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山崎哲
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茶房ドラマを書く/作品紹介


短編



岩波三樹緒



 駅を出ると、川が流れていた。駅は地下鉄駅のようだった。
 川は商業地を横ばいに流れていた。どちらか上か下かいっこうにわからない。しばらく住んでいないうちに流れも変わっている。知らぬ間に黒田とはぐれてしまった。それともそもそも待ち合わせに失敗したのか。
 黒田とこの町で落ち合ったのは、この町が私の生まれ故郷で、その実家の母と姉に黒田を紹介するためだ。
 といって、この町とはいったい私の生まれ育った町といえるのか。見覚えがない。それでも肌合いは知れているような……。
 黒田とはぐれてしまったとして、今は携帯という便利なものがある。それにかけてくるべきではないのか。あちらは持たないにしても公衆電話がみつからないとでもいうのか。
 川沿いに歩き始める。未練がましく後ろを気にしている。
 それにしてもこの商店街は、賑わいながらさびれたような変な商店街だ。進駐軍がやってきたころの繁華な感じが時代錯誤している。あるいは、サーカスが、あらぬ異国を個々の店に持ち込んで去っていった後とでもいえばいいか。
 黒田が鼻先でばかにするのか、意外にいい町じゃないの? と気に入るのか予想がつかなかった。

 それにしても黒田を紹介することを、実家の母姉に知らせておいただろうか、そもそもそんなことに意味があるのかさえわからない。
 ゆくゆくの付き合いがスムーズになるようしくんだような気もするが、知らしめたばかりに滅茶苦茶にしてしまうかもしれない。
 とっくに嫁いで、生まれた子どもが十八になろうという私が、つき合っている男を紹介することは、単に世話になっている知人を紹介するような流れに、気弱く、してしまいそうだ。
 すくなくとも、私の新しい携帯電話に実家の番号ははいっていない。
 わからない。当然入れたかもしれない。が、かけたことがないし、確かめること自体がそら怖ろしい。
 立ち止まって黒田らしきひとかげを待つ。
 けれど賑わっていそうで、人影が絶えていた。駅の上がり口では、はぐれるほどの人ごみだったと思うが、川にそった道に出たとたん誰も歩かない。歩かないけれど、こっちに行くしかないだろう。だから私を見つけてほしい。
 このまま一人で実家に着いてしまったら、わたしはただの里帰りなのか。
 里帰りして、にこにことしてしまうのか。そんなことはしたくないから疎遠をつづけてきたはずだ。

 川は夕映えて水面をきらめかせていた。遠くの工場群は三角の斜め屋根で、ただしい煙を平和にただよわせており、全体にオレンジがかったセピアなのが、できすぎの書き割りだということがわかった。なぜなら、いまは絶対に夕方ではなかった。
 駅を出てきたころ正午で、それからどんどん日が沈んだというようなことはない。けれど、こんな川が流れている以上、川の風景がでっちあげられているのは仕方ないことのような気がした。
 それにしても黒田がこない。
 携帯電話も鳴らない。
 川をそれたのは、見覚えの路地にきたからだ。いきなり川崎あたりのどんよりとした灰色の空にかわった。しかしそういう灰色の空の感じは、飛行場近くの死んだ父親の生家あたりではないか。
 たぶん思い込みが風景をかえているのだと、訳知りに歩いた。
 黒田がここまで来られるはずもない。
 彼特有の土地勘がはたらいて突然あらわれるなら、驚かす歓びを残しておいてやらねばなるまい。振りかえらず黙って、塀にそって歩いていく。不都合にせまい灰色の路地が拡張されて、飛行場あたりの風景からも遠ざかった。
 それよりはむしろ、黄砂でできたような黄味がかった土の塀が道をしきりはじめ、地面も昔のぽこぽこ道だった。真っ白ならば、地中海の小島にも似たかもしれない。でもアフリカの砂漠に、中国の城壁があらわれた感じか。
 その中のどの家が自分の母姉の家なのかはわかっていた。
 黄砂のぬりかべでできている一軒の土間に、わたしはためらいもなくはいりこんだ。
 ああ、涼しい、と思わず洩らしたのは、砂漠のように照りつけていたかららしい。長方形にくりぬかれただけの入り口のむこうは、濃い黄色い光が満ちている。
 そこに中世ヨーロッパの絵画から出てきたみたいに、使用人のかっこうをして、太った姉が水汲みの壺を持ってやってきた。
 たぶん中から出てきたのだろう。いや、絵の中からでてきたのかもしれない。あまりとりたてて騒ぐのはどちらも好まないようで、姉はまた部屋を出て行った。
 とても大きな木のテーブルがあった。おそらく調理台だろう。さっきの壷から水をしたたらせながらパンの粉をねるにちがいない。でもたぶんあの巨体の姉がここにころがって、黒田がかぶさっても大丈夫そうなほどだと思った。
 そのくらいは許さなければとおもう。母は許さないだろうか。

