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山崎哲
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01物干し竿 岩波三樹緒

茶房ドラマを書く/作品紹介
<戯曲>  美しい星(1)  原作・三島由紀夫 作・野口忠男

美しい星  三幕六場


<人物>

大杉重一郎
   伊余子
   一雄
   暁子

竹宮薫
黒木克己
羽黒真澄
曽根
栗田

内儀、女中
黒木の秘書、会社重役
学生ABCD
巡査(高橋)
看護婦





プロローグ

時 1961年11月

所 埼玉県飯能市羅漢山(海抜195米)

舞台中央に頂上付近の展望台の東屋が絶壁の上に突き出しており、そこからは南面(観客席正面)の空が一望のもとに見渡せる。
上手すぐのところに、この展望台に通じる登山路の一角が見える。
 
壮大な音楽(例・Rシュトラウス作曲『ツアラトウストラかく語りき』序曲)と共に幕が上がると、 舞台の山頂は黒々とした闇であり、ただ背景の北天の星座がまばゆいばかりに輝いている。そしてこの星座は、音楽に会わせてゆっくり東(上手)から西(下手)へ、北極星を中心に回転し、夜明け前の四時の時刻で音楽と共に静止する。
 
激しい風が山頂を襲い、樹々のざわめきがときおり凄い音を立てる。上手奥に、山道を励ましながら登ってくる人声が聞こえ、明滅する懐中電灯の明かりが見えてくる。上手登山路の一角に、大杉家の四人が、息子一雄、重一郎、娘の暁子、妻伊余子の順で現れる。一雄はザックを背負っている。重一郎はセーターの上にジャンバーを着込んでいる。眼鏡をかけた重一郎の面長な顔立ちは、知的選良の重みと孤独と寂寥の匂いを窺わせている。

一雄 (展望台に続くくずれかけた石段を懐中電灯で照らして見て)お父さん、もうすぐみたい。
重一郎 やっとたどりついた。これを上がれば、もう頂上の展望台だ。
一雄 (腕時計を目元へ近づけながら)それでも登り口から二十七分で来ちゃったわけですね。

二人は、そのまま石段を上がって姿を消す。
暁子が灰色のスラックスにスキー用の派手なセーターをふくふくと着込み、毛糸の襟巻の端を首から垂らして現れる。その白い顔立ちは夜目にも鮮やかである。襟巻を首からはずし、息を整えて母の伊余子が登ってくるのを待っている。手に持っている銀色の懐中電灯の丸い光をふりまわして母に向かって合図を送る。やがて伊余子があらわれる。伊余子は和服を着て、その上に厚地のあづまコートを羽織り襟元に襟巻をのぞかせている。
 
暁子 お母様、風が強いからお気をつけて。こちらよ。

懐中電灯で足元を照らしながら石段を登っていく。伊余子も肩で息をしていたが、やがて元気に上がっていく。展望台の東屋に一雄と重一郎が姿をあらわす。

重一郎 何時だね。
一雄 四時七分前です。
重一郎 四時前に着いてよかった。少なくとも指定の時刻のはじまる三十分前には来ていたかったのだ。

一雄はザックから毛布を出して手ごろなところに敷く。女二人も到着する。伊予子は魔法瓶から熱い紅茶をプラスチックのカップに注いでみんなにすすめ、暁子はサンドイッチの包を解く。

重一郎 早く出てきてよかった。時間にずれのある場合があるから、少しでも早いほうがいい。
伊余子 そうですわ。もし私たちが遅れたら、お友達を怒らせることになるでしょう。
  
間。

伊余子 こんなに晴れていて、しかも月もない。私たちは何て幸運でしょう。
重一郎 でも残念なことに、今朝は、私もお母さんも、自分のふるさとを見ることはできない。あの小さな一点の光を見さえすれば、忘れていた記憶もいろいろよみがえってくる筈なんだが。むかし、たしかに私は故郷の火星から、こうして地球を見ていたことがあるんだ。
一雄  十一月には火星はまず絶対に見えませんね。ほとんど太陽と同時に出て同時に沈むんだから。でもお母さんの木星は、宵の口には見えるんだがな。
伊余子 ゆうべは忙しくて見られなかった。(嘆息する)今朝ここでみんなのめいめいの故郷が一どきに見られたら、どんなに幸せだろうと思うんだけれど。
暁子  私のはやがて見られるわ。(やさしく兄のほうを見返る)
一雄  僕のもだ。地球人のやつらはそれに比べると……。
伊余子 (笑いながら)しっ。その言葉は禁句だったわね。ここでなら、誰も聞いてないからいいようなものの、うっかり癖になって人前で使えば、どんな災厄があんたにふりかかるかもしれないのよ。
 
背後の北風が海の波の轟きのように松杉の梢をゆるがす。風にあおられて、落ち葉がときたま雪のように頂上に舞う。

重一郎 四時半から五時までの間に、南の空に現れるというんだから。あと十分もすれば、いよいよその時刻が來る。ああ、兄弟達は何を知らせにやってくるのだろう。どんな神秘を伝えに來るのだろう。ソ連はとうとう五十メガトンの核実験をやってしまった。彼らは宇宙の調和を乱す恐ろしい罪を犯そうとしている。その上、もしアメリカがそのひそみにならえば……、もはや地球の人類の終末は目に見えている。それを救うのこそわれわれ一族の使命なのに、何とまだわれわれは非力で、世間は安閑としていることだろう……。
一雄  (双眼鏡をあちこちの天域に向かって動かしている)お父さん、がっかりすることはありませんよ。宇宙を支配する時間に比べたら、われわれの堪え忍ばなければならない時間などは知れています。地球人はそれほど馬鹿ぞろいでもありますまいよ。いつかは自分達の非を悟って、われわれの大調和と永遠の平和の思想に共鳴する時が来ます。とにかくフルシチョフには、一刻も早く手紙を書いたほうがいいです。
伊余子 それは暁子が文案を練っているわ。もうあらかたできあがっているわね、暁子。
暁子 ええ。(視線を星空にさまよわせている)
一雄 四時半です。約束の時刻です。

一家ははたと言葉をやめ、緊張と期待に充ちて空を見守る。この時刻に数機の空飛ぶ円盤が姿をあらわすという予告を、きのうの早朝、重一郎が受けていたのである。

重一郎 フルシチョフとケネデイは、早速会って、一緒に簡単な朝食でも食べるべきだ。ご馳走はいかん。ご馳走は頭の働きを鈍くする。(冷気にかじかむ両手を忙しくこすり合わせながら)今すぐ卓上の電話をとって、「ワシントン」と一こと言えばよいのだ。つまらない意地や行きがかりを捨てて、地球人の未来について 真剣に語り合うべきだ。それから半熟卵のゆで具合について……。ああいう人たちはあまりにも日常の具体的なものから離れてしまったから、世界にわざわいが起きたのだよ。核実験も軍縮もベルリン問題も、半熟卵や焼きリンゴや干し葡萄入りのパンなどと一緒に論じるべきなのだ。フルシチョフとケネデイは朝食の落ちこぼれたパンの粉を包んだナプキンを卓上に置くと、二人で肩をくんで外へ出て行って、朝日を浴びて待っている新聞記者に、こう告げるべきなのだ。「われわれ人類は生き延びようということに意見が一致した」と。そう言ったとたんに、すがすがしい一日がすべりだすのだ。地球がその時から『美しい星』になったことを、宇宙全体が認めるだろう。どうだ、われわれの力で、一刻も早く、彼らに手を握らせてやろうじゃないか……。(曇った声でつけ加える)われわれにその力があるとすればね。お父さんはこんな仮の人間の肉体をうけているのが悲しいよ。それも尤も、宇宙の深謀遠慮なんだろうが……。

