全体のTOPへ
山崎哲
講座案内
茶房ドラマを書く

「作品紹介」へ戻る

茶房ドラマを書く/作品紹介


短編

幽霊

瑠璃子


第2回山崎賞・最優秀賞受賞/2005年度エッセイ賞最優秀賞


 高橋正友は大正十四年、横須賀の逸見に生まれた。
 父、晋平は海軍大尉。母、つねは父の家に住み込む奉公人だった。彼女は日に焼けた田舎娘で、笑うと前歯が一本抜け落ちていた。家人はもちろん、二人の仲に眉をひそめた。けれど、つねの開け広げな性格や働き者なこと、何より熟れた果実のようにふっくりした胸が、どちらかというと内向的な晋平を惹きつけてやまなかった。彼は周囲の反対を頑として押し切ってしまった。
 夫婦は五人の子をもうけた。正友は三番目に生まれた待望の長男だった。彼の上には姉が二人、下に弟と末っ子の妹がいた。
 父は転勤が多かった。軍人とはいえ、家はさほど裕福ではなかった。同僚たちの中には家族を置いて単身で赴任する者も少なくなかった。しかし、母はそれが島根だろうが鹿児島だろうが、まとめた荷物と子どもたちを引き連れて、父にぴったりついていった。
 つねは教育熱心な母親だった。行く先々で顔を合わせる将校の妻たちの大半が女学校出身だった。品がよく、ゆったりとした物腰で、言葉を世辞で飾り、お洒落に気を遣う女たち。つねは、かろうじて尋常小学校を出たばかりだった。化粧なんて婚礼でしかしたことがなかった。家計の足しにと、小さな庭でもあれば耕して野菜を育てるから、指は節くれ立ち、爪には乾いた泥がこびりついていた。つねから見れば、夫の付き合いで会う婦人たちは、まるで本や雑誌の挿絵から抜け出てきた架空の女たちのようだった。つねは港の空を優雅に舞うカモメに混じったカラスであり、実際、女たちはつねをそのように扱かった。
 つねは聡明で合理的だったので、彼女たちを真似て笑われるような選択はしなかった。代わりに自分の子どもを、気取った連中のばか息子よりずっと優秀に育てようと決心した。その情熱は、ことに長男である正友に火のように降り注がれた。

