1970年9月、エミッションコントロール開始

 排気ガス等による大気の汚染により、自動車には排気ガス規制が段階的につきはじめたのは周知の通りです。基本設計が古いからといって、その潮流に我らがミニエース、30パブリカ用エンジンもついに抗しきれなくなり、エミッションコントロールを開始します。と言っても、現在の車のように三元触媒を取り付けて…というのではなくブローバイガス還元装置(P.C.V)といわれるものがそうです。これはブローバイとして出てしまったオイルとガスを大気中に出さないようにするための装置で、具体的にはエンジン補機としてセパレーターが付き、ブローバイで出たオイルとガスとを別けて、オイルはクランクケースに戻し、ガスはエアクリーナーエレメントに吸わせる構造としました。これに伴い、右のアッパーリュラウドにセパレーターの受けの金具が新設、リターンパイブの形状が変更になっています。尚、エンジンナンバーは2U-668150からです。エンジンとは直接関係ありませんが、チャコールキャニスターがつくのもこの頃からです。この時期からのエンジンをパブリカ、スポーツ800に載せる場合気をつける点は、オイルのリターンパイプの処理です。スポーツ800用、或いはパブリカ用を若干加工して使いましょう。ミニエースのリターンパイプは実は二股に分かれていて、これをそのまま使うと美観があまりよろしくありません。分かれている一方にゴムチューブをキャップ代わりにしたりとか、パイプ自体を曲げてあったりするエンジンを見受けますが、その作業をした人のスキルと知識のレベルが端的に出てしまうところの一つなので、オーナーなら注意が必要なところです。

1971年12月、UP30用エンジン生産終了

 30パブリカのマイナーチェンジを機に乗用車に積まれた空冷2気筒エンジンの歴史に幕が下ろされました。昭和36年6月、10パブリカが世に出てから始まった空冷2気筒エンジンでしたが、以後は乗用車に使われることはなくなりました。ただし、その役割は終った訳ではありません。いや、むしろここからミニエース用2Uエンジンの進化は進むのです。これ以後は、空冷2気筒エンジンとはつまりミニエース用ということで、ミニエースに使用されることが前提で進化します。