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山崎哲
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茶房ドラマを書く
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01物干し竿 岩波三樹緒

茶房ドラマを書く/作品紹介
<石喰ひ日記>  神戸寄港(U)  小泉八重子

(2007年山崎賞最優秀賞)

この作品はあくまでフィクションであることをお断りしておきます。                          

二〇〇六年十一月十三日 月曜日 晴れ

 この日は長姉正子(しょうこ)が来る。私にとってふるさととは、風景ではなく、この正子という現実である。正子をよんだのは私だ。来年の春からこのマンションを人に貸す。ついては中味をがらん洞にしなければならない。そうだ。まだ母が生きているというのにだ。生きながらにしての形見分けである。それを来年の春にするというので、私が来年の一月から就職活動をするから、十一月に形見分けをしてくれと言ったのだ。
 本音をいえば、私はここで暮したい。家賃が浮くからだ。だが正子はそれをゆるさない。たとえゆるしたとしても様々な注文をつけるだろう。母のめんどうをみるのは勿論のこと、一刻も早く自立すること。そして出ていくことだ。
 私はその彼女の望みにこたえられない。きっと目にあまることをするだろう。鬱になってだらだらと眠りこけ、男ができて、ここにひっぱりこむかもしれない。姉たちは言う。
「何かそんなことになりそうな気がする」
 その上、パソコンに向いこの家のことを洗いざらい書き飛ばすだろう。本当いえば、それはこの家にとって非常に風通しのいい行いだと思う。私がここで書くということは長い間続いた迂路家にとって、滓りのようなものをおとすことになるだろう。性がみたされずにいると、左肩がこるそうだ。そして息がつまり、頭がおかしくなるという。両親がこの家で最後にぼけ狂ったのもそのせいでないかと思うのだ。だから私がここで男と戯れ、そのことを書くのは、まだそのかたわれは死んではいないが、両親の弔い合戦となるのだ。ここで男と戯れると思うだけで大変すがすがしい思いになる。
 姉たちが怒るのは、自分たちこそそれがしたかったからに過ぎない。
 ああ、しかし、私も小心者で、それができない。真面目に呪われてるのだ。正子が来るといって形見分けがしやすいように物の整理をした。名画が二点ある。それをいち早くみつけ隠匿しなかったのは、私の度胸のなさだ。
 私はこの日、岡本の二楽園でトンコの快気祝いのポインセチアを買った。彼女が膝だけではなく、乳がんも患ってるのを知っている。その彼女に自分の縁談を頼まねばならない。ポインセチアじゃあ安すぎるかなと思いつつ、これしか買えない。
 夕方、正子にと作ってある大根と玉葱しらたきと豚の煮物、それに鮒鮨を用意しようと思ってやめた。高いからだ。
マンションが近づくにつれ、気が重くなるので、フンフンと鼻歌まじりに歩き始める。そして部屋の前に立ち、ドアに鍵をさしいれる。取っ手をひくと、ストッパーのどすんという鈍いショックがくる。仕方なくベルをおすと、
「何? 唄なんかうたって、よっぱらってんの?」
 とのっけから攻撃的な正子の口調である。
「トイレットペーパーがなかったでしょ? 頭に来たわ」
 続けて怒る。
「ああ、一個はあったでしょう。まあ、私も貧乏になったからわかってもらおうと思ってね、あえて買いませんでした。お母様のお金から出して頂戴」
 のんびりと言い返す。テレビの前で大きな尻をでしんと据え、黙って無視する正子。灰色のズボンにくたびれたピンクのセーター。
「草もちと栗買っておいたよ」
 と言う。
「そう」
 私はケーニヒスクローネの安菓子を差し出す。少し機嫌が直る。煎餅も出す。
「それで、夕食は?」
 正子が言う。
「まだよ」
「駅前の二重丸でおごったげよか?」
 何だか酒がまずくなるような気がした。地下の居酒屋で、個室もあるというのだが断る。
正子と二人顔をあわせるのもどうもなあ。