 新しい地に着くと、つねはこまめに近隣を歩き回って住人たちの情報をかき集めた。剣道や習字の師範がいれば息子を稽古に通わせる手はずを整え、大学生を見つけたら、ささやかな謝礼と食事付きで勉学の手ほどきを頼んだ。近所の閑居老人を茶に招き、正友に相手をさせて囲碁と将棋の腕を磨かせたりもした。つねは、正友に洗い立ての糊のきいたシャツを着せ、地元の子たちのように泥だらけで遊び回ることを禁じた。そんな暇があったら勉強しなっせ、と繰り返し言い聞かせた。
 晋平は、妻のやり方にまったく口を挟まなかった。仕事柄留守がちだったせいもあるが、たまに早く帰宅して家の者と顔を合わせても、自分から何かを話しかけるようなことはなかった。父親を囲む夕餉では、うつむいた家族の輪をひっそりとした空気が覆い、箸が茶碗や皿に当たる音だけがこつこつと大きく響いた。食事がすむと晋平は黙って席を立ち、自室にこもるか近所を散策しに出ていった。
 正友は勉強机に向かう窓から見た父の姿を、いまでもときどき想い出すことがある。暮れなずむ庭に父はたたずんでいた。宵闇に父の着る麻着物が、白い骨のように浮かんでいた。母が育てる茄子や胡瓜の蔓の間で、父は背をこごめていた。ちょうど秋口で、草に触れる裾のあたりから虫の音が立ちのぼっていた。父は地面に顔を向け、まるでこれから倒れる人のような傾き加減で、静かにそこに立っていた。
 習い事に明け暮れる生活と転校を繰り返したせいで、正友には友人らしい友人はできなかった。彼は大らかな性格で人見知りでもなかった。どこへ行っても簡単に学友と馴染むことができた。そして、そこを去ると、同じように簡単に彼らを忘れることができた。正友にとって、友人とは泡のように消えていく者たちだった。
 とくに淋しいとは思わなかった。彼はいくつもの学校を渡り歩き、学級名簿に痕跡を残した。けれど、ほとんど誰の記憶にも残らなかった。かすかに吹いた季節風のように、「ああ、そういえばそんな奴もいたっけ」くらいにしか思われない。なんとなく名前は憶えていても顔は想い出ない。そういう子どもだった。
 やがて太平洋戦争がはじまった。軍人は戦地に駆り出され、正友より少し年長の青年たちも次々と徴兵されて町から消えた。父は多忙になり、ほとんど家にいなくなった。珍しく帰宅しても、一時休むとすぐに呼び出しがかかり、慌ただしく支度してまた出かけていくという具合だった。
 戦況が追い込まれてくると、戦渦は内地へも及んだ。空襲警報が鳴り、女子どもや年寄りばかりの町に爆弾が落とされた。外地では兵士たちが送られるそばから死んだ。補充のために、成年に満たない少年たちにまで兵役が課せられるようになった。
 正友も同世代の若者とともに徴兵検査を受けた。結果は不合格だった。彼は完全な健康体だった。体格、視力、知力、どれをとっても申し分なかった。近隣の住人は、将校の父親がきっと裏で手を回したに違いないと陰口をたたいた。事実、その通りだった。晋平は息子を戦火から遠ざけるために手を尽くした。自分の知る人脈に働きかけた。金品を貢ぎ、圧力をかけ、惜しみなく頭を下げた。さらに彼は、知り合いのつてで愛知の奥地に土地付きの古い農家を買った。戦争が終わるまで、そこに引きこもるよう家族に命じた。
 みつは子どもたちと、新たな土地に移り住んだ。彼女の働きぶりは目覚ましかった。まず自分の手で、荒れた家屋をできるだけ手直しした。畑を耕し、大工を雇って庭に小さな鶏小屋を建てさせた。近所から若い雌の山羊も一頭手に入れた。こういうことすべてを、みつはてきぱきと進めた。
 軍から支給される食料に加えて、新鮮な野菜と卵、絞りたての山羊の乳が一家の食卓に並んだ。野山は平和で、土地は恵みを得るのに十分肥え、空には爆撃機の影もなかった。朝、鳥の声とともに起き、山羊の乳を搾り、鶏に餌をやって卵を拾い、日があるうちは正友が幼い弟妹に勉強を教え、みつと姉二人は畑で鋤と鍬をふるった。日が傾くと居間に集い、虫の音を聞きながら眠る。そんなふうにして彼らは終戦を迎えた。

 戦争から帰った父を、正友は幽霊のようだと思った。戦地のどこかに肉体を落としてしまって、色の薄い魂ばかりがふわふわと家族の元へ舞い戻って来たようだった。そんな父に母は衣服を着せ、食事を食べさせ、布団に寝かせた。天気がよければ手を引いて畑に連れ出した。
 みつは鋤など持ったことのない晋平に、ゆっくり時間をかけて畑仕事の手ほどきをした。晋平は、土くれに埋められた芋やトウモロコシの種が日を浴びて芽を吹き、地下に根を張る様子を不思議な感動をもって眺めた。彼が植える作物と同じように、彼の心も大地から栄養を吸い上げることができるのを知った。彼の中に掘られた深い穴が、そうして少しずつ埋められていったのだった。
 ほとんど言葉も交わさず黙々と畑で働く両親を見て、正友は自分もこのまま百姓になるのだろうと漠然と考えていた。それはそれでよかった。彼は二十歳になろうとしていた。
 ところがある日、みつは正友を呼び、自分の前に座らせて言った。
「大学に行きなっせ」
 彼女はこのところいっそう日に焼けて、目元にも額にも網のようなしわが刻まれていた。
「あんたあ長男らけど、あたしらには譲れるもんが何もね。らっけ教育をつけたるが」
 幼い頃から、勉強しなさいとばかり言われ続けた。父が帰り、ようやく暮らしが落ち着いてきたいま、母が自分に大学進学を勧めるのは、ごく当たり前の流れである気がした。べつに勉強は苦じゃなかった。やればやるだけの点も採れた。まあ、それもいいかな、と正友は考えた。

