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山崎哲
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茶房ドラマを書く
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01物干し竿 岩波三樹緒

茶房ドラマを書く/作品紹介
2幕1場


時 1962年4月17日午後

所 飯能市にある大杉家の応接間


舞台は、大正時代に建てられた旧家の応接間で、この部屋は洋風のスタイルを取っている。周囲の壁紙は色あせていて所どころはげ落ちており、全体にいかにも古めかしい雰囲気を漂わしている。上手、下手にそれぞれ扉があり、下手の扉を開けると玄関の広間、二階への階段が見え、上手の扉は居間、台所へ通じる廊下である。
中央奥に比較的大きな出窓があり、何本かの庭木と低いつつじの潅木、庭石、朽ちかけたささらご塀、玄関の門柱などが見える。
出窓には厚地のカーテンがついており、その棚の上には幾つかの草花の鉢植え、フランス人形などが置かれてある。
下手に飾り暖炉。その上方に先々代の肖像画、その反対側の上手の壁には先代の肖像画がかかっている。天井はあまり高くなく、部屋の中央には唯一の照明器具として古めかしいシャンデリアがさがっており、数個の裸電球がついているがそれも煤けて黒ずんでいる。
同じく中央に、低いテーブル、中央奥に主人の座る肘掛け椅子、左右に長椅子、肘掛け椅子二脚が置かれている。何の変哲もない応接間で唯一現在の大杉家の特徴をあらわすものとして、天体儀が暖炉の上に飾られている。
時刻は三時を廻っている。
大杉重一郎、伊余子、暁子の三人が午後の日差しを浴びながらゆったりした時を過ごしている。
暁子は黒のワンピース、伊余子は和服で、重一郎も鉄いろの亀甲絣の結城姿である。
重一郎は、宇宙友朋会の講演旅行の地図を調べながら、時折何か瞑想している。
時おり、戸外には、小鳥の鳴き声、子どもたちの遊ぶ声、自転車の鈴の音、近くの木工場の電気鋸のひびきなどが聞こえる。

重一郎 (誰にともなく)一雄は今日も居ないのか。
伊余子 ええ、黒木先生のお仕事で、とても忙しいらしいのです。

間。

暁子  おとうさま、ポオの詩をお読みになったことあって。
重一郎 若い頃、読んだ記憶はあるが、エドガー・アラン・ポオだね。「ユーレカ」の著者だ。
暁子  ええ、ちょっとこの一節を聞いてみて、
"Over the Mountains
of the moon
Down the Valley of the Shadow,
Ride, boldly ride,"
The Shade replied,-----
"If you seek for Eldorado."
「月の山々を越え、
   光のささぬ谷間を下り、
   駒を進めよ、勇敢に進めよ、
   もしエルドラドオを探し求めるならば」と影は応えた。
重一郎 エルドラドオ、黄金郷か。
暁子  ねえ、この詩は宇宙人の故郷について歌ったものだと思わない。
重一郎 大学の先生はどんな解釈をしているんだね。
暁子  このバラード風な詩「エルドラドオ(黄金郷)」は、理想を求め疲れ、無限に遠い理想に絶望しながら、なお探求をやめられない人間の宿命を象徴したものだ、と仰言ったわ。
重一郎 それは表面的な説明だね。
暁子  ええ、そんなことは子どもだって分かるわ。
重一郎 ……。
暁子  このエルドラドオ(黄金郷)とは金星のことじゃないかしら。この詩の「月の山々」とは荒涼とした月の裏側の山々をさし、その山々を乗り越えたところに仰ぐ金星の姿を暗示しているのではないかしら。(人に聞かれぬように)竹宮さんは、たしかに、それを自分の目で見たのだわ……。
重一郎 そう言えば、お前としきりに文通していたあの金沢の青年、竹宮とか言っていたな、彼からまだ手紙がきているのかね。
暁子  竹宮さんも、お仕事が忙しいらしいの、ここのところ、何も言ってこないわ。
伊余子 もうどの位、お手紙来てないの。
暁子  そうね、三ヶ月位かな。
伊余子 あら、それは心配ね。
暁子  わたし、心配なんかしていません。(唐突に)おとう様、おかあ様、わたしポオの研究レポートをまとめなければなりませんので、自分の部屋へ行きます。失礼します。(下手へ退場しかけて)あ、そうそう、おとう様、次の宇宙友朋会の講演は、来週土曜日、午後一時半から、目黒区公会堂ですからね。お忘れ無く。
重一郎 分かっているよ、だからこうして地図で所在地を調べているじゃないか。とにかく有り難う……。あ、暁子、(呼び止める)お前、少し顔色が悪いぞ、無理するなよ。
暁子  私は大丈夫よ。

と下手扉を開けて退場。階段を昇ってゆく音。 
しばらくの間。何羽かのカラスがしきりに鳴く。

重一郎 もう何ヵ月かね。
伊余子 (編み物の手を止める)
重一郎 暁子は妊娠しているのだろう。
伊余子 あなた、気づいていたの。
重一郎 父親だ。分からない筈はないだろう。
伊余子 五ヶ月になります。一か月位前に、嫌がる暁子を無理やり病院へ連れて行って診てもらいました。
重一郎 やはり、そうか……。相手は竹宮か。
伊余子 あの子、妙なことを言っていました。
重一郎 ……。
伊余子 私は純潔だって言うんです。だから自分は処女懐胎なんだって……。自信たっぷりな顔つきで言うんです。わたし、びっくりしちゃって、そんな馬鹿なことがありますか、って言ったんですけど、あの子真剣な目付きで、お医者様に説明しても無駄だから、黙っていたのだ、これは自分だけが知っていることだからと言うの。
重一郎 可哀そうな奴だ。
伊余子 それに、こんなことも申しましたわ。今になって、やっと金星の人たちがどうやって子孫を殖やすかが分かった、だなんて。
重一郎 (深いため息を吐く)
伊余子 それで、これ以上しっこく聞きはしないから、これだけは納得させて頂戴。あなたは金沢へ行って、内灘であの青年と二人で空飛ぶ円盤を見たんですね、って聞いたんです。
重一郎 (鋭い眼差しを伊余子に向ける)
伊余子 わたしは、二人で円盤を見ようと、三人で円盤を見ようとどうでもよかったのです。ただあの子のその時の気持ちが知りたかったのです。
重一郎 それで。
伊余子 (深くうなづいて)見たそうよ……。あんなすばらしい経験はしたことはなかったと言っていたわ。
重一郎 (突然、怒りに青ざめて立ち上がる)美のせいだ。美のやつがはらましたのだ。(体をふるわせて庭を見ていたが、やや力無く座り、目をつぶる)
伊余子 (せっせと編み物をつづける)どんな赤ちゃんかしら、暁子に似ていれば、きっと可愛い子だわ。
 
玄関のベルが鳴る。

伊余子 今ごろ誰でしょう。(編み物を置いて立ち上がる)
重一郎 客の約束はないね。もしかしたら、宇宙友朋会の会員が、気まぐれに飛び込んできたのかもしれない。あれだけ面談はお断りと会則にも書いておいたのに。
 
伊余子は、玄関に出て客と応対し、やがて暗い顔になって名刺を持って戻り、重一郎にそれを差し出す。

重一郎 飯能市警察署公安部、高橋六郎。とにかく上がってもらいなさい。
 
伊余子と客の大声が響き、伊余子は高橋巡査を伴って下手扉から入ってくる。
高橋巡査は私服姿の平凡な男、言葉は丁寧なばかりか卑屈にさえ見える。
ただ、話のあいだに主人の顔や室内を見回す目だけが明らかに敬意を欠いている。

重一郎 (立ったまま、椅子はすすめない)大杉です。警察が私にどのような御用でしょうか。
巡査  実は、少々伺いたいことがありまして……。(室内をじろじろ見ているが、先代、先々代の肖像画に目をとめて)やあ、これはあなたのお父上とおじい様ですね。お二人とも市のためにたいへんよく働いていてくれた町の名士でした。
 