 しかし母は留守のようだった。母の留守を安堵するのは、母親が黒田を気に入ってしまう可能性を考えてのことだろうか。
 母より年が一つ年下の黒田を会わせれば、未亡人の母はあら、悪いわねこんないい方紹介してくれるなんて。いえ、その男はわたしの男です、交際を許してほしくて……とは言い出せなくなってしまい、そのままこの木のテーブルでねころんでしまう母と黒田を尻目に、それも約束のように姉とわたしは隣の部屋に行ってお茶飲みするだろう。
 いやしないかもしれない。
 いずれにしてもここまで来たからには一晩くらいここに泊めてもらい、わたしと黒田がこんな関係ですよと示したい。
 しかし怒るだろう、夫のヒロさんはどうしたの?むすめのムルちゃんはどうするの?と激昂してしまうだろう。

 それにしても、黒田がこない。携帯もならない。
 壁に木製の二段ベッドがくくりつけられている。その上の段が今晩わたしにあてがわれた寝床だった。姉はここにわたしを通して、自室にもどったらしい。
真四角に切り取った窓から外を見る。陽は沈みそうにない。だがもう夜更けなのだ。
 わたしの母姉に会わないということは黒田の計算だったのかもしれない。会ってみたところでしようがないでしょう、可笑しそうに笑っていたのかも。それで、あの地下鉄駅から永遠に遁走してしまったかもしれない。ひょっとするとこれで永遠に黒田をのがしたのだろうか。涙がこぼれる。
 わたしは、かつて所属していた家族に混じったのだからと、安堵の中に入りこもうとしたが、かえってホームシックに罹ってしまった。しかしホームは何処だろう。黒田もいない。
 目覚めると、窓は古い木枠の窓で、屋根瓦を乗せた家々が連なっている。月はほぼ満月に近い日本的な夜空だった。むりやり感傷的なお膳立てにしたのは誰。ならば浸ろう。