妻や子供たちの答はない。みんな一心に南の空を注視している。伊余子は毛布にくるまってふるえている。一雄は双眼鏡をあち こちに動かしているが、円盤かと思ってはあざむかれている。暁子は肩をときどき小刻みに震わせ、唇のひびわれを恐れて、手探りで口紅を塗ったりしている。
五時に近づいているのに、南の空には円盤のあらわれる気配がない。背後の北風のざわめきはなお凄くなる。一雄が夜光時計の文字盤を見る。

一雄 お父さん、五時になります。
重一郎 (痰のからまったような声で)まだまだ。時間がずれることもあると前にも言った筈だ。
暁子 (澄んだ声で)見えたわ。
三人 え? 見えたか?

三人は歓喜にあふれて、東の方へ一斉に顔を向ける。

暁子 私のふるさとが見えたわ。

平和な両親はとがめだてするでなく、美しい娘の故郷の出現を祝福しながら、再び永い忍耐の目を南の空に戻す。
一雄は、金星の左隣につつましい光を放って同時に昇ってくるじぶんの故郷の水星を認める。

一雄 僕のも見えたぞ。

この頃、周囲の木々の影は次第に闇からその形をあらわす。
星は徐々に減ってゆき、曙の色の小豆色が少しずつ赤みを加えてゆく。

重一郎 (伊余子へ)明るくなってから出ても不思議はない。お前の見た円盤だってそうだろう。
伊余子 ええ、あれが出たのは、新聞配達の来たあとでしたもの。
重一郎 (独白)まだ早い。まだ諦めるのは早い。
 
五時半になる。空はほの白く、山々の稜線がくっきりしてくる。

暁子 私の故郷が消えて行くわ。ほら、だんだん光が……。(兄の肩を揺する)
一雄 僕のもだ。
暁子 (涙を流し)私の星が……。

始発電車の音がはるかに聞こえてくる。山々の果てに、富士の白い頂があらわれる。

重一郎 何時だね。(息子に聞くが)ああもう私の時計でもよく見える。六時か。予告よりもう一時間過ぎてしまった。もうこれで諦める他はあるまい……。或いは、待っているわれわれの前にとうとう現れなかったことが、円盤の与えている教訓なのかもしれない。これは一種の試練なのかもしれない。宇宙人としての勇気と忍耐を試すための。
一雄 (気持ちよく励ます声で)お父さん、折角ここまで待ったのだから、せめて日ノ出までここにいましょう。こう言っているあいだにも、ひよっこり現れるかもしれませんよ。
重一郎 そうだな。諦めるのは早いかもしれない。
 
東の雲間が裂けて、鋭く赤光を放つ部分が現れる。

伊余子 人間なら、何かにつけて、いちいち動揺したり、がっかりしたりするものだし、確信を失いがちなのが人間の常だけれど、私たちは人間じゃないんだからね。それを片時も忘れないようにしなくては。
 
ついに日は雲をつんざいてまばゆい顔を出す。この最初の一閃を 受けて、富士の頂の雪は、突然バラ色に変貌する。六時を告げる鐘の音が下の町から昇ってきて……、幕。


1幕 1場


時 1961年12月1日夕刻
所 金沢 割烹旅館「仙鶴楼」


舞台中央に茶室風の離れの部屋。
下手の渡り廊下がそのままこの部屋の正面奥から上手に回り廊下になっている。
部屋の中央の柱を仕切って、下手に床の間、違い棚、茶道具がしまってある押入があり、上手は障子が廊下を隔てている。
障子を開ければ、廊下の欄干越しに犀川が見おろせる。
床の間には能面が飾られ、花が生けてある。
部屋はすでに暖められ、香が焚かれてある。
川の流れの音がかすかに聞こえ、鳥の鳴き声もある。
下手廊下に竹宮薫が暁子を伴って登場。
竹宮は、のびのびした体躯をもち、白い肌、黒い豊かな髪、愁いを帯びた眼差しをもった美しい青年。紺のスーツの上に紺のトレンチコート、洋紅のネクタイを小さく締めている。
暁子は、流行の黒ビロードの服の上にベージュ色のウールのコートを着ている。
丹念に化粧しており、爪に桜色のマニキユアをしている。

竹宮  (朗々としたさわやかな声の奥底にほんのわずか、何か無機的な響きが入りまじって聞こえる)お部屋は、犀川を見おろせる良い場所ですよ。
 
二人はそのまま廊下を奥へ廻りこむ。
障子越しに暁子の感嘆する声が聞こえてくる。

暁子  まあ、素晴らしい眺めだこと。ちょっとした渓谷の風情だわ。
竹宮  ええ、このあたりは、川幅が少しせまくなっていますから。

正面の障子を開けて、竹宮は暁子をうながすが、暁子は景色に見とれていて、すぐには部屋には入ってこない。
竹宮は、障子を開け放したまま、自分が先には入り、トレンチコートをぬいでていねいに折り畳み部屋の隅に置き、正座して待っている。
川の流れの音が大きくなり、からすの鳴き声が聞こえる。
日没の夕陽に照らされて、部屋の上手、下手の明暗がくっきり浮き出る。
やがて暁子が廊下でコートをぬいで入ってくる。
暁子が障子を閉めようとすると、竹宮はそれを手で制する。

竹宮  しばらくこのままにしておきましょう。さあ、こちらにどうぞ。

暁子を床の間の前に座らせ、竹宮は下座に正座して深いお辞儀をし、暁子もそれに応える。

竹宮  大杉さん、この遠い金沢まで、よく来て下さいました。改めて自己紹介させて戴きます。竹宮薫です。
暁子  初めてお目にかかります。大杉暁子でございます。
竹宮  (眩しそうに、暁子を見て)通俗的な言い方で失礼ですが、本当にお美しいので、びっくりしました。お手紙で想像はしていたのですが。
暁子  (微笑んで)竹宮さんも私が考えていた通りの方でしたわ。
竹宮  家へお泊めできればよかったんですが、家族も多いし、手ざまですから。それにここの内儀とは懇意にしてもらっていますから。
暁子  御家族って、あなたの、御自分の?
竹宮  いや、僕はもちろん独身ですが、お宅とちがって、両親や兄弟や伯父伯母がみんな人間なんですよ。それが厄介のもとなんです。
 
二人は微笑んでお互いの澄んだ目を見つめ会う。
内儀が魔法瓶を手にもって登場。障子を閉めてから、暁子に丁寧な挨拶をする。
内儀は、白髪、小太りで、紫小紋の派手な着物を着ており、竹宮とは懇意な口をきく。
茶道具を出して二人に茶を入れる。

