機は熟せり!テストベンチ製作始動か

 昨日、車庫に行ったのは以下に書いた通りだが、実は車庫に行ったのにはもう一つ目的があったのだ。テストベンチに使用する部品の再確認がそれである。
 修理したエンジンをようやく載せて、いざ試運転というときにエンジンがかからなかったり、かかってもものすごい異音がして結局エンジンを降ろす。これを何度も何度も繰り返したこと、皆さんにはありませんか?筆者はあります。徒労感と疲労感でヘトヘトになりました。その時に思ったのがこれ、テストベンチが欲しい!部品の再確認はこのためのものである。
 眠っていたエンジンの動作チェック、オーバーホールしたエンジンの慣らし運転などがこのテストベンチさえあればご家庭で簡単にできます。何か不具合があれば、そのままエンジンスタンドとして使用し、エンジンのばらしや組みが楽に出来る。わざわざ車体に載せる手間が省ける上に、ここで慣らしをし終われば、載せた次の瞬間から不足なく回るはずである。そんな素敵なテストベンチが欲しいとかねてより思っていた。とはいうものの、情けはかけられてもお金はかけられないので、このためにコツコツ集めたUP系車両の廃品で作るつもりなのである。
 今までのネックは土台となるパブリカのサブフレームがなかったことだったが、それも先日の解体パブリカで解決する。しかし完全に新規に作らなければいけなかったのは、ワイヤーハーネスであった。この間のパブリカのフロントハーネスを使えばいいと思うところだが、使わないハーネスの方が多いであろうと思う。それらをびらびら這わせるのはちょっと筆者の趣味ではない。しかしこれは我がパブリカオーナーズクラブが誇る「浦郷エレクトロニクス」にて、ドクターペッパー350ミリ缶1ケースと引き換えに既に作ってもらっているのである。トグルスイッチで出来たメインスイッチをオンにしてパイロットランプを点灯させ、プッシュボタンでスターターを回して始動できる。火を入れる前のクランキンクにも使用するのでスイッチ部分は電気的に強いものにしてある。そしてパブリカ用のプレッシャーゲージを使用すれば、オイルチャージランプも点いてオイルの管理もできるという優れものである。よせばいいのに、スイッチパネルは厚いアルミ板で出来ていて、おまけにバフ研仕上げである。完成の暁には、ご希望のみなさまに貸し出しも考えています。ちなみにドクターペッパーは九州では売っていないそうだ。
08/24/2001

台風一過、我が44ヨタ健在なり

 周知の通り、台風11号が本州に上陸。東京地方は午後5時くらいから台風一過の晴れ間が出て、夜になった現在でも暑い。天気も天気だったので、車庫に44ヨタのご機嫌伺いに行く。何事もなかった。折角来たのだから出動と行きたかったが、路面が濡れていたのでそうはしなかった。
 こういう天気になると、気になるのは車の保管場所という方も多いと思う。以前ボディカバーだけで過ごしていた時は小雨が降るだけで精神的に苦痛、いつも部品などの盗難に怯えて朝と夜のパトロールは欠かせなかった。しかし、現在借りている車庫に入れてからはそう言った心配はしないで済むようになった。今日は車の保管場所について思うままに。
 筆者が現在借りているのは鉄骨組みの二階建ての車庫である。二階は大家さんの物置、一階は筆者の他3台の賃貸である。入口には二間ほどの間口の電動シャッターが二枚付き、中には四台の3ナンバー車が収容可能である。気になる家賃は2万円/月(税別)である。地方にお住まいの方にはこの数字は俄かには信じられないかもしれないが、東京都心の渋谷では5万円というところもざら。多摩地区ということを差し引いてもまあ適正な価格であると筆者は思っている。ボディが朽ちて、ボディレストアに300万円よりは毎月2万円でそれが回避できて、車が小さいが故に空いたスペースに部品を置いておけて、しかも精神的な安心感があるとなればこちらの方がいい。お金があるからここではなくて、むしろお金がないからここにしたのである。
 以前は台風となるときっちりカバーを閉じて、石で重しをして飛ばないようにしたものだが、こういうときの安心感は何ものにも代えがたい。筆者の車庫の前の駐車場はアスファルト舗装、露天というコンディションで1万5千円/月(税別)である。「あと5千円出す気があるかないかの差は客の質の差」と言ったのは、渋谷でホテトル嬢をやっている筆者の女友達である。それを聞いた時には、けだし名言であると思ったものだが台風一過、中と外の状況を見比べると彼女の言葉が身にしみてよくわかる。隣のBMW Z3はこの天気のあとも何事もなかったかの如く薄く埃がかぶった状態のまま。そして外にあって最近錆も目立ってきた初代セフィーロは吹き付けたゴミだらけになっている。
08/23/2001

