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茶房ドラマを書く/作品紹介


石喰ひ日記

再訪

小泉八重子



 その日は晴れていた。少し働くと汗ばむくらいの陽気だった。桜は散り終ったが、八重桜はまだ満開だった。私は本郷通りを黒いキャリーを曳きながら歩いた。これから長年別居してほったらかしにしていた夫の身の回りの世話をしようと菊坂にあるマンションに向っている。不仲の妻である私がなぜそんなことをしようとしているのか。今更どうして情をかけようとしているのか。
 六十二歳の夫は去年の五月から音信不通となった。どれだけ電話しても受け取らなくなったのだった。私も半ばやけになり、今年の三月までそのままにしてほうっておいたのだった。三月四日、最早限界と職場に電話を入れて、出てきたのは夫の上司だった。上司は夫が会社に不適応となり、奇行が目立った末女子トイレに入った旨を私に告げた。その結果夫は三月二十九日をもって退職させられるというのだ。愕然とした。帰って預金通帳を調べると、去年の十月から送金されてないことが判明した。
 月三十万円の送金を夫はことあるごとに恩にきせてきた。それはいつかは終るという警鐘であったのをそのとき悟ったのであった。私は否が応にもめざめざるを得なかった。早速自分自身の部屋の大掃除をして、夫に逢うことになった。
 三月八日。約一年ぶりにあらわれた夫は明らかにおかしかった。うつろな目をさまよわせるその姿は薄汚い身なりとあいまって激しい落ち込みを感じさせた。三月二十九日の退職日に出逢ったときには、髭をあたってやった。そのまま本郷のマンションに同道し、近くのホテルに二泊の予約を入れた。これは大仕事になる。とりあえず人間らしくするために、夫と別れるためにも、住んでいた場所を見る必要があると感じた。
 三泊四日の菊坂マンション再訪は衝撃であった。去年の六月に訪れたとき、扉の前で六時間粘った甲斐もなく、夫とは出会えなかった。その理由が明らかになった。あのとき部屋から聞こえたひそかな物音。くしゃこしょからから。紙をまるめてほかすようなあの音。夫は必死に自身の鬱の森を守ったのだ。
 この記録は三泊四日ホテル泊り込み、菊坂マンション清掃記の全容である。


平成十七年四月十五日(金)晴

 十二時にホテル本郷フォーレスト。約束の時刻にはまだ早い。私は黒いキャリーを曳いて本郷通りを歩いていた。東大の赤門前の八重桜が木立のあいまから見え隠れする。春の陽を吸い込んだ道を、少しがに股で歩いて来る、どこかおぼつかない足取りの男がやって来た。見ると夫だった。飄然とあらわれた夫に、奇妙な縁を感じる。まぶしくしかめた顔で寄ってくるこの男もやはり同じ心が働いたのか、顔の底に小さな安堵がある。時計は十時半をさしていた。
「ああ」
 ため息のような声。すべてを投げ出したわけではないが、妙に親愛の情がある。
「どうしたの、あなた。これから朝なんでしょう。まだ食べてないようね」
 何も応えず笑っている夫。共に歩く。黒いキャリーの中味は掃除道具と掃除用の服、寝巻きが入っている。鉢植えが扉と窓辺に飾られた、軒の低い古い喫茶店がうずくまっていた。ルオーという看板に観葉植物を絡ませる主人がいる。
「いらっしゃい」
 夫と窓際に座る。
「モ、モーニングってやってるんかな」
 いつからか吃るようになった夫。「はい」と主人の女房らしきウェイターが答え、しばらくするとトーストとサラダ、コーヒーが運ばれる。食べる夫のぎこちない動作には、凍りついた時間の堆積があった。根雪となって夫の背に積もる荒廃の時間。そこから首をのばして食にありつく姿をみると、一概に嫌悪とばかり言えないまでも寒気がする。
 ルオーを出、井上書店を左に曲がってしばらく歩くと、小さなロータリーに出る。自動販売機と古い民家の立て込むなつかしい空間だった。ホテル・フォーレスト本郷に着く。フロントで荷物を預ける。
「チェックインは三時ですよね。荷物だけ預かって頂きたくて」
 そう言って身障者用トイレに駆け込む。これから菊坂のマンションに掃除に行くことは少しでも夫に気取られてはならない。ヘソをまげられては元も子もなくなるのだった。それでもここで着替えなければ掃除はできない。キャリーの中に掃除道具だけ詰め込み、後は風呂敷に包んで、フロントに預ける。
「今日はマンションはなしだよ」
 早くもけん制する夫。
「管理人さんに挨拶するだけよ」
「ホテルに泊るだけにしよう」
「意味ないわ、そんなこと。私は自分のために今からあなたのマンションに向うだけなのよ」
「そうか」
 罵り合いはなくなり、言葉は極端に減ったが、辛うじて伝わるものがある。
「じゃあ、タクシーで行こう。荷物もあることだし」
 親切心を起こす夫。本郷三丁目の交差点を目指して歩く。途中郵便局併設のコンビニで掃除道具を買い足す。トイレクイックル、セロテープ、軍手。夫のハンカチ、身の回りのあれこれ。千円で洋菓子を買い、のし袋をしのばせる。コンビニを出て、交差点で拾ったタクシーに乗り込む。
「西片」
 夫は言う。しばらく走ると、
「やはりやめておこう」
 と言う。息を整えて私はいう。
「あなた、私が石喰ひ神経症のときは助けてくれたでしょう。今はただ、恩返ししたいだけなのよ。そう、白旗あげるときはあげたらいいのよ」
 夫の手の甲に掌をのせる。お互いの気分を鎮めるためだ。車は真砂町を下り、春日の交差点を右に曲がる。白山通りを走る。春日の地下鉄の乗り口を右に曲がるとマンションに着いた。去年の六月以来の再訪である。