内儀  大杉のお嬢様、ほんとうによくいらっしゃいました。お嬢様のことは竹宮さんから伺っておりますので他人ごとのようには思えません。どうぞ御自分のお家に居るような気持ちで気楽になさって下さい。竹宮さん、御夕食の前だけれど、初対面のお祝いの乾杯をするでしょう。すぐお支度をさせましょうね。
竹宮  すみません。お世話をかけます。
内儀  いいのよ、竹宮さんの大事なお客様のためですもの。お嬢様どうぞごゆっくり。(退場)
暁子  竹宮さん、こちらは竹宮さんの御親戚なんですか?
竹宮  (視線を下に落として)いいえ、ただの友人関係です。
 
内儀が女中と二人の繕部を運んでくる。
紅葉の一葉を添えたひくちこ、青梅の紫蘇巻き、甘海老の前菜に、熱燗の地酒が一本ずつ乗っている。
内儀は暁子の手にさかずきをとらせ、自ら酌をする。

内儀  さあ、お嬢様、どうぞ一献お干し下さいませ。はるばると、よくお越し下さいました。邪魔者めはすぐ退散いたします。竹宮さんと大切なお話をなさって下さい。(頭を下げてから)あ、竹宮さん、次のお謡いの稽古いらっしゃれるの。
竹宮  ええ、多分伺うと思います。
暁子  (びっくりして)お謡をなさるの。
内儀  はあ、竹宮さんは、お仕舞もなさいますし、この春には宝生の舞台で『道成寺』のお披キをなさったほどの腕でございますもの、私などはとてもとても……。

内儀と女中は礼をして引き下がる。
暁子は竹宮に酌をしてやる。

竹宮  ええ、そうなんです。内儀と僕は謡曲の相弟子です。

二人は暫くお互いの銚子から相手のさかずきに酌をし、黙って前菜をつまんでいる。
竹宮は何かを話したげであったが、永いためらいを見せた後に、急に果断な微笑みをうかべて語り出す。

竹宮  あなたが、僕が謡をやると聞いて、面食らっていられるのはよく分かります。しかしこれには人に言えない大秘密があるのです。そもそも僕が、自分は金星人であることの端緒をつかんだのは、この春の『道成寺』の披キからで、その後の宇宙人とのコンタクトも、不思議な話ですが、みんな能面に関わりがあるのです。
 
竹宮は礼儀正しく沈着に話し続ける。
あたりは次第に暗くなり、竹宮と暁子の姿と床の間の能面だけが浮き上がってくる。

竹宮  自分の口から言うのも変ですが、竹宮家は金沢の名家の一つで、僕は、この町の一般の風習から、いやいやながら謡曲を習わされました。僕は、いわゆる、おとなしい子供で、旧い慣習に反抗するような少年ではなかった。子供の頃から美の静かな性質に心を惹かれていましたが、その美が自分を救いもせず変えもせぬことには、別に失望したりしませんでした。僕は、孤独を好み、散歩をし、北国の海の色を愛し、この北の古い町に埋もれた人間として果てるだろうと予感し、その考えに満足していました。すると不思議な事に、子供の頃あれほど嫌っていた謡曲の冷たい豪奢な言葉が、あの装飾過剰なつづれ織りの衣装と同じように、自分の体を優しく包んでくれる音色のように感じ始めたのです。
青年になった時、僕は、謡曲に、北の国の人間らしい愛着を寄せるようになりました。こちらに来てお分かりと思いますが、金沢はまた星の国です。四季を通じて空気は透明で、ネオンに毒された香林坊の一角をのぞけば、町のどの軒先にも星はやさしい点滴のように光っています。
僕が幼い時から特別に星や天文学に興味があったという訳でありません。星に対する僕の関心は、おそらく意識のさかのぼることもできない古くから、丁度浮き草に埋められた池の底深く沈んでいる星の投影のように、僕のうちに眠っていたのにちがいない。そしてそれは、この春の『道成寺』の披瀝に当たって、はじめて僕の心に、僕の目に現れたのです。(ゆっくり立ち上がり正面を見て、謡うように語り出す)
あれは四月の、北陸の春の盛りでした。花も梅も一時に咲き、菖蒲、つつじ、桃、杏も一斉に咲き乱れ、古い武家屋敷の兎を描いた棟端瓦や、麻の葉模様の瓦も陽光にかがやいていた。(障子の前に立つ)僕は、ひえびえとした鏡の間で衣装をつけ、出を待った。その時、僕は、自己の存在に没入しようとする幸福な瞬間におり、音楽的な陶酔が錦の揚げ幕のかなたから、はや漣のようにひたひたと寄せて来て、僕を包もうと待ちかまえているのです。ああ、僕の心はその時なんという清浄な緊張感にあふれていたことか!(謡う)
「あら嬉しや、涯分舞いを舞い候べし」という詞のあとで、シテは一旦後見座(うしろ)にくつろいで、物着をします。前折鳥帽子を被るのです。それから橋ガカリ一の松に立つところで、「嬉しやさらば舞はんとて」(謡う)の乱拍子の件りに入ります。
 
竹宮は障子をすばやくあけて身を隠す。
舞台は一面の暗黒で、暁子と能面だけが浮き上がっている。
暁子は静かな満足のうちに一点を凝視している。
小鼓の一調べに、深淵の吐息のようなかけ声がかかる。
「あら嬉しや涯分舞いを舞い候べし」の地謡のあとで能面のスポットが消えると、障子がさっと開く。
同じ(深井の)能面をつけ能衣装をまとった竹宮が「嬉しやさらば舞はんとて」の地謡と笛、小鼓に合わせて、扇を構え、乱拍子を舞う。
やがて彼は舞台中央で静止し扇を帯に差し、深井の面をはずす。
ふたたび小鼓の調べと、激しいかけ声がかかる。
それに合わせるように竹宮は語りつづけ、また、深い海にゆらめく藻のように舞う。

竹宮  この深井の面の小さい目の穴。そこからのぞかれる不確定な外界。その外界は僕にとってはほとんど意味を失っていた。僕は、面の内側に、深く広大な闇を感じた。この深い闇の存在が分かってくるとふしぎな体験をするようになった。
そのとき僕は、能面の目の穴から、別の世界をのぞいたのだ。面の裏側の広大な闇の広野を、僕は鋭い疾風の音を聞きながら、しずかに、一歩一歩を踏みしめながら歩いて行ったのだと思われる。ずいぶん遠く、足は疲れていた。しかし、僕の存在の核は、闇のむこう側に、ひときわ親しい、存在の故郷のようなものを予見していた。
僕は歩いた。空気に罅を入れるような恐ろしい音楽が鳴っていた。そして時たま笛のなる声。魂に火のしをかけるようなあの笛の声。
 
鋭い笛の鳴る音が闇を貫き、地鳴りのようなかけ声と、清澄な小鼓の調べが高く低く繰り返される。
竹宮の体は、自分の意志とは無関係のもののように、ゆらゆらとゆれている。

