遂に所有7年目に突入!3度目の車検が間近

 来月の3日で車検が切れる。今週末か次の月曜日に車検に出さなければいけない。早いもので、購入以来3度目の車検である。
 1995年7月より、いわゆる10年車検というものがなくなってそれまで毎年車検を受けていた我らがトヨタスポーツ800も2年毎の車検でよくなった。筆者の44ヨタは、その法令が施行された次の日、7月2日に車検を受けている。しかし1995年7月1日は日曜日だったので、実質、法令が施行されたその日である。その年の5月には車はあったのだが、たかだか1月ほどの間でかなりの差が出るので、はやる気持ちを抑えて7月に登録してもらったのを懐かしく思う。
 今回はいよいよ左のリアアクスルのホイールベアリングとリテーナーを換えないと駄目かもしれない。購入以来の修理箇所を見るとなかなか興味深い。エンジンに始まり、クラッチ、ミッション、デフと前から後ろに故障箇所が移っているのである。正直にいうと、このホイールベアリングも換えたくないのである。何か、故障が一巡して二巡目が始まってしまいそうな気がするからだ。
06/27/2001

風邪からほぼ復帰!まず最初にオイル交換

 24日の日曜日にオイル交換を行う。風邪からのリハビリも兼ねている。何も考えず体を適当に動かしたかったのだ。今回はオイルフィルターを代えず、オイルのみを交換する。
 以前はエンジンの慣らしなどもしていたことがあったので、オイル交換2回に1回はオイルフィルターエレメントを交換していた。というか、代えざるを得なかった。買って間もなくは前のオーナーがどんな乗り方をしていたが知らないが、何しろオイルフィルターケースの底にスラッジが溜まり、オイルフイルターエレメントを押し上げるような勢いだったのだ。
 しかし、最近は穏やかになった。外したオイルフィルターエレメントもオイル自体の汚れの割には汚れていないので、最近は1年に一回代えるようにしている。もっとも、走行距離もさほど出ないので、このくらいで済んでしまうのも何か淋しいものがある。
 データによると前回交換してから700キロの走行でオイルを交換する事になった。
06/25/2001

酷い風邪に力尽く!ようやく復調の兆し

 17日夜から、突然強烈な風邪に見舞われて、昨日まで形のあるものが一切食べられなかった。扁桃腺が腫れて発熱。副産物として多数の口内炎ができてしまったためである。幸か不幸か、鼻や喉は比較的穏やかだったので動くことはできたが、本当に動くだけであった。かえってそれが災いして普通なら直るものがなかなか治らなかった。そのため、44も全く進展なし。
 本日23日、自身のリハビリもかねて13日ぶりに44ヨタを起動する。しかし今日は夜になっても気温も湿度も高い。実は先週やろうと思っていたのだが、いよいよ明日、夏用のオイルに切り替えようと決断する。どうも、温度はさほど高くないのに油圧が下がる傾向にある。夏に僕が冬用としているオイルを入れたままにした時の特徴である。現代のオイルはそれでも油膜が形成されて大丈夫だというのは判ってはいるが、やはり油圧が気がつくとゼロに近くなっているのを見るのは精神衛生上良くないので、夏用に少し固いオイルを入れている。確かに拭け上がりは若干悪くなるが、アイドリング時でも高い油圧を示す。