 翌年春、彼は東京の大学の法科へ入学した。母に言い渡された仕送りの条件は、ちゃんと勉学してまっとうな成績をとり、卒業して役人になることだった。季節ごとに故郷から送られてくる穀物や野菜の箱には、拙い文字で必ず同じ文言の手紙が添えられていた。
 生家を離れて、初めての独り暮らしだった。料理も掃除も洗濯も、正友はそれまで経験がなかった。けれど、こつを飲み込んでしまえば簡単だった。むしろ楽しくさえあった。彼はいつもこざっぱりとした服装をしていた。身の回りをきちんと整え、まめに買い物をして食事を作り、規則正しい生活を守った。
 大学では、誰にでも人当たりがよく、絶えずにこにこしている正友に近づいてくる学友も少なくなかった。スポーツクラブや様々な同好会からの誘いもあった。べつにどっちでもいいよ、彼はその度に答えた。入学して間もなく、強引に誘われてスキー部と山岳部に入った。けれど、気が向いたときにしか彼は会合に顔を出さなかった。もっと熱心に参加するよう求められると、それがうるさく感じられて、さっさとやめてしまった。
 なぜみんなが用もないのにいつも寄り合って酒を飲んだり騒いだりするのか、正友にはさっぱりわからなかった。スキーも山登りも独りでできることだ。かえって独りの方が気楽じゃないか、そう思った。だから、彼はそうした。独りで出かけ、独りで過ごし、独りで帰った。それで十分楽しかった。
 正友には教科書のほか、書物を読む習慣がなかった。ある日、彼のアパートを新聞の販売員が訪れた。正友は契約に同意した。以来、毎朝、新聞を読むのが日課になった。とりわけ興味深く読みふけったのは株式欄だった。彼は株について研究し、試しに持ち金で鉄鋼会社の株をほんの少し買った。それは一月もたたないうちに倍の高値に跳ね上がった。
 株は正友を夢中にさせた。彼はそれを、父母が畑で育てていた作物のようだと思った。時期と天候を見定めていい頃合いに種を播けば、みるみる成長する。世話を怠けたり、思わぬ天災に見舞われたりすると、あっという間に萎れてしまうこともある。それが面白くてたまらなかった。
 母との約束通り、正友は在学中に公務員試験を受け合格した。そして卒業と同時に、東京都交通局に職を得た。こうして彼は社会に出た。そのときすでに彼の通帳には、普通の勤め人が数年かかって貯めこむより多くの額が、株で蓄えられていた。

 正友は、つつがなく役人生活を送った。時間通りに登庁し、五時になると席を立った。与えられた仕事はこなしたが、自分から進んで事を興すことはなかった。仲間や取引先との酒席に呼ばれれば断らずに同行した。会話の輪にも明るく加わった。けれど宴が深まる頃、いつの間にか彼の姿は消えていた。同僚たちが探してもどこにも見あたらないのだった。
 休日になると、釣りや山登りに出かけた。給料の他に相変わらず株で儲けていたので、暮らしは豊かだった。まとまった休みには、日本全国を旅して回った。そうして気がつけば、三十半ばになろうとしていた。
 突然、田舎からみつが上京してきた。正友が出迎えると、有無を言わさぬ剣幕で風呂敷の包みを解いた。見合い写真の束が出てきた。
「どれでもいいっけ、選びなっせ」
 彼女は言い放った。
 正友も女性に興味がないわけではなかった。物腰がやさしく知的な彼の印象に惹かれ、おずおずと近寄ってくる女性たちもいた。けれど、いざ交際するとなると、どうも面倒な気がするのだった。金銭でやりとりできる女の方が、相手としては気が楽だ。彼はずっと、そのようにして欲望を処理してきた。
 だが、結婚をせかす母の小言は年々厳しさを増す。ことにその日は、獣を柵に追い込む勢いだった。両方の面倒を秤にかけ、正友は目の前の母親に折れた。
 彼は娘たちの写真を眺めた。どれも同じように見えた。それでも努力して、中から一枚選んだ。色白で目の大きな娘だった。とても若く見える。年を見ると二十歳になったばかりと書かれていた。彼女を選んだ理由は、以前スクリーンで見た映画女優に面差しが似ていたからだ。正友は、べつにその女優のファンではなかった。ただ、ああ似てるなと思っただけだ。けれど、他の娘たちに何の感想も浮かばない以上、それは唯一の選択理由になった。
 選ばれた写真をいそいそと包み直す母の薄くなったつむじに目をやりながら、この縁談は無理だろうと正友は思った。相手は自分にとって若すぎるし、かなりの美人だ。きっと向こうから断ってくるに違いない。