竹宮  どこで僕が星を予感したかというと、この笛の音をきいた時からだったと思います。細い笛の音は、宇宙の闇を伝わってくる一条の星の光のようで、しかも僕には、その音がときどきかすれるさまが、星のあきらかな光が曙の光に薄れるように聴こえたのです。それならその笛の音は、あけの明星の光にちがいないんだ。僕は少しずつ、僕のまごうかたない故郷の眺めに近づいていた。ついにそこに到達した。能面の目からのぞかれたその世界は、燦然としていました。そこは確かに金星の世界だった。
暁子  (突然、叫ぶように)どうだったの?金星の世界はどんなでしたの?
竹宮  何とも言いようがありません。実にすばらしいところです。言葉ではとてもあらわすことができません。何と言うか……、美の極致というのはああいうのでしょう。
暁子  でも、どんなだったの? あなたの見たとおりを言って頂戴。
竹宮  ご存知のとおりですよ、大杉さん、あなたも金星人の一人なら。
 
竹宮は障子を静かに開けて廊下の外に出る。
部屋は急速に日常の夜の明かりをとりもどす。
開け放した障子の外から、川の流れの音が夜の静けさを伝えるように聞こえてくる。
暁子は、銚子に残っている酒を自ら杯につぎ、手に取って口のところまで持っていくが、飲まずにそのまま下に置く。
竹宮が前の服装になって戻ってくる。

竹宮  失礼しました。話の途中で中座するなんて、何んて常識はずれな奴なんだとお思いでしょう。
暁子  いいえ、本当に不思議な御体験をなさったのね。(自分の銚子を取って竹宮に酌をする)
竹宮  あ、すみません。ところで、僕が、自分は金星人だと信じるようになったのはあなた方のおかげなんですよ。
暁子  え? それはどういうことなんですか?
竹宮  あるところで、つまり行きつけの床屋へ行ったとき、そこで雑誌をめくっていたのですが、たまたま、あなた方の『宇宙友朋会』の通信を見たのです。それはこういう文面でした。先ず二重丸で中の小さな円を黒くぬりつぶしたマークがあり、「この符号◎に関心をお持ちの方、お便り下さい。相携えて世界平和のために尽くしましょう」と書いてありました。
暁子  (黙ってうなづく)
竹宮  僕はすぐこの黒二重丸の符号が空飛ぶ円盤に関わりのあることを直感的に知りました。おかげであなたと文通ができるようになりました。
暁子  私も、貴方から御自分が金星人だと打ち明けられた時、貴方は私と同じ故郷の星をもつ人だと、直感的にしりました。
竹宮  はい、しかし能面の体験はお話しませんでした。手紙では理解されにくいと思って伏せておいたのです。(暁子に自分の銚子から酌をしてやる)能面も他の面では駄目なのです。竹宮家に伝わる深井の面をつける時だけふしぎなことが起こるのです。(床の間の深井の面が生き生きと輝く)竹宮家の深井の面は、越智の作といわれた名作です。越智吉舟は室町初期の女面の名人です。越前越智山の住僧であったので、それからこの名がきたと言われています。
暁子  越智の女面のことは聞いたことがありますわ……。
竹宮  なぜ、この面をつけるとふしぎなことが起こるのか、僕にもわかりません。
 
竹宮は息をついて微笑を浮かべる。
それから暁子の顔をじっと見つめる。

竹宮  驚かないで下さい。僕は円盤の出現する日時を正確に予告することができるのです。
暁子  (驚きの表情)
竹宮  僕は、しばしば、一人部屋にこもって、深井の面を顔に被りました。するとついに円盤がやってくる日時と場所を告げる声がひびいてきたのです。それは六月十六日の晩の八時で、内灘の砂丘のあたりに、金星からの円盤が三機飛来するというのです。僕は定められた時刻に、そこへ行きました。そして当然のように、視界に映る円盤をとらえました。これが僕の円盤を見たはじめです。
暁子  ……。
竹宮  僕は、この秘密を、家族には、ひたかくしに隠しました。人間の理解力を越えた現象ですから。(一瞬、軽蔑的表情を浮かべる)僕は、この事を、今日まで誰にも打ち明けておりません。あなたにだけです。(暁子に向かって微笑む)僕は、それ以来、月にほぼ一回、正確に予告通りの場所と日時にあらわれる円盤を一人で迎えてきたのです。しかし明日は、大杉さん、あなたと二人で迎えましょう。円盤は十二月二日内灘海岸に十一時にあらわれます。二人で、内灘の砂丘で円盤を迎えましょう。
 
竹宮の長い話はおわった。
暁子は深い吐息をついて、考え込む。
それを見て、竹宮は暁子の旅の疲れを気づかって礼儀正しく別れを告げる。

竹宮  少し長居が過ぎたようです。長旅でお疲れのうえに、面倒なお話まで聞いていただいて……。どうかゆっくりお風呂に入って、おいしい加賀料理を味わって下さい。明日は十時におむかえに上がります。おやすみなさい。
暁子  今日はいろいろありがとうございました。それに貴重なお話まで伺って。そこまでお送りします。
 
二人は障子を開けて、廊下へ出る。
渡り廊下のところで竹宮は立ち止まる。

竹宮  ここで結構です。玄関まで一人で行かして下さい。わがままな言い方で失礼ですが……。
暁子  いいですわ、そうしましょう。
 
二人はじっとお互いの目を見つめ合う。

竹宮  (さわやかな声で)駅ではじめてお目にかかった時、僕はこれこそ久しく探しあぐねていた人だと思いました。金星人の感応ですね。
暁子  (すらすらと)私もよ。私たしかに一度ここへ来たことがあるような気がするんです。
竹宮  だって金沢ははじめてでしょう。分かった。僕の内面がそっくりあなたの中に映りだしたんだ。
暁子  いい町ね。たしかに貴方と昔ここに住んでいたことがあるみたい。
竹宮  それは将来もここに一緒に住みたいということですか。

暁子は多少驚いて竹宮の顔を見上げたが、竹宮の美しい顔にはあいかわらず少しの乱れもない。竹
宮は暁子に近づくと、その美しい額に軽く唇を触れ、深いお辞儀をして闇の中に消えていく。暁子は、竹宮を見送った後、部屋に戻ると満足げに深井の面と対じし、やがて正面を向いてつぶやく。

暁子  お父様、お父様の世界平和の火星の思想より、わたし達金星の思想の方がはるかに美しく、立派なものかもしれないわ。
内儀  (障子越しに声のみ)大杉のお嬢様、お風呂の支度が整いました。
暁子  (うきうきした調子で)はーい。ありがとうございます。(障子を勢いよく開けて、そのまま内儀と二人で何か楽しげに話ながら、渡り廊下を去って行く)
 
部屋に残された深井の面は、冷たく嘲笑するような表情を浮かべて、異様に輝く。
開け放った障子の奥の漆黒の闇の中から川の音までが異様に高まって聞こえてくる_______幕。


1幕2場


時 1962年3月
所 東京都千代田区公会堂控え室


舞台全体はクリーム色の壁に仕切られた、がらんとした控え室。
上手、下手にそれぞれ戸口があり、上手の戸口は講演会会場の舞台に通じ、下手の戸口は出入口に通じる廊下に出る。
室内は、下手から上手にむかって、簡素な長椅子、肘掛け椅子、小テーブルの四点セット、会議用テーブル、組立椅子数脚が適当に置かれ、会議用テーブルの上には演壇に飾るスローガンが無造作にたたまれて山を作っている。
上手奥に七、八人用のロッカーのケース、下手奥中央寄りに移動可能な大きな姿見、電話などがあり、中央奥の天井に近いところに会場の演説者の話を聞くことの出来るスピーカーが設置されてある。
またお茶のカン、湯呑み、魔法瓶等の茶道具も事務戸棚の上に見える。
幕が上がると、舞台の室内は日中とは言え窓が一つもないので、日がささない、がらんとした無人の暗がり。
ややあって下手戸口外で室内点灯の音と共に舞台一面が明るくなる。
黒木が勢いよく入ってくる。
黒木は運動家らしい体格を仕立てのいい灰色の背広で包み、やや小さな頭と日焼けした顔、濃い眉毛と鋭利な眼差しで、精悍な印象を人々に与える。
濃紺の無地のネクタイを締めている。

