全体のTOPへ
山崎哲
講座案内
茶房ドラマを書く
作品紹介
40
39
38
37
36
35
34
33
32
31
30
29
28
27
26
25
24
23
22
21
20
19
18
17
16
15
14
13
12
11
10
09
08
07
06
05
04
03
02
01物干し竿 岩波三樹緒

茶房ドラマを書く/作品紹介
<石喰ひ日記>  梨大三詩集  小泉八重子

この作品はあくまでもフィクションであることをお断りしておきます。

 はじめに
                  
 私、MC・おばあこと小泉八重子58歳は2007年4月26日、三宮の北に位置する通称パイ山とよばれる広場で、MC・大三こと梨大三37歳に巡り会った。
 パイ山とは石畳がおっぱい型に2つ盛り上がった所に石のスツールが何個が点在する市民のオアシスである。ここはいつも猥雑であまり品のよろしくない混みようだ。中高年にとってはちょっときつい癒しの場でもある。
 毎夜下手糞なバンドが入れ替わり立ち代り現れてはCDを押し売りする。
その夜もまたインパクトもないのに偉そうな若造どもがチンタラ演奏した後、気怠げに「買って下さい」という。とろとろとドラムスをしまう彼らをみて、睨みをきかす私であった。
 パイ山の頂上に座る私は席を立つ。退屈しきった背筋を伸ばし神戸の町を見渡す。青黒くそびえる六甲山脈。繁華街からはなみなみと人が溢れ、心地よい。去年の春離婚してから薄皮を剥ぐように空気は鮮明になる。と、そのとき、やおら彼方から
「赤! 青! 青赤青青赤あっ!」
 と喚く声がする。どきっとした。きちがいだろうか? 
「青! 赤青赤青青おっ!」
 声の主はどうやら円筒型に短い尻尾の毛皮の帽子をかぶった背の高い男であるらしかった。黒いグラサンが似合う。男は「青!」と叫んでは信号をめがけ、ピストルのように両方の人差し指を突き出し、喚く。喚き続ける。
 目の前のバンドは掻き消えた。
 後ろでキュートな女の子が2人「MC・大三や!」「MC・大三や!」と細い躰をくねらせて嗤う。「めっちゃ、受けとうで、大三」。女の子の内、かわいい方が色っぽく悶え嗤う。ふーーーん。そうか、MC・大三ねえ。こいつはいっぱしの人物かもしれない。私は毛皮を巻きつけながら大三に近づいた。
 黒いスーツの大三は見上げるほど背が高かった。180はいく。美貌と傲慢さにおいて死んだ父にも負けない。ただ貧しさがつきまとう。落剥した父のようなこの男に次第にひかれた。
「兄さん、ええセンスしてるやん」
 私はうーんとがらの悪い神戸弁に切り換えた。
「そう?」
 大三はにやついた。
「あっちできゃあきゃあ言うとったよ」
「ほんま?」
「うん、ほんま」
「高校生、きゃあきゃあ言うとった?」
「うん、言うとったよ、高校生」
 この際、OLだろうが、高校生だろうが、私にとっては変らなかった。大三が喜ぶなら幼稚園が喜んだとも答えただろう。そのときにはもう私は大三の腕に私の腕を滑り込ませていた。
「ほんで姉さん、御馳走してくれんの?」
 大三はちゃっかり乗ってきた。ままよ、乗りかかった船だ。
「ええよ。いこか?」
 若い男に身を任せ、私は幸せだった。大三は安っぽい繁華街の中のガラス障子をチャリッと滑らせると中に入った。カウンターの釜飯屋である。彼はここで初めてグラサンをとった。傷口をはがされたようなぎらりと凸面の茶がかったそのまなこ。ひどく落ち着かない気分にさせる目だ。
「僕、身体障害者2級やねん」
 彼は手帳を取り出した。へー・・・てなもんである。
「在日やねん」
 ほー・・・・てなもんである。
「建設現場から落ちてん。裸になったらわかるわ。尻に傷してセラミック入れてんねん」
 へー・・・・てなもんである。二の句が継げない。後になってわかったことだが、大三は大酒のみだった。身障者になったのは大腿部骨頭壊死で、これは大酒が原因であるらしかった。今も上腕部骨頭壊死に苦しみ、毎晩痛い、痛いと悶える。建設現場からおちたのも三年前の離婚騒動とアルコールがたたったのだろう。この事故で、彼はロンパリの目となる。
「好きなもん、とりなさいよ」
 私は大きく出た。さんまの塩焼きと大三はみみちいことを言った。肉はどうやの、肉。いらんと大三は言う。私は焼き鳥と、焼き天豆を頼んだ。何これ?と大三は天豆を珍しそうに食べた。釜飯の焦げは旨かった。御飯を食べていると、大三の指が私の太股を這った。どうやの、これ。濡れとんのとちゃうの?
チンチンほりこんだろか? 小さな声で大三は囁く。冗談やないの? 幾度か首をふったが、どちらからともなくいこか? そやねとなる。
 勘定を払って外に出た。ホテルいこ。ホテル。