 予想ははずれた。見合いは行われた。数回デートを重ね、頃合いを見計らって正友が通り一遍のプロポーズをすると、驚いたことに相手はすんなり承諾した。
 彼女の名前は、小杉真梨子といった。東京の巣鴨に生まれ、地元の高校を卒業して丸の内の電機メーカーに勤めていた。
 外見は華やかなOL生活だった。周囲は都会慣れしたエリート社員であふれていた。彼女は人目を引く容貌だったので、言い寄ってくる男も大勢いた。そういった同僚たちと、よく遊びにも出かけた。けれど、そのうちの誰かと深い仲になることはなかった。彼女から見れば、自分の気を惹こうとあくせくする若い男たちは、みんなどこか物足りなく思えた。
 真梨子は、中学二年のときに父親を亡くしていた。残された五人の子どもを、母親が女手で育てた。一家の収入はささやかな遺族年金と、印刷工場で働く母の賃金だけだった。
 流行のショートヘアをカールさせ、細い腰をベルトで引き絞ったブラウスにフレアースカートの裾をなびかせて歩けば誰もが振り返る真梨子だったが、帰る家はみすぼらしかった。狭い二間に一家六人がひしめいていた。
 母は愚痴っぽく口うるさかった。兄たちはいつも不機嫌で、弟と妹はケンカばかりしていた。一つの皿に盛られたおかずを兄弟姉妹で奪い合うようにして食べる暮らしに、真梨子は心底飽き飽きしていた。一刻も早く家を出たいと、ずっと願っていた。
 見合いの席で正友を目にしたとき、彼女は死んだ父がもう一度自分のために生まれ直してくれたのだと思った。私を守り、私を慈しみ、私をこの状況から連れ出すために。彼女は、そういう空想を好んだ。眠り姫はイバラの城から救出されるべきだ。シンデレラは魔法の馬車で舞踏会に誘われるべきだし、白雪姫は魔女の毒リンゴから守られるべきなのだ。
 冷静に見れば、正友は真梨子の父親にどこも似ていなかった。しいて言えば年齢がかなり上なこと。男にしては顔がつるんとして髭が薄そうなこと。猫舌らしく、熱い茶は冷めるまで決して茶碗に手を伸ばさないことなどが記憶にある父に似てなくもなかった。けれど、真梨子は抱いた幻想にしがみついた。何よりも、目の前の男はオスの気配がしない。真梨子を人間のメスとして追いかけまわす他の男たちが発散する、あのむせるような匂いがしないのだ。それは、彼女の求める『父的な存在』にとって重要な要素だった。
 仲を取り持つ婦人が真梨子に向かい、何度も繰り返した。なんと言ってもお役人さんだから、先の暮らしに心配がないわ。それとこの方ね、株をおやりになるの。とても優秀でいらっしゃるのよ。もうすぐにでもお家が建てられるくらい蓄えがあるんですって。ね、本当に頼もしいじゃないの。
 正友は照れるでもなくおだやかに頬笑みながら、ゆったりと茶を飲んでいた。真梨子の目には、それが真に大人の男が醸し出す余裕に映った。
 彼女はその場で結婚の意志をかためた。

