全体のTOPへ
山崎哲
講座案内
茶房ドラマを書く
作品紹介
40
39
38
37
36
35
34
33
32
31
30
29
28
27
26
25
24
23
22
21
20
19
18
17
16
15
14
13
12
11
10
09
08
07
06
05
04
03
02
01物干し竿 岩波三樹緒

茶房ドラマを書く/作品紹介
<童話>    阿武隈太郎物語    深谷巖

「すずめの学校」番外編

これは、福島市を流れる阿武隈川に飛んできた白鳥のお話です。


1

寒い冬がおわり
北極海に面したチャウン湾にも太陽の暖かい光が注がれはじめました。
近くのヤナ河岸辺にも若葦が一面に生えてきました。
この葦原でぼくは生れました。
おかあさんの後をついて歩き、泳ぎ方や食べ物の取り方を教えられました。
仲間と毎日泳いだり、追いかけっこしたりとっても楽しい毎日でした。

夏になると遠く飛ぶ練習を始めました。
近くの池や小川に行く時と違って、空高くまで飛び上がり、羽根を思いっきり広げるのです。繰り返し練習をしました。

ある日のことお母さんが言いました。
「今日から、遠いところまで飛ぶからね」
ぼくたちは「わーい」と言って喜びました。
高い所で羽根を広げて風に乗ることもおぼえました。
でも毎日毎日飛ぶ練習で疲れてしまいました。
「もう、疲れたよ。おかあさん、今日は休もうよ」
と言うと、おかあさんは言いました。
「冬が来る前に、南の国へみんなで引っ越すんだからね」
「冬って…」
「とっても寒くなって、草が枯れて夜の寝床も無くなっちまうの」
「そんなあ」
「食べ物だって無くなっちまうんだから」
「そんなあ」
「だからね、遠い暖かい南の国へ飛んで行くの」
「飛んでいけるかなあ」
「練習すれば大丈夫。みんな本気になって練習しようね」
「はーい」

それからは、よその家族の仲間と一緒になって飛ぶ練習をしました。
並び方も習いました。
お父さん達が風の当たる前を飛び、子ども達は大人の後ろについて飛ぶのです。お母さんたちは、私たちの後ろから遅れる子が出ないように見守って飛び続けます。
こうして飛ぶとぼくたちは風や鷹や鷲などの敵から守られるのです。

2

きれいに咲いていた花々が散り、冷たい風が吹きはじめたある日の事、
いよいよ南の国に向かって飛び立ちました。
何日も飛び続けてある湖の上に来た時、
先頭を飛んでいたおじさんが「ここに止まるぞう」と合図をしました。
疲れていたみんなは喜びました。
おじさんは初めに湖の上をぐるぐるまわり湖目がけて下っていきました。
みんなも後に続きました。
湖に降りると一休みです。

何日かしてまた飛び立ちました。
今度はおとうさんが先頭にたちました。ぼくたちも張り切って飛びました。
心配したおかあさんは「なんとか、がんばって」と言いにきました。

ある日のこと、おかあさんが言いました。
「今度は、海を渡るからね、みんなに遅れないようにしっかり飛ぶんだよ」
お兄さんが聞きました。
「どこまでも水ばかりの海の上を飛ぶの?」
おかあさんは「そうだよ、でも風に乗って飛ぶから大丈夫」といいました。

いよいよ海の上に出ました。
おじさんたちが言いました。
「下を見るな、前を飛ぶ仲間だけを見て飛ぶのだ」
わたしはうっかり下を見ました。
すごい波が立っている海がありました。思わず引き込まれそうになりました。
おかあさんが素早くわたしの下に来て
「顔を上にむける!」
とさけびました。あわてて顔を上に向けると、あら不思議、
羽根に風を受けて、体がぐんぐん上に上って仲間のところに戻りました。