伊余子が上手から番茶を入れた茶碗をもってくる。

伊余子 どうぞ。(茶碗を卓上に置く)
重一郎 (しかたなく無言で椅子をすすめる)
巡査  これは、どうも、どうも。(下手、長椅子に座る。重一郎も主人の席に腰を下ろすが、茶には手を触れない)
巡査  (番茶を一口啜る)一つ率直に申し上げますが。(言葉を選ぶように)実は妙な投書がたびたびありまして、お宅が真夜中にお揃いで自動車で出かけられたりすることにつきまして……。
重一郎 ああ、あれは星を見に行ったんです。
巡査  星を?
重一郎 私共は星の研究をしているんです。それが何か法律に抵触しますか?
巡査  いえ、そんなつもりで申し上げたのじゃありません。
重一郎 それというのも、私は世界の平和について一方ならず心配しているからです。
巡査  ははあ、平和主義という奴ですな。
重一郎 このままで行ったら、地球は大変なことになります。あんた方はそれにお気づきでない。そもそもあんた方、民主警察の  使命は何ですか?
巡査  市民の生活を護ることですな。(胸をそらす)
重一郎 そうですか。それじゃ私の使命と同じだ。われわれは握手するべきですね。
巡査  (胡乱な目付きで見返し、冷めかけた番茶を勢いよく啜る)それであなたはどうやって市民生活をお護りになるんです。
重一郎 私共は人類を破滅から救おうとしているんです。
巡査  人類はつまり市民と同じですか。
重一郎 大きな見地から言えば、人類とは、小さな町の市民にすぎないのです。
巡査  そこがちがいますな。私共の仕事は市民に関係がありますが、人類までは手が届きません。
重一郎 ほんのちょっと手を伸ばしさえすれば、届きますよ。一例が、たとえばどこかの動物園の檻に人間が入れられているところを想像してごらんなさい……。どんな気がします。
巡査  おそらくいやな気がするでしょうな。
重一郎 ごらんなさい。それが人類的反応なんです。それは決して市民的怒りではありません。人間が檻に入れられている事態は、あんたの人類的常識と自尊心を傷つけるんです。ところで今は、全人類が危険な檻に入れられているんですよ。外側から鍵をかけられ、逃げ場もなく。
巡査  少なくとも飯能市民は檻に入っておりませんな。
重一郎 檻の目があんまり遠くて、あんたの目に入らないだけです。私のやろうとしていることは、その鍵を壊して、みんなを逃が  してやることなんです。
巡査  どこへ?
重一郎 ……。(天空に目を向ける)
巡査  つまりあんたの思想は、「平和」と「解放」という二字に尽きるんですな。ご承知のとおり、これは二つとも共産主義の  用語です。もちろん言論の自由は大切ですが、何か破壊的な活  動に向かうような考えをお持ちだと……。
重一郎 (思わず感情にかられて立ち上がる) 冗談じゃない。破壊はあんた方のやり口じゃないか。
巡査  (同じく立ち上がって)警察が破壊活動をやっていると仰言るんですな。こりゃあ警察に対する明かな侮辱ですね。共産主義者じゃなくちゃ、そんな考えはしないものですがね。

しかし巡査は、次の瞬間、顔の皮が一皮剥けたように、冷静なにこにこした顔に戻る。
深追いはしない主義で、会見の目的は達したと考えたのである。

巡査  いやあ、今日はこの位にしておきましょう。また日を改めてお伺いしますので、いろいろお考えをお聞かせ下さい。
重一郎 (背を向けた相手に)制服制帽で歩かれることはないんですか。
巡査  公安部は私服が規定でして。
重一郎 制帽にはたしか星がついていましたね。
巡査  ええ。(下手扉のノブに手かけながら振り向く)
重一郎 星のき章をつけながら、その意味をご存じない。あんた方は星の心を忘れてしまったんです。

けげんな顔をしている巡査の肩を押すようにして、重一郎は高橋巡査と玄関へ出る。
二人の別れのやりとりの間に伊余子が上手から入って来て卓上を片づける。
暁子も二階から降りてきて、一言、二言玄関にいる高橋巡査と言葉を交わしてから、部屋に入ってくる。
部屋の暗さを見てシャンデリアの灯りをつける。

暁子  おかあ様、何かお手伝いしましょうか。
伊余子 丁度よかったわ、これ台所へ持っていって頂戴。
暁子  はい。(茶碗と茶托をお盆に乗せて上手から出る)

重一郎が戻ってくる。胃のあたりを片手で抑え、うずくまるように座りこむ。

伊余子 あなた具合が悪いんですか。
暁子  (戻ってきて父の様子を見る)おとう様、どうなさったの。
重一郎 いや、大したことはない。心配はいらないよ。(微笑む)
暁子  (澄んだ声で)おとう様はこの頃とても食が細いのね。
重一郎 私は多分地上の食物に飽きてきたんだと思うよ。
伊余子 (自分の料理の腕をけなされたよう気を廻して)そんなことはありませんわ。地球はこれで食べ物にはずいぶんめぐまれた遊星だと思いますわ。

日はすでに暮れかけている。豆腐屋の喇叭の音が聞こえてくる。

重一郎 いや、私の舌は、今なんだか徐々に天のたとえようもない甘い食物のことを想いだしかけていて、それが地上の食物を拒ませる結果になるんだ。あれは白い乾いた、すばらしい香りのする、花びらのような食べ物だった。それが夜の間に天から降って、木の枝枝にかかっていたものだ。一ひら食べるだけで胸が爽やかになり、三ひらほど食べれば満腹した。あれは一体どんな原料で出来ていたのだろう。

三人はそれぞれの想いに沈んでいる。
やがて暁子が出窓のカーテンを閉めようと、窓に近づく。
そのとき外に車のきしりが聞こえ、車から降りた三人の男の姿が門に立つのが見られる。
一人は際だって背が高い。

暁子  あら、またお客様のようよ。
重一郎 (外に立つ三人の姿を見るなり、顔色が変わる。目は恐怖にみひらかれ、窓枠に支えた指まで震えている)
暁子  おとう様どうなすったの。
重一郎 とんだものが来た! 恐ろしいものが来た! 私はいつか、こういうものがきはしないかと恐れていたのだ。

重一郎の恐怖の表情に、立ちすくむ伊余子と暁子。
玄関のベルが 鳴り、急速に暗転。


2幕2場


時 前場より五分程経過
所 同じ大杉家の応接間


照明が入ると、舞台は前景のまま。
ただし出窓のカーテンは閉まっており、部屋の照明は中央部の四脚の椅子とテーブルの部分に集中されていて、全体が地の底に沈んでいるような重苦しい雰囲気をあらわしている。
その応接間に三人の仙台の客、羽黒真澄、曽根、栗田が待たされ ている。

羽黒 この応接間なんか、いかにも地方の名家の応接間という感じで、仙台にもよくこんな奴があるが、こんなぼろぼろな部屋へ客を通す家に限って、うんと金を持ってるもんだ。
内に蔵すること深しという家相だね。
それにここの主人公は、講演会以来、フアンの御喜捨でだいぶ儲けたろう……。
しかし、よく面会を承諾したもんだね。私の名刺の肩書きが利いたんだろうか。
曽根  このまま放っといたら、ここの主人もやがて名士になりますね。
今のうちに根を絶たなくちゃ。
栗田 一雄が妹のことを話していたが、どんな妹でしょう。
僕が強姦して、子供でもはらましてやったら、簡単に自殺するだろうに……。
しかし、玄関に出てきた母親の器量から見ると、大した器量は望めないな。

上手の扉があいて重一郎が現れる。
眼鏡をかけた、そのひどく痩せて青ざめた顔が客を驚かせる。
中央の自分の椅子に腰を下ろすと、卓上の銀の煙草入れから
一本の煙草を取って客にもすすめる。

重一郎 どういう御用件で?       
羽黒  (丁重に)用件と申すほどのことは何も……。
御高名はかねがね仙台でも承っておりまして、一度お話を伺いたいと存じたものですから。

ドアがノックされて、暁子が菓子と茶を運んでくる。
彼女の思いがけない美しさに、三人の客は息を呑む。
用をすますと、彼女は冷たい表情で上手へ去る。

栗田  (思わず声をあげる)お嬢さんはやっぱり人間ですね。
あんな人間ばなれのした美しさは、人間に決まっている。
重一郎 (微笑をうかべて)そうです。娘は人間です。そこが私と違うところです。
羽黒 御主人のほうから核心に入って下さったので、お話もしやすくなります。
(口をすぼめて茶を一のみする)私どもはお互いに宇宙人として膝を交えて、人間どもをどうすべきか、論じ合いたく思って伺ったんですから……。
ところで大杉さんは、火星からおいでになったそうですね。
重一郎 よく御存知だ。そしてあなたがたは?
曽根  (暗記した通りすらすらと)白鳥座六十一番星の未知の惑星からです。
重一郎 白鳥座とは、さても不吉な方角からいらしった。
羽黒 さあ、人間的見地からいえば、あながち不吉でもありますまいよ……。(陰気に笑う)
われわれは人間どもに、本当の安息を与えるためにやって来たんですから。
重一郎 それは遠路わざわざ御苦労様です。しかし太陽系のことは太陽系にお任せいただいたほうが。
羽黒  それでは人間どもが不幸になります。われわれは人類を愛しておりますから。あなたのようにしゃにむに人類を存続させようとは努めません。不可能な条件を課してまで、存続させようとはね。
重一郎 不可能な条件とは?
羽黒 つまりあなたの仰言る「平和」です。
ああ、こんな風に言ってしまっては身も蓋もない。
ひとつ今夜はじっくりと人間を研究し、人間をどうすべきかについて論じ合おうじゃありませ  んか。結論はそれからでも遅くない。
重一郎 (微かに)それからでも遅くない。