黒木  (室内をやや早足で歩き回っているが、姿見の前で立ち止まり、全身を点検する。ネクタイ、胸のハンカチ、髪の毛などをなおしてから舞台中央に出る。観客正面に向かって演説口調で)青年に夢を与えよ! これが私のスローガンです。(普通の口調に戻って)まあ、こんなところかな。(発声練習を始める)あー、いー、うー、えー、おー、あーあーあー、いーいーいー、うーうーうー、えーえーえー、おーおーおー……。

学生ABCが上手戸口からどやどやと入ってくる。
学生達の服装はセパレーツの上着、毛のトックリセーター、皮ジャンバーに、綿やジーンズのズボン等思い思いのもの。

学生C 先生、もう会場にどんどん入っていますよ。
黒木  入りはどうかね。
学生B 女子学生もいますよ。大した人気ですよ。
黒木  可愛い子がいたら私にも教えてくれよ、私のおかげで集まったんだからな。
学生BC はーい。(明るく笑う)
学生A 秘書の田中さんから、舞台にさげる前に先生にお見せしろって言われているんです。おい、ちょっともってくれ。
 
学生AはBCと三人で、会場舞台に吊り下げる横断幕をテーブルから取り上げて、観客に見えるようにひろげて見せる。
『黒木克己を囲む青年の集い』と左から右へ大きく書いてある。
会社重役を案内して秘書が下手から登場。

黒木  おい田中、これちょっと長すぎないか。「黒木克己を囲む」はいらないだろう。「青年の集い」の方がすっきりしていいよ。
秘書  いや、先生の名前が大事なんですよ。もうすぐ選挙ですよ。少しでも多くの人に先生の名前を覚えてもらうことが大事なんですよ。
黒木  まあそういうこともあるか。
秘書  (学生たちに)スローガンと今日の演題の字も先生に見てもらって。
学生達 はーい。
 
学生達は、会議テーブルの長方形の長い面を観客の方に向けて置きなおし、その上に二脚の椅子を置き、二人の学生がスローガンと題目の書かれた大きな巻紙をもって立ち上がる。
二人で並んで、一どきにかけ声もろとも紙を広げ落とす。

学生BC そーれ!
 
それぞれの長形の白紙には、墨痕あざやかに『青年に夢を与えよ』『新しき日本民族の課題』と書かれてある。

黒木  ほう、見事な筆跡だ。誰に頼んだんだね。
秘書  橋本竜堂先生です。
黒木  そうか、竜堂先生か。(満足な様子)
秘書  (学生達に)さあ、早く会場の準備をすませて、すませて。余り時間がないよ。
 
学生ABCは横断幕、スローガン、題目の紙をそれぞれもってあわてて上手戸口から退場する。
入れ違いに下手戸口から、「黒木先生へ」と貼り紙のある花環二ケを学生Dと一雄がもって入ってくる。
一雄は、他の学生と違って金ボタンが光るアイロンのきいた学生服を着ており、彼の若々しさを引き立てている。

学生D 田中さん、これ、もう入り口では置くところありませんよ。どこに置きます。
秘書  どこからきたの、「宮田精密機械KK」と「宮城県県人会一同」か。この部屋においときましょう。何もなくて殺風景だから。えーと、その真ん中あたりに、どーんと立てて置いて。
一雄  このへんですか。

二人は舞台中央奥のスピーカーの下のところに、花環を並べて立てる。

秘書  そうそう、なかなかいいじゃないか。ねえ、先生。
黒木  ああ。若山君、入りはどうかね。
学生D この前の一橋講堂の時より、客足が早いですよ、先生。
黒木  そう、それはよかった。受付は我々旦々塾の顔だからね、気をつけてね。特に今日は学生諸君が対象だから、私の話を聞いた後で塾生希望の申込があると思うよ。将来の我々の同志を暖かく迎えてくれるよう、みんなにも君からよく言ってくれ給え。
学生D はい、分かりました。失礼します。(一同に頭を下げ、一雄をうながして去ろうとする)
黒木  ああ、大杉君、君には頼みたいことがあるので、ここに残ってくれ給え。田中、いいだろう。
秘書  ええ。若山、受付は大杉なしでやってくれ。
学生D 承知しました。(下手より退場)
重役  盛大ですな、黒木先生。
黒木  いやあ、おかげさまで、旦々塾の方も少しずつ軌道に乗ってきています。大島商事さんにはいろいろ助けていただいて感謝していますよ。会長さんによろしく言って下さい。
重役  ところで先生、例の件はいつごろ片づきますかね。
黒木  あ、あれね、あとで田中から聞いて下さい。田中に話してありますから。(一雄に注いでもらったお茶を飲みながら)林さん、この青年を見て下さい。大杉一雄君と言います。なかなか見所のある青年ですよ。例の、ほら、この前の一橋大学の講堂での講演会で左翼学生が暴れたのご存知でしょう。彼がうまくおさめた腕に僕は惚れ込んでね。いやあ、実にいい青年だよ。目を掛けてやって下さい。
重役  そうですか。(一雄に向かって名刺を出す)大島商事の専務取締をやっております。林と申します。今後よろしくおねがいします。
一雄  (明るい態度で頭を下げる)こちらこそ、おねがいします。
  
重役と秘書は、ひそひそと小声で話合う。
黒木は受付へ電話を掛ける。

重役  例の機械の輸入許可どうなっています。
秘書  そのことなら先生に聞いています。うまく運んでいるようですよ。
重役  出来るだけ早くとれるよう、先生には圧力をかけてもらいたいんですよ。通産省はスローモーで弱っていますよ。
秘書  先生はよく分かっていますよ。二、三日中には良いお知らせが届きますよ。
 
重役は分厚い封筒包を手渡す。
秘書は何気ない風でそれを内ポケットにしまう。

黒木  ああ、若山君か、言い忘れたことがあるんだが、私の講演中に、羽黒さんという方が見えられるかも知れないんだが、来たらこちらの控え室へ案内してくれ給え。連れの方が二人いると思うが、丁重に扱ってくれよ。仙台では、塾のために随分お世話になった人だから……。はい……。そうそう……、それじゃあ。(電話を切る。一雄に向かって)大杉君、聞いたとおりだ。仙台から羽黒助教授と、助教授の友人二人とが上京する。知らされた列車の到着時刻だと、この会場に着くのは私が講演している最中だ。よろしく接待してくれ。
秘書  大杉でいいのですか。私が残りましょうか。
黒木  ああ、大杉君でいいんだ。(断定的に)大杉君がいいんだ。