 管理人の田中キクイさんがいる。洋菓子を渡す。キクイさんは、かなり年配の背の低い作業着をきた人だった。がっしりと太っているものの、寄る年波からか、太い眉と目が弱々しい。
「あら、奥さんでいらっしゃいますか。まあ、おきれいな。あら、こんなことして頂いて本当に申し訳ありません。今日はお部屋掃除に。ああ、よかった。本当によかった」
 ひたすら安心されても困るのだった。六階に上がる。エスカレーターを降りた。薄いマホガニーの色調に統一されたホールに出る。去年ここで六時間粘って夫が出てくるのを待ったものだ。今日はともにいる。鍵を差し込む。扉を開く。玄関に大積みの、物の雪崩であった。腰の高さに積みあがった物が行く手をはばむ。夫は先にたって、電気をつけるが、暗い。びっしりと不用品の山。本と衣類とカメラ、紙袋、プレゼント用品。
 玄関とDKの間の扉がゴミの山に挟まれて開きっぱなしになっている。夫はそれでも靴をぬいで上がり、山を歩く。私は玄関に散らばったゴミを袋に詰めようとしたが、すぐに無理とわかり観念する。鉢植えの土が玄関の外にもれる。冊子のような物が滑り落ちて外へ流れる。スニーカーをはいて、部屋へ登る。
 ベッドの上にどぶ茶色の綿がたなびいているのは布団のなごりだろうか。マットの上にマガジンラックと透明ケースが重なりあっている。ゴミの堆積が重低音になって響いてる。
「靴をはきなさい、靴を」
 夫に叫ぶ。
「窓を、窓を開ける」
 夫の力で窓は半分しか開かない。コードが絡まりあい、サッシに食い込んでる模様だ。テレビとパソコンがゴミの下にうずくまっている。遭難という言葉が浮かび、携帯を取り出す。メモしてきた便利屋プラスは通じない。一〇四にかけ、便利屋をいくつか紹介してもらう。ゴミの山に腰掛けて必死でメモする。シルバーロック、ベンリー、メイプランニングだった。その内メイプランニングだけがゴミの回収をしてくれるという。
「明日、十時にうかがいます。もちだと申します」
 女の声がとても頼りなく思える。このゴミが私とその女二人で片付くというのか。もう一度一〇四に電話する。もう一軒便利屋を紹介してもらう。
「アンシンベンリーという所です」
 それが店名だという。変な店名だ。かけると
「うちはアートマンですっ」
 と男の声。今日のうちに四人の男が来てくれるという。値段も聞かず頼む。
「それでは二時にうかがいます」
 そういって作業員は電話を切った。助かる。ほっとした。
「じゃ、昼食べに行きましょう」
 近所のカウンターで定食をたべる。夫は大嫌いな鯖を残した。再びマンションに戻り、自分がもってきた大きな黒のショルダーバッグをドアストッパーにする。丁度間に合う。やがて、男たちがエスカレーターに乗ってやってきた。
 めがねの中間管理職風の中高年、作業着のちょっとなよった三十代総務若頭、へこへこ笑いのタオル姉さんかぶりのおやっさん、ツッパリあんちゃんといったメンバーだった。
「ゴミの分け方はどうしますか、これは」
 管理職は叫ぶ。ちょっとインテリ風で、早口である。便利屋のスポークスマン然としている。なぜこの職についたのか聞いてみたくなるようなマスクだ。そういったマスクにマスクをつけ、姉さんかぶりに割烹着を着用すると、これまたぴたっと決まるから不思議だ(以下マスク長とよぶ)。
 私はしどろもどろとなる。マスク長は自分で決めた。
「じゃ、燃えるゴミと、燃えないゴミ。捨てる物と捨てない物でいきましょうか」
「はい」
 スタートした。四つんばいになっての前進である。様子はわからない。みえるのはへこへこ笑いのおやっさんの尻だけである。その尻に向って私はポリ袋を使いやすいように開いて幾つか手渡していく。おやっさんはその袋に電池だ、何だと器用に小分けする。