 なんでやろ。こうなってしもた。信じられない思いで大三の後をついていった。ドンキホーテに入ると、網タイツ買ってという。全身網タイてないかなとあたり構わず叫び、羞恥たまらず一個レジへ置く。ラメ入りのチュール、バイブと予想外の出費にとまどう横で、「これぱくたった」と自慢げにグラサンを見せびらかすこのチンピラ。店を出て、手をとりあい山手へと歩く。途中並木のもとで下半身を放り出し、大三はしゃぶれという。従った。
「あそこでしよ、あそこ」
 さすがにビルの谷間とはいかなかった。
 やっと辿りついたホテルは一泊5000円にしては整っていた。大三の躰はかたかった。さすがに緊張しているのだろう。お互い硬く湿った躰をさすりあった。大三の躰から甘酸っぱく饐えた匂いがする。これがキムチの匂いだろうか。汗に濡れた肩を吸った。白い膚に桃色のペニス。毛は薄い、というか殆どないといってよい。どこか幼さを滲ませる大造はいくときに「お母ちゃん、お母ちゃん、ミカ、ミカ、姉やん」と叫ぶ。
 いずれも近親者で、私はどうも「ミカ」らしい。
 ミカは彼の別れた妻の妹で、さほど美しくなかったが、彼が恋したのは確からしかった。禁断の愛に萌える質であるらしい。いくまではかなり時間がかかり、私はうんと腰を持ち上げられるものの、痛い! 子宮に風船を入れられたような痛みが続き、そしてやっと果てる。大三ははにかみながら請求した。
「小遣い6000円でええからくれる?」
 えらい安いな・・・・と内心ひとりごちた。まあ、こんなもんやろと私は財布のひもをゆるめた。ありがとう。大三は満面喜色だった。
 大三も私もあまり寝られなかった。
 私は翌朝、明石の精神病院に行かねばならない。正念場だった。激鬱でやせ細った一つ違いの姉を家族から引き離し、隔離して休ませねばならない。
 そのことで、私は姉を取り巻く環境のすべてと闘わねばならなかった。殊に妻を思い遣ってるつもりの義兄とは激しい言い合いとなった。入院となるか否かは明日にかかっている。
 病院の医師の都合は無視した。木曜日は都合が悪いとのことだが言ってられない。義兄は明日病院に電話を入れるという。だが信じられなかった。朝いちで医師に会い、話をつける。私は燃えていた。
 思えば、義兄との闘いは日本の官との闘いだったかもしれない。
 エリート運輸官僚だった義兄は息子の進学の都合で神戸に帰らねばならなかった。父のコネで息子は進学し、義兄は実質上私の実家の跡取りとなった。東大を出て、いくらでも道が開かれていたかもしれない義兄を呼び戻すことに私たち一家は恐縮しすぎていたのかもしれない。
 姉を追いやったのはその恐縮であった。
 今回はそれを打ち破ったのだから凄い。誰が凄いのかって私だ。
 私の愛が義兄の愛に打ち勝ったのだ。そして明日、その締めが行われる。
 私は燃えている。だから大三を拾った。
 熱い躰にテキーラをあおるように自然に大三とまぐわった。
 そして拾いついでに東京まで連れ帰った。春日野道商店街の中にある六畳一間の大三のマンションは一日中日がささず、大三は眠れない。私のマンションの和室で彼はともかくよく眠った。今も春眠中である。これからどうするか、どうなるかは全くわかっていない。ただ、できる限り大三をバックアップする。罵詈雑言を浴びせかけながらも、夜になると甘えるこの若い男を私はかわいいと思っている。明日にでもほかすかもしれない。またあさってにもよりを戻すかもしれない。6月の帰神にはともに帰り、仕切り直しになろう。そのときには吠え面かくほどの条件をつけてやろうと思っている。私だって幸せになりたい。見合いだってしたい。穏やかな暮しを夢見たい。ただ、もう隠すのはいやだ。何かを隠してまで結婚して、何が幸せになれるというのだろうか。
 時刻は午前七時半となった。私は顔を洗い、歯を磨き、化粧して服を着た。
シャンプーしたいという大三を残して、ホテルの勘定をすませ、明石へと向った。いい天気だった。
 無事姉を入院させてから、私は五月九日に大三と東京に来た。一時彼をどこかのホテルに住まわせ、受け入れ態勢が整ってから呼ぼうかと思ったが、あまりの疲れにほこりだらけの我が家に連れ帰った。それからは日々忙しく、息つく間もないといってよい。大三は毎日出かけてはどこかの駅前でラップする。私は掃除洗濯執筆に明け暮れ、あっという間に時はたつ。これが夢見た新婚生活かもしれないと思ってみたりする。この詩集は大三のノートから盗み見たものをベースに主に私が練り上げた。有名人になりたいと上ずり駆け回る大三に落ち着きなさいよという意味を込めて書いたものだ。(H19・5・24)
                                  