疲れがたまり羽ばたく力がなくなりそうになった頃、
おそろしいオホーツクの海を超え、陸地に着きました。
おじさんたちは、わたしたちに「みんなよくがんばった」とほめてくれました。
ここはサハリンというところだそうです。
おかあさんは
「あと、しばらくは陸の上を飛んで行くから、ここでゆっくり休めるよ」
といいました。
「これから海を二つ越えるから、元気をつけておくんだよ」
何日か休んでみんなの疲れがとれました。

列をつくって泳いでいる時
「とぶぞー」
というおじさんの合図で、みんなは飛び上がりました。
今度の海の上は注意して飛んだので、あまりこわい思いをしないうち大きな陸地に着きました。
日本の北海道という所だそうです。

少し休んでまた飛び立ちました。
今度もあまりこわい思いをしないうち陸地が見えてきました。
日本の本州という所です。
いよいよ目的地の阿武隈川に向かいます。おかあさんも
「よくがんばったね」
と安心したようにいいました。

3

とうとう私たちが暮らす阿武隈川に着きました。
きれいな水の流れている暖かいところでした。
白鳥おじさんの八木さんという人がとっても喜んでくれました。
川の中ほどに小さな島があり夜はそこで休みました。
みんなと一緒なので安心して眠りました。

地元の新聞にぼくたちのことがのりました。
それで沢山の人たちが餌を持ってきてくれるようになりました。
近くの小学校では、「観察クラブ」をつくりぼくたちのことを守る活動をしてくれました。
ぼくが来たのは平成八年(一九九六)十一月です。
その年は僕たちの仲間が八百羽近くおり、それに沢山の鴨もいてとてもにぎやかでした。
ぼくたちが来たからでしょうか沢山の見物の人がきました。
見物の人の声が聞こえました。

「見てみてあの羽の色が少し黒いの、子白鳥だよ」
「へえー、よく、ここまでたどりついたもんだね」
「なかには、途中で力尽きて落伍しちゃう子もいるって」
「そうだろうねえ」
「ここも冬になるっていうのに、もっと寒いところから来たんだ」

チャウン湾地方は今は雪と氷がいっぱいになってしまったそうです。
でもここは食べ物も多いし、こわい鷲・狐などもいないので「夜安心して眠れる」とおかあさんは喜んでいます。
ぼくたちもゆっくり休め元気になりました。
仲間と追いかけっこをしたり飛び上がったりして楽しく過ごしていました。

4

ある日のこと、同じ年に生まれた仲間と近くの田んぼへ行き餌を探したり、遊んだりした帰りことです。
今日のことをはやくおかあさんに話そうと飛んでいるとき右の羽根が「ガッツン」と強い力で打たれました。
急に飛べなくなり下の川に落ちました。
先に飛んでいった仲間は「どうしたの」と驚いて戻って来ました。
ぼくはなんとか飛ぼうともがいていくら飛び上がろうとしても飛び上がれません。
仕方がないので歩いてみんなのところに戻りました。
おかあさんの姿を見たら、涙がながれて止まらなくなってしまいました。

おかあさんは、ぼくを見て「どうしたの、その翼!」といいました。
わたしが「あそこで川に下りようとした時、何かに当たったの」というと、心配して駆けつけたおとうさんが
「あ〜、あそこ、見えない所に電線が通っていて危ないところだ」
といいました。
「子どもらには通る所じゃないって、教えなかったのが悪かったなあ・・・」
悲しそうな顔を見てわたしは
「だいじょうぶだよ、そのうち治るか ら」
と言って羽根を広げようとしました。
でもすぐに「アイタタアー」と羽根を縮めてしまいました。
足の先から頭の方までズキーンとして全身が痛くなりました。
おかあさんは
「かわいそうに、かわいそうに」
と泣きながらなでてくれました。

次の日、おかあさんはそばにいていろいろ世話をしてくれました。
川のなかで食べ物を探すのは自分で出来ました。
でもみんなと一緒に飛び上がったり、飛び降りたり、水の上を滑ったり、一番楽しい遊びは出来なくなってしまいました。
餌の世話をしてくれている野鳥の会のおじさんたちは私が怪我をしたのを知り驚きました。
そして「かわいそうに」と言ってわたしの近くにパンや米などを撒いてくれました。
おかあさんたちがいる時はみんなに助けられ、ぼくもゆっくりと餌を食べる事ができました。
でもそうでない時もありました。

