実は出来ていた!パブリカオーナーズクラブのHP始動

 もったいぶるつもりはなかったのだが、実は先日、我がパブリカオーナーズクラブのホームページが出来ていたのである。もう少し中身を充実させてからとの会長の意向を踏まえて公にできなかったのだが、しつこく言っていた結果、リンクを出しても良いとのお許しを得た。内容はまだまだ充実の余地があるが、みなさま、暖かい目で見守ってください。アドレスについては当HPのリンクからいくことが出来ます。
9/26/2001

もう直ぐ10月!冬支度を敢行

 東京地方は21日夜半から22日朝の雨をきっかけにすっかり秋らしい陽気になってしまった。今朝は布団に入ってくる猫で目を覚ました。そこで、ちょっと早いが燃焼式ヒーターを使用できるようにした。
 フューエルレギュレーターを組み付けて、ギポシをつなぐ。燃焼式ヒーターが使えるようになってこれで3シーズン目であるから慣れたものである。ひとしきり作業を終えて、スイッチオン!程なく強力な温風が車内に流れ込んできた。その暑さにやっぱり時期が早過ぎたか?と思ったくらいである。
9/23/2001

長年の謎が解明か?我が44ヨタの生い立ち その1

 購入以来、謎である部分がまだまだあるのだが、そのうちの一つが解けそうである。購入依頼の謎、それは筆者の44ヨタの車検証である。どうやら、筆者の44ヨタは出来てまもなくの頃、ディーラーの長期在庫車になっていた可能性が高いことがわかった。
 スポーツ800の重さは?と問われれば、580キロと直ぐに反応できるオーナーは少なくないと思う。これは車検証にも書いてあるので、直ぐにわかる。しかし、筆者の44ヨタは何故か630キロと書いてあるのである。マイナーチェンジを経て重くなっているはずの43年式でも580キロと書いてあるが、44年式だから新たに型式認定しなおしたのか?車検が切れていた時期が過去にあったらしいので、また新たに計りなおしたのか?などといろいろ思いを巡らせたが、どれもこれといった裏づけがなく今まで過ごしてきた。
 しかし最近改めて車検証を見る機会があったので良く見てみると、普通は必ず入っているはずの型式指定番号と類別区分番号の欄が空欄になっていることに気がついた。これはどういうことなのか?我がパブリカオーナーズクラブの会員に聞いてみた。
 車は完成時に完成検査というものを受ける。完成検査を経た車はナンバーを登録の際に「この車は型式認定を受けたこの車と同型です」という意味で、型式指定番号と類別区分番号を持っている。実際には前期型よりも重くなっているであろう43年式が580キロと車検証上では同じになっているのはこのためである。この完成検査が有効であるのは6カ月。それが切れるとナンバーの登録時に諸元を計測しなおすのだという。
 我が44ヨタの車検証はこの結果である可能性が高い。ということは、仮に生産されたのが44年6月(2台のスポーツカー/ネコパブリッシング刊 参照)、しかも早い時期だと仮定して、ディーラーの在庫車となったのが半年間。その後どうにか売れて、44年内に登録できたということになる。車検証を見ると登録だけは昭和44年になっているからである。一歩間違えると45年登録ということになる所だったに違いない。もう一つ諸元を計りなおす機会があるのは改造車検を受けた時と、それを解除した時ぐらいであるが、これは可能性が薄いので除外して考えている。
 我が44ヨタの重さと型式上の重さの差である50キロの内訳を考えてみると、満タンの燃料と各種油脂で27キロ、43年のマイナーチェンジ時の実は増加していた重量15キロ、44年式で新たに装備されたものの重量8キロと踏んだのであるが実際はどうなのであろうか?
9/23/2001

PC復帰!コンテンツの更なる充実へ

 既報の通り、コンピュータがいかれて(ロムドライブがえり好みをする)しまって難儀していたが、今日帰ってみると修理されて戻ってきた。あると感じないが、なくなってみると意外と頼りにしていたことに気がついた。コンピュータがない間、新企画の構想を練っていた。あとは書くだけになったので、お楽しみに。
9/21/2001