電話のベルが鳴る。秘書がいち早く受話器を取りあげる。

秘書  控え室です……。そうか。分かった。すぐそちらへやります。先生、あと五分で幕をあげるそうです。そろそろ舞台の袖の方へ来て下さいとのことです。 
重役  黒木先生、それでは私はこのへんで失礼します。
黒木  林さん、私の話は聞いていかないんですか。
重役  先生のお考えはもうよく分かっていますから。
黒木  今日のは迫力ありますよ。是非お聞きなさい。
重役  いや、これから重役会議に出なければならないのです。では例の件よろしくおねがいします。(下手から退場)
黒木  逃げたな。(姿見にもう一度自分の姿をうつして見る)よし、戦闘開始だ。(一雄にニコッとめくばせを送る)大杉君、銃後の守りは頼んだよ。(さっそうとして上手戸口から出てい  く)
一雄  はい。(畏敬の眼差しで見送っていたが、黒木の後を追おうとしている秘書に声を掛ける)田中さん、ちょっと伺いますが、羽黒さんてどういう方ですか。
秘書  僕もはっきりしたことは知らされていないのだが、先生とは特別の関係がある人らしいんだ。(小声になる)いいかい、君は先生に特別目を掛けられているようなので特に教えてあげるが、(眼鏡を少しあげてさも大事を打ち明けるかのように)他人に話してはいけないよ。
君も知っているように、我々旦々塾は今年に入って塾生も七百人を超え、財界の寄付もあって宮城の七北田村にある施設の拡張工事を始めたんだが、そこが県所有の公用地で、県会は一も二もなく払い下げに許可が下りそうになったのに、地元関係者がこの土地について、入り会い権確認請求の訴えを起こそうという動きをみせたのだよ。
一雄  何ですか、その入り会い権というのは?
秘書  一口に説明するのは難しいのだが、歴史上、その土地の樹木とか、きのことか、そういうものがその周辺に住む住民のものであって、勝手に譲渡は出来ないという権利なのだ。
一雄  ……。
秘書  先生はこの問題で頭を悩ましておられたが、幸いなことに仙台の大学に入り会いの権威の羽黒真澄助教授がいることが分かり、助教授に会って調べてもらったんだ。まあ、結局彼が村民の主張をくつがえす証拠を出してくれたおかげで近々示談が成立する見通しがついて、先生も喜んでいるわけなのだ。
一雄  なるほど、大事な人なんですね。
秘書  (腕時計を見る)おっと、そろそろ始まりだ。(上手戸口のノブに手を掛けてから、その手でロッカーの右手あたりを指し示す)大杉、そこに放送の受信装置がある。先生の話をよく聞いておくんだぞ。
学生A (あわてて同じ戸口から入ってくる)田中さん、何してるんです。幕があがっちまいますよ。
秘書  そうあわてるなよ。司会者が行かなければ始まるまい。あ、青木、お前、放送を大杉に聞かせてやれ、いいか。(急ぎ足で去る)
学生A はい、はい。(一雄を手招きして)いいかい。これが電源。電源が赤くなったらこのスイッチを押す。停止はこれ。音量調節はこれ。分かったね。
一雄  (うなずく)
学生A よし、じゃあ、やってみて。(一雄にまかせて部屋を出ようとする)
 
一雄がスタートのスイッチを入れる。
馬鹿でかい拍手の音がスピーカーから出て、学生Aが急いで戻ってきて音量を調節し、観客の聴きやすい音にする。
一雄はAに感謝のしぐさ。
Aはうなずいて見せてから上手に退場。
スピーカーの声、拍手。

秘書の声  皆様、長らくお待たせ致しました。本日は御多忙のところ、かくも盛大にお集まりいただきましてまことにありがとうございます。

一雄は湯呑みにお茶を注ぎ、ロッカーの前にある会議用テーブルのところに陣取って手帳を出し、黒木の講演のノートをとる準備をする。
 
声  早速、黒木先生から講演をしていただきましょう。本日の演題は「新しき日本民族の課題」であります。
 
盛大な拍手。黒木の登場する靴音、マイクをいじる音。
 
声  ご紹介にあずかりました、不肖、衆議院議員、黒木克己であります。いやあ、こんなに沢山の青年に集まっていただいて本当にびっくりしました。中には白髪の青年もいるようですが……。(笑声)それに若いお嬢さん方もこういう話を聴きにくるようになったんですね。これから生まれ変わる日本を象徴しているようで、心から頼もしく思います。(態度を改める)青年に夢を与えよ。これが私のスローガンです。
青年は常に夢見る人たちです。夢を見ない青年は青年ではありません。みなさん、特に青年のみなさん、日本と人類の未来にしっかりした夢を抱いて下さい。その夢見るエネルギーこそが未来の日本と世界の平和と繁栄に大きな寄与をもたらす原動力なのです。
(一息入れて)
ところで、私たちがしっかりした日本の将来の展望をもつためには、これまでの過去の歴史を正しくとらえ、その上で日本の進むべき道を見定めてゆかねばなりません。その歴史もただ単に日本の歴史をみるだけでは、木を見て森を見ない近視眼的視野に陥るだけです。つまり地球全体の中の人類の歴史がどのような歩みをたどり、それがどこに向かっているのかを見定めることが大切なのです。そのことがあなた方にとって、いや世界の人類にとって、この美しい星地球に住み、地球のすべての生物に責任をもつ人類にとっての責務なのです。
(一息入れる)
さて、人類が他の生物の上に君臨し、大いなる責任と義務を担うようになる、その始めは、「文明」と呼ばれる社会的集団的文化創造の形態を、人類が有するようになってからであります。この「文明」という人類の作りあげた集団的社会的形態は、地球のある特定地域と深く関わりをもつだけでなく、その地域の民族の興亡とも深く作用し合い、それ故に、国家の隆盛と衰退という動的(ダイナミック)な形で、人類の歴史の上に多大な変化、変遷をもたらしてきたのであります。でありますから、歴史の方向を見定めるというのは、人類がその時どきで最も激しく活動している、また最も強く自己主張している文明の流れを見極めるということと相矛盾するものではありません。

熱心にメモをとる一雄。

声  世界史を紐解きますと、人類が始めて地球上で、野生的な動物の群れから農耕という技術的社会的形態を取り始めたのは、インドのインダス川流域地帯だと言われています。私はこの人類最初の文明形態を、自分の言葉でインド洋文明と呼んでいます。「インド洋文明」という言葉はまだ学者先生には認めてもらっておりません。まだ話してないんですから。(笑声)

この頃、下手戸口から影のように三人の人物が登場する。
羽黒真澄とそれに付き添う曽根、栗田である。
羽黒は四十五才、ひ弱な体つき、青白い顔、まん丸な眼鏡、野暮な背広とネクタイ、よれよれのレインコートを釦をかけずにはおっており、古鞄を片手にさげて、いかにも地方の大学の助教授らしい風采。
二人の連れはまた不似合いな同行者で、曽根は丸まっちい卑俗な中年男で、羽黒の行き付けの床屋。栗田は醜い顔の大男の青年で、もとは羽黒の学生、今は銀行に勤めている。
この三人が居並んだところは世にも不快な人間の見本市という感じを与える。
三人は羽黒を中心にして、左右に曽根、栗田と、正面を向いて下手の長椅子に腰を掛けるが、その位置は上手で気がつかずに熱心にメモを取っている一雄と丁度左右対象の場所にあたる。
三人の目は初め真っ直ぐ正面を見ていたが、ゆっくりと上手の一雄の方にそそがれる。
舞台の明かりは分からないくらいのスピードで変化し、一雄と三人をスポットに残して深い海の底のような色調になる。この動きは次に続いている黒木の講演中に行われる。
 