この川にはあちこちの湖や池からも白鳥が飛んできて一緒になることがありました。
北の国から一緒に渡ってきた親切な仲間がいない時、後から来たものはわたしが餌を食べようとすると
「こら、飛べないお前なんかが食べるもんじゃない」
と横取りしたり、わたしが食べようとすると
「こら、片羽、飛べねえ奴はそっちへ行ってろ」
と嘴でつついたりしていじめるのでした。
仕方がないので川の中洲にあがり、草のなかでおかあさん達が戻ってくるのを待っているのでした

5

ある日のこと、ぼくがおじさんのまいてくれた餌を食べていると、
何時ものように
「やーい、片羽おめえの食うもんはねえ」と意地悪が始まりました。
その時ちょうどおとうさんが戻ってきて「こら!、」と言って意地悪鳥を叱ってくれました。
やつ等は「ごめんなさい」とあやまっておとうさんに許してもらいました。

この後からはあまり意地悪されなくなりました。
でも一羽の鳥はそれからはおとうさんのいない時を狙って、いじわるをするようになりました。
だから家族や仲良し仲間がいない時はだれも来ない中州や上流などで餌探しをするようにしました。

この頃、太陽の光が暖かくなりました。
土も温かくなりました。水も温かくなりました。
おかあさんは、ぼくに羽根の広げ方や動かし方を練習させるようになりました。
でも前のようには出来ませんでした。
川で泳いでいたみんなは遠くまで飛んで行くようになりました。
飛んでいって何日も帰らないこともありました。
そんな時、ぼくはとっても淋しく心配しました。
みんなが戻ってくるとぼくはうれしくなってみんなが降りる所の近くに行ってまっているのでした。
おかあさんはぼくをみつけると真っ直ぐに泳いできて
「元気だった」
と話しかけながら、羽根をなでてくれるのでした。

6

さらにある日のこと、おかあさんがぼくにいいました。
「わたしのぼうや、おまえの生まれたところはチャウン湾というところなんだよ。だから今日からおまえのことをチャウンと呼ぶことにするよ」
そう言ってぼくの頭をなでてくれました。そして
 「私達はみんな、チャウンで生まれ たんだよ。おまえはいつまでもチャウン湾の子なんだからね。いつでもみんながお前を応援しているんだからね」
と言いました。
ぼくは 「わーい、ありがとう」といって喜びました。
だって名前のあるこどもの白鳥なんていないんですから。

それからみんなのところにぼくを連れて行って
「この子を今日から、チャウンと呼ぶ事にするから、よろしくね」
といってくれました。みんなも
「それはいい、それはいい」
と言って賛成してくれました。みんなでぼくを囲み
「チャウン、チャウン、チャウン」
とくりかえし呼んでくれました。わたしは
「ハイ、ハイ、ハイ」
と返事をして、首を高く挙げました。
みんなは拍手してくれました。

それから何日か過ぎたある日おとうさんたちが遠くへ飛んで行きました。
ぼくが餌を食べようと首を伸ばした時
「おめえのじゃねえ」
と言って、横取りされました。
驚いて見ると、あの意地悪な白鳥でした。
「おめえ、チャウンっていうんだそうだな」
「…」
びっくりしているぼくに
「片羽のおめえ、生意気だ」
「…」
「こどもはだれも名前ねえんだからな」
「…」
「飛べねえやつに、名前なんかいらねえんだよ」
「…」
「みんなにおれはチャウンじゃないっていえよ」
「…」
「おれはなまえはいりませんっていえよ」
意地悪白鳥とその仲間がいいました。