 夫は難しい顔で突っ立つ。その間を、なよたけ総務が携帯をもってちょろちょろする。それぞれが猛烈に忙しいのだが、肝心の夫が意志をもたないので、かわりに私が指示する。
「背広とか、タオルとか、そういう物はもういいですから。捨てて下さい」
 マスク長は微笑み、そうですかと頷く。玄関から物が出てくるのだが、やっとおやっさんが四つんばいになれるスペースはできた。
「とりあえず、この扉が開くようにしましょう」
 マスク長が頼もしく思える。ずるずるとゴミ山が決壊していく。マスク長もあまりな様子に存在の意味を問いたくなったのか
「つまり、こういうことになったのは、単身赴任で、気がつくとこうなっちゃったと、こういうわけですね」
 と言ってみる。それでも私の方をみつめるのではなく、あわただしく自問自答し、その視線はDKに向っている。おやっさんは匍匐前進しながら次々に中味のつまったゴミ袋を手渡していく。
 夫の部屋から直角にある隣の部屋の扉を、ゴミがふさいでしまった。気になるが家の主はひっそりと出て来ないのが有難い。金曜日の昼下り、誰もこの騒ぎに文句をいわない。雨も降らず、男四人が揃って片付けていくこの時間。こうした奇跡もある。
 燃えるゴミを左の廊下伝いに、燃えないゴミを右の廊下伝いに置く。
「旦那さん、ちょっとこれを見て下さい」
 カメラがゴミ袋の下にごろごろ入っている。夫はゆっくり確認していく。
「扉が開きましたっ」
 マスク長がDKから声をかけた。それでも玄関が片付いてるわけではない。ゴミは何層にも積みあがってるので、先ず大ゴミ、中ゴミ、小ゴミを交差しながら取り除く。その後、床には分別困難な小銭、電池、小さな紙片、めがねの破片がゴミにまみれて敷きつめられている。それらをおやっさんが丹念によりわけ、ゴミにまみれた小銭だけを残す。ちりとりで最後に抽出された小銭。自然に頭が下がる。五十円、百円が多いので更に有難い。
「そうですねえ、これで今日の我々の日当が出ますかねえ」
 マスク長が言う。再び作業にとりかかる。しばらくして
「水屋は使えるようになりましたか」
 と私が聞くと
「いや、明日になります」
 と答える。ゴミ袋の重ね積みが廊下にびっしり並んだ頃、私は飲み物を買いに行く前に夫に声をかける。
「見張っていてくれる?」
「ああ」
 力ない声。私も躰が重い。一体この重労働が誰のためのものなのかつかめない。別れるための通過儀礼だ。外に出る。割烹着のまま歩き、自販機で水と栄養ドリンクを買う。みんなに渡した所で四時になっていた。
「ではここで我々休憩とらしてもらいます」
 マスク長がいう。私はジュースを飲む。のぞきみると、ベランダにツッパリ兄ちゃんとなよたけ総務がいる。雑誌類が縛られ置かれている。コードはまだ氾濫してるがかなり片付いた。廊下で突っ立っていると、去年の六月、ここを訪れたときに、扉の前で新聞を敷いて座っている私に「大変ね」と声をかけたスキンヘッドのイラン風人物が部屋から出てくる。無言である。ただの引越しだと思ってるのだろう。
 これは引越しなどという生易しいものではない。鬱の森から人間を掘り出す、いわば治療の一歩だ。便利屋たちがうまそうに栄養ドリンクをのむ。明日の打ち合わせをしている。
「社長は明日出てこれないんですか」
 マスク長がおやっさんに言う。おやっさんが社長と知って驚く。
「無理」
 おやっさんが答える。マスク長は携帯で連絡をとる。自分は来られるが、後、若いのを二人まわしてほしいということらしい。休憩中、中に入ると、あらかた片付いている。所々にヌード撮影会で撮ったような女の写真がある。AVや、写真、雑誌の中に、麻縄まで交じっている。机に残っていた赤い蝋の跡がこれでわかった。この十一ヶ月、狂っていたのは私だけではなかった。やりきれない日々を紛らわしていたのは同様だった。休憩を挟み、五時半まで働いた彼らに八万九千八百円を支払う。

