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山崎哲
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茶房ドラマを書く
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01物干し竿 岩波三樹緒

茶房ドラマを書く/作品紹介
<短編>    テツオ   瑠璃子

 ミツ子叔母は、私の母の妹で小田原に住んでいる。フリルのついた薄手のブラウスが好きでいつも着ている。熱い飲み物が苦手で、紅茶もコーヒーもカップを両手で包んでゆっくり冷ましてから飲む。前歯に息を当てる感じで小声で話す。色白で小柄。肉の薄い背中を絶えず恥ずかしそうに丸めている。叔母を見ると、私は小学生のとき飼っていた小さなウサギを思い出す。

 叔母は、三百坪を越す敷地の古い屋敷でテツオと暮らしている。一日の大半を南向きの居間に座って過ごし、窓のレースカーテンは天気がいい日でも開けない。コルク地の床には、陶器の鉢に植えられた観葉植物がいくつも置かれているけれど、たいていは枯れかけている。その他の空間は、大小の額に納まったテツオの写真でびっしり埋められている。
 客が来ると、ミツ子叔母は自慢の息子の話をする。目を細めて、額に入った写真を大事そうに客に見せる。額の裏には、黒いマジックインキで『テツオ、運動会』とか『テツオ
高校卒業式』とか『テツオ 成人式』などと書き込まれている。
「ほう、立派な息子さんだ。おいくつになられるんですか」「三十五ですのよ」と、はにかみながら叔母は答える。「ミツビシ商事に勤めておりましてね、今はニューヨークに出張で参っておりますのよ」
 もしその客が、ちょっと注意深い質なら気づくはずだ。額の写真の少年や青年は、それぞれ顔が違う。成長とともに太ったとか痩せたとか容貌が変わったとかいうのではない。まるで別個の人間なのである。奇妙だなと首をかしげても、目の前の叔母はにこにこしている。問いただすのも失礼な気がして、ほとんどの客は叔母に調子をあわせて会話を続ける。「お孫さんは」「孫どころか、結婚もまだですのよ」「お仕事がお忙しくていらっしゃるから」「そうなの。でもね、出張先から帰ると必ず私にお土産を買ってきてくれますの」「それはお優しい」「そうなのよ」「孝行息子さんだ」「おかげさまで」という具合に。
 
 きっかけは、数年前の出来事だという。叔母は久しぶりに小田原駅近くに買い物に出かけた。年末の商戦でデパートは混雑していた。人ごみが苦手な叔母は、すぐに気分が悪くなってしまった。目にとまったベンチでうずくまっていると、大丈夫ですかと声をかける人がいた。背広を着た青年だった。このデパートは暖房が効きすぎるな。ぼくもときどき気持ち悪くなりますよ、と言って彼は眉をしかめた。少し休めば大丈夫ですからと叔母は答えた。ちょっと待っていてくださいと言って青年は姿を消した。戻った彼の手には冷茶の缶が握られていた。どうぞ、これ飲んでください。何度も頭を下げる叔母に、いいんですよと手を振って青年は立ち去った。
 後ろ姿を見送りながら、ああ、私にもあんな息子がいてくれたらと叔母は思った。思いは日がたっても消えなかった。何度も何度も繰り返し思った。思いは願いになり、熱望になり、祈りになった。長い経験から叔母は、祈りというものは、たいていかなえられないと知っていた。だから自分でかなえることにした。彼女は架空の息子にテツオという名前をつけた。

 若い頃、ミツ子叔母は一度結婚したことがある。横浜の文具販売会社に勤めていたとき、応接室に飾る花を毎週届けに来ていた花屋の青年に見そめられてプロポーズされた。青年の実家は小田原で大きな花市場を経営していた。観賞用の花だけでなく、農作物の苗木や種も手広く扱っていた。嫁として、叔母も当然商売を手伝うように言われた。仕事はきつく、重労働だった。それが早朝から深夜まで続いた。おまけに、従業員たちの三食の世話も彼女の役目だった。休む間などなかった。
 一年もしないうちに、叔母の中で何かが壊れてしまった。日が昇っても布団から起きあがれなくなった。誰とも口をきけなくなった。ぼんやり天井を見つめていたかと思うと、突然泣きだして涙が止まらなくなった。手首を爪でかきむしり、皮膚が裂けて傷だらけになってもやめられなかった。驚いた夫が止めようとすると、動物のようなうなり声をあげて抵抗した。
 そして叔母は離縁された。別れ際、叔母の不甲斐なさに最初から眉をひそめていた姑から「子供がいないのが、せめてもの幸いだったわね」と言われた。籍をはずす条件として、町から離れた場所にある土地と家をもらい受けた。姑はいい顔をしなかったが、夫がそこは譲らなかった。自分が求め、手放す妻への、彼にできる精一杯の贖いだったのだろうと叔母は考えている。

