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山崎哲 |
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01物干し竿 岩波三樹緒 |
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<エッセイ> どこへ還るか 北村獣一
(2006年度エッセイ賞優秀賞) 家に帰る途中で、駅前で歌っている三人組を見かけて立ち止まりました。 一人はニット帽をかぶってギターを弾いている男の子で、少し長めの髪と無精ヒゲが目につくその姿は、アジアを放浪している旅人のようにも思えました。それと対称的なのがパーカッションの男の子で、黒い短めのコートと白いシャツを着て、清潔感のある好青年といった感じです。その二人を両側に従えるように中央で歌っているのは、色の白い、少し線の細い感じの女の子ですが、見た目の印象とは違った力強い声をしていました。 十二月に入ったばかりとはいえ、夜ともなればもう十分な寒さです。素手でギターを弾いている男の子は、指を動かすのも大変そうです。じっとしている観衆も寒いはずなのですが、二十人ほどが立ち止まって、彼らの曲を聞いていました。歌っている女の子は芯のある、でも柔らかい声で、なんだか不思議な、でも心地よいリズムを刻んでいました。寒いのは苦手なので、本当は一刻も早く帰ろうと思っていたのですが、しばらく彼らの曲を聞いてみることにしました。 音楽の故郷はどこだろう、と考えると、やはりそれは胎児の世界なんじゃないかと思うのです。 すべての音は、いくつかの正弦波の合成で表現できます(フーリエの定理)。 人間は、言語を習得する過程で、音をある程度意味のあるかたまりとして捉えるようになるそうですが、まだ言語を習得していない胎児の初期の世界では、全ての音は無数の正弦波、つまり無数の音に分解されて、胎内は壮大な和音に満たされているに違いない、と思うのです。それはきっと心地よい世界なのではないでしょうか。 そう考えると、言語を習得するというのは、ある意味、とても悲しいことなのかもしれません。豊かな音感を失わなくては、現在の言語は習得できないと考えると、ふと言葉なんか忘れてしまいたいと思う瞬間があります。 得るものも失うものも、その多くは自分の意思の届かないところにあるのかもしれません。
曲が終わると、周囲から拍手が起きました。観衆はいつの間にか三十人ほどに増えていました。女の子は集まっている人たちに向かって、少し照れながらお礼の言葉を述べています。さっきまでの歌っている姿とはちょっと違っていて、おもしろいなと思いました。それから、パーカッションの男の子の合図で、ゆっくりとしたバラードが始まりました。女の子のことばが静かな曲とともに、伝わってきます。
音楽の故郷が言語以前の世界だとすれば、考えてみれば、そこにことばをのせるということは、なんとも不思議な気がします。それは言語が誕生した瞬間の姿か、もしくは決して戻れない胎児の世界への、決別の意志と祈りなのかもしれません。
そういえば、こうして駅などで歌っている人たちの前で立ち止まるようになったのは最近のことです。それは私自身の、胎児だった頃の壮大な和音の世界に還りたいという無意識のせいなのかもしれません。そう考えると、胎児の世界からはずいぶん遠くへ来てしまったなあ、と思いました。なんだか懐かしい思いに駆られて、ふー、と深く吐き出した息は、空中で白くなってから、夜の中に、彼らの歌とともに消えていきました。
胎児の世界で持っていたものを捨てて、新たな能力を身につけていくことを「成長」というのならば、身につけたものを捨てて、かつて持っていた能力を取り戻すことを「老い」というのかもしれません。
私にとって、老いていくということは、胎児の世界へと還っていくことであるように思えるのです。
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