二〇〇六年 十一月十四日 月曜日 晴れ

 今日から、生きながらの形見分けを始める。彩子が十時半頃にやってくる。私はスケデュール表を作ろうと、カレンダーを一枚やぶり、一日毎に折り目をつけようとすると、
「何もそんなんせんでいい」
 と正子が突然怒り出し、そんなものは必要ではない、この二、三日のことがわかればいいのだとまくしたてた。また、できあがって罫線をひくと、そんなわかりにくい色でひくなと言った。
 バカヤロー。いちいち文句つけやがって、長女の甚六が! と思ったが、ならぬ堪忍、するが堪忍と安宅の関弁慶を決め込む。これから始まった形見分け。先ず、それぞれがダンボールを組み立て、頭文字を書く。ここに取り分をしまい込むのだ。そして私がクローゼットの中味をカーペットの上にならべると、また正子が
「そんなことせんでいい!」
と黄色い声をはりあげるのだ。何だってえの! 広げてみないとわからねえじゃねえか! かまわずにカーペットにひろげた。
「この二つのクローク、彩ちゃんから五点とっていって」
 洋服の中から選別していた彩子が、姿見にコートを着た自分をうつす。彼女は欲が深いわりに間がぬけている。寸法のあわない衣類より、骨董に目を向けないのか。
「分けるのは、先ず衣類だけにしょう」
 正子が言う。
「なんで?」
「骨董は外の納戸にしまっといた方がいい。何ぞのときに売れるかもしれんし」
「納戸においといたら傷むよ。気がついたときには売るに売れんねん」
 金目のものを狙ってきた私としてはそういわざるをえない。すると彩子が
「それもそうやね」
 といって、上棚のものを取り出し、広げ始めた。するとそこに掛け軸がある。
「まさかこれ、鏑木清方じゃないよね」
 彩子が言う。
「あるとは聞いてるけどね」
 正子が言う。紐を解き、するするとあらわれる絵。夢路のようなふなふなとした着物姿の女があらわれる。
「鏑木やわ」
 そう……、力なく私は答える。そしたらそれは彩ちゃんのもんやね。ただ飾るだけなら私に頂戴。お前ら、それは宝の持ち腐れだ。困ってる妹を助けなさいと言いたいがいえない。彩子は微笑む。
 休憩となる。私は昼にいかりスーパーで買ったきつねうどんを食べ、正子はダイエットのため柿とりんごを食べ、彩子は外に食べに行った。
 午後から二軒目のクローゼットの上棚にあったもう一つの掛け軸を正子が取り出し、あけると、獅子頭が出てきた。
「前田青邨やわ」
 みたところ、あっさりと描かれた能の獅子頭面である。正子のものとなる。
「もう一つ、女獅子頭があるはずや」
 正子が言う。
「私はそっちがほしいねん。それが出てきたら、たえちゃんにこれは譲るわ」
 そしてもう一幅、無名人の帆船の掛け軸が出てきたが、これは私のものとなる。何だかとってもみじめだった。姉たちが売れ、売れと手渡すのは貧しい布の切れ端だったり、壊れたカメラであったり、どうみても大したことのない人形だったりする。
 三つ目のクローゼットから毛皮のボアつきのコートが出てきた。誰のサイズにもあわなかったので、正子がボアだけをほどいてくれて、私にくれた。
 最後のクローゼットまで来て、スカートをはいたり、ブラウスをぬいでみたり大騒ぎとなった。そして母の部屋まで来てようやく本日の形見分けは終った。
 私は思う。なぜ自分のためにもっとわるになってやらなかったのかと。
 夕食は終った。正子は言う。
「たえちゃんは慰謝料一億円か、三億円か目指して、結局二、三千万しかとれへんかったね。あんたは何でも試してからやないとわからへんて言うてた。私がそんなん無理や言うても、だめ、試さない限り前にすすめない言うてたね。これからも何でもそうやって進むんでしょう。見合いもする言うて。何でも試さないとわからないんやろね」
 私は段々むらむらしてきた。私が三億円を目指したからって、正子に一円の金でも請求したというのか! はたまた見合いをするから、男を紹介せえとでも言ったのか!
「あのねえ!」
 私は爆発した。
「私が私の人生一歩踏み出すのに、何の文句があるのっ。試して失敗してるのは私じゃないの。これからも失敗して、それでおかしいなら笑ってなさいよ。自分こそ勇気がないくせに、いじいじしてないで恋人でも作りなさいよ。私がみんなに迷惑かけないで、結婚しようとしてることの何が悪いのっ」
「ああ、そう」
 正子は一旦しぼんだ。すぐに持ち直した。
「私は恋人はいらんっ! 年金あるもん」
「あ、そう……」
「それにたえちゃんには絶対見合い相手紹介せえへんわ。男遊びに狂ってた人のめんどうなんかようみいひん」
「いいよ。正ちゃんに紹介されるような人、私いらんから」
 言ってるうちに段々みじめな気持ちになってくる。正子の家の前で門付けして、借金でも申し込んで、一晩中ねばってやろうかという気になってくる。
「私のこと何でも否定して」
 私は言い募った。すると正子はこう答えたのだ。
「それは私が親に愛されたことないからや。私は誰からも愛されなかった。だから誰も愛してない」
 正子は確かにそう言った。
「お父様も、お母様もおばあちゃんも、私は本当は好きじゃない」
 私はしんとなってしまった。
「そうだろうと思うわ」
 としか答えられなかった。深田町のふきぬけの台所の天井から、二階の納戸に押し込められた正子の泣き声が聞こえてくる。
 テレビにうつった金正日の顔。有名になりたいとずっと願い続けていた正子がその画面をみて言った。
「キム・ジョンイルも言うてるやろね」
「何て?」
「将軍なんかいらん。ハンサムな顔がほしいて」
「そやろか」
「そうよ。私、もっと美人に生れたかった」
「だけど、美人でもあほで貧乏やったらしょうがない」
「いや、あほでも貧乏でもいい。美人がいい。たえちゃんの方がいい」
「何、それ」
 私はわらった。彼女は幸せを望んでいないといいながら、結局幸せを望む私に激しい嫉妬をもやしているのだ。夜中の二時まで馬鹿な言い争いは続いた。