 真梨子は正友との結婚生活の当初から、ある違和感を抱いた。
 夫は彼女の美貌にほとんど関心を示さなかった。それはいい。真梨子はとかく外見ばかりで評価されてきたから、容姿ではなく内面で人に愛されるのはどんなにか気分がいいだろうと心に描いていた。だが、どうやら夫には彼女の外側ばかりでなく、内側にも興味がないようだと気づきはじめた。
 表面的には不自由のない生活だった。正友は月末には封を切らない給料袋を真梨子にそのまま手渡した。帰宅は早く、夕食は向き合って食べ、真梨子が話しかければそつのない言葉を返した。
 けれど、それは満たされるのとは何か違う感じがした。彼女は夫といてむなしかった。同じ空間にいて同じときを過ごしていても、二人の距離が縮まっていくという感じがしなかった。一緒にいてこれほどまでに『他人』を感じさせる人を、彼女はそれまで知らなかった。
 今日は何をしてたの。給料で何を買ったの。きみは何が好きで何が嫌いなの。なぜ怒ったような顔をしているの。あなたはそれが知りたくないの。どうして何も訊かないの。真梨子が責めると正友は困ったように首をかしげ、うっすらと不思議な笑いを顔に浮かべるばかりだった。
 休日になると、正友は山歩きや釣りに出かけた。真梨子が行きたいと言えば反対はしなかった。けれど、ごつごつした岩の間を歩くのは苦労だし、釣りなんて退屈なばかりだった。おまけに正友が分け入っていく先には気持ちの悪い虫がうじゃうじゃいた。真梨子は二、三度同行しただけで辟易してしまった。それより映画にでも行きましょうよと誘うと、ついて来るには来るけれど、正友の心はどこか遠くにあるようで、ちっとも楽しくなかった。
 正友は出世にもまるで興味がなかった。同僚たちが徐々に昇進していく中で、彼はいつまでも係長の椅子を暖め続けた。上級職試験も受ければ受かるはずなのに、いっこうに受ける様子がなかった。気晴らしに以前のOL仲間とおしゃべりすれば、かつて真梨子に言い寄っていた男たちが、いまでは課長だの部長だの高い役職で活躍している噂ばかりを聞かされた。真梨子には自分の夫が無欲というより無気力に見えて、歯がゆくてしかたなかった。
 ものの一年もたたないうちに真梨子は正友に失望した。世間的には新婚ともてはやされる時期に彼女の幻想はすでにうち砕かれ、粉々になった破片の中に呆然と立ちつくしていたのだった。
 彼女は一縷の望みをかけた。子どもが生まれて父親になれば、夫も変わるかもしれない。そして結婚の翌年に長男、次の年に長女、少し間をあけて次男を産んだ。

「私がまだうんと小さかったとき」と、長女の真沙美は幼い頃の記憶を話す。
「父はよく旅行にでかけました。帰ってくると、旅先の写真をスライドに焼いて、私たちに見せてくれました。晩ご飯を食べた後、部屋の明かりを消して、古いふすまに光を当てて映すんです。たいていは山の風景でした。夕焼けに照り映える山や、すっぽり雪帽子をかむった山、新緑に苔みたい覆われた山。外国の写真もありました。イタリアの教会や、ロシアの王宮や、砂漠にそびえるピラミッドなんかです。
 父は背後で投影機を操り、一つ一つの写真についてごく短い説明をしました。不思議な見たこともない光景に、私は口をきくのも忘れてうっとりと魅入りました。暗い部屋で、光の反射に照らされて、静かな父の声を聞いていると、私はまだほんの子どもでしたから、すぐに眠くなってしまいます。それでも父の写真をちゃんと見ていたい、起きていなくちゃとまぶたを張ってがんばるんだけど、そのうちとろとろとしてしまって、もうそこは夢の中のような気がして、父の投影機でスライドが受け皿に落ちることりことりという音ばかりが耳に響いて、ああ、お父さんは遠くまで行ったんだ、ずいぶん遠くまで行って、また私たちの家に帰ってきたんだ、なんてぼんやり考えながらとうとう眠ってしまうのでした。
 私の父は旅人でした。父の印象を言葉にすると、その頃の私には旅人という言葉が一番ぴったりするような気がしました。
 他の家では家族で旅行する習慣があるらしいと知ったのは、ずっと後になってからでした。友達の家に遊びに行って見せてもらったアルバムに、家族で旅した記念写真が何枚も貼ってあるのを見てびっくりしました。だけど、なんだかおかしいわ。ぞろぞろみんなで同じ場所に行って、カメラに向かって笑顔を作るなんて変よ。ばかみたい。そう思いました。
 私の家では、旅に出るのは父だけでした。私たちは父が留守の間、洞穴の獣のようにじっと息をひそめて家にいました。父はいま素晴らしい所に冒険に行っている。もうすぐ帰ってきて、その話をしてくれる。そう考えるとわくわくしました。待つのは苦ではありませんでした。それが普通なんだ思っていました。かなり大きくなるまで、私はそう信じていたんです」