 ミツ子叔母は友達も作らず、家からもあまり出ず、その古屋でひっそり年老いていった。金銭面の援助は、三人の兄たちが手分けして受け持ってくれた。
 そんな叔母の生活が変わった。もう独りぼっちじゃない。私には、気遣ってくれる心優しい息子がいるのだもの。
 叔母はその空想を、金魚鉢の中の金魚みたいに大切に育てた。本当らしさを増すために、テツオが通った幼稚園から大学、就職先まで決め、履歴書のようなものを書いてすらすら諳んじられるまで覚えた。六歳の時にすべり台から落ちて右の額に傷を負ったとか、中学では陸上の選手として注目を集めたが、最後の試合で足首を怪我してその道はあきらめたとか、高校時代はミュージシャンになるのが夢で一日中ベランダでギターを弾いていたとか、思いつくままに様々なエピソードを編み出しては、忘れないうちにノートに書き留めておいた。
 それでも、まだ物足りなかった。頭で思い描くだけではいや。実際にテツオを目で見たい。そこにテツオがいたという証拠が欲しい。
外出嫌いだった叔母が町に出かけるようになった。最初は小田原駅周辺だったのが、そのうち新宿や銀座の方まで足を伸ばすようにもなった。近所の小、中学校では、運動会や文化祭の行事にしげしげ顔を出した。叔母の手には、いつもカメラが握られていた。テツオに似た人を見かけると、彼女はシャッターを押す。
「どんな人がテツオっぽいの?」と聞いてみた。
「さあ、わからないわ。顔や体つきは関係ないの。でも、見ればわかる。あ、テツオだ。テツオがいた!ってわかる。ピンとくるのよ」
 ミツ子叔母が、毎月少年達の写真を大量に持ち込むので、現像屋の主人も初めは気味悪がっていたらしい。けれど理由を正直にうち明けると大げさなほど同情して、協力すると約束してくれた。今では現像した写真の中から、より「テツオらしい」男の子を選び出す手伝いまでしているという。
 見ようによっては行き過ぎと言えなくもない。しかも、叔母にはテツオという現実には存在しない息子の存在を、自分だけの秘密にする気なんてなかった。聞いてくれる人には誰にでも喜んで話した。「本当はいないのよ」ということも、指摘されればば隠さず話した。けれど、そんなことをわざわざ追求する人はめったにいない。そのうちに、叔母もその部分は最初からはしょってしまうようになった。

 叔母の奇妙な行動については、兄弟の中でも意見が割れている。
 いつか親類の法事の席で、次兄の秀夫伯父と長兄の輝夫伯父が話し合っている声を聞いたことがある。
「いいんじゃないの。ミツ子はあれで気が落ち着くんだから」
「でもさ、あれは嘘だろ。嘘はまずいだろ」
「彼女のは空想であって、嘘とは違うよ」
「ボクたちはいいけどさ、知らない他人が聞いたら惚けたと思われちゃうよ」
「じゃあ、やめさせるの?」
「無理矢理にってわけじゃないけどさ」
「そんなことして、またおかしくなっちゃったらどうするの」
「おだやかに言い含めてだな・・・・」
「誰がやるの。オレはいやだよ」
 結局兄弟達が出した結論は、しばらく様子を見るとういうものだった。月に一度、みんなで交代で叔母を訪ねる。そこで叔母とおしゃべりをする。叔母の言動がおかしな具合だと思ったら報告しあう。つまり、空想と妄想の間をふわりふわり漂っている叔母が「あっち側」へ行き過ぎないように、みんなで見張ろうというわけだ。

 自分から買って出たわけじゃないけれど、この数年、私もときどき都合のつかない母に頼まれて、見張りの代役をつとめている。幼い頃から母に連れられて叔母の家にはよく遊びに行った。私は内気で人を傷つけない叔母が好きだったし、小田原に行ったついでに海を眺めて帰るのはいい気分転換になる。
 それに、叔母とおしゃべりするのは楽しい。叔母のテツオの話を聞くのも楽しい。何かを心から願ってかなえられた人のように目が輝いて、掛け値なしの幸福感があふれている。
 テツオの写真は、今も増え続けている。砂場で遊ぶ三歳のテツオ。高校のグラウンドで仲間とラグビーに興じる十七歳のテツオ。背広姿で駅のホームに立つ三十歳のテツオ。
「すてきでしょ。なんだかおとぎ話みたいでしょ」
 私は少し考え込む。
「それっていいこと?」
 叔母は首をかしげて問い返す。
「悪いこと?」
「写真を撮られて怒る人はいないの?」
「たまに変な顔をされたら、孫にカメラを買ってもらったのですけれど使い切れなくて練習してるのですよ、って言うの。おばあちゃんって得よ。たいていの人が許してくれるもの」
 そう言ってころころ笑う。
 そういえば、小さい頃からずっと、私は笑っていない叔母を見たことがなかった。いつも頬笑んでいる叔母は、いつも幸せなんだと思っていた。
 
 叔母の家は国道沿いにあって、その道をすぐ先の市立病院へ向かう救急車が日に何度も往復する。玄関を出た帰り道、敷地に黒々と陰を落とす杉や松の木立を抜ける間にも、また一台が駆け抜けて行った。硬い木の幹に木霊して、森の中ではサイレンの音が何重にも響く。あの音の源にいるのは、抜き差しならないまでに体や心が壊れてしまった人たちだ。
 鬱蒼と茂る木に囲まれた一軒家に佇んで、叔母は来る日も来る日も、何十年もその音を聞き続けてきたのだろう。
 立ち止まり、目を閉じる。サイレンの音はまだ響いている。
 いつか見たテレビの子供番組で、お話役のお姉さんがしゃべっていた。
 ウサギはとても寂しがり屋の動物です。独りぼっちにしておくと寂しくて寂しくて、死んでしまうのです。
 子供の頃飼っていた白ウサギは、七ヶ月で死んでしまった。
 孤独なウサギ。弱いウサギ。けれど、寂しさから一目散に逃げて逃げて、逃げ切ったウサギは生き延びる。
 森で生きていくのに「正しい」なんて、何の役に立つのだろう。