これにつづく沈黙に、天井から下がる黒ずんだシャンデリアの電気の覆いを、四人の宇宙人たちの煙草の煙がゆるやかに包んでゆく。

羽黒 まず人間にはどんな欠点があるか。人間悪とは何だろうか。
これを断罪するために、私はいろいろ考えてみました。
(謙虚な学究らしい口調で)人間には三つの宿命的な病気というか、宿命的な欠陥がある。その一つは事物への関心[ゾルゲ]であり、もう一つは人間への関心であり、もう一つは神への関心です。
人類がこの三つの関心を捨てれば、あるいは滅亡を免れるかもしれないが、私の見るところでは、この三つは不治の病なのです。
どんな風に病状が進むかをお話しましょう。
第一に事物への関心ですが、人間は子供のときから、折れ釘やとれた釦や美しい石ころなどを大切にしまい込みます。
学校へ行くようになると、筆箱やランドセルや消しゴムや野球のグローブやおもちゃの原子銃などに、長じて後には自動車や洋服や外国の革命などに、結婚してからはパイプや芝刈機や、そして何よりも金や株券に関心をそそられます。
そして美術品や骨董の蒐集がはじまります。あるいは又、いろんな形の自然愛好心がはじまります。人間にとっては自然も、その動植物も事物なのです。
さて、一人の人間が関心を示した大多数の事物は、当人の死後も存続するので、否応なしに人間は、事物のほうが、彼自身より長生きすることを認めないわけに行かなくなります。
正直のところ、ナチの収容所が証明したように、物としての人間は、石鹸かブラシか、せいぜいランプ・シェイドぐらいの役にしか立ちません。
お分かりですか。私は、天体としての地球の物的性質、無機物の勝利ということを言っているのです。
物質に対する人間の支配は、そうとは言わなくとも、いつも最終的には物質の勝利を認めてきました。
さて、そこで人間は最後に、物質の性質をある程度究明して、原子力を発見したのです。水素爆弾は人間の到達したもっとも逆説的な事物で、今人間どもは、この危険な物質のうちに、究極の「人間的」幻影を描いているのです。
なぜこんな倒錯が起こったかは、申し上げるまでもありません。
現代では、人間と犬との友情以上に美しい友情はないし、人間関係はみんな委員会になってしまった。
一方、水素爆弾が、最後の人間として登場したわけです。
それはまるで現代の人間が、自分たちには真似もできないが、現代の人間世界にふさわしい人間は、こうあらねばならぬという絶望的な夢を、全部備えているからです。
それは孤独で、英雄的で、巨大で、底知れぬ腕力をもち、しかも刻々の現在だけに生き、過去にも未来にも属さず、一番重要なことは、花火のように美しくはかない。
これ以上理想的な「人間」の幻影は、ちょっと見つかりそうもない。
その目的は自他の破壊だけ……。
ああ、美しい歌の文句のようじゃありませんか、その目的は自他の破壊だけ……。
人間どもは何時かこの水素爆弾という人間像に接吻せずにはいられません。
その結果はとりかえしがつかないから、今は、何時までもその周りを輪になって踊っているだけだが、いつかは必ず、必ず、その「人間」の足に接吻せずにはいられません。私は断言するが、いつか必ず人間はその足に接吻します。
その足についている繊細な釦は、唇の一押しで、容易に水素弾頭ミサイルを、あけぼのの空へ飛びたたせます。
又しても釦です。「彼」は人間であるのみか、釦でさえあるのです。
何という理想的な存在。人間どもが子供のころから、大事にしてきた落ちた釦でさえあるのです。

重一郎は嫌悪を包んでじっとうなだれて黙っている。
床屋はそ柔らかい手で、ぴたぴたと湿った拍手を送る。

曽根 まったく先生の言うとおりだな。
私が妻子をいとおしみ、うるわしい家族愛を持ってるのも、もとをただせば私が宇宙人だからで、人間だったらこうはいくまい。
ことに金持ちや有名人の家庭ほど、内実は冷たいのが通り相場で、いい男の女たらしなんかは、女を物と心得ている。
そのほうが女もよく引っかかると云うにいたっては、人間の堕落も極まれりだよ。
とにかく女を口説くんでも、誠心誠意、相手の人間としての立場を尊重して、温かい愛情を注いでやらなくちゃね。
尤も私は妻子の面倒を見るだけで、そんな余裕はありませんがね。
羽黒 さて第二に、(曽根の言葉を無視して)人間の人間に対する関心という病気です。
人間は、性欲は別としても、どうしてこう朝から晩まで、人間に関心を払いつづけるか呆れるばかりです。
朝の新聞、隅から隅まで人間のことばかり、それからテレビ、次から次へと人間ばかり現れる。
動物が登場しても、口当たりよく擬人化されている。
そして人間の話ときたら、人間のことばかり。たまに地震や津波や桜の花の満開と云った自然現象が語られても、もっぱら人間の利害得失の見地からであって、人が死んだり殺されたりした話が、又人間をこの上もなくたのしませます。
たとえば、交通事故があって、腿もあらわな若い女が倒れており、折りからの雨の夜に、腿から吹き出す血が雨に打たれて、みずみずしい赤い網の目のタイツを穿いたように、その腿が見えます。
栗田 そうだ、そうだ。(興奮して、高い声で遮る)
人間はみんな血の噴水で、生きていて血を流さない噴水は、故障を起こした涸れた噴水にすぎません。
鳩だってそんな噴水を当てにして人間に近づいてくるのに、みんながっかりして飛び去ってしまうんです。
あの真っ白なやさしい鳩だって、血しぶきで羽を彩ることもできずに!
羽黒  (冷静に続ける)そして周りに集まった野次馬は、当惑して、喜んで、じっとその苦しんでいる人間の女を見つめています。
彼らはみな、苦痛が決して伝播しないこと、しかも一人一人が同じ苦痛の「条件」を担っていることをよく知っているのです。
人間の人間に対する関心は、いつもこのような形をとります。
同じ存在の条件を担いながら、決して人類共有の苦痛とか、人類共有の胃袋とかいうものは存在しないという自信……。
女が出産の苦痛を忘れることの早さと、自分が一等難産だったと信じていることを、あなたもよくご承知でしょう。
人間が人間について語り、見、聴くことに飽きないのは、それが人間の存在の条件へのこよなき慰めであるからですし、人が英雄の存在を許すのは、どんな英雄の排泄機能も自分達とおんなじだと知っているからです。
「結局俺とおんなじじゃないか」と言いたいために、同時に、「良かれ悪しかれ、俺だけはちがう」と言いたいために、人間は血眼になって人間を探すんです。存在の条件の同一性の確認、と同時に個体の感覚的実在の確認のために。
前者はいずれは世界共和国の思想を呼び起こすでしょう。「世界の人たちよ、手をつなごう」とか、「人種的偏見を撲滅しよう」とかいう妄想は、みんなこの思想から生まれたものです。
ところで、世界共和国は早晩、その基礎理念に強いられて、おそろしい結末に立ちいたるのです。歯の痛い人間にとっては、世界共和国なんか糞くらえというものだ。
世界共和国の中で自分一人老いてゆくことは何だか不公平なような気がしてくる。そこで考え出されるのが、同時の、即座の、歴史上もっとも大規模な全的滅亡の政策なのです。
それこそ世界共和国が人間の力で示すことのできる唯一の証であり、存在の条件の同一性の全的確認の唯一の機会なのです。
世界共和国の、一瞬間の滅亡については、人間はもう水素爆弾を発明しましたから、手間暇はかかりません。
地球上の要所要所に水爆を設置して、国家の首長が厳かに、又軽やかに、釦を押せばよいのです。まるで進水式のように花づなをかけ渡し、くす玉のなかに鳩をいっぱい詰め込んで……。ほんの一瞬間、飛び翔った鳩は暁の光を浴び……、それでおしまいです。
次に後者の思想ですが、これは、国家主義や民族主義の理念で、要するに痛みの思想です。世間で考えられているのと反対に、この思想はいやらしいほど滅亡と縁がなく、気味のわるいほど健康な思想です。それは自分一人の食欲や、性欲や、痛みや、なかんずく痛みを基本理念にしており、「良かれ悪しかれ俺だけはちがう」「俺の痛みはお前には分かるまい」と主張するが、事実、彼の痛みが他人に分かる筈もありません。
ところが個体の防衛本能はこの人達を無制限に保護し、人間が子供の頃から持っている不思議な確信「どんなことがあっても自分だけは助かる」という奇跡の確信に、いつも親しみを感じさせるのです。
弾丸が雨と降るなかを駆け巡っても、彼にだけは弾が当たらない。突然電車が衝突して火を吹いても、彼だけは無事に脱出する。ジェット機が墜落して、黒こげの死体が散乱している中から、彼だけは無事で這い出すのです。
そのうちにこの思想は、否応なしに危険な実験をはじめます。奇跡は実証されなければならない。彼らは小さな事故から大きな滅亡へ考え及び、雪だるまのように滅亡の規模をふくらまし、ついには全人類の滅亡に当たっても、一人だけ、あるいは一国家一民族だけ助かる場面を想像します。これ以上魅惑的な、心をそそるような場面はちょっと考えられない。それにはどうすればいいかというと、釦を押せばいい……。そうです、彼らもまた、必ず釦を押します……。
これで人間の人間への関心が、どっちへ転んでも、きっと釦を押す成りゆきになるのがお分かりでしょう。