二〇〇六年  十一月二十日 月曜日 晴れ

 今日は午前中彩子が着て、十時半頃から形見分けを始める。洋服ダンスは先ず彩子が好きな服を取って、後は正子が取り、私が狙っていたスカートまでとられそうになったのでやきもきした。引き出しの小物を開示すると、カシミヤのマフラーはいらないと彩子は言う。カフスボタンもいらないといい、大幅に残る。正子は裁ちバサミと植木バサミを取る。私がやられたっと言うと嬉しそうな顔をした。また小さなほうきを取る。
 彩子が
「わー、私、自分の探してたのがここにあったー」
 と言ってジャケットをひっぱりだした。整理の悪い彩子はここに寄宿中どこに何を入れたのかさっぱり覚えてないのだ。
 本棚にうつる。彩子はなにも要らないという。母は長年、俳句をやっていた。風詠会の誌上にとりあげられたこともある。リボンのついたそれだけを取り除き、後は辞典や地図の類が残っている。
「墨東綺譚の初版本があるよ」
と正子が彩子に言う。ああっと当然のように彩子がとる。私が平家物語の古本を手にとると、彩子がすかさず言う。
「それは価値のある本やから、お母様が絶対売らんといて言うてた」
「そう」
 是非売らねばならない。後は般若心経のダイジェスト写真本をとった。
 昼から私は美容院に行く。夜にトンコと安里、スガミキに出逢うからだ。アレックスの予約はやめにして、芦屋大丸のみどりに予約を入れる。
「アレックスはあたらしめやから、どうもね、どうされるかわからへん」
 と私が言うと、正子は正座しながらおこりがついたように
「たえ子の髪の毛、みどりでめちゃめちゃになれっ、めちゃめちゃになれっ」
 とおどけて言う。
 これはめでたい。正子は私との言い争いで心の眼が開かれた。陰険に説教されたり、心配されたりするより私にとってはずっとすがすがしい。
「いいねえ、安里先生と逢えるなんて。私も行こかなあ」
 彩子はいう。 
予想どおり芦屋大丸のロイヤルみどりには、髪をひっつめにポニーテールにした太った女がセンス悪くまとめようとするので、その手をはっしとつかみ、
「頭頂部ぺったんこにしないで下さい」
 といった。横を波うたせるのも気に入らなかったが、注文をつけているにもかかわらず波うつ。一体どういう神経か。そこそこ終らして、手櫛でめちゃめちゃにしてからかっこをつける。何とかなった。
 芦屋大丸をみる。ここは芦屋マダム御用達というか、はんなりと高価な品で埋め尽くされている。値段をみているうちにふざけるなこの野郎と思わない人はいないだろう。
 JRの駅から本山に出て、阪急岡本で乗り換え、特急に乗り間違えて三宮までいってしまった。携帯で、スガミキに連絡すると、もうついてるという。あわててUターンした。
阪急御影に着く頃にはもう暗くなっていた。
 にしむら珈琲店に入ると、やかましい方の店内に杖を置いたトンコが目に付いた。トンコはスガミキや私よりずっと人生を深くかみしめてるようだった。車椅子になるのが一番早いかもしれない。クラス会の話題になる。
「トンコが幹事のとき、来てくれ言われて行ったけどね、入ったら、ええ、あの人どこのお婆さん? いう感じの人がいっぱいいたよ」
 とスガミキがいう。トンコもいう。
「そっ、みんな婆やねん」