 正友はあやし上手と言えなかったが、自分の子どもと戯れるのが好きだった。赤ん坊の肌は温かく、マシュマロのように柔らかかった。言葉を解さないから、うるさく何かを訊かれたり、逆に何も訊かないからと責められたりしなくてすむのもよかった。子どもたちも正友になついた。帰宅して居間に座ると、あぐら座の膝に無心に這い寄ってくるのもかわいらしかった。彼は小さな体を持ち上げたり、投げ上げたり、振り回したりした。それは初めて与えられた玩具を不器用に扱う少年のようで、はたで見ているとはらはらした。力の加減がわからないから、赤子が怖がったり気分が悪くなったりして泣き出すまでやめなかったりした。
 妻の真梨子は、そんな正友に辛抱強く子どもたちとの付き合い方を教えたりしなかった。彼女はもともと忍耐強い性格ではなかった。家事と三人の子育てで疲れ果ててもいた。彼女はまだ若く、妻としても母親としても、人生そのものについても経験が浅かった。彼女にある経験と言えば、二十年間誰かの娘であったということだけだった。
 だから真梨子は、正友が子どもをかまいはじめるといつも横目で見張り、少しでも危ないと思うと、横から来て取り上げてしまった。彼女は、正友が子どもの扱いが下手だとなじった。そんなことが続き、次第に正友は子どもたちに手を出すのをやめてしまった。
 この頃の真梨子の心の大部分を占めていたのは、日々積もっていく激しい不満だった。それは心臓に投げ込まれた火のように彼女を苦しめ、同時にその熱さで彼女に活力を与えた。私の結婚生活はこんなはずじゃなかった。
 彼女は燃えるような不満を正友にぶちまけた。もっとこうしてくれればいいのに。なぜこんなことをするの。なぜこんなこともしてくれないの。真梨子の小言はとめどなかった。払っても払っても頭に群がる蜂のように、正友の耳を刺し続けた。

 夫婦のねじれは、子どもたちにも影を落とした。
 高橋家の子どもたちは、小学校で評判の優秀な生徒だった。成績がよく、運動会ではリレーの代表選手をつとめた。先生や級友からの信頼も厚く、学級委員や生徒会の役員には必ず推薦された。
 けれど実際は、長男の真一は家では極端に無表情で、一言も言葉を発しなかった。長女の真沙美は、数年ごとに原因不明の高熱と嘔吐を繰り返す大病にかかった。まだあどけない信二でさえ、夜中に眠ったまま部屋を歩き回わる奇妙な症状に悩まされていた。
 一番年長の真一は、弟や妹よりもはるかに冷静に父母の関係を見ていた。彼はずっと、母が父を嫌っているのだと信じていた。だからあんなに口うるさいんだ。僕たちにも父を嫌いになって欲しくて、いつも悪口ばかり言うんだ。
 母の望み通り、子どもたちはやがて父親と距離を置くようになった。だけどそれは、子どもたちからというより、父親が逃げ出したという方が正しかった。
 真一自身は、父に同情的だった。父親を遠ざけて、自分たち兄弟を独占しようとする母親に強い反発を覚えた。けれど、彼は離れるにまかせていた。これ以上両親に揉めて欲しくなかったし、何よりも父がそれを望まないだろうと考えた。父は摩擦を好まない人物だと彼は知っていた。真一なりに、父を守ろうとしたのだった。
 ただ奇妙に思えたのは、自分たちが父から離れれば離れるほど、逆に父に向ける母のまなざしが食い入るような光を帯びていくことだった。母の父に対する干渉は執拗だった。それは子ども心にも異様に感じられた。朝起きてから寝るまで、母は父がそこにいる限り非難の言葉を浴びせかけた。髭のそり方がなってないと言い、服装にケチをつけ、出かけると言えば文句を言い、帰りが早くても遅くても文句を言った。
 顔を合わせれば何か言われるから、父は母を避けて部屋に引きこもるようになった。すると母は父の部屋までついて行って、閉められたドアに額をつけて、まだぶつぶつとしゃべり続けるのだった。
 そのうち真一は悟るようになった。僕らを切り離して母が独占しようとしていたのは、僕たちではなく父の方だったのだ。
 母は淋しい人だと思った。父も淋しい人だと思った。そんな両親に目を向けられない自分自身も、とてつもなく淋しかった。彼はそんな家庭を憎んだ。