 便利屋が去った後、玄関の砂を始末しようとして、ほうきがないのに気づく。スーパーに買いに行かねばならない。出がけに戸締りのチェックをしようにもガラス戸は閉まらないのだ。若い頃、夫の下宿を訪ねた姑は大家から、
「お宅の息子さんだけは安心です」
 と言われたという。酒、煙草、女をやらない。出がけには指先確認で、戸締りチェックをする。コンセントまで抜く。それが今や確認しようにもどこにコンセントがあるかわからない。夫はベッドに腰掛けている。
「やっとそこに座れたわね」
「ああ」
「このままだと、貴方にいくらお金があっても、内実は浮浪者よね」
「そうか。浮浪者か」
 夫は苦笑いした。病院と街角のはざまでふわりと立っているこの男を何と呼べばいいのだろうか。
 電気を消して、スーパーへ向う。空腹だ。六時半というのに倒れそうだ。明るいスーパーの店内でほうきとちりとりを二組買った。作業員たちのために菓子を買う。
 夕食をどうしようかということになり、洒落た「按配」という飲み屋に行こうとしたが、満席と断られた。
「じゃあ、ジョナサンに行こう」
 夫は不機嫌に呟く。
「ここまで働いてジョナサンはないでしょう」
 むかむかと怒りがこみあげる。早足で仲通商店街を抜け、飲み屋の庄屋に入る。お腹いっぱい食べた。戻って働こうという気が失せ、今日はそのままホテルに帰って眠る。