「おれは、チャウンだ」
突然、ぼくは言っていました。
自分でも「あっ」と思いました。
「なんだあ、このヤロー」
と顔を伸ばして来ました。
ぼくは今までのように怖くありませんでした。
だって、ぼくは「チャウン」なんですから。
おとうさんやおかあさん、仲間と同じくあのチャウン湾で生まれ、美しいレナ河で育ったのです。
あの恐ろしい海にすいこまれそうになった時、おかあさんに助けられここまで飛んで来たのです。
不思議に今まで無かった力が湧いてきて、睨み返しました。
意地悪白鳥はいきなりつついてきましたがうまく逃げました。
すると、ぼくの逃げ道をふさぐ者がいました。
意地悪白鳥の子分がいたのでした。

「おい、いい気になってっから、こらしめてやれ」
と言う意地悪白鳥の命令で一度に嘴を向けてきました。
怖くはないけれど逃げられないので、頭を羽の中に隠しました。
背中をつつかれるのは痛くありませんでしたが、首をつつかれるのが痛くて泣きそうになりました。
かるうく、つつくのと、強く痛くつつく嘴がありました。
いつまでもぼくがじっとしているので、意地悪白鳥が「今日はこのぐらいにしておこう」と言って向こうの方へ行きました。

その時
「ごめんね、仲間に入らないと苛められるの」
という声がしました。
驚いて顔をあげると、すまなそうにぼくを見て去って行く白鳥の後姿がみえました。
なんだかうれしくなりました。
もう泣きませんでした。

次の日、意地悪白鳥に出会った時、今までのように逃げませんでした。
奴はぼくをにらんでいましたが、やがてこそこそと行ってしまいました。

7

何日かして、まわりが忙しくなりました。
みんなで仲間をつくり一緒に飛び上がって空を飛び回ったり、遠くの方へ飛んで行くことが多くなりました。
ぼくも一緒に飛び上がろうとするのですが<
そのたびに置いていかれてしまうのでした。
よその湖から飛んできて何日か休んでどこかへ飛んで行く白鳥仲間もいました。

わたしたちの仲間の大人たちが集まって何か相談をすることが多くなりました。
そんな後で、おかあさんが泣いたように見えるときがあったので、わたしは心配になりました。
大好きなおかあさんがぼくのせいでいじめられたりしたら許せません。
「どうしたの、だれがおかあさんに意地悪したんだ、ぼく食いついてやる」
というと、
「なんでもないの、チャウンは優しい子だね、心配しないで」
といって、ニッコリわらうのでした。
ぼくはいつまでも、やさしいおかあさんやなかのよい友達とここで暮したいと思いました。

それから何日か過ぎました。
おかあさんがいいました。
「チャウン、こんどね、みんなは、北の国へ帰る事になったの。チャウンたちが生まれた所へね」
「ぼくも、行くの」
「一緒に帰りたいんだけれど…」
「一緒にかえりたい…」
「…」

ぼくの仲間のおとなたちは何日も相談して、帰り道の飛び方、道すじなど決めたのでした。
ぼくの怪我の話も出てチャウン湾まではとても飛び続けることは無理なのでここへ残して帰ろうということになったのでした。
でもおとうさんもおかあさんもぼくを連れて帰りたいと考え、ぼくに飛び方を教え続けるのでした。
でも右羽根が折れているので、どうしても飛ぶことは出来ませんでした。

三月二十日過ぎると北のふるさとをめざして帰ってゆくグループが出てきました。
はやく帰る組は
「一足先にいっているからね」
と別れを告げに来ました。
毎日少しずつ旅立っていき、一月ごろ八百羽以上いた仲間は半分ぐらいになりました。

8

ぼくのおとうさんのグループもいよいよ北へ飛び立つことになりました。
その日は朝早くから仲間ごとに集まり飛び立つことになりました。
ぼくの家族はみんなより少し遅れてぼくを真ん中にして川のなかを走り始めました。

ぼくも走りました。
おとうさんが飛び立ちました。
お兄ちゃんたちも飛びました。
でもぼくは飛び上がれません。どうしても右の羽根が広がらないのです。
後についていたおかあさんが脇からとびあがって見せますが、どうしてもあがれません。
先に飛び上がったおとうさんたちも戻ってきました。