さっきから不平の口を尖らしていた栗田は、羽黒の言葉が終わる のを待ちかねて言う。

栗田 先生が性欲を除外したのは不満だな。僕がほしいのは、人類全体の滅亡というよりも、女全体の滅亡なんですよ。あんなに何時も肉体の中にふんぞりかえって、われわれを根底から軽蔑している存在に対して、われわれが生殖欲を起こすということに、人類の不吉な暗い性格がある筈なのに。
曽根 女と云っても女房子は例外だよ。人間の女房というものは、まず亭主が立派なら、亭主への尊敬も忘れないし、人間同士の夫婦ならこれでいざこざもあるだろうが……。
羽黒 さて、第三に、人間の宿命的な病気は神への関心です。
神というのはまことに狡猾な発明で、人間の知り得たことの九十パーセントは人間のために残しておき、あとの十パーセントを神という管理者に委ねて、その外側の膨大な虚無とのつなぎ目を、管理者の手の内でぼかしておいてもらおうという算段から生まれたものだ。
人間は人知の辺境守備兵たることの淋しさに耐え得ないし、それは神という人間の傭兵が、莫大なお賽銭や尊崇と引換に、引き受けるべき役割になったのです。
そこで人知の国境が広がるにつれて、守備兵の駐屯所はますます遠ざかる。首都の市民はもう容易なことでは傭兵たちの顔を見ることはないが、それでも彼方に傭兵達が駐屯していて、そのおかげで自分達が安全なのだという古い確信は残っています。
夜明けの遠い虹を見る毎に、人間どもはそれを思いだし、その遠い兵舎で喇叭が鳴り響き、白い髭を垂らした傭兵達が、磨いた槍の穂先を並べて、朝まだきの営庭に整列するさまを思いうかべます。神のことを、人間は好んで真理だとか、正義だとか呼びたがる。しかし神は真理自体でもなく、正義自体でもなく、神自体ですらないのです。
それは管理人にすぎず、人知と虚無との継ぎ目のあいまいさをことさら維持し、ありもしないものとあるものとの境目をぼかす仕事をしているのです。何故なら人間は存在と非在との裂け目に耐え得ないからです。
もし傭兵達が一人も居なくなったら……。忽ち、虚無は国境を乗り越えてきて、人知の建てた町々を犯し、首都の家々の窓の下にまで溢れてしまう。
朝目を覚まして、顔を洗おうとして、窓を開けると、もう窓の外には虚無しかないという具合だ。二階の階段から足を踏みすべらせると、もうまっ逆さまに深淵へおっこちてしまう。
あらゆるものは虚無に通じてしまい。打った電報は虚無へ配達されて二度とかえらず、汽車は夜明けの駅を出ると、虚無へ走り去って二度とかえらない。
人間の声はこだまになって戻ることもない。
しかし、神への関心のおかげで、人間は何とか虚無の深淵に直面しないで済んできました。だから今もなお、人間は虚無の真相について知るところ少なく、人知が虚無を作り出すことなど出来ないと信じています。
本当にそうでしょうか? 
虚無とは、二階の階段を一階へ下りようとして、そのまますとんと深淵へ墜落すること。花瓶へ花を活けようとして、その花を深淵へ投げ込んでしまうこと。
要するに、あたかも自分が望んだごとく、あらゆる形の小さな失策が、巨大な滅亡の中へ呑み込まれてしまうこと。――人間世界では至極ありふれた、よく起こる事例であり、これが虚無の本質なのです。――こんなことは今世紀の初めからいたるところに起こっていたのに、虚無の真相を知ることのない人間どもは、まだ神に、あの辺境守備兵たちに守られていると信じていました。
科学技術は人間が考えているほど理性的なものでなく、錬金術以来、人間の夜昼みる夢の実現であり、人間どもが或望まない怪物の出現を夢見るとき、科学技術は、それを、人間どもはすでに望んでいるのだということを証明して見せてくれるのです。
そこで、人間をすでにひたひたと浸していた虚無が出現する日がやってきました。それは気違いじみた真っ赤な巨大な薔薇の花、人間の栽培した最初の虚無、つまり水素爆弾だったのです。
しかし未だに虚無の管理者としての神とその管理責任を信じている人間は、安心して水爆の釦を押します。十字を切りながら、お祈りをしながら、すっかり自分の責任を免れて、必ず釦を押します。 どっちへ転んでも、三つの関心のどれを辿っても、人間どもは必ずあの釦を押すようにできているのです。

欠伸をかみ殺していた床屋は、助教授がようやく口をつぐんだのに力を得て、歌い出す。

曽根 ボタン、ボタン、可愛いボタン
  可愛い彼女の胸ボタン
  押したら立派な茸雲、二つ並んで飛び出した。
  こっちは驚き一目散、あんなボタンは見たことない!
羽黒  しーっ。

助教授は床屋の軽騒ぎを制して、口を開こうとする重一郎の顔を見守る。
しかし重一郎はすぐに物を言う気配を見せない。
古い応接間は森閑として、色あせた壁紙には三人の巨きなうずくまった鳥のような影が映っている。やがて。

重一郎 仰言るとおりです。
悲しいことだが、人間のやり方は、全くあなたの仰言ることそのままです。
羽黒  (大げさに驚いて見せて)へえ、賛成して下さるんですか。
重一郎 そう、人間の欠点はその通りです。伺いたいのはあなた方が、そういう人間をどうなさるおつもりかということだ。
羽黒 分かっているじゃありませんか。
同じことなら、一刻も早く釦を押すように骨を折ってやるべきです。
生殺しは不憫じゃありませんか。
栗田 先生は人類愛に燃えておられるから、人類全体の一刻も早い安楽死を考えておられるんです。
重一郎 (暫く沈思してから)何とか救ってやる方法は考えられませんか。
羽黒  (冷たく)考えられませんね。ほうっておけば苦痛が募るばかりですから。

三人は、重一郎の殊勝さに、意外の面もちで、お互いにちらちらと目を見交わす。
重一郎は、悲しみのこもった目で、法隆寺の星曼陀羅を模した古くさい織物の卓布を見ていたが、やがていつもの直線的な口調を取り戻して喋り出す。

重一郎 全く仰言るとおりだ。人間はどうしても釦を押したがる。
二月八日の記者会見で、ケネデイ大統領が核実験の再開をほのめかしてから、もう二ヶ月も経っており、明日にも英領クリスマス島で、実験が再開されるのは目に見えています。
これは又必ずソ連の実験を促し、地球は放射能の塵にまみれるでしょう。クリスマス島の実験が行われれば、又私はすぐにケネデイ大統領あてに警告の手紙を書くでしょうが、これもフルシチョフ首相あての手紙同様、返事をもらうことはおぼつかない。
羽黒 そうですとも。人間はそういう返事を書けないようにできているのです。そういう返事を書こうとすると、地球製のインキは凍ってしまう。
重一郎 その通りです。その通り。(沈着に続ける)大体、人類に平和を与えようなどという企てが、どんなに奇妙な企てか、私自身がよく知っています。
現在ただ今の世界の大部分は、少なくとも交戦状態にはないから、平和なのに違いない。
平和は自由と同様に、われわれ宇宙人の海からとられた魚であって、地球へ陸揚げされると忽ち腐ってしまう。
平和の地球的本質であるこの腐敗の早さ、これが彼らの不満のたねで、彼らがしきりに願っている平和は、みんな偽物くさい匂いがするのです。
人間どもの一部は、戦争の防止や平和の維持で騒いでいますが、その平和の観念には、こうした地球人独特の不満と焦燥がからみ合っています。
そしてこんな人たちを本当に満足させるのは、事後の瞬間的な平和であろうが、そんな平和を願うことは、事の起こるのを願うことを前提としているわけで、事とはつまり水爆戦争なのですからね。
人類はまだまだ時間を征服することはできない。
未来を現在において味わい、瞬間を永遠において味わう、こういう宇宙人にとってはごく普通の能力を、何とかして人間どもに伝えてやり、それを武器として、彼らが平和と宇宙的統一に到達するのを助けてやる、これが私の地球にやってきた目的でした。
私の目的は水爆戦争後の地球を現在の時点においてまざまざと眺めさせ、その直後のおそろしい無機的な恒久平和を、現在の心の瞬間的な陶酔のうちに味わわせてやることでした。その時人間どもは、事後の世界の新鮮きわまる平和を、わが舌で味わうことができ、地球上の人類がみなそれを味わえば、もう釦を押す必要はなくなるのです。
さて、その目的のために、私は人間どもの想像力を利用してやろうと企てました。
ところが私が発見したのは、人間の想像力の驚くべき貧しさで、どんなに強靭にみえる男の想像力も、全的破滅の幻を描くには耐え得ないのです。
地球上で、破滅という言葉が含んでいる概念の貧弱さは論外で、ちっぽけな公務員が、三百万円ばかりの公金を横領して牢屋にぶちこまれる場合でさえ、「身の破滅」と呼ばれるくらいなのですからね。
私は破滅の幻へ向かって人間を鼓舞するために出来るだけのことをしました。
ところが彼らには、私の一億分の一の想像力もないのです。
広島の災禍を受けた日本でさえこの通りなのですから、他の国々は推して知るべしです。
私が彼らの想像力に訴えようとしたやり方は、破滅の幻を強めて平和の幻と同等にし、それをついには鏡を見るように、一方が鏡の中の影であれば、一方は必ず現実であると思わせるところまで、持って行く方法でした。            
私は未だ聞いた事もない陶酔を人間どもに教えようとしたのでした。そこでは現在が花開き、人間世界はたちどころに光輝を放ち、目前の草の露がただちに宝石に変貌するような陶酔を。
羽黒  (薄笑いを浮かべて)それで奴らはそれが分かりましたか。
重一郎 いいえ、今のところは分かっていません。 
羽黒 それごらんなさい。
重一郎 しかし私はまだ希望を持っています。
羽黒 希望ですって!(叫びをあげる)
重一郎 もちろん人間どもは希望を持つ資格なんぞありません。
しかしわれわれにはあるのです。なぜならわれわれは、希望の依って生まれる時間を支配しているからです。
羽黒 それは我々も同様だ。(性急に遮る)
問題は、あなたの予見と我々の予見がどう違うかだ。(暗い微笑みを浮かべて)
我々の種族の地球に関する予見がもし同じであれば、もうわれわれは争う必要はないないようなものですが、大杉さん、あなたの知っている地球の未来はどうなのですか?
それを今夜は率直に仰言るべきだと私は思います。
あなたの予見はどうなのです。地球と人類の未来は?
我々同様に、あなたは知っておられる。正直に仰言るがいい。