 半年後

 H・19年10月13日現在。
 私と大三は、別れて暮している。
このたび梨大三詩集を文学サロンにアップする運びとなった。彼は今、春日野道商店街で120kgの巨漢と暮し、最近再度上京を試みたが頓挫した。宿を頼まれた私は拍子抜けした。
今年4月26日に巡り会った私たち。
20日間の同棲には様々な無理があった。2人は生活の時間帯が違う。彼は完全な夜型で、その活動は屋外のラップと室内のDVD鑑賞にあてられた。午前4時眠っている私の腹の上に彼の足が置かれる。
「何か話したいのだろう」
 惚れた弱みの私は怒らずにただ黙ってそのままにさせる。煌々とした明るさの中で車雑誌を読む彼。ようやく午前7時頃眠りにつくという有様だった。食事の味付け、並びに食材についてはうるさかった。「朝」御飯時には特に不機嫌で、灰皿が目の前にないというだけで怒った。
 外出時には私のデッキで大声で「俺は大三!」と喚きまくる。
 20日後に出ていってくれたときには正直ほっとした。来るもよし、帰るもよし。まるで孫のようだ。
 次姉は5月27日に自主退院し、私は見守りのために帰郷した。風に吹かれても死にそうな采子に惣菜を作る。然し本音は大三を求めていた。両者のケアで甚だしく忙しかった。夜明けの町。高架下のモービル。錆の浮いた風景。お好み焼き屋こうちゃん。バケツ3つもって往復した歯欠け商店街。「今、若い女待ちや」と決定的な訣別の台詞を聞きながら愛撫し続けた夜。
 9月の帰郷の際には最早私たちの間にセックスはなかった。
 実家で重要な話し合いがもたれた後、私は姉たちには内緒で彼に逢った。シャワーを浴び、ただ眠るだけで小遣い1万円をせしめた彼を午前2時に見送った。「後、千円、朝飯代」と彼は手をさしだす。負けた。
 そして10月、家に帰った私はEモバイルのカードを入れるためのバックアップならびにウィンドウズアップデイト、サービスパック2設置すべてを自力で行い、疲労の極地に達した。無事カードを入れ、プリンターを修理に出し、パソコンが使えるようになった。この間、山崎哲先生が「文学サロン・ドラマを書く」のHPを自立して立ち上げられ、どんどん作品を送って下さいとの有難いお言葉を下さった。ここに梨大三の詩集をアップさせて頂く仕儀となりました。有難うございました。(H19.10・13)
                                  


 転落の族

         作詞・MC・おばあ


俺は大三! 俺は大三!
MC・大三 在日・大三
二階から転落!
二階から転落!
工事現場で転落!
いってってっ! いってってっ!

尻にセラミック
尻にセラミック

俺は大三! 俺は大三!
元族! 暴走族!
元族! 暴走族!

今は身障者 2級!
今は身障者 2級!

転落の族! 転落の族!
俺は大造! 転落の族!

俺は大造! 37歳!
転落の族!
二階から転落!
転落の族!
いってーよ! 尻が!

でも絶倫!
でも絶倫! 絶倫の族!
転落の族! 絶倫の族!


  ガキの詩(うた)           

         作詞・MC・大三


俺は在日韓国人!
尼の下町、丸島で
アボジは仕事をほったらかし
1日カラオケに夢中だぜ!

オモニはバリバリ働いた

俺の服は
オモニが解体現場から
持ってきた拾い物だよ!

下町には
1日中、タケノコタケノコと
ほざいてる奴がいた!

無免でバイク乗り
黒タンに単コロのキーぬかれて
つかまった間抜けな奴がいたって
それは俺だよ!

てっちゃんは顔面狂気で
ケンカが強い!

俺は口では負けねえから
ケンカしないですんだよ!

俺はアゴだけで生きてきたあ!
ペテン師といわれてもかまわない!