いつも世話をしてくれている野鳥の会のおじさんが心配そうにみています。
みんなで、周りで励ましたり飛び上がって手助けしたりしてくれました。
なんどもなんども繰り返しましたが、やっぱり飛び上がれません。

ぼくは言いました。
「ぼく、ここにいるよ、みんなで先に行って」
みんなは驚いて体をよせて来ました。
おかあさんがぼくを抱くようにしていいました。
「チャウン、もう一度やってみよう」
「うん」
ぼくをかこんでみんなで水の上を走りました。おとうさんが
「さあー、いくぞー」
といって飛び上がりました。
みんなも飛び上がりました。
ぼくも本気になって羽根をひろげました。
でもやっぱりとびあがれません。後ろから
「チャウン!」
と言う声がしておかあさんがぼくの頭の上を飛んでいきました。

「あー」
ぼくはがっかりしました。
飛び上がったみんなはおとうさんを先頭にして飛んでいます。
ぼくのいる川の上を何度も何度もグルグル廻って
「さようならー」
と言って北の方に向かって飛んでいきました。

「クシュン・クシュン」
涙が止まらないで鼻や口にたまりました。

みんな行ってしまいました。
周りにはだれもいません。
あれほどいっぱいいた鴨たちも今は一匹もいません。
ぼくの姿を見ると頭をつついていた意地悪白鳥もいってしまいました。
疲れたので中州にあがり枯れ草のなかで休みました。
「みんなは、どこまで飛んで行ったかなー」
ひとりになってしまったなあと思っているうちいつの間のか眠ってしまいました。

次の朝、まぶしさに眼をさますと川の水が光っていました。
まわりが静かだったのでいつもより寝過ごしてしまったのでした。
そろそろと動き出し川に入り石の苔などさがしました。
残されたぼくに八木さんは餌をくれました。

みんなが行ってから三日めの朝のことでした。
カウカウというなつかしい声が聞こえたような気がして頭をあげると、おかあさんたちが飛んで行った山のほうから白鳥の姿が見えてきました。
だんだん姿が大きくなってきます。

おとうさんたちです。
「チャウン、チャウン」
と声がしました。
おかあさんもきょうだいたちもいます。
「チャウン、チャウン」
「チャウン」
「チャウン、チャウン」
「チャウン」
みんな口々に名前を呼んでくれました。
ぼくのことが心配で戻ってきたのでした。
夢のようでした。
その晩はおかあさんのそばでみんなに囲まれてぐっすり眠りました。
野鳥の会のおじさんたちもびっくりしていました。

9

このことが地元の新聞に、
「子ども思いの白鳥家族」とお父さんたちの写真が載りました。
ぼくらのことが沢山の人々に知られました。
日曜日には沢山の人が見に来ました。
そしてぼくには「チャウン」という名前があるのに、いつの間にかぼくは土地の人からは飛べない白鳥「太郎」と呼ばれているのでした。

戻ってきたおかあさん達と、とっても楽しく暮らしました。
もういじめっこはいないし、食べ物はいっぱいあるし、安心して遊び回れたからです。

でも何時までも楽しい日は続きませんでした。
あと少し過ぎると、北へ戻る白鳥を乗せて助けてくれる季節風が吹かなくなるのです。
夏を過ごすチャウン湾に安全に戻るためにはどうしてもも帰らなくてはならないのです。

おかあさんがいいました。
「チャウンや、悲しいけれどみんなはもう帰らないといけないの。ひとりのこしていくのが可哀相だけれど、いよいよ、あしたここを飛び立つの。ここは食べ物があるし、川の水もきれいだから夏も心配ないからね」
「…」
「チャウン、お前は北の白鳥・チャウンなんだよ、たくさんの味方がいるんだからね。おまえにはすごい力がかくれているんだからね」

