進歩はあったのか?’01年回顧

 今年ももう終わりである。この時期になるといつもこう思う。今年も絶対に手に入らないと思っていた部品がなんだかんだ言って手に入った。けど、来年はこうはいかないだろうな、と。しかし、その年になればなったで、またそれなりに貴重な部品が手に入るから不思議である。僕の部品の神様に感謝したい。日本は多神教の国だから部品の神様がいてもいいのである。
 我が44ヨタは今年は大過なく過ごした。故障らしい故障はこれと言ってなかった。すばらしいの一言に尽きる。
 今年もっとも大きい変化はなんと言ってもこのホームページを作ったことである。実のところ、同じような書き物を44ヨタ購入以来していたので、筆者にとっては表に出しただけの話である。不明な点がまだまだあるが、オーナー諸氏の助けとなればいいと思っている。実はまだ書いていないことも少しだがあるので、その点の究明をしたい。
 来年の展望としては、44ヨタのみの内容から少し裾野を広げていこうかと思っている。
12/31/2001

果して本当にガセネタか?バルブリフターを入手

 23日に既報のバルブリフター補給打ち切り疑惑に関して答えが出た。今現在では東京共販に於いてはバルブリフターの補給を確認した。ただし、これを持ってバルブリフターは大丈夫ですよともろ手を挙げて安心できる状況ではどうやらないようだ。
 まず、バルブリフターが引き当て部品として来た事。つまりはメーカーに返品してもらっても困るという部品である。どんな状態でも文句言わないで頼んだあんたが持っていってくれ!ということだ。
 もう一つは価格である。筆者の記憶がただしければ、かつては2480円(税別)という単価が3440円(税別)と、なんと千円近く値上がりしている。トヨタの部品のなくなり方の常だ。徐々に価格が上がり、それと反比例して買う人も徐々になくなり、最後には誰も買わなくなる。それを口実に部品の生産を止めるという、高等戦術である。尚、部品をディーラーに頼んでいる人は直接共販にいきましょう。どうやらディーラーでの情報と共販での情報に大きく差があるようです。
 みなさん、これに屈してはいけません。ここは一つ、バルブリフター生産促進キャンペーンとしてオーナーは一人4つ以上、バルブリフターを共販に頼みましょう。
12/28/2001

足車スバルサンバー、1年ぶりに帰還!

 筆者にとってはちょっとしたクリスマスプレゼントといった感じである。足車のサンバー君が修理から帰ってきた。
 筆者の足車のサンバー君のプロフィールをここで紹介しよう。昭和59年(1984)年式。最期の550cc時代のサンバーの初期型になる。17年を経た現在でも、総走行距離が32000キロあまりとコンディションは上々である。
 去年の11月、前からそういう傾向はあったのだが、大爆発音と共にアイドルすらすることがなくなってしまった。キャブレターの詰り。走行距離が少ないということは、機械のコンディションがいいという反面、それはあまり走っていないともいえる訳で、燃料系のトラブルはままある。いつもお世話になっている車屋さんに修理に出した。一度キャブレターを清掃して修理が終わったかと思った瞬間、再び同じ症状が出たのだ。筆者も修理を実際にやった工場の社長もがっかりした。あまりの落胆ぶりに筆者もすぐにやれなどとは言えず、「やれる時にやってくれればいいよ」と言い残したらあっという間に1年経ってしまった。
 なじみの女の子と同じで、しかし居なくなると初めてそのありがたさに気が付いた。考えてみれば、サンバー君を買ったのはヨタのパーツを運ぶために買ったのだ。荷物の搭載量としてはうちの車の中で最大である。ガレージにあるガラクタもサンバーくんが居なくなってからというもの、行き場を失ってしまい、捨てるものも取っておくものも一緒になっている。普段は筆者の車の趣味に否定的なうちの家族もこのサンバーくんの購入に関しては実に好意的であった。週末のお買い物に、普段は重くて買えないもの(ネコのトイレの砂とかみかんを箱でとか)を買いに行くのに重宝していたのだ。サンバー君なら知らない道に入って難儀しても、実に小回りが利くので、いつでもスペシャルUターンができる気楽さがあったのだ。ボディも筆者が購入したときからへこみがあったのまで、新たにへこませてもなんら惜しくない気楽さがいい。ヨタに大変気を取られているのでその反動だ。
 明日は載せる荷物の整理と掃除をしてやろう。
12/23/2001

ついにお前も?バルブリフター補給打ち切りか?

 実に忌々しき問題である。考えようによってはスポーツ800のみならず、UP系車両全体の存亡の危機かもしれない。なんとバルブリフターが補給を打ち切ったか?という情報が筆者の元に来た。現在筆者も信頼できる筋に発注をして、結果はそれ待ちになる。到着し次第詳細をお知らせしようと思っている。
 バルブリフターはパーツリストにある−10010という品番ではとうに出なくなっている。裏技として実はセンチュリー(VG20)のバルブリフターが使えるという話があるが、最近補給されていたバルブリフターの品番を見る限りではそもそも−10010(パブリカ、スポーツ800用)や−51010(一部パーツリストではスポーツ800用で実はVG10クラウンエイト用)で発注しても−52020(VG20用)が来るので、裏技でもなんでもないのである。情報は神奈川共販での話であり、仮にこれが正しければ、あとの頼みは既に各県の共販にデリバリーされていて本部在庫になっているバルブリフターだ。それが終わればはい、それまでよ、ということになる。ふざけやがってふざけやがってふざけやがって、コノヤロウ!と植木等ならずともいいたくなるほど泣けてくる話である。
12/23/2001

