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山崎哲
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茶房ドラマを書く
作品紹介
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01物干し竿 岩波三樹緒

茶房ドラマを書く/作品紹介
<短編>    うたげのひとびと    岩波三樹緒


 隣家から宴らしい人の声が響いてきた。どっと笑いさざめいたり、まばらに拍手が起こったりする。

 ついこの間の土曜旦にも、雨というのに、幾家族かで集まってどよめいていた。
その目は、お台場の花火大会が、落雷と大雨の予報で流れた日で、それで急きょバーベキュー大会にしたのではと、家人が推測した。
 三階の屋上に、屋台村のような椰子の葉製の囲いをつけて、提燈のようなものに明かりをともしてこれまでも時折パーティしていたが、雨では屋上というわけにもいかないから、一階部分の駐車場から車を出して、来客者の車二台とを横付けに、防御壁がわりにならべて、コンクリの穴ぐらで集っていた。
 家人と車で出ることになり、せまい路地を出た。なるべく自分の敷地がわに寄せて駐車してあっても、やはりぎりぎりである。のろのろと出て行きながら、宴会の人々を盗みみたが、誰ひとりこちらを気にしなかった。隣の住人が出るとわかるのだから、「すみません」のひと言くらいあってもよさそうなものだが、テーブルのまわりの人影は、主も客も、ちらりと気にするそぶりさえ見せなかった。

 隣家はここに来て7〜8年だろうか。老夫婦と、ふたりの娘のそれぞれの家族の三世帯で、三つの表札がでている。引越しの挨拶のとき、姑がそのことを聞いた。
 上の娘さんは五十くらいの人で、挨拶を交わしたこともあるが、連れ合いらしい人は知らない。もしかしたらいないのだろうかとも思う。
 下の娘さんはすらりとした美人で、白由業っぽい男のひとが、たぶんこの人の連れ合いだ。その家族がおそらくパーティをしているのだろう。だがこのふたりとは挨拶をかわしたことがない。ちょうど行き会いそうなときでも、こちらをないものと思って行きすぎる。塀越しにしっかり目があい会釈しても、男はかえさずに隣りにきえた。私が生協の荷物を仕分けしている横を通るときでさえ、である。こんにちは、の口のかたちのまま見送った。とくに意図はなさそうなのだが。いや思うことでもあるのか。私も、こどものように、屈託なく挨拶することができなくなってしまっている。

 小学生の男の子がひとりいて、お祖父ちゃんと出かけたり戻って来たのに会ったことがあるが、その子のランドセル姿を見たことがない。路地で遊ぶところもだ。家族で出かけていく様子も見たことがない。お祖父ちゃん家にたまたま遊びに来たかのようだ。姑は町の施設でやっている体操教室にそこの老婦人を誘ったという。何度か通ったようで、そのときは一緒に出かけたのだろうが、姑も根掘り葉掘り家のことを聞くタイプではないし、それ以上の情報はない。天気のはなしか、からだの具合の話くらいをしたのだろう。互いを干渉しあわないのは世代を超えて今の世相らしい。
 それでも、楽しげに人寄せする家族が、近隣には無反応というのは、挨拶すらしないのは、どうしたわけだろう。友人でなければ他人、それも世相だろうか。

 ただひとつ、心に懸かることはある。
 ずっと以前、あの椰子の葉の衝立のようなものが、家の門の内側に落ちていたことがあった。娘と買い物にでていこうとして、
「なんだろう、この汚い葉っぱの壁みたいなの」
「嫌がらせかしら。わざわざこんなところに入れるなんて」
 と言い合い、学生が文化祭で使ったごみを捨てたのかくらいに考えて、それをずるずる引きずっていき、甲州街道の入り口のごみ置き場にすてた。というより立てかけておいた。
 それが隣の南国風パーテイグッズとわかるのはしぱらく経ってからだ。
 今日は、隣りは屋上でパーテイらしいよ、という家人の声に隣を見上げると、屋上のぐるりを見覚えある椰子の葉がとりまいていた。あれが何かの拍子に落ちたのだ。ああ失敗、軽率だったと思い、何かの折には謝ろうという考えもあったのだが、たぶんあんなに目立つものがごみ置き場に立てかけてあれぱ、家のなかの誰かが気づいて取り戻しただろうからと片を付けてしまった。
 
 車でふたたび戻ると、宴はまだ続いていた。
 ケチャ缶ライトくらいの明かりが唐突に人影を映していた。若い母親のヘプバーンふうに高い位置で髪の毛を止め上げた首筋が軽薄に目にとまった。どうして母親とわかつたのだろうと、行き過ぎながら自問した。赤ん坊を抱えているように見えたのか。赤ん坊は両手にぶらさがりながら、この長い宴にぐずったり眠ったりするのだろう。
 むろん隣の車の進入にはだれも注意をはらわなかつた。