 正友を知る人の記憶の中で、彼はいつも頬笑んでいた。だいたいにおいて、その頬笑みに意味はなかった。相手が誰であれ、どんな状況であれ、彼はうっすらと笑っていた。父親の晋平の葬儀でさえ、彼は親類の中でただ独り、にこやかな笑みを絶やさなかった。
 それは手鏡が光を反射するようなものだった。自分に他人の視線が向けられると、それが好意的なものでも悪意に満ちていても、彼の顔には自然と笑みが浮かんでしまうのだった。正友は顔立ちが端正だったので、たいていは感じのいい笑顔と受け取られた。けれど、しばらくしてその笑いの正体が無意味で空虚だとわかると、相手は腹を立てたり、逆に気味悪がったりした。
 べつに意識してやっているわけじゃなかった。どうして自分がこうなのか、彼自身にも理由がわからず、どうしようもなかった。彼が笑っていないのは、たった独りでいるときか、周囲に人が居ても誰も彼を見ていないときだけだった。
 ときどき真夜中になると、正友は引きこもっていた部屋を抜け出して、家族の寝室にこっそり足を運んだ。布団を並べて寝ている妻と子どもの枕元に座り、長いことその寝顔を見つめた。眠っている彼らは目を閉じていたから、正友は安心して眺めることができた。我ながら嘘くさいあの笑みも浮かんではこなかった。
 そうしていると、たまに発作のように胸が苦しくなることがあった。息苦しい胸の痛みはほんの短い間で、じっと耐えているとやがて消え去った。正友は静かに立ち上がり、自分も眠るために自室へ帰るのだった。

 ある冬の朝。前日から雪が降り続き、東京にしては珍しく膝の高さまで白く積もっていた。
 突然、明け方に正友が部屋に入ってきた。彼はまだ深い眠りについている我が子を見下ろした。そしてその中から、まるで段ボール箱から子犬を選びだすように末の息子を抱き上げた。
 気づいた真梨子が後を追って戸口を走り出ると、家の前から続く長い坂道を、息子を抱えて登っていく夫の後ろ姿が小さく見えた。肩には学生時代から愛用している古いスキー板を担いでいた。頂上にたどり着き、彼が準備をはじめる前に、真梨子は夫がこれからしようとしていることを理解して青ざめた。駆け上がって止めなければと焦っても、寒さと恐怖でとっさに足が動かなかった。
 正友の方も、坂の下に突っ立っている真梨子の姿に目をとめた。顔にさざ波のように笑みが広がった。彼は妻に向かって大きく手を振ると、両腕に幼い息子を抱きかかえたまま坂を滑り降りはじめた。彼は優雅に腰を振った。スキー板が描く軌跡が、新雪に細い傷をつけながら伸びていった。最初はゆっくりと、徐々に彼は加速した。
 坂の中程を過ぎたあたりで、横道から鈍いエンジン音を響かせて牛乳配達の白いバンが現れた。車は急ブレーキをかけて止まったが、正友はよけようとしてバランスを崩した。
 悲鳴は胸でつかえ、真梨子の口は丸い形のまま凍りついた。
 親子はバンの鼻先に激しく体を打ち付けた。息子の信二は空中に投げ出され、正友はもんどり打ってバンのボンネットの上を転がった。左右のスキー板は足からはずれて、危険な刃物のように回転しながら空を切り裂いた。

