これが一番楽しかった?ミーティング詳報 最終回

 長谷川氏に我々のパブリカを運転してもらった後は、トヨタメガウェブの来場者を我々の運転でパブリカに乗ってもらうアトラクションを用意した。来場者の客層からか、筆者の予想とは裏腹に若い人たちが沢山訪れて我々のパブリカに乗っていったらしい。
 その合間に普段見慣れているが実は意外と知らないほかのオーナーの車に会員たちが乗る機会があったらしい。筆者はなんと言われようが他の人の車を乗るのが好きである。自分の車のいいところも悪いところも他の車に乗るとよくわかるからだ。ましてや他の車が来ることのないこんな場所で走るという機会はそんなにない。トヨタメガウェブの関係者の方も気になるパブリカに乗って遊んでいただいたようだ。
 さて、なんだか予想の記事のようであるが、それも仕様がない。筆者と長谷川氏は新聞の取材を受けていたのだが、正直言っていなくてもよかった位だ。それは長谷川氏も同じ意見だったらしく、記者がいなくなった隙に、二人で目を見合わせてしまった。
 楽しい時はあっと言う間に過ぎ、日も傾いてきた。最後に長谷川氏に参加者みんなからお礼をいい、我がパブリカオーナーズクラブからは長谷川氏を名誉会員(名誉会長ではない)とし、会員の証としてこの度あつらえた盾付きクラブバッチを進呈した。
 多少苦労もしたが、実にいいミーティングであった。
02/28/2002

また一つ実働に・・・。燃焼式ヒーター修理

 今日はかねてから修理の依頼のあったヒーターを治しに、千葉県は東総地区にサービスカーのサンバー君に乗って行った。私事で恐縮だが、筆者の母親は千葉県は南総地区の出身であり、筆者も母親が実家で生むという気まぐれを起こしてしまったがために、出生届だけはそこで出されている。それゆえ、東京生まれの東京育ちではない。筆者自身は地方での記憶は全くないのに。
 このスポーツ800のオーナーは以前から筆者が懇意にして頂いている方で、筆者の紹介でなんと1600GTも買ってしまったという強者である。筆者が初めて会ったときには既にヒーターが不動で、筆者が自分でヒーターを治した話をしたところ、是非自分のもという話になっていた。何より、御代としてバックアップランプのアッセンブリーを頂いてしまったので、やらない訳にはいかない。ところがこの方とは休みが合わず、なかなかその機会がなかった。しかし、もう関東では杉花粉も飛び交う日和になり、ヒーターの出番も少なくなってしまう。スポーツ800オーナーに対しては嘘つきにはには成りたくないので、その方の家に筆者が出向いて修理することとした。
 筆者の家から高速道路を使って2時間半、その方の家に出向く。最初に見た印象では、部品も全てあるしちょっといじれば大丈夫だなという印象を得た。しかし、改めて見てみると結構重症だった。ハーネスは無理やり変えられて、フューエルレギュレーターの中はガソリンが干上がり粉になっている。しかし、ヒーターの故障というと定番、ノズルの詰りとフューエルレギュレーターの中のニードルバルブの固着はなかった。
 フューエルレギュレーターの中も外も灯油であらい、粉になったガソリンを取り除く。ハーネスはもともとあったように作り直し、外したギポシの油分を取り除く。これで使えなかったら、外してもって帰ろうと思っていた。マグネットバルブの作動状況を確認して、祈る思いでスイッチを入れる。リレーが働く音がしてブロアモーターの回る音がする。使えたか!と思ったのもつかの間、ヒーターに耳を近づけても火の燃える音はなく、室内の送風口に手をかざしても寒々しい風がくるだけだった。やはり駄目か・・・。
 少し休んだ後、気を取り直して冷静に考えてみた。燃料がきていないのかと思って、燃料パイプを外してみたらガソリンがボロボロこぼれてきた。ということは、火をつけるべき電気系、それもグロープラグに電気が行っているのか疑った。グロープラグの見た目はきれいだったが、外してみると中は残留したガソリンで膜ができていた。これでは駄目。そして、プラグが接するところ、ここはボディにアースする際に非常に大切なところなのだが、ここがなんと油うんこがこべりついていた。ここを鑢でやすって、地金を出す。新しいグロープラグをつけて、ハーネスを取り付ける。
そして再びスイッチをオン!すると、「ボン!」という轟音と共に、赤黒い炎と黒々とした煙が立ち込めた!ヒーターから出火?スポーツ800全焼!一瞬にして顔が青ざめる。暫くすると煙が落ち着き、ヒーター本体から火が中で燃えている音がし始める。ヒーターの点火に成功!黒い煙はヒーターの燃焼炉に残ったガソリンなどが一度に爆発的に燃えただけだった。暫くエンジンと共にヒーターを動かして行くと燃焼が安定。車内は筆者にとってはおなじみのやわらかい暖かさが支配していた。これにて修理は完了。暫くはノズルの詰りなどもあるかもしれないが、後は使用して慣らしていくしかない。午後5時、帰途に着く。途中日曜日の行楽渋滞に巻き込まれたりしたが、なんとか3時間で家に帰った。
02/25/2002