自らの不明を恥じる!正しいホーンの取り付け方向が判明

 購入以来7年目を迎えるが、まだまだわかっていないところがあると反省しきりである。16日、ホーンの取り付け位置を変えようと、ホーンを外した。どうも、いろいろな例を見るとホーンは本体が下向きになっている。どうやら、これが正しい位置なのかな?と思った。しかし、外したその時点でも、ホーンが下向きだとカッコ悪くないか?と自分に問いただした。しかし、そんな迷いはホーン本体を見たときに吹っ飛んだ。何と、ホーン本体に矢印付きで「DOWN」と入っていたのだ。矢印を下にして取り付けると、ホーン本体は下になる。ここに明言しよう、ホーンは下向きに取り付けるのが正解です。そしてご丁寧にホーンのハイ、ローの位置が左右逆になっていたというおまけ付きである。恥ずかしい。こんなの外してみれば苦もなくわかることなのに。まだまだ修行が必要であると痛感する。
08/16/2001

購入以来の懸案、ワイパーの修理を決意!

 どこかで申し上げたかもしれないが、筆者の44ヨタは何故かワンスピードのワイパーになっている。これが実は購入以来の懸案だったが、これを元の通りに直そうと、ようやく重い腰をあげる気になった。
 本日、技術的な面では非常にお世話になっているヨタハチ仲間に、かねてより入手していたワイパーモーターが使用できるか診てもらった。実は彼は、筆者よりも先に燃焼式ヒーターを直している。筆者も自分のヒーターを治す際に、いろいろとアドバイスをもらった人で信頼を置いているのである。筆者が燃焼式ヒーターでエラソーな事を書けるのも、ひとえに彼のおかげである。行動力というか好奇心も旺盛で、筆者に構想だけはあったスターターモーターのリダクションセル化(例えばハイコンプピストンを町乗り仕様の車に使った場合に有効、起動時の電力もノーマルより少なくて済む)を筆者と話をし、暫く経つともう完成させていたり、ホンダのS2000が出るはるか前にヨタハチにプッシュ式のスタータースイッチを作ってしまったりというかなりの強者である。
 診てもらった結果、ワイパーモーターは十分使用可能、一緒についているワイパーリンクもプラスチックブッシュがまだまだ丈夫なので、そのまま使用できる。そして、ハーネスはメインのハーネスとは別に引いているので、それらを撤去してメインのハーネスに繋いでも大丈夫である、などのことが判った。先日パブリカの解体車から取ってきたハーネスはこれを直したいがために取ってきたようなものであるが、これを加工することなく修理できることがわかり俄然やる気が出てきた。しかし問題はある。リンクを外した際に、ワイパーの軸についているゴムつきのリングをどうしようかという問題だ。ご多分にもれず、筆者のものもゴムがひびだらけである。取ったら再使用は難しいだろう。新たに自作するか、思い切って新しいものを使うか、難しいのをおして使うか…である。
 そしてもう一つ。この場にはもう一人ヨタハチ仲間がいたのだが、彼のディマースイッチがくるくる回ってしまうのも治してくれた。ようは止め方が判らずくるくる回っていただけなのだが、筆者もこの部分はばらしたことのなかったところなので、勉強になった。実はディマースイッチも購入以来の懸案で、現在は後補給のスイッチがついている。実用上問題はないのだが、せっかく当時の純正オリジナルがあるのだから、そっちにしたいものである。ワイパーリンクの修理をする際に、作業しやすいようにステアリングを外した時に同時に交換することにしよう。ただし、オリジナルのディマースイッチをその前に修理しないといけない。
08/15/2001