口だけ番長で
諭吉さんガッポガッポ稼いでやるぜ!

え〜、女かい?
女は勿論好きだよ!
ナンパは成功するまで帰らないぜ!

俺の顔とアゴで落ちない女はいないぜ!

そう、俺は在日韓国人! 尼の下町で生きてきた!


 ぬすんだ道具で

         作詞・MC・大三
 
 ぬすんだ道具で化粧する
 ぬすんだ道具で化粧する

 誰にも素顔はみせないわ
 誰にも素顔はみせないわ

 ぬすんだ道具で化粧する
 ぬすんだ道具で化粧する

 顔を消すまで化粧する
 顔を消すまで化粧する

 だます相手は一人だけ
 だます相手は一人だけ

 誰にも素顔はみせないわ
 誰にも素顔はみせないわ

 ぬすんだ道具で化粧する


 下着泥棒

         作詞・MC・大三

 今日はカラッと洗濯日和
 今日はジメッと泥棒日和

 黒いハイレグ
 紫ブラジャー
 特に紫
 むらむら来るぜ
 元気になるぜ

 いけねえいけねえ
 泥棒日和

 思わず掴んだ紫パンティ
 思わず掴んだ紫スリップ

 こすっていったよ泥棒日和
 ああんっていったよ紫パンティ
 頭にかぶったハイレグパンティ
 こすっていったよスリスリスリップ

 どんな女やろ、これ着てたん


 おばあに拾われて 
      
         作詞・MC・おばあ

 おばあに拾われて
 6000円で拾われて
 出てきたよ 東京

 おばあに拾われて
 三宮で拾われて
 ホテルにいったよ

 兄さん、ええセンスしてるやないの
 兄さん、あっちできゃあきゃあ言うとったよ

 おばあはいったよ
 おばあはいったよ 擦り寄ってきたよ

 俺は大三 MC・大三
 しがないラッパー
 しがない中年

 おばあと2人ベッドにおちて
 おばあと2人ベッドでころがって

 無闇やたらと時間かけて
 無闇やたらと時間かかって

 やっといけたよ
 三途の川の向う岸へ
 三途の川の向う岸へ

「小遣い6000円でええから頂戴
うん、6000円でええから」

えらい安いな おばあはいった
おばあに拾われて 6000円で拾われて 出てきたよ 東京へ
あとがきにかえて



 昨年の春、離婚してから1年余り。書いて生きていけるなら何でもやろうと思っている。孤独は思ったほど悲痛ではなく、豊かで深く暖かいものと知った。この1年のことを包み隠さず書いた作品は1字ごとにフィクションとなり、架空の世界を形作る。

 ここにいる梨大三も独り歩きする青年となった。
 
 私には語らねばならないことがある。騙りをもっても伝えたいことがある。人が狂うとはどういうことか。生の渇きとは何なのであるか。これまで隠し通してきた生い立ちはまだ多くの人の目にさらされることはない。
 
 去年の秋、どうしても行き詰って山崎先生に尋ねたことがある。私にとって長姉の正子だけがどうしても解明できない謎だった。優等生で、家族の危機管理能力にすぐれている正子は殊に計数に明るかった。然し、私は彼女によって本当に救われたという実感が乏しい。

 なぜだろう。彼女はあれほど緻密で周到なのに私はどうしても有難いとおもえない。

 先生はいった。「それは正子さんが苦しい家族の人間関係を直視するのを避けるために計数や緻密な作業である刺繍に打ち込んでいるからだろう」。目の前の霧が晴れる思いだった。これまでの負い目が一気になくなった。
 私は姉妹の相克を描く「あふれ水」という作品にとりかかった。

 ほどなく持病の鬱が重くなり、回復の兆しが見え始めたとき、丁度「あふれ水」のように次姉采子の精神病が重篤となった。采子一家の濁流が私に押し寄せ、その中でようやく入院の運びとなった。

 采子は甘やかされて育った。物心ついてからの私は采子の暴力と仲良くなっていた。明るく暴力で邁進する采子。そのことが異常であるなどと露ほども思わず20歳になった頃、私も采子も狂っていた。
 歪んだ魂が同じ魂を失い、欠落を補うためによばれたその魂は・・・・・。

 かなしいけれど大三もまともではない。

 采子を病院に送った前日、抱きしめた魂も荒んで痛々しかった。幼稚で暴力的な魂をなぜ私はこれほど求めるのか。かわいそうな人はこの世にひとりもいないというのに・・・・。書かれるためならいつでも来るがいい。すると影をひきずり彼らは去っていく。ひとり。またひとりと。寂しさはない。残した足跡がある。ただそれだけがある。(H19・10・13)