 黒田はオタモイ海岸に行ってしまったのかもしれない。
 気が変わって、北海道行きの便に乗っちゃった、と照れ笑いして言いそうだ。
 「だってね、母親とむかし撮った写真のところへ行かなくちゃ。三歳のとき父親の転勤先の小樽に一年いたんだ。戦争が始まる前のことだ。
 短い夏の一日、母親が僕だけ海水浴に連れてきてくれた。だってその写真には姉も妹の姿も写ってないからね。母親は若くて美しくて、白いパラソルをさしている。黒い露出のすくない水着を着ている。当時の最新のおしゃれだろう。しかし海岸は白砂のリゾート風なのに、裏手に迫った岩山の中腹には赤い鳥居がみえる。鬼押し出しがせまっているみたいだ。じっさいそこに竜宮城遊園地があった。
 そういう施設ができていて、乗せて回るような遊具もいくつかあって、その鳥居は、レストランの入り口だったという。そこでお子様ランチを食べたとおもう。いやほんと。母親が死ぬ前に、もっとちゃんと聞いておくんだった。
 空港から、レンタカーの4WD車を駆って、そこをめさした。しかしもう道さえ無くなっていて、途中で車を諦めて、あるいて行った。
 海が眼下に見えるところで、立て札を見つけた。
 戦争前まで、この海岸に竜宮城遊園地がありました、と、だれも尋ねそうもないのに、書いてある。鳥居だけがすすけながら残っていた。その先に寺があったのでそこを訪ねて行くと、そこには、若い住職がひとりで住んでいて、
 『たしかにあったそうですよ。僕は戦争よりずっとあとだから知りませんが』
 と、来訪をとても喜んでくれたので、そこで泊めてもらった。
 そこには翁の顔を焼印したオタモイ煎餅という土産ものまであって、これがそのをお土産」
 ありがとう。不思議な話。わたしは疑わないことにした。
 だからきっとオタモイ海岸に行ってしまった、黒田さん。わたしの母には会わなかった、恨み言は言わないけれど。
 屋根瓦の上の古い物干し台から遠ざかるように窓をしめた。物干し台へと出れば、また違う風景に変わるに決まっている。でも今は、眠らなければ、眠らなければと言い聞かせた。
 ほどなく隣の部屋に黒田がいることがわかった。
 いつからか、ここは病院とか学校のようにいくつもおなじ四角い部屋がならんでいるコンクリ製の建物だった。部屋にあるのは簡易ベッドのみだ。
 もう午後なのか、窓から深い日差しが差し込んでいる。
 隣に黒田がいることはわかっていた。たぶん、妻を伴っているのにちがいない。
 当然のようにのぞき穴があって、わたしはのぞいてみた。
 黒田が、横にならずにベッドに座っていた。コンクリ壁に寄りかかって、いや、壁に背中をまっすぐ添わせてわけに姿勢よく座ってこちらを見ていた。いや、のぞき穴をみているのではなくまっすぐ前を見ていた。
 みえないベッドの足元のほうには妻がうずくまって寝ているのかもしれない。それともただケットがまるめてあるだけなのか。
 わたしはここよ、とはいいだせなかった。
 やがて黒田は、まるで背泳ぎするかのように左手を高くもちあげ、壁に添わせた。ぴんと立てた人差し指が触った壁に、模様が現れ、模様は美しく形を変えて消えた。
 ちょうど彼の指がスイッチで、壁に電流が流れ、束の間の幻燈が描かれたとでもいうような……。
 彼の目は、一点を凝視して動かなかったが、わたしにこれを見せてあげたい一心でそうしているようだ。妻が眠っている間にわたしはそれを見ていた。はやく、見ていたことを伝えたいと思いながら。
 でも、こんな風にどこかの部屋から凝視しているのはわたしだけでもなさそうだ。
 どの位置どの角度からも黒田のマジックが見つめられているかもしれない。黒田に関係した幾人もの女たちが、この時間以外のどこかの時間で、どこかの部屋で。それを意識し尽くした黒田の所作ではないか。
 そうなのか。そうならば、わたしは束子さんにも知らせてあげたい。
 束子さんに黒田がすごいこと教えてあげたい。束子さんは親友だから、四十三で未亡人になったのだから、そんなことはいい、と拒否するだろうけれども、黒田に抱かれてみてほしい。そうじゃないとわたしたち本当に分かり合った親友っていえないんじゃない?
 黒田と交合するときに感じるあの到達点を知ったら、束子さんとわたしはもっとふかい絆で結ばれようとおもう。黒田がこの世からいなくなってもわたしたちが知っている。
 終わりの始まりを歩き続けていくことだ。死とともに在る始まり。そうではないかしら? ららら。

 まだ、黒田はこない。地下鉄駅の雑踏で待ち続けている。
 携帯が反応したので受けると、「あなた、来ないの?」と黒田の低い声。どこに? ずっと待っているのに。
 待っているのに。 嘘、どこで? あなたの生まれた地下鉄駅。嘘、どこに?
 あなた来られないみたいだから、先に行きます。
 え? 先に? どこへ?
 どこへ、ってあなた、オタモイ海岸に一緒に行くって言ってたでしょう?
 嘘。そこへはもう行って来たじゃない。翁せんべいお土産にして。
 そう、もうあなた先に行ったの。じゃ、ひとりでいきます。じゃあ切るね。

 待って! どこの地下鉄駅? 駅の名前は?
 う……、於他母慰か。
 そこにいるんですけど。見つけてくださいよ!
 うっかりしていると、目の前にいても見失ってしまうということか。それは出会った偶然にたいしての必然かもしれない。携帯が慣れたダイヤルを押した。
 束子さん、あたしよ。え?わからない?オタモイ海岸に行ってみて。そこに黒田さんがいますから。
 人の波に押されながら話し続けて、改札で堰き止められた。警報が鳴っている。警告がなりやまない。人が走ってくる。なにか叫んでいるが、わたしには通じない。
 なにも通じることがない。束子さんさえ受話器のむこうで薄笑いだ。

 電車が発車してしまう。いや、もう発車してしまった。