 そして婆らしく、二人は寺の戒名の話になる。寺に尽くした檀家の墓は割安になるという調子で、トンコもすっかり寺の大黒だ。
「安里さん、来てはるんちゃう?」
「行こか」
 席を立って、駐車場にいく。スガミキの運転で、御影山手にある和楽へとめた。ガーデンヒルという高級グルメモールだ。
和楽の昭明の中、真っ白髪の品のいい男がいた。
 紺のジャケットにブルーのシャツ。カラフルなベストが似合っている。確かに品はいい。然し、思ったほど素敵ではない安里。スガミキに支えられてきたトンコだけが興奮してしゃべりまくった。御馳走も思ったほどおいしくなく、私はトンコの勢いにのまれた安里の横顔を無感動に眺めた。
 食事の後、安里の案内で芦屋業平橋袂のルーランというバーに寄る。ルーランの店内は赤銅色の昭明で、私は何だか落ち着かなかった。一昔前の生演奏のある隠れ家的な雰囲気がちょっと恥ずかしかった。トンコが奥に座り、安里の横に私、そしてスガミキが座った。背もたれの低い椅子がしんどかった。
 四人の中で一番しゃべったのはスガミキだった。前ふりの長いしゃべりで、私はそこをぶった切るように下品なフレーズを入れるので、話はあらぬ方向にいった。
 スガミキは美大を出ている。四人の友達がいる。そのうちの一人が結婚後、犬の調教師にひっかっかったというのだ。
「私もね、年金狙いで結婚したいわれて馬鹿にされたんやけどね、その馬鹿にしたミズエっていう高慢ちきな女が、結婚後、夫以外で離れられなくなった男がいるんよ」
「へええええええ」
「金も美貌も芸術的センスも自分がピカイチやと思ってる女がよ、五年間別れられなかった男がね」
「犬の調教師!」
 私がいうと、トンコが続けた。
「私、ミキから聞いたわよ、それって、足のつま先から頭のてっぺんまで全身なめまわしてくれるんだって」
一同むせび笑う。   
「そう、それにね、その男、みかけもなってないの。部屋の中もぐっちゃぐちゃで不潔で。だけど別れられなかった」
 スガミキがいう。
「怖いなあ、怖い、怖い」
 南里はいう。私はこの時点で彼を見限った。
 これほどのサービス話をされっぱなしで返さない男はスカだ。
 しばらく話は続いた後、スガミキとトンコは先に帰ると席を立った。安里とママと私が残った。愛くるしい顔立ちのママはいう。
「せんせ、びっくりばっかりしてんと、せんせが好きな人をなめまわさないかんのよ」
 それでも安里は膝を崩そうとしない。神戸ではK学園の先生という立場がそうさせるのか。冒険家で世界百九十三箇所を巡って女も買ったというにしては上品すぎる。まあ、こんなもんだろう。私が男を買った話をしたのは勿体なかった。
 午前一時までのみ、ママはプジョーの車で、先ず安里を芦屋のマンションまで送った。
「お帰りになるまでに是非またお目にかかりましょう」
 安里はそういって、手を差し出したから握手した。それはふつうの握手だった。この後なにごともないだろうという握手だった。
 ママは私を六甲のマンションに送るまでに、あの店をひきついでくれないかといった。
 一緒に頑張って働きましょうという。それはまるで女学生のノリだった。それにしても家賃も滞りがちなあのバーをか? 頓珍漢は安里だけではなかったようだ。あいまいな実家帰りはあいまいな人脈しか生まないのだろうか。いやになってきた。