06/23/2001

パーシャルフローエンジンだったのね?パブリカ試乗インプレッション その5

 改めてフルフローエンジンの威力を思い知らされる出来事があった。パブリカを返しに、中央自動車道を八王子インターから高井戸インターまで、走ったときの事がそれだ。
 この日(6月10日)は天候は曇りだったが、少し蒸し暑い日だった。このパブリカに後付されている油温計の針は、家を出てからこの方少しずつ右に振れ始めていた。高速道路に入り、いつものように少し走れば温度が下がるだろうなどと思っていたら、温度が上がるスピードはやや鈍ったが時間が経つにつれて油温が上昇して行く傾向は変わらなかった。「なんでだ?」自問するとすぐに答えが出た。今自分が乗っているのはパブリカで、いくら調子がよくなったとは言えパーシャルフローのエンジンだからだと。次の瞬間少し鳥肌がたった。果たしてこのパブリカ、高井戸に着くまでにオイルが危険な温度になりはしないか。結果、それは杞憂であったが、予期していなかった事態だったのでかなり戸惑ったのは事実だ。
 筆者の44は幸いな事にオリジナルのフルフロー2Uエンジンが乗っている。筆者の車なら一般道の止まったり走ったりという道路状況の中でも、一旦高速道路に入っていいスピードで巡航すれば、オイルの温度はむしろ下がるのである。
 理屈ではわかっていても、いざ実体験としてないとそのありがたさはわからないものなんだとつくづく思う。と同時にオリジナルパーシャルフロー2Uエンジンを維持されているオーナーの苦労がよくわかったできごとだった。。
06/13/2001

こんなにパワーあった?44ヨタ試乗インプレッション? その1

本日午後1時頃、うちの会長の元から44ヨタが帰ってきた。
 43パブリカは工場入庫の際、フラッシングのつもりで、少しやわらかいオイルを入れていたので、返す前にオイルを交換した。交換後、帰りの中央高速上り線で100キロで巡航してみたが一切の異常なく走ってきた。筆者のところに初めて来たときよりもかなりパワーが増した感じだ。
 しかし、それよりもパワーを感じたのは自分の車だった。思わず会長に「これ、こんなにパワーありましたっけ?」聞いてしまった。
06/11/2001


さらばパブリカ!そして、お帰りなさい44ヨタ!

 明日、10日午後をもって我が44ヨタは僕の元に帰ってくることとなった。代わって借りていた43パブリカはオーナーであるうちの会長のもとに帰ることとなる。少しさびしい。
 うちの会員でかつてスポーツ800とパブリカを持っている人が複数いたが、実はその気分がわかったような気がする。似たような部品を持つことで性格の違う車を2台持てるということは実に合理的である。もっとも、部品代が単純に考えて倍かかるのだが、まったく使えない部品をこまごまと大量に持っているよりはまだマシだろう。
 東京地方はとっくに梅雨に入っている。雨が降るたびに思う、会長ボディカバーかけていてくれてるかな、と。これでそんな心配はしなくて済む。パブリカも十分楽しい車であったが、今まで面倒を見てきた自分の車がさすがに恋しくなつてきたのである。

06/09/2001

ブレーキの弱さを露呈!パブリカ試乗インプレッション その4

先日、女の子を含む大人四人でパブリカで青梅街道を東村山から渋谷に向かって走っていた。夜の青梅街道は実にすいていて、パブリカで走っても1時間ほどで渋谷についた。途中の三鷹あたりでのこと、信号が赤になり、そうとう遠くからブレーキングをしたのだが、パブリカはそんなのお構いなしに前に進み、結局停止線ぎりぎりのところで停止した。運転している筆者は少しヒヤリとした。
 旧車の中でも、スポーツ800のブレーキの利きは秀逸である。これは車重が軽い事が大いに影響していることは周知の通りである。ただし、パブリカも同じブレーキを採用しており、これに大人4人乗るといかに車が軽くできていても、能力は足りないことがよくわかった。
06/04/2001

フューエルポンプ領収!気になる形状は…

 5月31日夜、件のフューエルポンプを領収する。メインの用事は里子のパブリカに使うハイテンションコードがすぐにでも欲しかったのだ。フューエルポンプは同時に頼んだものである。
 品番はかつて補給されていたときの−19017から−19018に変更されている。さて、気になる形状はどんなものか、入れられている箱をどきどきしながら開けてみる。もし、ミニエースや30パブリカのフューエルポンプだったらどうしよう…。(UP30パブリカ、ミニエースオーナーの方、ごめんなさい)そんな不安を抱きながらビニール袋に入っているそれを手にとってみた。…感触が筆者に安心感を与えてくれた。形状はやはり、パブリカ、スポーツ800に使われていた当時のもののままであった。
 しかし、疑問は残る。じゃあなんで品番変更なんだ?形は変わらないのに…。どうして一時補給していなかったんだ?と、
06/01/2001