境目がだんだんはっきりと…。44データ中間報告その3

 同じ44年式でも細部が違うことはホームページの全てを見ていただければわかると思う。しかし、調査によりその境目がだんだんとはっきりしてきている。その一例としてホーンがマルコホーンから平型ホーンに変更されたその境目がわかってきた。
 44年式と定義している車体番号が12917からと仮定すると、そこから25台乃至30台後から平型ホーンに変っている。ことがわかった。具体的な車体番号はオーナーのプライバシーに配慮して明らかにできませんが、実はもう少し絞れています。
12/19/2001

44データ中間報告その2。ボディカラー

 今回は車体の色について。44年式の研究でも述べた通りなのだが、元のボディカラーはジルコンブルーメタリックがかなりの比率で多い。現在確認されているものの中で言えば、なんと60パーセントという高率でジルコンブルーメタリツクという結果が出ている。30パーセントをシルバー、のこり10パーセントがレッドとなっている。30年以上経っている車なので、当然色が塗り替えられているものも多いのだが、どういう訳か元がブルーでその上にレッドを塗っている車が多い。見た目がレッドでも、ボンネットを開けて塗装の塗り残しを見つけない限りはわからない。レッドは気が抜けない色だ。しかし、なぜだろう。シルバーは塗り替えてもシルバー、ブルーの上にシルバーを塗っている例は現在のところ皆無である。シルバーの上にレッド、あるいはその逆のパターンはスポーツ800全般に言える傾向である。
12/13/2001

44データ中間報告その1。意外と高い生存率

 いつもオーナーのみなさんにご協力いただいているばかりなので、筆者の44ヨタハチデータバンクからわかったことを少しであるが、報告しよう。
 情報が集まるにつれてわかったのは、44年式のスポーツ800の生存率の高さである。生存、ここでは廃車登録されていようが何しろ形になって残っている、とし、仮によく言われている215台の44年式が生産されていたと仮定する。そして未確認の車も含めて、存在しているらしい44年式はその生産数のうちなんと25パーセントの車が形になっているらしい。確実に存在することが確認されている数で数えても18パーセントに達している。30年以上経っている車ということを考えれば驚嘆に値すると筆者は思うのだが。
12/12/2001

情報は足で稼ごう!大収穫の九州調査旅行

 予告通り、8日と9日の2日間、44年式スポーツ800の調査旅行に行って来た。まず最初に、今回ご協力いただいたオーナー諸氏に改めて御礼を言いたい。とくに、我がパブリカオーナーズクラブの藤田くんには行く前の段取りをしていただき本当にありがたく思っている。
 溜まったマイレージで行ったとは言え、自分でもよくやるなぁと思ってしまった。行きは始発の電車で羽田へ、帰りは終電車にて家に帰った。
 今回訪れたところは、福岡と熊本である。熊本は筆者の親戚がいたため寄っただけなので、実質福岡県内の44年式のみを見たことになる。しかし、細部に渡って実車を調査できた車が3台、写真にての調査が1台、その他に手がかりとなる情報を含めると合計10台の44年式スポーツ800情報を程度のさこそあれ入手できた。他の年式のスポーツ800,パブリカを含めると、実に17台半の車に会ったことになる。
 いよいよというべきか、調査が進むにつれてだんだん面白い現象が起こってきた。車体番号が部分部分で連番になってきたことである。1番違いの車が都内にあったり、2番違いの車体が南北に分かれていたりと、数字遊びをするだけでも楽しくなってきた。それと面白いのが、同じ苗字の人が同じく44年式を持っていたりする。実に不思議である。
12/11/2001

車三昧の週末

 この週末は「これでもか!」というくらいパブリカ、スポーツ800で遊んだ。土曜日は我がパブリカオーナーズクラブの即席ミーティング。即席にもかかわらず、5台の車両と5人の参加があって盛況だった。こうやってあまり目的もなくできる集まりもなかなかいいなと思う。ミーティングの開始は夜の11時くらいだったが、話込んでいるうちに、ふと気が付くと時刻は午前三時を回っていた。その勢いで、恒例の写真を撮りに行くことにした。ロケ場所は、神宮外苑の絵画館前。銀杏並木のところである。ここのところの寒さで、すっかり葉が落ち、歩道は黄金色のじゅうたんのようになっていた。朝早くならそんなに人がいないだろうと思っていったのだが、日が出るのと同時にあっと言う間に人が出てきた。やはり、筆者と同じことを考えていたのだろう。行く秋を惜しむが如く、写真を撮るおじさんが沢山いた。
 朝9時頃家に帰る。ところどころ記憶をなくしながらの帰還だ。帰りは会長のパブリカを借りて帰ってきた。オイルの交換を筆者が借りた夏以来していないというのだ。ひと寝入りした後、今週もまた近所のタイヤ屋さんでオイルを交換。出てきたオイルは吸い込まれそうなくらい黒くなっていた。この交換でまた暫くは大丈夫だろう。
12/03/2001

正確な日時が決定!九州遠征

 本日、昼間に生まれて初めてJALのマイレージなるもので航空券を予約した。8日早朝羽田出発、9日福岡発の最終便で帰ってくるという、なんとも無駄のないスケジュールである。この2日間で、合計4台の44ヨタハチの現物と、1台の44のデータを取る予定である。まだまだ見せていただける44ヨタハチを募集しています。
12/01/2001