二〇〇六年 十一月二十一日 火曜日 晴れ

 午前中眠る。何か自家中毒のように気分がすぐれない。
 午後、本棚を形見分けする。和室に入る。和ダンスの中の着物に移ろうとすると、
「今日はいや! みない!」
 と正子がだだをこねる。
「台所にする?」
 と正子がいうのに、今度は私が
「いや!」
 とだだをこねる。押入れに移行する。中には蒲団、毛布、額縁、母の衣類がある。パジャマのような綿シャツを取った。顔にあてると明るくうつる。正子が
「それ、滞在中に着てもいいけど、お母様のタンスの方に返しといてね」
 という。絶対に返すもんかと思う。灯明の電飾が出てくる。額縁の中に金山平三とあったが、これは印刷だった。疲れたという二人を食器棚に案内した。電話がなる。安里からだった。
「この間は有難うございました。御馳走様でした」
 私は礼をいう。
「いえいえ。実は今ね、オリエンタルホテルで昼食夕食つきで二人部屋がとれるコースがあるんですよ。残り少ないサービスですけどどうされますか?」
 どうされるかって、何だよ、それ。然し、オリエンタルで食事も悪くない。部屋に監禁されるのがいややなあと迷ってるうちに
「わかりました。とっておいて下さい」
 と返事してしまう。何だかボランティアを引き受けたような心境になる。
「あなたの話聞いてね、何だかむらむらした」
 そう囁かれてもなあ……。受話器を置く。
「誰から?」
 正子が聞く。
「ああ、デイト」
「安里さんから」
「そう」
「よかったね」
 何が……。彩子は
「やるわねえ、あの先生も」
 という。姉たちを動揺させるのは面白いが、ただそれだけだ。
 食器棚の中では正子はスプーンとフォークセットをとった。その銀製品は私が磨いておいたものだ。まあいいだろう。ぐいのみもとった。
 私たちの母方の祖先は忠臣蔵につながる。間十次郎という、吉良の首を切った侍だ。炭小屋にいる吉良をいちはやく見つけ首をとった。::と思う。違ってるかもしれない。いずれにしても執念深く機敏であったのは間違いない。それをいうと、ゲシルは
「あ、たあ坊のお母さんやったらやるやろな。『いたわよっ!』いうてあっさり首切りよるやろな」
 といった。その四十七士の長である大石内蔵助の安っぽい盃を正子は外の納屋に保管しておくという。わからない。母が赤穂市に寄付したので戻ってきたものだ。それよりも塩盃が珍しい。酒をいれてのむとしょっぱくてのみほせたものではない。こういうおかしなものの方に価値を見出すのが私の人生が狂う一歩かもしれない。正子と私は蟻ときりぎりすのようにその人生を競い合ってる。それにしても地味なきりぎりすだ。
 その間の彩子は滅茶苦茶ながらに積み木が一番うまく立っているといえるかもしれない。唯、彼女はそれを有難がる心が壊れている。そこが魅力だ。