重一郎はなかなか答えない。
その顔は硬ばって、目は一点を見つめて動かない。
彼の顔には徐々に汗が滲み、唇は乾いて、空気の希薄に苦しんでいるように見える。

羽黒 あなたは知っている。しかも答えられない。何故か?
つまりあなたのやっていることは詐欺だからだ。
我々は地球人に真相を告げに来たのだが、あなたは甘い欺まんを与えに来たからだ。『あれ』を知らせてはいけない、とあなたは思っているのだろう。
地球人の目に覆いをかけ、盲人たちの手を引いて、自分の思うところへ引っぱって行こうというのだろう。
重一郎 ちがう! ちがう!(乱れた叫び声をあげる)
私が予見を語らないのは、それが語られると同時に、地球の人類の宿命になってしまうからだ。
動いてやまない人間を静止させるのが私の使命だとしても、それを宿命の形で静止させるのを私は好まない。あくまで陶酔、静かな、絶対に欲望を持たない陶酔のうちに、彼らを休らわすのが私の流儀なのだ。
人間の政治、いつも未来に、夢や希望や「よりよいもの」を、馬の鼻面に人参をぶらさげるやり方でぶらさげておき、未来の暗黒へ向かって人々を鞭打ながら、自分は現在の薄暗がりの中にとどまろうとするあの政治……、あれを暫く陶酔のうちに静止させなくてはいかん。
羽黒 ふん、人間の政治だって?
そもそも人間が人間を統治するのが間違っているんだ。わらじ虫にやらせたほうが、もうちょっとましだろう。
重一郎 いや、そんなことはない。人間を統治するのは簡単な事で、人間の内部の虚無と空白を統治すればそれですむのだ。
人間という人間は、みんな胴体に風の通る穴をあけている。
そいつに紐を通してつなげば、何億人だろうが、黙って引きずられる。
羽黒 これはまた過激な御説ですね。
重一郎 私が地上の生活で学んだことはそれだった。
公園のベンチや混んだ電車の中で、人間がふと伏し目になって、どこともわからぬところを眺めている姿を私はたびたび見た。
あれは自分の中の空洞を眺めている目付きだった。
それが人間の、どんな無知な人間でもいい、独特な反政治的表現だと私は知ったのだ。
歴史上、政治とは要するに、パンを与えるいろんな方策だったが、宗教家にまさる政治家の知恵は、人間はパンだけで生きるものだという認識だった。
この認識は甚だ貴重で、どんなに宗教家たちが喚き立てようと、人間は、この生物学的認識の上にどっかと腰を据え、健全で明快な各種の政治学を組み立てたのだ。
さて、あなたは、ひとたびパンだけで生きうるということを知ってしまった時の人間の絶望について、考えてみたことがありますか?
それは多分、人類で最初に自殺を企てた男だろうと思う。
何か悲しいことがあって、彼は明日自殺しようとした。
今日、彼は気が進まぬながらパンを食べた。
彼は思いあぐねて自殺を明後日に延期した。
明日、彼は又気が進まぬままぬながらパンを食べた。
自殺は一日延ばしに延ばされ、そのたびに彼はパンを食べた……。
ある日、彼は突然、自分がただパンだけで、純粋にパンだけで、目的も意味もない人生を生きていることを発見する。
彼は恐ろしい絶望に襲われたが、これは決して自殺によっては解決されない絶望だった。
何故なら、これは普通の自殺の原因となるような、生きているということへの絶望ではなく、生きていること自体の絶望なのであるから……、絶望がますます彼を生かすからだ。   
彼はこの絶望から何かを作り出さなくてはならない。政治の冷徹な認識は復讐を企てるために、自殺の代わりに、何か独自のものを作り出さなくてはならない。
そこで考え出されたのが、政治家に気づかれぬように、自分の胴体に風穴をあけることだった。
今しも地球上の人類の、平和と統一とが可能だというメドをつけたのは、私がこの風穴を発見したときからだった。
お恥ずかしいことだが、私が仮の人間生活を送っていたころは、私の胴体にも見事にその風穴があいていたものだ。
私は破滅の前の人間にこのような状態が一般化したことを、宇宙的恩寵だとすら考えている。何故なら、この空洞、この風穴こそ、われわれの宇宙の雛型だからだ。
人間が内部の空虚の連帯によって充実するとき、すべての政治は無意味になり、反政治的な統一が可能になる。
彼らは決して釦を押さない。釦を押す事は、彼らの宇宙を、内部の空洞を崩壊させることになるからだ。
肉体を滅ぼすことを恐れない連中も、この空虚を滅ぼすことには耐えられない。何故ならそれは、母なる虚無の宇宙の雛型だからだ。
羽黒 どうしてあなたは、それほどその風穴に信頼する気になったものだろう。
重一郎 私の人間としての経験からだ。
はじめ私は自分で自分に風穴をあけたのだと思っていたが、やがてそれは全人類の一人一人に、宇宙が浸潤して来たことの紛れもない兆候だと気がついた。
そして私はその空虚が花を咲かせるのを待ち、ついにはそれを見たのだからね。
羽黒 ばかなことだ。この瞬間にも地上の人間どもは、愛だの生殖だのに携わっている。
あなたが統一について語っている瞬間に、あいつらは個体の分裂に精を出しているというわけだ。
栗田 いやらしい女たち。女たちを絶滅させれば、人類の絶滅はもう時間の問題で、人類の半分をやっつけるのですめば、それだけ手間が掛からないわけだがな。
だがどうやって地上の女だけを一堂に集めたものだろう。
女たちはぴいぴいぎゃあぎゃあ騒いでなかなか言う事を聞かんだろう。
曽根 (鼻をうごめかせて)世界中の美容院を南半球に、世界中の床屋を北半球に集めればいいのさ、簡単なことさ。
重一郎 (平然と続ける)今こそ二大国の指導者が、冷静な打算から遠ざかっている時はない。彼らはほとんど何ものかを愛している。
そうでなければ、あんな気違いじみた核実験だの、原子兵器の過剰生産だの、すべて成算のない勝利を目指して、暗黒の底無し穴の中へ毎日せっせとトラックで札束を運んでは放り込むような真似ができるわけがない。
そこで私が繰り返し警告したように、理性よりも想像力のほうが狂気から遠い時代が来たのだ。狂気から少しでも遠ざかるように、私は彼らを想像力のほうへ駆り立てようとしたが、それは少しも成功しなかった。「人間理性への信頼」だと……、「絶対兵器が出来た以上、戦争は起こるまい」だと……。ああ、彼らは狂気に信頼していることを知らないのだ。
しかし、私はまだ希望を持っている。人間どもはともあれ、私には少なくともその資格がある。
人間とは愛すべき生き物で、昨夜のやかましいパーテイへの抗議を申し込みに、隣の家へ出かけた男が、いざ怒りのベルを押す前に、玄関さきの繁みに小さな蝸牛をみつけ、とうとう抗議を止めてその場から帰って来てしまう、などということをやりかねない生物だ。
また散歩の道すがら、ふと花の鉢を買ってしまい……。
栗田 (血走る目を重一郎に向ける)花の鉢だって!
花の鉢だって! それはきっとシクラメンにちがいない。    
重一郎 いや、シクラメンとは限るまい。ともかく花の鉢を買ってしまい、それを自分のどの窓辺に飾ろうかと考えながら歩くうちに、見知らぬ街角へまぐれ込んで、そこの角の酒場でひと休みをするうちに、杯の数を重ねて、ついには鉢を忘れて家へ帰る、などということをやりかねない生き物だ。
気まぐれこそ人間が天から得た美徳だ。
人間が人間を殺そうとして、拳銃を相手の顔へ構え、正に発射しょうとする時に、彼の心に生まれ、その腕を突然他の方向へ外らしてしまう不思議な気まぐれ。
今夜こそこの手に抱く事の出来る恋人の窓の下まで来て、正に縄梯子に足を掛けようとするときに、微風のように彼の心を襲い、急に彼の足を砂漠への長い旅へ向けてしまう不可解な気まぐれ。
そういう美しい気まぐれの多くは、おそらく沢山の薔薇の前へ来た蜜蜂だけが知っている謎なのだ。何故なら、こんな気まぐれこそ、薔薇はみな同じ薔薇であり、目前の薔薇の他にも又薔薇があり、世界は薔薇に充ちているという認識だけが、解きあかす事の出来る謎だからだ。
私が希望を捨てないというのは、人間の理性を信頼するからではない。人間のこういう美しい気まぐれに信頼を寄せているからだ。
あなたは人間どもは必ず釦を押すと言う。それはそうだろう。
しかし釦を押す直前に気まぐれが微笑みかけることだってある。
それが人間というものだ。
羽黒 その点では我々は五分五分だ。気まぐれが釦を押すことだってある。
重一郎 それは狂気だ。気まぐれじゃない。
羽黒 では、あなたの言うように、釦を押すのが狂気で押さないのが気まぐれだとすると、釦を中にはさんで、狂気と気まぐれを区別するものは、理性だということになるんじゃないか。
しかもあなたは、理性が狂気だと言うのだが、それならその狂気の理性が、どうやって気まぐれから自分を区別して、釦を押すほうへもって行くか、その筋道を伺いたいね。あなたは結局、釦を押すか押さないかの判断は、理性の働きだと認めざるを得ない自家撞着に陥っている。だって釦を押すのが狂気の理性なら、釦を押すか押さぬか、するかしないかの決断は正気の理性の働きだと、あなた自ら認めることになるんだからね。理性に二種類あるのはおかしいじゃないか。
重一郎 人間の理性にはもう決断の能力はないのだよ。
釦を押す能力があるだけだ。確信をもって、冷静に、そして白痴のように……。
あなたのように人間の苦悩を見飽きた宇宙人が、まだ人間の論理で語るとは不思議なことだ。 
さっきあなたが人間の三つの罪過、三つの宿命的な病について懇切丁寧に説明してくれたので、今度は私が、人間の五つの美点、滅ぼすには惜しい五つの特質を極めて簡潔に挙げてみたい。
実際、人間の奇妙な習性もいろいろあるけれどもその中の幾つかは是非とも残して置きたく、そんな習性を残すためだけに、全人類を救ってもいいというほど、価値あるものに私には思われるのだ。
もし人類が滅んだら、私は少なくとも、その五つの美点をうまくまとめて、一つの墓碑銘を書かずにはいられないだろう。この墓碑銘には、人類の今までやったことが必要かつ十分に要約されており、人類の歴史はそれ以上でもそれ以下でもなかったのだ。その碑文の草案は次のようなものになるだろう。
   地球なる一惑星に住める
   人間なる一種族ここに眠る。
   彼らは嘘をつきっぱなしについた。
   彼らは吉凶につけて花を飾った。
   彼らはよく小鳥を飼った。
   彼らは約束の時間にしばしば遅れた。   
   そして彼らはよく笑った。
   願わくはとこしえなる眠りの安らかならんことを……。
私はこれで人間の生活と歴史を鳥瞰し、それをみんな語り尽くしてしまった筈だ。
これはかなり愛すべき眺めで、こんな眺めが宇宙から消えるのは、残り惜しいことではないだろうか。
栗田  (かみつくように)まだ語り尽くしちゃいませんよ。恋愛や結婚はどうしたんです。
重一郎 恋愛と結婚は、墓碑銘のすべてに語られている。嘘をつき、約束の時間に遅れ、花を飾り、それから一生涯の篭に小鳥を飼い、最後には、死ぬ前に笑うのだ。
栗田  じゃあ、経済は。
重一郎 約束の時間にしばしば遅れる。
このなかには債権法のすべてと、利子の問題が含まれている。