微細な部品を入手!パブリカ解体パーティーに参加

  我がパブリカオーナーズクラブの仲間が部品取りのパブリカを入手した。11日早速、筆者を含む我がクラブ員3人で部品を取りに行く。
 場所は千葉県の茂原の近く。周りは畑の広がる中に、自動車屋さんの持ち物としてあったものである。部品取りのパブリカは43年式のデラックス。いまや錆び方がデラックスという感じであった。この車、一度総剥離の上に緑色でオールペイントしてある車で、部品が足りなかったのか、ところどころ前期の部品の混じる、もう部品取りにしかならない車であった。まさに正統派部品取り車である。幸いなことに、錆によるネジの固着という事態はあまりなかった。パブリカを知っている人間が三人でかかったので、作業はあっと言う間に進み、四時間程で今日の作業を終了。シートを含む内装の一切とワイヤーハーネス一式、ダッシュボード周りのスイッチ類、外装ではテールランプ、フロントターンシグナルなど灯火類の一切と使えそうな外板部品を外した。次回はエンジン、ミッション、デフなど、大物部品の一切を持って帰る。
 解体をしたことのある方ならわかると思うが、解体パーティーのいいところは、部品難が一挙に解決するところだ。今回は、筆者が買った車ではないので、おこぼれに預かる程度であるが、それでも欲しかったものが手に入ったので嬉しい。コーションプレートを止める鉄板ビス(頭の形が特殊である)、マニホールドについているボルト(ガスねじといって実はネジピッチが特殊である)、フェンダーミラーの台座、エキゾーストパイプをシリンダーヘッドのところで止めるちょっと背の高いナット、そして部品取りに使うフロントハーネスをいただけた。
08/12/2001

衝撃の出会い!パブリカコンバーティブルに偶然遭遇!

 こんな偶然は一生に何度もないだろう。3日の昼頃、都内某所で今の今まで未確認のパブリカコンバーティブル(UP20S)のしかも前期型に遭遇してしまったのだ。
 それは何の前触れもなかった。仕事で車での移動中、偶然通った某トヨタディーラーの前に白いコンバーティブルが止まっていた。最初はうちの会長がこんなところで油売ってるな、ぐらいの筆者の反応だったが、よく考えてると、会長の車は現在板金屋さんで長期療養中である。こんなところにいる訳がない。じゃあ、あの車は…。運転している仕事仲間に車をとめて即刻Uターンさせて現場に戻った。
 筆者は準会員と言えども、パブリカオーナーズクラブを名乗っている。であるから、コンバーティブルを見ただけでは別段驚きもしない。程度が悪ければ「あっ、そうなんだ。じゃあね、バイバイ」ってなものである。しかし、驚いた。こんなコンバーティブルがあったのかと。
 そのコンバーティブルの主な特徴は…@目に見える範囲でいう限り、欠品はシガーライターのみ。コンバーティブルの泣き所であるスライドウインドも程度はそれなりだがオリジナル。他年式の違う部品もあるが全て修復が可能である。A時期から見てワンオーナーではないが、品川5のシングルナンバーである。B800、いわゆる20パブリカの前期でしかも三眼メーター付き。メーターのリムはもちろんメッキである。Cそして最大の特徴、当時物と思われるパブリカ東京のディーラーステッカーがそのまま残っていた。一瞬でこれらの揺るがしがたい特徴が筆者の目に飛び込んできた。スポーツ800ファンの中にはこれらの特徴を理解しがたい方がいるかもしれない。しかし、我々オーナーズクラブにとっては理屈を裏付ける世紀の大発見なのである。
 仮に、この車の装備が全てオリジナルであると仮定すると。@20Sの前期Aメッキリムの三眼メーターという条件を満たす車は528台生産された(パブリカオーナーズクラブ、セントラル自動車調べ)UP20Sコンバーティブルにあってわずかに36台しかないのである。いかに貴重な存在であるか、これでお分かりいただけるであろう。
 簡単に記録を取り、やむなく現場を後にした。しかし、暫くは自分の手の震えが止まらなかった。感動に打ち震えていたのだ。
08/05/2001