 高橋信二は毎月最後の日曜日に、八王子の小高い丘に建つ愛隣ホームを訪ねる。彼は今年四十二歳。大手の保険会社に勤務している。妻とは職場結婚。男の子と女の子、二児の父親でもある。
「子どもの頃はずっと、両親が離婚した原因は僕にあると思いこんでいました」 彼の顔には右の唇から耳たぶにかけて、かなり目立つ傷跡があった。
「母から事故のことを聞かされて、あなたのせいじゃないと繰り返し諭されても、やっぱり考えてしまうんです。もしあのとき僕が大けがをしなければ、物事はもっと違うふうになってたんじゃないかって」
 父、正友の病室は、東病棟のはずれで市街を見渡せる四階にある。この階には長期療養が必要な老人たちが集められている。
 ホームで正友は人気者だ。仲間にもスタッフにも愛想がよく、いつもにこにこして、わがままを言わず、規則を破らない模範的な滞在者だった。リハビリのために覚えた手品の腕も上々で、せがまれれば誰にでも喜んで披露した。
 信二が訪ねたその日、正友は病棟の看護士と、ベッドに置いた板の上でパズルに興じていた。完成すれば首をかしげてにっこり笑う子猫の絵になるらしい。絵の半分は、ほぼ埋められていた。けれど、残りの半分はがら空きだった。いくつか置かれたピースはどれも当てづっぽうで、めちゃくちゃに配置されていた。
「先月、脳梗塞で倒れて以来、左側がだめなんです。目に見えてはいても、父にはそれが何なのかわからない。認識できないんです」
 療法と投薬のおかげで、正友は話したり聞いたりすることは正常に近く戻った。体も杖を使えば自分でトイレに行けるくらい回復した。だが、脳の左半分の認識能力だけは失われたままだった。いまの彼は世界の半分しか知覚できない。彼の脳は、いわば半分欠けた月だった。

 信二は、そんな父のそばに椅子を置いて座った。父が取り組むパズルに手出しをするでもなく、時折、天候についてや世間話を小声で話し、あとは黙ってパズルをする父を見守っていた。
「家族のうちで、ここに父を訪ねて来るのは僕だけです。僕は、父が僕の父親だった頃をあまり憶えていません。ちゃんと知り合う前に別れちゃったから。いまからでも父と知り合いたい、そう思うんです。
 父がどんな人だったか、僕は兄や姉にしつこく尋ねました。すると、二人とも口をそろえて『幽霊みたいだった』って答えるんです。何を考えているのか、よくわからない。あまり温もりを感じない。そこにいたかと思うとすうっと消えてしまう。そういう人。
 でも、ここで父と会うようになって、僕は兄たちとは少し感じ方が変わりました。父が幽霊なのではなく、ひょっとすると父にとっては僕たちの方こそ幽霊だったんじゃないのかな。ひっそり独りの世界に住んでいた父の前に突然現れて、べたべたまとわりつくわけのわからない幽霊たち。だってほら、独りで何かをしているときの父は、本当に自然で楽しそうでしょ。いまじゃ僕も父親ですから、父がそう感じていたとしても、なんとなく気持ちはわかります。
 たぶん僕らは、父の頭の半分欠けた月の、影の国の住人だったんでしょう。見えている。そこにいるのはわかるけど、なぜだか認識はできないんです」

 やがて信二は、妻子が待つ横浜のマンションに帰るために席を立った。
「じゃあね、お父さん。またお見舞いに来るよ」
 正友はやりかけのパズルから顔を上げて頬笑んだ。信二も頬笑み返した。誰が見ても仲のよい普通の親子だった。
 けれど、信二が病室を立ち去った後も、正友は白い壁に向かって、にこにこと頬笑み続けていた。看護士にそっと肩をたたかれ、ようやく顔を戻すと、彼はまたパズルに没頭しはじめた。

 いま、正友の脳内の半月は、次第に明るい部分が減りつつある。、影の領土が増し、やがて細い三日月になり、いつか新月になる。そうすれば、静かな夜が訪れる。独りぼっちの平和な夜。
 正友にはそれが、なんだか待ち遠しいような気もするのである。