に浮かんだ涙を袖口でごしごしと拭く。
「わたしはただ、みんなで一緒に幸せになりたかっただけだのに…」
父さまや母さま。
周りにいるたくさんの人たち。
それから―――今日会うはずだった、未来のだんなさま。
みんなでいっぱい、いっぱい幸せになろうと思ってたのに。
それなのに。
すべては夢のように消えてしまった……―――
「…幸せになりたいって、お願いしてただけなのに……」
「……」
抱えた膝の中に顔を埋めて、震える声を漏らす少女を彼はしばらく見つめ―――やがて言った。
「願うことで何かが変わるか?」
冷たく響くその言葉は、どこか嘲りを含んでいだ。
まだ13の誕生日を迎えたばかりの―――未だ夢を信じている年頃の少女にひどく残酷な言葉を投げかけていると言う自覚はあったが、それでも彼は言うことを止めなかった。
「願うだけで何かが変わるなら、殺し合いなんかおきねぇよ」
「………」
アンジェリークはびくりと身体を震わせて沈黙した。
―――泣かせてしまったかもしれない。
顔を埋めたまま動こうとしない少女に彼がそう思ったとき、唐突に少女が顔を上げた。
涙に潤んだ―――けれど、真っ直ぐな瞳が前を見つめる。
「分かってる」
発せられた声は、想像していたよりもずっとしっかりしていた。
「分かってるもん。父さまがいつも言ってたもの。願うだけじゃ何も変わらない。動かないと何も始まらない。そうでしょ、お兄ちゃん」
向けられた海色の瞳。
無邪気さと気高さを宿した瞳。
その瞳にどうしようもなく惹きつけられた。
「でも私はね、願うことも必要だと思うの。だって、全部のことは願う事から始まるはずだもん」
幸せになることだって。
国の平和だって。
何もかも、全部。
「だから私はお願いするの。ね?」
そう言って少女は笑おうとした。
笑顔にはなりきれていなかったが、それは確かに笑顔だった。
この状況下で、強く。
辛いはずなのに、苦しいはずなのに。
それでも―――
不意に込み上げてくる笑い。
焦り始めている自分がバカらしくなった。
そして同時に、何がなんでも見てみたくなった。
この少女が治めるこの国を。
それがアンジェリークを守る理由でもかまわないだろう?
肩を揺らせ、くつくつと笑う青年を不思議そうに見上げる少女の栗色の頭を、彼はくしゃりと掻き回した。
金と翠の金銀妖瞳を細め、頷く。
「―――ああ、そうだな」
|