二〇〇六年 十一月二十六日 日曜日 曇りのち晴れのち雨 
   
 九時に起きる。自家中毒はなおった。十一時、兵庫駅に安里と待ち合わせている。
 どうしてもホテルに囲われるのがいやになった私は安里に
「もっといかがわしい場所に行きませんか」
 と誘ったのだ。すると
「どこ?」
 とむすっと答えたので
「兵庫駅」
 と答えたのだ。
「始まりはオーソドックスな場所にしたい」
 安里はいった。何がオーソドックスや。
「やることはオーソドックスではありません」
 いうと、安里は苦笑した。
「お付き合いしましょう」
 そして今日、十一時、安里は兵庫駅に、透明な傘をもってあらわれた。こげ茶色のベルベットのジャケットにベージュのセーター、グレーのズボン。品がいい。
 私はマホガニー色のコートを着ていった。ボロ隠しである。
 安里は私をみとめるとにっと笑った。
「それで? これからどこ行くん?」
 と言う。もうこの辺りからがっくし疲れる。
「あー、そうね、ここから和田岬いきたいと思ったけど、電車夕方しかないから、板宿いきましょか」
 本当は全然行きたくない。
「そこがいいのね?」
「はい」
 板宿までの切符を買う。いかなごの釘煮がおいしいとこだが、別にそれが食べたいわけでもない。駅につき、ブルーカラーの親爺の群れる中、市場に行く。平台に釘煮を置いてあるところで
「この辺でおいしいお昼食べさせてくれるとこない?」
 と聞くと、
「『大』っちゅうとこが旨い」
 とおやっさんがいう。安里は釘煮二百円を買う。歩きながら安里の前妻のことを聞く。エアフランスの支店長と恋に陥った前妻は、自立したかったらしく、今は編集長になっているという。自分はそのとき中近東で遊んでいたから仕方なかったという安里。
 うどん屋に着いた。きつねうどんにビール、ししとうと肉の炒めたのが出て、安里はいかなごを取り出して食べた。子供が水をもってきたときに微笑んで、「ありがとう」というのがやさしいふうだ。白髪のおっさんをケアしてるような気分になる。
「僕、心臓の検診うける」
「そう」
「もしかして入院になるかもしれん」
「へえ」
 後が続かない。食べ終って店を出る。市場に戻ると、大将が
「あ、さっきの店わかった?」
 と聞いたので
「ありがとう、おいしかったわ」
 明るく答えた。駅に戻った。そこから新開地に行った。新開地は私たちのようななりをした男女の行くところではない。少し前ならどつかれただろう。ひたすら場違いで浮いている。商店街を抜け、雨の湊川公園を歩いているとわびしいバス通りに出る。
「しあわせの村」という看板が目に付いた。安里はいう。
「しあわせの村、行ってみる?」
「うん」
 坂道をのぼったところかと思ったが、どうやらそれはバスでなければいけない場所にあるらしく、今更神戸駅に戻るのも業腹なのでバスに乗ることにした。夢野という駅を抜け、トンネルを抜け、風景は広々とした山間の道となる。紅葉は雨のもやにけぶっている。隣の安里はちっともいたずらしようとせず、大人しくしている。しあわせの村に入る手前に長屋みたいな商店街があって、本来ならそこがいかがわしい場所だ。
 然し、安里と降りると悲惨なことになりそうである。
 それは決して私が望む悲惨ではない。
 何もないみすぼらしい場所。ここに降りた安里は一言、
「何もないね」
 か何か言って薄い唇をひらき、にっと笑うだけだろう。
「こういうの好き?」
と言われたそのとき、何もない場所はすーっと貧血をおこしてぶっ倒れるだろう。
 笑うな、安里。その薄い笑いで、いかがわしさをくるみこんで亡きものにしちゃうその浅はかな魂胆というか……。私はそのくるみパワーで自家中毒を起すのだ。段々アタマに霞がかかり、臨終のゲーテのように
「もっとひ、光を……、さ、酸素を……」
 と、細い、細い手をのばすのであった。
 安里と「しあわせの村」の終点に到達した。そこは広い芝生の庭の、温水プールと温泉と、ジムのある煉瓦屋根の建物で、
「こういうことがない限り絶対に来ないだろうね」
 と安里のいうとおり、山奥にあることが何となく無意味にみえるだだっ広い施設であった。だがそれであれば尚更辛辣なマシンガントークとなるのだろうが、安里は大人しく品よくビニール袋に透明の傘をさし、いかがわしいパワーさえない、庶民的な温水プールの前のゲームコーナーにいった。食べ物屋といえば居酒屋しかない。
 私はそのコーナーで激しく太鼓を叩きたかったのだが、安里が横でやんちゃなお嬢様をみつめるように、薄ら牽制するだろうことが予想され、なえた。