時を越えてパブリカに!ミーティング詳報 その3

 トヨタメガウェブ内の会議室にて昼食を取る。長谷川氏からパブリカやトヨタスポーツ800の製作当時の話がポンポン飛び出す。我がパブリカオーナーズクラブの中でも長谷川氏に初めてお会いする人もいたので、その話は新鮮だったに違いない。
 昼食後はこのイベントのメインである。まず長谷川氏を乗せたコンバーチブルを先頭に、総勢11台の車両がトヨタライドワンをパレードする。実に壮観であった。このライドワンの上には来場者用の通路があって、我々の走りを見れるのだが、その通路が折れるのではと心配になるほどのギャラリーだった。しかしこれは前菜である。メインは長谷川氏自身による運転でこのテストコースをパブリカで走ってもらうことだ。
 長谷川氏はパブリカの開発主査であるが、本格的にかかわっていたのはパブリカはパブリカでも700のパブリカである。それに敬意を表して10パブリカ2台にはきっちり乗ってもらった。その後、20パブリカ2台、スポーツ800を1台乗ってもらった。「マニュアルミッションなんて、30年くらい乗っていないなぁ」とおっしゃる長谷川氏、そうだろうと思ってトヨグライド車を入れていたのには気がつかなかっただろうか?しかし流石は元エンジニア、難なくパブリカを乗りこなしている。伊達に学生時分より無手勝流の運転を無免許でしていた訳ではない。適応能力は86歳の老人とは思えない。当初は全員の車に乗ってもらう予定だったが、流石にくたびれるだろうと思い、急遽半分にしたのは参加者のみなさんには申し訳のないことだったと思う。
02/18/2002

パブリカライドワンに集結!ミーティング詳報 その2

 普段は車の出入りの少ない社員用の駐車場には既に我がパブリカオーナーズクラブの会員を中心とした参加者が集合していた。途中、バイクできていてそのバイクが止まってしまったという会員を四谷三丁目で拾ったということを考えれば、思ったよりも早く現場に到着した。当初10時40分には到着していようと思ったのだが、時はそろそろ11時になろうかというところだった。着くと、今回我々の窓口になっていただいたトヨタの方と長谷川氏がご対面する。
 参加車両はライドワンの駐車スペースに停車する。普段は一般の車は絶対に入れないところである。そこに11台のパブリカ系車両が並んだ。実に壮観な眺めであった。
 長谷川氏と我々の会員は、トヨタメガウェブの見学へ。そして一部はその場に残り、この度あつらえたクラブバッジをパブリカのフロントグリルに取り付ける作業をした。
02/09/2002