ぼくはなんとも返事が出来ず黙っていました。
「チャウン、…」
「はい」
「強い気持ちで生きるんだよ」
 「はい」
眼がぼうーとして何にもみえませんでした。
おかあさんはぼくを抱きしめて
「チャウン、元気でね」
といいました。
ぼくは「はい」
としか何も言えませんでした。

次の日の朝早く、おとうさん・おかあさんとみんなが
ぼくの体をなでながら「元気でね」といいました。
一緒に飛んで行けないぼくは黙ってうなずきました。
おとうさんを先頭に飛び立ちました。
ぼくのいる川の上を廻りながら
「チャウン、元気でね。かぜひくなよ」
と呼びかけてくれました。

ぼくも出来るだけ大声で
「わかったよー、みんなもげんきでー」
と叫びました。
三回ほど廻っておとうさんを先頭に北へ向かって飛んでいきました。
みんなが飛んで行った方に首を伸ばしながら
「おとうさん、おかあさん、みんなあー」
と呼んでいました。

10

ぼくたちをいつも見ている野鳥の会のおじさんがこう言いました。
「鳥といっても白鳥の親子の情には泣かされるわ。
家族みんなで太郎をいたわって、もうこれ以上居れないと言う日まで慰め続けたんだ。
北へ帰る期限ぎりぎりになって飛び上がって、太郎の上をぐるぐる廻ってカウカウ鳴いて別れを告げ、北に向かって飛んで行った。
川では太郎も鳴いているし、あれがほんとの泣き別れだ」

この話を聞いた地元紙の記者によってこの様子が紹介されました。

「つらい春、ふたたび独りぼっち…
一度は飛び立ったが白鳥の家族が、ひとり阿武隈川に残った太郎のところに戻った。
これは非常に珍しい事だという。
慰め力づけていた家族が
北帰行期限ぎりぎりと思われる四月七日早朝、
河を飛び立ち上空を旋回し、
川で見送る太郎と鳴き交わしていたが、
やがて一気に北に向って飛んで行ったという。
花の春というのに太郎には淋しく辛い季節の到来である」

この記事を見た市民の人たちはぼくに大変同情してくれました。
でもぼくは淋しかったけれども泣いてばかりはいませんでした。
だって、あの時のおかあさんやみんなの声が心の中に今も響いているからです。

11

だれもいなくなった川でひとりで食べ物を探すのは大変でした。
食べられそうな水草や石苔・木の実を見つけては匂いを調べ口に入れて変な味のしないものをさがしました。

岸近くで餌を食べていた時の事です。
みんながいる時は姿を見せなかったノラ犬や猫が襲って来るので怖くなりました。
だから夜は野良犬や野良猫・狐に襲われないように川に囲まれた中洲で寝ました。

ぼくひとりになってしまった今は、仲間がいた冬のようにたくさんの人が来ないので餌がたりず、おなかがすくこともありました。
でも野鳥の会のおじさんが見物人のいない川にほとんど毎日長靴をはいてジャブジャブと川を渡って中洲に食べ物を置いていってくれるのでとっても助かりました。
淋しい時はおかあさんたちの声を思い出してがまんしました。

雨が降り続いた時のこと川の水が濁り増えているのに気がつきました。
そして仲間のお年寄りが「水が増えたら怖いことがおこる、気をつけろ」と言っていたのを思い出しました。
それで川下に行き、入江に続く池を見つけて隠れました。

危ないところでした。そのあと川はすごい大水になったのです。
普段静かに流れている川の水がすごい激流に変わってしまうのです。
水の少なくなるのを待っていました。

とくにすごい大洪水だったのはぼくがここに来た次の年、
平成の大洪水といわれた時(平成十・一九九八年)でした。
この時には中洲も水没して何日も濁った大水がすごい勢いで流れて川岸の土手も削られました。
ぼくの姿が見えないので野鳥の会おじさんは心配して探し回ってくれました。
おじさんの話によるとぼくのいた所は宮城県近くの国見町、(トクイの渡し)と言う所だそうです。
水が少なくなってから仲間と暮した中洲のある餌場(飛来地)に戻ったぼくを見ておじさん達は驚きました。