仙台の宇宙人たちは目を見交わして、しんとする。
このつかの間の沈黙が重一郎に勇気を与える。

重一郎 私は何も人間を尊敬しろとは云わない。
人間の残した文化は、宇宙的に云えばせいぜい三流の代物だし、その経済の流通機構も原始的なら、政治にいたっては宇宙でも最低の部類だが、それでも、こんな連中を救ってやって恩恵を施しておけば、いつか宇宙の役に立つ日も来ようというものだ。
羽黒 ばかな。今のうちに危険な芽を摘まなければどうなるのだ。
すでに人間は地球の引力の外へ飛び出した。
あなたは恐竜の卵を育てているのだ。
昔の人間世界では、一人の権力者が膨大な悪を引き受け、その快楽と苦悩を代表し、大向こうの喝采を浴びていた。
もちろん民衆もそのお裾分けにあずかった。
ローマのコロセウムでは、数万の民衆が、権力者の快楽を分担して、はっきり悪に関与していた。人間の血みどろな死を眺めることは、或者にとっては快楽であり、或者にとっては苦悩であり、いずれにとっても生の本源的なものの解放だった。
しかし今はどうだ。広島への原爆の投下で、一体人類のなかの誰が、快楽や苦悩に充たされ、解放されたか。誰もいない。ローマのコロセウムでは、悪は鷲ずかみにして秤にのせられる程、豊富にたっぷりと存在していた。
ところが今では悪は希薄になり、その代わりコロセウムなどに局限されずに、全世界に広がって、あらゆる人間の心臓をこっそり犯している。
かってあれほど人間の心を高鳴らせた悪の快楽や苦悩は、埋み火のように、いぶって、内向して、現代社会の組織を巨大な欲求不満の体系に変えてしまった。
現代の人間社会は血に飢えている。
どこにも属さない悪を抱え込んで、誰一人それによって解放されもせず、日曜日の午後には家族連れで公園の音楽会へ行き、そしてただ、ひたすら、血に飢えているのだ。
こんな史上もっとも不自然な社会が、どんな衝動に突然かられるか、耳掻き一杯ほどの想像力があれば容易にわかる。
これを一日も早く終息させ、彼らに安楽死を与えなければ、とんだことになる。もう目に見えている。とんだことになる!
重一郎 宇宙人までが人間の進歩の妄説にたぶらかされることはない。
人間の操縦する宇宙船が、どこへ向かって進むか私は知っている。
あれは宇宙の未来の暗黒へ勇ましく突き進んでゆくかのように見えるが、実は同時に、人間が忘れている過去の記憶の深淵へまっしぐらに後退してゆくのだ。
人間の意識にとって、宇宙の構造は、永遠に到達すべき場所と、永遠に回帰すべき場所との二重構造になっている。それはあたかも人間の男にとっての女が、母の影像と二重になっているのと似ている。
人間は前へ進もうとするとき、必ず後ろへも進んでいるのだ。だから彼らは決して到達することも、帰り着くこともない。これが彼らの宇宙なのだから、われわれがそれに怖じて、われわれの宇宙の受ける損害をあれこれと心配することはないのだ……。
今こそ私は、あなた方に宣言しようと思う。
救済が私の役目だから、何を言われようと、私は救済のために黙々と働くのだ。破滅が私の幻影のすべてだから、もう幻影だけで沢山なのだ。
人類に説いて、あらゆる核実験をやめさせ、あらゆる核兵器を廃棄させ、空飛ぶ円盤が何のために地球を訪れたかを、呑みこませてやらなくてはならぬ。
あなた方と会ってよくわかったことだが、地球の今世紀の不吉な影は、あなた方の星の同志の活動に依るところが多いらしい。
あなた方の星の影響が、地球が美しい星に生まれ変わるのを邪魔してきたことがよく分かった。
あなた方の星の同志は、今世紀の初頭から、著名な政治家や哲学者や芸術家のあいだに紛れ込み、営々と今日の事態を準備してきたにちがいない。そういえば、思い当たるふしもいろいろある。思えば私が地球へ来るのは遅かった。しかし遅すぎはしないということを、あなた方に思い知らせてやる。
今、私の耳にはありありと聞こえるが、世界中にあなた方の同志の白蟻たちが、ひそかに木屑を噛む音がしている。この音は実はずっと前から聞こえていた。愚かな人間どもは、それを耳のせいだと思っていたのだ。
曽根 これは全く正面からの挑戦というもんですな。
羽黒先生、この野郎にこんなことを言わせておいていいんですか。
私のことを白蟻だとは、まじめに家業に精を出している理髪師がどうして白蟻なんです。あやしげなお託宣で信者を集め、貧乏人の懐から喜捨をくすねている手合いのほうが、よっぽど白蟻じゃありませんか。


