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山崎哲
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茶房ドラマを書く/作品紹介


エッセイ

田坂さん

椎野安里子


2005年度エッセイ賞優秀賞


 十年くらい前から男女五人ほどで旅行にいくようになった。はじめのうちは山登りだったのが、腰が痛いの膝が痛いのというのが一人二人出はじめ、最近はもっぱら温泉か野っぱらの散策である。もしくは「学習系」と呼んでいる小旅行。このことばを口にするときは五人のうち四人は軽い恥じらいと自嘲をこめる。高校の社会科研究会みたいで恥ずかしいのである。秩父困民党事件のあとを見にいこう、とか、どこやらの民権資料館をみた後、近くの温泉に入ろう、とか。ときには沖縄の米軍基地を人間の鎖で取り囲むという全国的な催しに便乗して、その後、泡盛とか。ほらね、恥ずかしいでしょ。
 そういうことを恥ずかしがらない唯一の人が田坂さんである。田坂さんのよい所はそういうことを臆面もなくするところと、適度にハンサムなのに話すと会津なまりが丸出しになるところである。メコン河クルーズの船上で相馬の農協の団体と偶然一緒になったときはすごかった。ローカルな話題で盛りあがり、現地の人たちかと思うほど聞き取り不能の言語が飛びかっていた。
 田坂さんは迷惑な人である。温泉だろうとベトナムだろうと、とにかく大きな荷物を持つのが嫌いなので、アメダスが「一〇〇%雨だす」と断言しようと、NHKの半井さんがサラサラヘアで「明日は雨です。雨ですよ、悪いけど雨だから。府中の田坂さん、あなたですよっ!」と言おうと傘を持ってこない。結局、私ともう一人の女性メンバーであるKさんとがひとつの傘に身を寄せあって、一本を田坂さんに貸すことになる。それでも嫌われないのは適度にハンサムで会津なまり(会津なまりで適度にハンサム?)だからに他ならない。
 田坂さんのイビキがまた尋常ではない。山登りのときは男女同室のロッジのようなところに泊まることが多い。暗がりで隣に適度にハンサムな男が寝ているというのに、ドキドキもワクワクもしない。この「ドキドキもワクワクもしない」ことが、つまらないけどお気楽である。お気楽なばかりでなく、贅沢に感じられるのはなぜだろう。私の贅沢なんてこんなものである。毎回、田坂さんのイビキに悩まされることになるので、毎回、田坂さんより先に眠ってしまおうという話になる。が、毎回、田坂さんが真っ先に眠ってしまう。そして翌朝、心底、申し訳なさそうにこう言うのである。
「ごめんねぇ、気がついたら、もう眠ってたんだよ」

 夏の終わりのある日、駅のホームで電車を待っていたら向かいのホームに田坂さんがいて手を振った。この距離は微妙である。会話を交わすには遠く、交わさずに通すには近い。早く電車こないかな……。こちらのそんな気持ちや周りの人に忖度しないのが田坂さんである
「どーこいぐのぉ!」
「歯医者」
「え?」
「は、い、しゃ」
「どこ?」
「歯医者だってば」
「そういえば三浦さんが市立病院に入院したんだってさあ、そんでみんなで見舞いにってさあ」
 そういう込み入った話、ふつうしないでしょ、ホームでは。その時、音をたてて夕立が降ってきた。二人の間に雨のカーテン。ちょっとロマンティック……などという前にただありがたい。声も聞えないし姿もほどよく見えない。が、しかしそんな豪雨をものともしないのが田坂さんであった。雨のカーテンの向うでなにか叫んでいる。そんなときに携帯電話の正しい使い方がひらめいた私は偉い。中年男女が向かい合って携帯で、
「三浦さん、どこがわるいの?」
「泌尿器科で入院ていったら、やっぱ前立腺か?」
 私は本当に偉い。ちょっと会話が途切れたら、田坂さんが言った。
「なーんかさ、ぺみたいだね」
「なんて?」
「ぺ」
 せめて韓流ドラマと言ってください。アナタが言うと「屁」に○付けたみたいで。

 もう何年も前の話。国会議員経験もある作家が当時の政治腐敗に抗議するということで座り込みのハンガーストライキをしたことがあった。全国からそれに賛同する一般市民も集まって四十八時間座り込みハンストをするというのでニュースにもなった。田坂さんが仲間何人かでそれに参加するという。たまたまその日の夜になにかの集まりがあり、その話題になった。仕事や身体の関係で四十八時間が無理な人は、一時間でも二時間でも○○公園にいって一緒に座れば支援したことになると、なにかのチラシで呼びかけていたよと誰かが言った。
「今頃、田坂さんたち、がんばってるんでしょうね。ちょうど空腹の極地あたりじゃない?」
 私がしみじみ言っても、だれもそのしみじみ具合に同調してくれない。
「差し入れ、持っていこうか」だの、
「おれ、最近、腹出てきたからつき合おうかな」
 だの(それはハンストじゃなくてダイエットでしょ)、ふざけ放題である。勤め先が○○公園に近いTさんが、
「私、お昼ご飯の後、四十五分間だけならつき合える」(それは腹ごなし)
 と言えば、還暦を迎えたばかりのHさんは、
「ぼく、明後日、人間ドックで明日は午後からなにも食べられないから、いってこようかな」(それは便乗)
 などと言ってみんなでおちゃらけている。四十八時間ハンストあけに食べるとしたら、やっぱり寿司だろうとか、絶対ラーメンですよ、いやいやこれが意外にただのお茶漬け、などと盛りあがっているので、私は一人で、なんて真剣みのない、緊張感のない、友情に薄い人たちなんだと憤慨していた。
 そこへ当の田坂さんがひょっこり入ってきた。びっくりしてわけを聞くと、○○公園の使用許可が二十四時間しか取れなくて、後の二十四時間は各自が自宅でという事になったというのである。なんて緊張感のない主催者なんだ。田坂さんたちが座り込んでいる所のすぐ隣に、ジャンボ宝くじの当選くじが出たばかりの販売店があったそうで、そこには行列ができているのに、誰一人として田坂さんたちの立て看板を読む人がいない。そこで暇つぶしに立て看板の言葉をみんなで考えていたという。その結果、決まったのが、
「さあ、きみも座り込みに立ち上がろう!」
 一番緊張感がなかったのは本人たちだったようである。残り二十四時間あるからといって帰っていく坂田さんからはほんのりと焼き肉とアルコールのにおいが……。