夏のさかりに近くの河原で大きな音がしてあたりが昼のように明るくなりました。
それを見るためにたくさんの人が近くまでくるので川下の入江に隠れました。
花火大会というのだそうです。
次の年からは花火の季節になると川下で餌探しをしました。

12

暑かった夏が過ぎ暮しやすくなりました。
冬になればおかあさん達が来ます。
ぼくは毎日毎日、川の中洲の端に行っていました。
「まだまだ来ないなあ」と思っていたある日の夕方のことでした。
カウカウという声が聞こえたようです。 
気のせいだ、あんまり待っているので気のせいだと思いました。
でも少しして今度はあの声が風にのってはっきりと聞こえました。
もう間違いない、おかあさんたちが来た、と思うと嬉しくなってじっとしておれません。
動けるだけ羽根を動かし羽ばたきをしました。

ちょうど見廻りに来ていたおじさんは心配そうにぼくのことをみています。
来ました。
北へ行くおかあさんたちの姿が見えなくなった、向こうの高い山のあいだからおとうさんを先頭にこちらに向かってきます。
おにいちゃんたちきょうだいのうしろにおかあさんの姿もみえます。
ぼくは首をできるだけ伸ばして
「おとうさーん、むおかあさーん、みんなあー」
とさけびました。

もうまちがいありません。みんなそろっています。
「チャウン・チャウン」
とぼくの名を呼びました。ぼくは
「あいたかったヨー」
と、みんなのところに寄っていきました。
おかあさんは
「チャウン、元気だった…チャウンはやっぱり賢い子だわ」
と言って、体じゅうをなでてくれました。

おとうさんも
「えらい、よくがんばった」と頭をなでてくれました。
きょうだいたちは 「あいたかったぞー」
と口々にいいながらぼくを囲んでくれました。
とってもうれしかった。

それを見ていた八木さんは驚いていました。
そしてあとでいいました。
「いつもの年より約十日もはやく飛ん で来た。
それが太郎の家族だったとは、
残していった子どもが心配で早く来たんでないのかなあ」
「家族が到着する前から太郎は落ち着きがなかった。
動物の勘でわかっていたのかなあ。

みんなが来た時の、太郎の喜びようたらなかった」
その晩、ぼくはほんとうに久しぶりに安心してゆっくり眠れました。
しあわせでした。
それから何日かして仲間がどんどん到着しました。
毎日毎日仲間や鴨が増えてにぎやかになるのはとってもうれしいことでした。
でも悲しい事もありました。
せっかくここに着いたのに、力尽きてなくなる仲間もいたのです。

八木さん達は大変悲しみ、ていねいにとむらってくれました。
そして仲間のお墓にに「白鳥の塚」という石碑をたてたので、たくさんの人がお参りをしてくれています。

13

春から秋までをひとりで暮しているのをみて、褒めてくれる人が出てきました。
近くの小学校のみなさんはぼくに手紙を書いてくれました。
東京から来たMさんという方は大変重い病気だったのですが、
わたしを見て気持ちを持ち直して暮しているうち元気が出て来たそうで、
時々食べ物を持って会いに来てくれました。

たくさんの方がぼくを応援してくれます。
おかあさんの言うとおりだなあと思いました。
飛べなくて残る仲間が出て来た時、ぼくはその仲間を助けて夏を越すことができたのです。

ひとりで暮らす三回目の夏のことでした。
みんなが北に帰る頃、病気になってしまった子白鳥がおりました。
帰るのは無理だというのでぼくがその子の親に頼まれ一緒に夏を過ごすことになりました。

みんなが飛び去った後、泣いてばかりいる子白鳥を見ていると
自分も泣きそうになりました。
でも泣いても仕方ないので元気を出すように励ましました。
餌を探せない時はぼくが見つけた食べ物を分けてあげました。
新聞には「太郎に弟、次郎現れる」と子白鳥のことが紹介されました。