史上最大のピンチ!PC不調

 久しぶりの更新になる。決してサボっていた訳ではないのだが、PC(10パブリカのエンブレムではない)が不調。どういう訳かCD−RWを入れるとフリーズ寸前になり自由に動かなくなる。そのため、更新ができなかったのである。しばらく更新できなくなる場合もあるが、そのときは大目に見てください。
09/14/2001

スペシャルなパブリカ!パブリカバン試乗インプレッション その1

 我がパブリカオーナーズクラブにまた新たな会員が入ってくれた。彼に会う為に、ある夜厚木まで44ヨタで行く。横浜に住むその方のパブリカはパブリカバンである。43年式、800でも後期のバンである。ボディカラーはアフロディーテホワイト。ここでお気づきの方は鋭いと言うべきか、グレードはスペシャルである。これはいまや激レア車である。
 昭和41年にパブリカはUP20系にモデルチェンジした。大幅なモデルチェンジをされたのであるが、何故かバンだけはフロントフェンダー、マスクそれとエンジンが変わっただけにとどまった。であるから、解体のセダンがあれば昔は800顔の700バンという車が簡単に出来たのである。多分シルエイティを作るのよりも簡単だろう。20系がマイナーチェンジを受けた昭和43年に、バンは本格的なボディのモデルチェンジを受けている。
 商用車であるバンというだけでも珍しいのに800の後期、しかもアフロディテホワイトのスペシャルである。アフロディテホワイトはスペシャルだけに設定されたボディカラーで、スタンダードでもないデラックスでもない、スペシャルという実に半端なグレードであるのが素晴らしい。
 さて、他の人の車に乗るのが大好きな筆者がこの好機を逃す訳はない。台風の影響を受けて小雨の混じる厚木周辺を軽く流した時のインプレッションしよう。中に収まって見回す印象は何か複雑な気分である。前を向けばセダンと同じ光景、しかし、後ろを向くと見慣れない広々とした空間が広がっている。走り出してみると、やはりセダンに比べて剛性のない感じはする。リアシートの裏のメンバーは伊達ではないのだ。しかし、荷物がセダンよりも、ましてやスポーツ800よりも多く載ると思っただけで、なんだかうきうきする。こんな小さなバンでお弁当と椅子とテーブルを持ってピクニックに行ったら結構楽しそうである。右片方にヒンジがあるリアドア、サイドマーカーがないフロントフェンダー、蓋のしてあるシガーライターのソケット穴など、何か見慣れたパブリカのはずなのに何故か新鮮な気分がした。
09/11/2001

パブリカと走ろう!即席ツーリングに参加

 この週末での2日で、2カ月分の距離を走破してしまった。静岡は富士にいる我がパブリカオーナーズクラブの会員の元に、関東から筆者を含む二人で遊びに行ったのだ。
 解体のパブリカを見に行ったり、部品取りのスーパーデラックス(20パブリカのデラックスベースにエンジンを2Uにしてスーパー仕様にした車を言う)を見たり、そしてなんとミニエースのバンデラックスを見に行ったりとなかなか盛りだくさんだった。行って見てわかったが、富士インター付近というところは、結構山がちであった。少し市街から外れると、そこはツーリングに適当な道が走っているのである。信号もないワインディングが続き、かと思えば突然長いストレートが開けたりと、なかなか面白かった。当ホームページがなかなか更新されなかったのも、ひとえにこのせいである。
 ただし、走ってよくわかったことがある。いよいよ我が44ヨタもステアリングギアボックスのオーバーホールを考えないといけない。遊びが大きいので、あるときはアンダーステアがでるが、そのアンダー具合を信じてステアすると今度はオーバーステアだったりと自分の車の挙動ながら、信用できなくなってきた。
09/04/2001