助教授はよそゆきの微笑でこの同胞を慰めてから、語り疲れた重一郎が肩で息をしている姿を、怠りなく眺めて口を切る。

羽黒  もうあなたには一切敬意を払わん。お前と呼ばせてもらう。
お前が人間を救おうとするのは勝手だが、人間はすでにこっちの手の内に入っていることを覚えておけ。
こっちは人類愛に燃えていればこそ、親切な終末を考えてやっているのに、お前のその、人間を見下しながら、美辞麗句で褒めそやす卑劣な詐欺師のやり方は見え透いている。
俺に我慢がならんのは、知的な悲しみに眉をひそめ、おちょぼ口で救済を与えようとする、お前の人間くさい偽善なのだ。
お前は人間界で使い古された「平和」だの「自由」だのという題目に、ちょっとばかり宇宙的な調味料をふりかけ新品に見せかけ、大道や師の口上で高値に売りつけ、要するに自分だけにはちゃんと読めている終末を利用している。
お前は「終末」の商人で、その束の間の商いのために地球へやってきた宇宙の漂白者にちがいない。
人間に核兵器を人知の到達点と思わせておき、そこに彼らの誇りを賭けさせておくことは、我々の種族が仕組んだすばらしいイロニーであったのに、どうしてお前は邪魔立てをしようとする?
お前位の知恵では、辻褄の合わないヒステリー女以外には、人間どもを味方に引き入れることなどおぼつかない。奴らが自分でちゃんと知っている欠陥を褒めそやしてやればいいのだ。奴らがこわごわやっている非行を大っぴらに認めてやり、あらゆる戒律から奴らを解放し、人間の頭の思いつくことで、してはならないことはないようにしてやる。
これこそ無制限の自由だというものを、奴らに何ヵ月か与えてやるのだ。
その時奴らの最後に思いつくものは、全世界の破滅に決まっている。
そこで、滅ぼそうという我々の意志と、滅びようという奴らの意志とは、恋人同士のまじわりのようにぴったりと合い、我々はあたかもその破滅が奴らの独創であるかのごとく、奴らに思い込ませたまま、死なしてやれる、ことになるのだ。
その時地上の人類が断末魔に、ありったけの感謝を込めて呼ぶ名は私の名に決まっており、お前の名などとっくに忘れられている。
そうではないか。奴らの最終最高の神は私だからだ。私は人間の神のように永遠の君臨を要求しはしない。私は数カ月間の神であればよい。神だけが生き残ることは知れているのだから。
私の売りさばく自由は、お前の売るようなまやかしものとは違うのだぞ。
お前が一介の終末の商人なら、私は紛れもない終末の神だからだ。
栗田  人間の醜さ! 人間の醜さ! どうしてこんな醜さをこのままにしておくんだ。
醜い恐竜は一匹残らず滅んだのに、人類はまだその醜さを臆面もなくさらけ出して栄えている。地上の人間がみんな滅んで、地表がすっかり花に覆われたら、地球はまるでくす玉のようになるだろうに!
曽根  (重一郎を睨み続けていたが)白蟻とはなんだ。失敬きわまる。
お前さんの言いぐさは、根本的には、家庭の幸福に対する偏見から来ているんで、だから人間の胴体には風穴があいてるなどと、世迷い言をぬかすのさ。
さっきから黙って聞いてれば、お前さんの恋愛と結婚の定義は、嘘をついて、約束の時間に遅れて、花を飾って、それから一生涯の篭に小鳥を飼い、最後には死ぬ前に笑うのだそうだが、うちの女房は地球人だが、約束の時間に遅れたこともなければ、第一、小鳥は小鳥でも、自分から篭に入って喜んでいるような女だ。
これはみんな私が宇宙人の流儀であいつを厳しく躾けたからで、この愛の鞭をくぐってこそ家庭の幸福も築き上げられたわけで、今では私は、地球がおシャカになるときは、家庭ぐるみ故郷の惑星へ連れて行ってやろうとさえ思っている。
それにひきかえお前さんの家庭は、金持ちや有名人の家庭の常で、氷のように冷たいんだろう。お前さんはただ地球人の女をはらませて、あんな別嬪の娘を生ませて、今度は実の娘と夫婦にでもなっているんだろう。さっきお茶を運んできた時の、色っぽい目つきは只じゃなかった。
重一郎  なんだと!もう一度言ってみろ!

重一郎は激昂して、拳を握って立ち上がりかけるが、栗田が巨大な手で彼の肩を軽く突くと、あえなく再び椅子の上へ崩れる。
三人の客は顔を見合わせて、低く煮えこぼれるように笑う。

羽黒  ははは、非力な宇宙人が、たまたま地球人の名誉のために戦うと、こんなざまになるのが落ちなんだな。
お前の助命の繰り言を、のんべんだらりんと聞いていられるほど我々は暇ではない。たかが人間の破滅か救済かに、こんなに議論の時を費やすなんて。
重一郎  (喘ぎながらも、心の平静を取り戻して)あなたがどう思おうと、今、あなたと私との間を流れているこの時間は、紛れもない「人間の時」なのだ。
人間はこれらの瞬間瞬間に成りまた崩れさる波のような存在だ。未来の人間を滅ぼすことができても、どうして現在のこの瞬間の人間を滅ぼす事が出来ようか。
あなた方が地上の全人類の肉体を滅ぼしても、滅亡前のこの人間の時は、永遠に残るだろう。われわれでさえ地上に居る間は、既にそれを味わってしまったのだから……。
羽黒  お前は又人間の中へもぐり込んでいる。
具合が悪くなるとすぐ人間の中へ身を隠すお前の両棲類のいやらしさは許せない。それならお前が人間に与えようとしているいわゆる「陶酔」はどうなったのだ。あれこそ人間の時の休止であり、現在の否定じゃないか。
重一郎  あなたは人間の現在をそんなに貧しいものだと思っているのか。
私は人間が現在を拒否し、この貴重な宝をいつもどこかへ置き忘れ、人間の時ならぬ他の時、過去や未来へ気をとられがちなのを戒めるために、地球へやって来たようなものだ。
それというのも、この現在の人間の時に、私は豊かな尽きせぬ泉を認めるからだ。なるほど人類は、私の与えるべき陶酔をまだ知りはしない。
しかし、この現在に、この人間の時に、その時にだけ、私のいわゆる「陶酔」の萌芽がひそんでいることを私は見抜いたのだ。
羽黒  お前の哀れな、抽象的な空だのみ。地球の青ざめた知識人が、書斎の中で思いめぐらす、虫のいい夢とそれがどう違う。
栗田  (威嚇的に太い指を鳴らして見せながら)あんたの考えてるのは、ありのままの人間の救済にすぎないじゃないか。どうしてこの人間という糞袋の浄化に意を用いないのだ。
そんなことでは、人類の統一や平和が万一来たとしても、あとは又、元の黙阿弥になるのが落ちだろうよ。
あんたは悪の工業化という進歩主義に反対する。核兵器の大量虐殺に反対する。それなら一歩進めて、あんたの平和的統一のプログラムに、力強い古代の悪の復活を、殺戮の欲望の解放を、一項目入れたらどうなんだ。殺戮の欲望だけが人間を浄化する。血だけが人間の臭気を洗い流す。
人間同士が、集団虐殺はやめにして、いつも一対一で、快楽に身をおののかせ、相手の苦痛と流血を心ゆくばかり眺めながら、殺し合ったらいいじゃないか。
曽根  そうそう、それには消毒済みの剃刀が一等衛生的だ。
栗田  剃刀でも、飛び出しナイフでも、何でもいい。街頭や寝室や、時には厨房や、人間のいる場所ならどこででも殺人がはじまる……。
羽黒  (応揚にたしなめる)それで人間がみんな殺し合うまで待つのは、何と云っても時間がかかりすぎるよ。
そんな血みどろな毎日こそ、正に大杉先生のお好きな「人間の時」ではあろうけれど。
それに君らは血にこだわりすぎている。流血の困った点は、人間の生命を新鮮にさせ、よみがえりの幻影を与えかねないことだ。
血を見ると人間は生命のイメージに酔い、他人の生命を自分の中へ取り入れて活力を増すように感じる傾向がある。君らの考えのような流血の日々のうちに、人間がよみがえってしまっては困るのだよ。
やはりローラーが必要だ。一ならしにする、有無を云わせぬローラーが必要だ。私は大体において拷問も好かない。永い、じわじわと来る苦痛は、どんな下らない人間にも、自尊心を目覚めさせるおそれがあるから。
いずれにしろ、苦しむ暇もない十把一からげの死、世界的規模のポンペイが必要なのだ。まあ、戦争はやがて起こるだろう。今度は人間が、初めて天変地異の向こうを張るのだ。
重一郎  私は何とか人間を……
羽黒  救いたいというんだろう。そんならせめてこの小さな飯能の町だけでも救ってみるがいい。半気違いの信徒だけでなく、この町の警察署長や公安委員や郵便局長や、八百屋のおかみさんから救ってみるがいい。
みんなお前には白目を剥いているよ。お前は今はこの町の名物男で、それなら好かれてもよさそうなものだが、みんなお前の孤高気取りに鼻持ちならない思いをしている。近所で道を聞いてもそうだった。聞かれた娘は冷笑を浮かべていたよ。
重一郎  私は感謝されようと思って救うのじゃない。
羽黒  それなら余計なお節介というものだ。
いいか。お前の思想は、私の思想とは違って、相手の同意がいるのだぞ。感謝はともあれ、お前が救ってやりたいと思うためには、救われたい相手が要るのだぞ。
そして救われたいと望む相手は、大抵気違いか半病人で、まともな人間は救済などを望みはしない。
重一郎  今までの救済はその通りだった。だが私の救済は、相手方の宗教的心情なんか必要としないのだ。生きたいという意志があればそれでいい。それだけでいい。
羽黒  お前の愚かさは、まるで甲羅に首を引っ込めた泥亀だな。見えるものを見ようともせず、聞こえるものを聴こうともしない。そんな考えは二つの点で間違っている。
第一に、どんな種類の救済にも終末の威嚇がつきものだが、どんな威嚇も、人間の楽天主義には敵いはしないのだ。
その点では、地獄であろうと、水爆戦争であろうと、魂の破滅であろうと、肉体の破滅であろうと、同じ事だ。本当に終末が来るまでは、誰もまじめに終末などを信じはしない。
第二に、人間は全然生きたいという意志など持ってはいないことだ。生きる意志の欠如と楽天主義との世にも怠惰な結びつきが人間と云うものだ。
「ああ、もう死んでしまいたい。しかし私は結局死なないだろう」
これがすべての健康な人間の生活の歌なのだ。町工場の旋盤のほとり、物干し場にひるがえる白いシャツのかげ、行き帰りの電車の混雑、水たまりだらけの横町、あらゆる場所で間断無く歌われる人間の生活の歌なのだ。
こんな人間をどうやって救済する。
重一郎  私は魂の自己満足などを責めたてているのじゃない。
それはそれで美しい人間界の眺めだと思っている。彼らの無意識の状態をそのままに、あなたは何も知らせず瞬間に滅ぼしてやろうと思い、私はやはり何も知らせずに丸ごと救ってやろうと思っているだけの違いだ。
実際こういう人間どもを見るたびに、私は、こいつらが眠っているうちに、そっくり揺り篭ごと平和と統一の時点へ移してしまい、そこでこいつらが目を覚ませば、今度は新しい王国にもっともふさわしい市民になるかもしれない、などと思うのだ。
羽黒  ふさわしい市民だと? 害毒を流すのは奴らに決まっているじゃないか。
お前の言う宇宙的調和と統一の、奴らはぶざまな舞台を演出してみせる、
つまり人間の自己満足というぶざまな舞台を。
すると天才も英雄も等しなみに、こいつらの凡庸をお手本のすることを強いられ、ふたたび低俗な俗衆が勝利を占めることになる……。お前の望むのは、その程度のことなのか。それなら今の地球で十分だろう。
重一郎  いや。目くるめくような高みに聳える難解な平和と、低い谷間に住むわかりやすい平和とがあり、その間に無数の段階がある。人間の性質のうちで平和に役立つものなら、宝石から石ころまで、私はあまねく手をつけ、洩れなく収集するだけのことだ。
羽黒  お前は質には構わないわけだ。お前はお前の選民を持たない。
結構なことだ。お前の運動はテレビ向きに出来ている。俗衆に媚びて、お賽銭をいただく。そしてそのお前の悲しそうな顔を、せいぜいブラウン管の売り物にするがいい。
曽根  せいぜい有名になるがいい。いい年をしてサインや色紙を頼まれて、地球の滅亡までのわずかの間を、面白おかしく暮らすがいい。
髪が伸びたら店へおいで。剃刀で喉にきれいな真っ赤な風穴をあけてあげよう。(そして手拍子をとって、甲高い声で流行歌の変え歌を歌う)
  ぷふっ、可愛いしゃれこうべ、ハイハイ、
  可愛いしゃれこうべと呼ぶのは、愛しているからかしら、
  プリテイ・リトル・スケルトン……
  禿鷹たちの歌う声、愛の歌に聞こえるの、
  プリテイ・リトル・スケルトン、
  可愛いしゃれこうべ……
栗田  (呪詛の祈りをはじめる)早く、人間よ、滅びてしまえ!
生まれると早々、糞尿の中をころげまわり、年長じて女の粘膜にうつつを抜かし、その口はいぎたない飲み食いと、低俗下劣な言葉と、隠しどころをなめることにしか使われず、老いさらばえて又再び糞尿の中をころげまわる、人間という汚らしい存在よ、一刻も早く滅びてしまえ! 嫉妬と他人の悪口に明け暮れて、嘘と水なしには寸時も生きられぬ、人間なんぞ早く滅びてしまえ! 汚れた臓物にみちみちた、奇怪な皮袋をかぶった存在よ、もう我慢ならん、滅びてしまえ! 消えてなくなれ!
曽根  (調子に乗って)東京都衛生局は何をしているんだ。
公衆衛生が必要なら、消毒やごみ処理をやる手間で、一千万の人口を東京湾に突き落としてやればいい。ぷふっ、そうすれば、東京だけでも、世界に冠たる衛生的な町になる。衛生の最大の敵は人間だからね。え? そうじゃありませんかね、羽黒先生。
羽黒  (荘厳な調子で)人間の思想は種切れになると、何度でも、性懲りもなく、終末を考えだした。人間の歴史が始まってから、来る筈の終末が何度もあって、しかもそれは来はしなかった。
しかし今度の終末こそ本物だ。何故なら、人間の思想と呼ぶべきものはみんな死んでしまったからだ。
お前のその非力な掌では、すでに冷えかかった人間の体を温めてやることなど出来はしない。奴らを温めてやれるのは核爆発だけなのだよ。
神々が死に、魂が死に、思想が死んだ。肉体だけが残っているが、それはただの肉体の形をした形骸だ。そして奴らは、自覚症状のない病に犯されている。苦しみもなく、痛みもなく、何も感じられないというこの夕凪のような死に到る病。
終末というものは、こういう状況の上へ、夜のように自然に下りてくる。棺はすでに出来ている。棺の布が覆いかぶさってくるのは、誰の目にも明かなことだ。水爆戦争は決して騒がしくはないだろう。
それは誰の耳にも、二度と開かない扉に外からかかる、小さなやさしい鍵の音としか聞こえないだろう。
誰も人間のいなくなった地球は、まだしばらく水爆の残り火で燃えつづけるだろう。世界中の山火事は、樹々が灰になるまでつづき、その間、宇宙の遠くから見た地球は、たぶん今よりも照り映えて、『美しい星』に見えるだろう。
お前の望む通りにだ。いいかね。地球は夜の果てに燃えている小さなお祭の提灯になる。地球がそんなに抒情的に見えることは初めてだろう。お前の望むとおりに、地球は『美しい星』になるのだ。何が不服かね。