大水が襲いそうな時は次郎を連れて逃げました。
逃げた入江で、次郎が野良猫に襲われ、ぼくが必死になって野良猫とたたかって次郎を助けました。
ぼくの首には野良猫の爪あとがつき、羽根も何本か抜かれました。
怖い思いをした次郎はそれからぼくのそばからはなれなくなりました。
ぼくたちは何時も一緒に暮らしました。

待ちに待っていた秋が来ました。
ぼくのおかあさんたちは早く来てくれたのに、次郎のおかあさんたちがなかなか来ないので心配し出した。
次郎はまた「おかあさん、おかあさーん」と泣き出しました。
ぼくや、おかあさんたちが慰めても泣き止まないので困りました。
でもおくれて次郎のおかあさん達が到着すると元気になりました。

病気が治っていた次郎は次の年の春、みんなと一緒に北へ帰っていきました。
ぼくはまたひとりになりました。
泣き虫で世話をするのが大変だったけれど次郎がいた夏のことをいろいろ思い出しました。
春になりまたひとりぼっちになると思うといやだけれど、秋はみんなが戻ってくるから楽しみです。
はやくみんなが来ればいいと待っているのです。

14

ある日のこと、気がつきました。
ぼくひとりしかいないのにときどきここにくる人が何人もいるのです。
不思議なことです。
夏の間、意地悪鳥からずいぶん言われました。
「きたない、」
「くせえよ、そばに来るな」
「仲間は、みーんな、きれいなんだから」
「おめえ、歩き方が、かっこわりんだ」
「汚ねえ羽根を動かすな」
「飛べもしねえで、食うな」
「あっちのいってろ」
などと言われるので、みんなから離れて休んだり、意地悪鳥たちのいないときをねらって、食べ物をいそいで食べたりしていました。

ぼくの右羽根が動かないのでゴミやドロがつくとそのまま何時までもついています。
からだにゴミがつくとからだが痒くなります。
そんな時は中州で砂浴びをして、水に潜ると痒いのがなおることを知りました。
だからなるべくみんなから離れた所で何回も水に潜りました。
ほかの鳥は気持ち良さそうに飛び上がったり、着水したりしています。
水しぶきで汚れが落ちて、真っ白な羽根になるのです。
羽ばたきも満足にできないぼくはいつもきたなくて臭いのだそうです。
だから仲間外れにされます。
家族にしか相手にされない、みにくい白鳥なのです。
こんなぼくを見に来る人がいるなんてどうしたのでしょう。

ある日のこと小学生達がぼくのことを見て何かかいています。
汚いぼくは恥ずかしいから逃げ出しました。
ぼくはみにくい自分を描かれるのが嫌だったのです。
餌を食べている時とかひとりで川を泳いでいる時、ぼくのことを指差しながら見ている人がいます。
変です、ぼくはみにくいし仲間のきれいな白鳥は今はいないのに。
次の日は人が来ると、ぼくは葦の中に入りかくれました。
人の目にふれたくなかったからです。

そんなことを繰り返していたある日のこと、
「たろう、たろう」
と、どうもぼくを呼んでいるような声がしました。
気になって首を伸ばしてみると
「あー居た、いた」
と言う声がしました。
そしてパチパチと拍手をしているではありませんか。
そろそろと出てゆくと
「あー来た、来た、ひとりでえらいね」
「いっぱい食べな」
といって、おいしい餌をくれました。
やっぱり、ぼくことを呼んでいてくれたのです。
でも不思議です。
こんなきたない、みにくいぼくのどこがいいのでしょう。
でもうれしいです。
ひとりぼっちで淋しくって、悲しくって泣きそうなぼくを心配して助け可愛がってくれる人がたくさんいるなんって夢のようです。
だから勇気がでてきます。今日も元気に暮らせます。

今年で七回も夏を越しました。

おじさんは達はぼくのことを「隠れている力を持っているすごい白鳥」と言っています。
親切な人がいっぱいの阿武隈川はよいところです。
でも時々生まれ故郷の夢をみます。