声  インド洋文明は、強大なペルシャ王国やアフリカのエジプト王国にその覇権をゆずります。歴史の残酷性は、インド洋文明の覇権を継承したペルシャ王国がマケドニヤという小国の天才的軍人アレキサンダーに、一夜の内にと言ってもいいでしょう、滅亡させられてしまうという事実です。そのアレキサンダー大王も三十二才という若さで、世界制服の夢の途上で死んでしまいます。
アレキサンダーの世界制服の意志は、ローマ帝国が別の形で達成しました。「すべての道はローマに通ずる」といわれる地中海文明の始まりです。この地中海を中心とした文明の覇権はヨーロッパ諸国の勃興をもたらし、更にアメリカに移植されました。この時代、つまり現在の私たちの時代を、私は大西洋文明の時代と把握しております。
(水差しから水をコップにつぐ音。それをゴクゴク飲む音)
さて、ここからが私が一番みなさんにお話したい、まだ誰にも話していない私の考え、私の文明史観です。先ほどお話したように今や大西洋文明の時代、アメリカの時代です。 昨年一月アメリカ第四十三代大統領に就任した若きジョン・F・ケネデイは「今や松明は新しい世代に引き継がれた」と就任演説で感動的に宣言しました。しかし私に言わしめれば、今や時代は新しい時代に引き継がれようとしているのです。これまでの科学技術的ヨーロッパ、アメリカの文明はもう行き詰まっているのです。
いいですか、みなさん、私はここではっきり予言いたしますが、ここ数十年の間に新しい時代が到来します。 新しい文明の時代とは、太平洋文明の時代です。約一万年前に起こった人類の文明の歴史は、インド洋文明から始まって地球を西に移動し、地中海文明へ、さらに大西洋文明を経て太平洋文明で完結するのです。これは人類文明史の必然です。

深海の闇の色は益々深まり、スポットに浮きでた一雄は黒木の言葉に集中しており、一方、曽根と栗田はこれまでのように一雄を凝視しているが、羽黒は目を正面に戻して何か思案している。
 
声  私は、この新しい太平洋の時代で中心的な役割を担うのは、私たちの祖国日本だと思っています。「青年に夢を与えよ」 これが私のスローガンだと申しました。この夢は単なる甘い幻想でもまぼろしでもありません。東西の世界核戦争が何時起こるか分からないこの光明のない時代に、日本が太平洋諸国の中心として、新しい世界協同体の精神が形成される中核としての役割を担わねばならないのです。この歴史的使命が日本の青年達には課されているのです。
(拍手)
かって八紘一宇という言葉が戦時中叫ばれました。この八紘一宇という言葉は、私が今話した太平洋時代の日本のあり方を先取りした文明史的予言であったのですが、愚かな軍閥に利用されて卑小な意味に転化されたのです。
 
一雄は三人の存在に気づき、ゆっくりと立ち上がる。
同時に羽黒も立ち上がって一雄の方を見る。
曽根、栗田も少し間を置いてから立ち上がり、一雄の方を凝視する。
二人の動作は奇妙に一致している。

羽黒  (少し宙に浮いたような声で)君は……、大杉君ですね。
一雄  (驚いて)……、僕の名前を御存知なのですか。
羽黒  黒木君から聞いています。

四人はそのままの姿勢で見合っている。

声  世界連邦はいつかは樹立されなければなりません。しかし世界連邦の理念は、国際連合的な悪平等の上に立ってにっちもさっちも行かなくなるようなものではなく、文明史的潮流の予言的洞察から、日本という個と世界とのお互いが、お互いを包み込むような多次元的綜合に依るものでなければなりません。
現代の危機の意識の真っ直中に、正に新しい世界協同体の精神が投影されているように、一見世界政治の荒波に漂っている日本の姿の直中に世界平和の水準器の気泡が浮かんでいるのです。
一雄  (羽黒に向けていた視線を観客に向けて独白する)それにしてもこの人は、あまりにも地方の大学の助教授らしすぎはしないだろうか? ひょっとするとこの人は偽者ではなかろうか。助教授の偽者であるばかりか、もしかして人間の……。
羽黒  君は大杉重一郎氏の御令息だね。
一雄  はあ、そうです。
羽黒  いや、最近、雑誌その他でお父上の活動を興味深く拝読しているもんだから。
一雄  (激昂して)父は父、僕は僕です。

スピーカーの声が、二人の会話の間、低くなったような気持ちにさせるが、沈黙すると再び音量が上がるように聞こえる。

羽黒  若い人はみなそう言うよ。それでいいんだ。又それでなくちゃあ。
 
羽黒は再び前の席に腰をおろし、曽根、栗田の二人もそれぞれ彼に寄り添う影のようにその両わきに座る。
一雄は、気を取り直したように三人のためにお茶を入れ、茶菓子を添えて出してやる。
三人は一雄の接待を当然のような表情で受け、大男と小男の中年男は音を立てて湯呑みから茶をすすり、菓子を食べ始める。
動いている一雄の影と三人の影が深海の海藻のようにゆらめく。
 
声  私はあなたがた青年に、日本民族の若々しい意欲の現れを見ております。しかし未来に希望をつなぐにつけても、情けないのは現在の日本の状況です。今や一国の総理総裁がヨーロッパでトランジスターのセールスマンと見下げられ、利権に群がる政治屋たちは、派閥の拡張と自己の保身に汲々として、国家の理想も理念も失っているのです。池田総理は、吉田内閣と同様、自衛隊は軍隊ではないと言っているが、これは疑まんだ。永世中立を標榜するスイスでさえ、自国を守るための軍隊はもっているのです。私は、日本の国防はアメリカの問題ではなく日本の問題と考えております。日本は日本自身に依って守られなければなりません。私は必要最小の国防軍は日本に不可欠だと考えております。
羽黒  (暗く沈んだ調子で)一つ聞きたいんだが……、ひょっとすると君のお父上は宇宙人じゃないのかね。
一雄  (一瞬、ギョッとする)さあ……。そんなばかなことが……、もっとも親父はこのごろすこし頭がイカれていて、何を考えているかよくわかりません。
 
一雄のこの返事に曽根はけたたましい笑い声をあげるが、激しいクシャミでその笑い声を中断する。
そのクシャミを合図に部屋の明かりは急速に元に戻る。
羽黒は何事もなかったような顔つきをし、栗田は相変わらず一雄を凝視している。
一雄の顔に一抹の不安がよぎる。
 
声  私は祖国を否定するような、節操のないコスモポリタニズムや世界主義に組みするものではありません。真の世界主義は愛国心をその根底にもったものでなければなりません。愛国心のないところに、真の世界精神も生まれる筈はありません。日本を愛すればこそ、世界を愛することが出来るのです。青年よ、日本を愛せよ。しこうして世界を愛せよ! これがあなた方に送る私のメッセージです。