曽根と栗田が合唱する。

二人  何が不服かね。
 人間はもうおしまいだ。
   救済は決して来ない。

三人はうなだれている重一郎の背後に立ち、あたかも行き過ぎる海鳥の群れが次々と糞を垂れるように、どぎつい、しっこい、単調な罵りを口々に落とす。

羽黒  人間の運命はもう決まっている。お前はそれを知ってる筈だ。知っていて隠しているのだ。
栗田  間の抜けた詐欺師。手回しのいい火事泥棒。
曽根  人間の寄生虫。宇宙人の面汚し。
羽黒  阿呆面!
曽根  阿呆面!
栗田  阿呆面!
羽黒  平和は一昨日来るだろう。約束の時間には遅れてね。
曽根  火葬場は要らない。火葬場商売は上がったりだ。地球全部が火葬場になるんだからね。
栗田  喇叭を吹き鳴らせ! 平和の軍隊がお前についてくるぞ。剥がれた自分の皮を軍旗に立てて焼けただれた顔を輝かせて……。
羽黒  はやく手を引け。自分の手まで火傷しないうちに。
曽根  居なくなった人類万歳!
栗田  居なくなったみどり児よ。無くなったブランコよ。野球場は池になり、議事堂は砂場になる。居なくなった子供たちよ。君達はどこでも遊べるよ。
羽黒  屍の臭いはいっぺんに消えてなくなり、空気はさわやかな放射能に充ちている。空はいつも澄み切って、星はどこからでもよく見える。すべての灼けた石が君らのベンチだ。居なくな  った恋人たちよ。
曽根  かぐわしい放射能!
栗田  美味しい、密のような放射能!
羽黒  それは抒情詩のように骨の髄までしみ込む。
曽根  放射能を讃えよ!
羽黒  思えばナチのやったことは、小さな予行演習だったと思いきや、それから十数年後に、地球全体が強制収容所になったのだ。お前は奴らをどこへ向かって解放しようというのか。
栗田  げす野郎! 火星から来たかん官め!
曽根  これでもうおしまいだ。
栗田  歴史も哲学も、銀行も大学も、みんなおしまい。
羽黒  これから永遠の夏休みが来るのだぞ。
曽根  美しい放射能!
栗田  放射能を讃えよう!
羽黒  お前のとんちきな耳、しょぼたれた目、非力な腕、宇宙乞食め!
曽根  死んじまえ、死んじまえ、地球と一緒に。
栗田  それが分相応さ。滅んでしまえ、宇宙の裏切り者!
羽黒  さあ、滅亡の太鼓を鳴らして、曙がやって来る。人間が一斉に荷を担ぎ、無の中へ旅立つのを見送ろう。
曽根  もう明日からは消えて無くなる。朝のねり歯磨きが、通勤電車が、電話のベルが、既製品の背広が、パチンコ屋が。
栗田  株式取引所が一つかみの灰になり、世界はそれこそ真っ平のテニスコートのようになるだろう。

 三人は下手扉から出る。三人の声高の声が聞こえる。

羽黒  人類は居なくなるぞ。確実に。
曽根  確実に……。確実に……。
栗田  人間は滅んだ……

玄関の扉が乱暴に開けられる音、みだれる靴音、自動車が始動し、彼方へ立ち去る音が聞こえる。
母と娘が不安げな様子で上手より入ってくる。
重一郎は床の上に倒れている。

暁子  おとう様どうなすったのです。(駆け寄って抱き起こす)
重一郎 (胃のあたりを押さえて)大丈夫、ただ気分が悪くなっただけだよ。大丈夫。

重一郎は、妻と娘の助けを借りて起き上がり、長椅子に斜めに身を横たえるが、自分で裾前を合わす力もない。
灯下にまざまざと夫の顔を眺めた伊余子は、わずか数時間のあとのおそろしいほどの憔悴のあとを見て愕然とする。

伊余子  暁子、おとう様、頼むわね。石川先生に往診お願いしてみるわ。

伊余子は玄関にある電話を掛けに下手へ出る。
暁子は重一郎を支えて楽になるように背中をさすってやる。
重一郎は譫言のように、「大丈夫、大丈夫」と繰り返し言っている。
伊余子の声が聞こえてくる。

伊余子  もしもし、石川医院ですか。
あ、先生でございますか。こちら沢の谷の大杉でございます。
夜分遅く本当に御迷惑とは存じますが、主人が急に倒れまして、様子が少々おかしいものですから………。

幕。