長谷川龍雄氏ラストランミーティング終わる

 当ホームページでも既報の通り、2日に東京はお台場のトヨタメガウェブに於いて、パブリカの開発主査であった長谷川龍雄氏の運転免許の返納を記念してラストランミーティングを我がパブリカオーナーズクラブの運営にて行った。当日は20人の参加者と合計11台のパブリカ、スポーツ800の参加を得た。それぞれ忙しい中を参加していただいた皆さんにはこの場でお礼を申し上げたい。
 ミーティングは長谷川氏をお迎えにあがることから始まった。去年の末にそれまで住んでいられた葉山のお宅から都内世田谷区に引越ししたそのお宅の前までパブリカ2台、そして筆者のスポーツ800で迎えに行く。当初、乗り心地も考慮してパブリカに乗っていただく心算だったが、長谷川氏からスポーツ800に乗りたいとの事で、図らずも筆者の運転するスポーツ800の助手席に座っていただけた。以後、1時間お台場に着くまでずっとである。2日の東京は冬の割には風も無く穏やかな日であったが、寒さは相変わらずである。当然筆者の車の燃焼式ヒーターは温風をキャビン内に送り続けた。長谷川氏はまずその事に気づかれて「これはヒーターが動くんですか?」との質問を乗って早々に受けた。「ええ」とこともなげにいうとまずそれに驚かれた様子である。ただ、世田谷の八幡山の辺りから甲州街道を経て新宿くらいに着いた頃に「ちょっと暑いですね」と長谷川氏がおっしゃられたので暫くスイッチを切った。いや、これでも途中で何度か温度を調整するために切っていたのだが、いよいよ暑くなったみたいである。「作った当初から温度の調整が難しくてね…」と、思わず製作当時の話をされたのは嬉しかった。作ってから30余年、まさか自分の作ったものを再び体感できるとは長谷川氏自身思っていなかったようである。
 ここで聞いた話であるが、当初長谷川氏はスポーツ800にヒーターを取り付けるのは全く考えていなかったとの事である。「やはりスポーツカーはヒーターなんかはなくても屋根をはずして、マフラー一つ首に巻いていなせに乗ってもらいたいものですよ。しかし、『大衆にスポーツカーを』とぶち上げちゃったもんだから、みんなが乗ってもいいようにしなくてはいけなくなった。そのためにヒーターをつけた」とは長谷川氏の弁である。ヒーターで言えば、スポーツ800を生産中止にした一つの要因がこのヒーターだと言われているが、その元のエピソードを聞いて昔のユーザーがいかに車を知らないものだったのかわかった。あるユーザーがスポーツ800をエンジンかけヒーターをつけたまま冬の乾いた草むらに駐車していたとのことだ。暫くして熱気が枯れた草に伝わって火が出て車が炎上したという。つまり、ユーザーの不注意から事故が起きたわけで、ヒーターが悪い訳ではない。確かにバックファイヤーなどのトラブルもあるにはあったが、一般にいわれているように、使用していてそのまま車が炎上した例は無かったという。昔も今も車を知らない馬鹿者のせいで大切なものを失う例はあるのだと思った。
 その後、パブリカ発売前に2回ほど北海道の特別寒いところで寒冷地テスト(エンジンが一発でかかれば終わりだったそうだがそうはいかなかったらしい)をした話とか、豊田から東京への出張は昭和45年くらいまでスポーツ800で行っていた話とか、その際浜松でスポーツ800に乗っていて警官にスピード違反でつかまった話だとか、スポーツ800のアイポイントはこれは何時見てもいいねぇ、などといろいろな話をした。短い時間ではあったが久し振りのスポーツ800を堪能していただけたようである。
 新宿から赤坂、新橋を過ぎてレインボーブリッジへ。下を通っている一般道を通り長谷川氏を乗せた我がスポーツ800はトヨタメガウェブを目指して走った。
02/04/2002