盛大な拍手と「黒木先生、黒木先生」と叫ぶ声が歓声となってこだまする。
黒木を先頭に秘書、学生BCが講演会の高揚した雰囲気をそのままに、一団となって上手戸口からなだれこんでくる。

秘書  よかった、よかった。本当によかった。
学生B 前の方の女学生、泣いていたね。
学生C おじいさんで、立って拍手していた人がいたね。
黒木  (一雄の肩を叩く)大杉君、聞いていましたか。
一雄  はい、すばらしい演説でした。
スピーカーの声(学生Aの声) 本日の黒木先生の講演会はこれで終了します。ありがとうございました。なおお手元のアンケート用紙は御記入の上、できれば御感想を添えて入り口受付の……。(途中で学生Bにスイッチを切られる)
秘書  羽黒先生、お出迎えにもあがりませんで失礼しました。またいつぞやは御迷惑をおかけしました。
羽黒  いや、ご盛大で何よりです。
黒木  (羽黒の手を大げさに固く握る)一別以来ですな、さあ、どうぞ、どうぞ。(長椅子にさそって二人で腰を下ろす)お連れの方も楽にして下さい。羽黒先生の御友人は、私にとっても大事な客人です。(愉快そうに笑う)

曽根と栗田は、上手側の組立椅子に腰を下ろす。
一雄は、黒木と羽黒達に新しいお茶を出す準備をする。           

秘書  (学生BCに花環を示して)これ、般出口から出すから、舞台の方へもっていって。
学生BC はい……。すみませ〜ん。(曽根と栗田の前を二人で花環を一つずつもって上手へ退場)
秘書  先生、いろいろ片付けがありますから向こうへいっています。大杉をここに残しておきますが、それでいいですか。
黒木  ああ、ところで、今夜の手配は。
秘書  大丈夫です。では、羽黒先生失礼します。(丁寧に一礼し、曽根や栗田にも頭を下げて上手へ退場)
黒木  仙台ではえらく御世話になりました。お陰様で助かりました。またこのたびはご苦労様です。
羽黒  いや、いや。すばらしい弁舌でした。
黒木  久しぶりの東京の印象はどうですか。
羽黒  雑然としたところが気に入りました……。池の端のところを通ってきましたが、排気ガスのせいかな、だいぶ桜がやられてましたね。
曽根  (急に)やっぱり東京は人が多いなあ。こりゃあ整理しないといけませんなあ。(栗田に肘をつっつかれて黙る)

一雄が羽黒、黒木、そして曽根、栗田と茶を配る。
黒木はうまうに二口ほど飲んでから、一雄を手招きして呼び寄せる。

黒木  (自分も立ち上がって)羽黒さん、いい青年でしょう。東京も変わりましたよ。第一の変化はいい青年が続々出てきたことだ。純粋で、まじめで、高ぶらない青年が。
羽黒  私もわずかなお付き合いでそう思いましたよ。仙台の学生は退嬰的で、そのくせプライドばかり高くて困りものだ。
黒木  大杉君にここに残ってもらったのは他でもないんだが、例のお父上の問題なんだよ。
一雄  ……。
黒木  羽黒先生と合う前から、私はこの問題をかなり重要視していたんだが、羽黒さんもいろいろ研究しておられて、大いに話が合ったわけだ。まだここでははっきりしたことが言えないのが残念だが、お父上のやっておられる世界平和の運動にはある重要な政治的嫌疑がかかっているんだ。そこでだよ、もしお父上が本当の宇宙人でないのに、この運動を推進しておられるとなると、この嫌疑が濃くなるし、もし本当の宇宙人だとすると、お父上は自ら知らずに、危地に身をさらしておられることになる。もし前者ならこれは救いようがないが、後者ならば、私が飯能のお宅まで伺っては世間の目に立ちすぎるから、羽黒先生が私の代理でお父上の説得と救助に出向いて下さるというわけだ。われわれはそこまで君および君の家族全体のことを心配しているんだ。だからここは率直に、君からお父上の来歴の秘密を打ち明けてもらいたいと望むわけだ。
一雄  (頑なに黙っているが、やがて晴れやか顔つきでのびのびと)先生の言われることはよくわかります。しかしそれは、僕が親思いの孝行息子だという前提で、僕の情に訴えておられる仰言り方だと思うんです。もし僕が親に何の愛情も持てない人間だとしたら、どうされますか? 僕はむしろ父が、その政治的嫌疑でひっくくられることの方を望むでしょう。
黒木  面白い。それは君が、お父上と来歴を異にしていて、どうしても解け合えないということかね。それはつまり君が人間で、お父上のほうは……。
一雄  それは何とも僕からは申せません。

長い間。

一雄  いくら親不孝の僕でも、父の重大な秘密を、世間の恥でもありますし、率直に申し上げるには勇気が要ります。で、黒木先生が二つのことを約束して下さったら、言ってもいいです。一つは、直ちに僕を先生の正式の秘書にして下さること。もう一つは、将来僕が選挙に立つときに、先生の地盤を譲って下さることです。それと引換にならお話してもいいです。
黒木  おやおや、こりゃあ高い料金だなあ。いいだろう。君の言うとおりにしよう。
一雄  約束して下さいますね。
黒木  するとも。明日から君は私の片腕になるわけだ。地盤のことについてはいずれ証文を書こう。
一雄  じゃ、言いましょう。(黒木を正面から見据えて)おやじは、何を隠そう、宇宙人です。家族以外の者は誰一人その秘密を知りません。おやじは……、火星から来たのです。
栗田  やっぱり……。

忌まわしい三人の客は、お互いに顔を見合わせ、淀んだ咳きで深い吐息をつく。
秘書が下手から入ってくる。

秘書  お車が参りました。
黒木  さあ、宴会だ。遠来の友人と今日の講演会の成功を祝して。(羽黒達に)あとで、東京の夜の銀座をご案内しますよ。
曽根  そいつは豪儀だ。
黒木  (秘書に)場所はどこだね。
秘書  赤坂の江戸屋です。
黒木  田中、私は大杉君と事務所に行ってご挨拶をしてからいくから、先にみなさんを御案内しなさい。
秘書  かしこまりました。
黒木  (羽黒に)そんなわけで申し訳ありませんが、ちょっと遅れて行きますので、田中と一足先に行かれてくつろいでいて下さい。
羽黒  それではお言葉に甘えて、お先に。
秘書  では御案内いたします。

四人は下手戸口から退場。

黒木  (一雄をうながして)じゃあ、事務所へ行くか。
一雄  (大声で)先生、黒木先生ははじめから父に目をつけられていて、その息子だというだけの理由で、僕に目をかけて下さっていたわけですか。
黒木  (ひどく生真面目に)ばかな。もとはといへば、君が見所のある青年だからだ。私は全学連も右翼の青年も、ふたつながら気にいらん。将来の日本を背負って立つ青年の面影を、正に君の中に認めたからだよ。

黒木はしばらく、真っ直ぐに一雄の目を見つめていたが、くるりと後ろ向きになり、下手戸口のノブに手をかける。

一雄  先生、一つ伺ってもいいですか。
黒木  (一雄の方を見ないで)なんだね。
一雄  先生も、やはり宇宙人ですか。

黒木はそれに答えず、明るく哄笑し、下手の戸口を開け放したまま快活な足どりで出ていく。そのうしろ姿をきつ立して見ている一雄________幕。