 ずうっと吐き気がしていた。こいつと寝たら何か違ったことがあるんやろか。ひどい展開さえ望むようになってきた。
 私たちは中途半端な居酒屋風テーブルに座った。安里はそこでまたビールを頼み、枝豆とプチ揚げ餃子を並べて、トイレから帰った私に
「これ、おいしそうでしょ」
 という。五個のうち安里は二個食べ、私も同じ数だけ食べた。そして残った一個が何だかとてつもなくまずくみえるのは、私がつまらないせいだろうか。私はいった。
「先生は、オリエンタル二人部屋とったのは、つまり私と寝たかったんですよね」
 安里は黙ってうなずいた。
「そうですよね。でもそれは無理です。私がはだかになってしゃべったのと同じ分、先生はぬいでませんね。今、私と寝ようと思ったら、少なくとも二十万はいります。これが私の心身ともの裸代です。これから私は男も金もいっぱいほしいんです。いっぱいなければ生きていけません。先生だけでは足りないんです」
 安里は噴出し、ずっこけた。
「そうなん?」
 という。
「そうです」
 と答えた。安里には私の甥が世話になった。受験票をなくしてるところを助けられた恩人でもある。だがそんなことは関係ない。
「はっきり言おうと今日は思ってきました。わかりやすいでしょ?」
 いうと、
「しかし……」
 と安里は絶句し、
「日本で素人の人から目の前で値段いわれたんは初めてや」
 といった。
「海外では……、何を買われるんですか?」
「黒人……」
「黒人……、それでいくらなんです?」
「二百ドル」
「へー」
「安い?」
「安い」
 安里は二十八で前妻と離婚した。そのときは朝昼晩と女がいたそうだ。料理でおびきよせたという。そして今の妻と結婚して、息子と娘がいる。Sテレビのアナウンサーだった妻は創価学会で、衣装代で破産しそうだというのだ。その妻を安里の母は気に入っておらず、ぼけたというのに安里一人がめんどうをみているのだ。弟は役に立たず、逆に母親の厄介になっており、安里の肩には家族三人と母と弟の命がかかっている。生命の灯火が消えかかってる男が、今、私の生命力にすがりたいというのだ。
 それにしては必死さがないねえ。
「弟のことは秘密にしてね。今も彼のことを夢見てる人がいるから」
 安里はそういう。何だかとってもさびしい。
 弱みを晒し、笑いに変えていくしかないんじゃない? そういいたかったがやめた。
(俺、ほんまぼろぼろやねん)
 いうてくれたら助かった。それでもしあわせの村で、ワニの尻尾で馬の頬ゲタを張り飛ばすというゲームをやり、六回まで頬ゲタを張りそこない、安里を妙に安心させた。バスがきた。神戸に出た。途中新開地で降りようとした安里をとめた。
 バスを降りると安里はハーバーランドに行きたいといった。そのハーバーランドの向いにオリエンタルホテルがある。
「あのオリエンタルやったらよかったかな」
 と、また安里はあほなことをいった。
「心臓の検査して入院して、戻ってきたら、心解いてくれるかな?」
 という。私はふかーい吐息をつきたかった。
 ハーバーランドの焼肉店ではスペアリブが二人前四千三百二十九円で、かたかった。明石大橋まで行く白く大きな船。その出航時刻に詳しい安里だった。
 窓にふきつける雨は何も語らず、私が安里において、心に残ることがあるとすれば、酒と煙草と女とエスプレッソという心臓に悪いことばかりが好きな男であったということであった。安里は十六歳の初体験を語った。
「家の向いの女の子がお母さんの留守によんだから、処女と童貞でやった。夢中のうちにやって、そしてやった後になってからお母さんにうちの娘を夜に誘わんといてほしいと言われた」
 私はそのセックスが痛そうに思えた。女の子にとってはその後のケアの悪そうなセックスだと思った。
「友達にオナニー教えたことあって」
 と安里はいう。
「そしたらその友達、今度はとめ方教えてくれ言うねん」
 何だか寸止めの笑いで、不消化の滓がたまった私の脳味噌はじくじくと油漏れしてぬっとり疲れている。肉はうまくなく、店を出た後首筋が寒かった。
 駅まで行き、三宮で乗り換え、阪急六甲までついてきた安里は六甲おろしにふかれた。マンションの前まで来て、
「よかったらお茶でも」
 と誘う私に
「そやけど、お姉さんいはるんでしょ?」
 と当り前に逃げる。そして抱き寄せてキスくらいするのかと思ったら、安里は私の手をとり、その甲に上目遣いでキスをした。せめてこのあたりで判子ついといたろみたいに。
 別れてせいせいしたという感慨もないまま、私は帰った。そして安里に二十万ふっかけたことを正子にいって初めて毒をふきかえし、息をついた。
 爽やかさがなぜか重い安里だった。