平成十七年四月十六日(土)晴

 六時に起きる。今日は十時に作業員が来る。別の部屋の夫に電話を入れた。
「起きた? 先にレストランで食事してますから」
「わかった」
 朝食はバイキングである。夫が現れ、パンと少々のおかずとコーヒーだけをとる。
「十時だろ? 来るのは」
「その前に行きたいのよ。少しでも片付けて掃除してもらいたいから」
「そうか」
 ホテルを後にした。現地に八時到着する。玄関を少しでもきれいにしようとするがまだ無理がある。黄色いテーブルを出して小銭の詰まった缶を置く。総務机とする。
 小銭はどろどろだ。昨日トイレを開けたときに私は絶叫した。便器とバスの中がこげ茶色になっていたからだ。ここまで汚れたのはなぜか。脳裏に麻縄と机に残った蝋の跡が浮かんだ。トイレの扉に糞がこびりついている。トイレから異臭がする。こちらも感覚的に酸鼻の状態になっているので嘔吐をもよおすこともない。ここで繰り広げられたであろう状景にはどうしても現実感がない。トイレの前に散らばったどろどろの小銭がつかめる位に私も鈍くなった。金には違いない。積み上げる喜びにすがる他ない。廃品になったアタッシュケースを二、三縛り、椅子とする。腰掛けてテーブルの上で、一円玉、五円玉、十円玉と選別する。
「あんたもようやく、金、金と言い出したね」
 夫は言う。困ってみてやっと気づいたかという笑いだ。
「これは私の日銭やね」
 答えると、夫は横を向いて笑った。

 作業員が来るまで、出せるだけのゴミを出す。
 十時にマスク長が若いのを二人と、なよたけ総務を連れてきた。昨日のような悲壮感は薄れた。若いのは昨日のツッパリより頼りなげだが、小銭をまめに持って来てくれた。昼になったときに彼らには五百円玉を四個ずつ手渡した。
 コンビニでにぎりめし弁当と、のり巻きを買う。帰って、夫とベッドの上で食べられるようになった。少しはほっとする。
「よく食べるじゃない。食欲が戻ったようね」
「うん」
 夫は小さなにぎり飯弁当を平らげ、後はいらないと言う。爽健美茶を渡す。食事が終った。午前中に夫にスペアキイを作らせた。夫はそのキイを確認するからかしてくれという。鍵穴に差込み何度も確認した後、夫は自分のポケットに入れようとした。
「やめてよね、これは私の物よ」
 危うい所で取り返した。昼から帰った彼らが再び働き始める。マスク長がトイレとバスの洗いに取りかかる。オレンジとマジックで黒く書かれたスプレイ容器に入った透明の液体が置かれている。
「ゲキはないの? ゲキは」
 マスク長が若いのによびかける。
「忘れてきちゃった?」
 言われて若いのが、黄色いテーブルに近づく。ジャンパーを取り、キャリーの横にある紙袋をあさってもゲキはなかった。若いのが
「トラックに忘れてきちゃったかも」
 と言うが早いか消えた。もう一日かかるのかと思ったそのとき
「あった!」
 とマスク長が叫ぶ。燃えるゴミを置いた廊下にある紙袋の中から、オレンジと同じ透明容器が出てきた。こうしてゲキを使った風呂場とトイレの洗いが始まった。こげ茶色の汚れがどんどん薄れていく。
「凄いですね。色が薄まったわ」
 と言うと、
「いや、勝負はこれからです」
 と言う。夫は部屋の中をうろうろする。小刻みに移動しながら、自分の机ににじり寄った。引き出しをあける。
「これはお宅からもらった香典だけどね」
 とわけのわからないことを言う。
「じゃ、返して頂戴」
 とこちらもわけのわからない返答をする。香典袋がたくさんあらわれ、宛先は足利銀行になっている。一体何だろう。確かめもせず、二人で折半する。七万を夫に、六万を懐にする。
 トイレとバスはピカピカに磨きたてられた。
「カーテンは裾の汚れがこのままになってしまいましたが、どうしますか、取りますか」
 マスク長が言う。
「いや、そのままにしときましょう」
 夫は言う。裾はカビで薄黒い。どういうつもりだ。なぜ捨てない。もう何度もこの男を後ろから殴り殺そうかと願っている私だ。別れたい。
 午後三時にゴミをすべて運び去り、便利屋は去った。なよたけ総務に十万八千九百円を渡す。領収書を受け取った。私たちは二人っきりになった。
 もう一度掃除機をかけ、ベランダのパラボラアンテナの器具をはずす。ホテルに戻った。


夕食の時刻となった。フルコースをとりたかったが、夫はAコースを主張する。ここに来てまた節約かとイライラする。
 隣の席に豊かそうな同年輩の男女がいる。彼らのテーブルには豪華なデザートが並んでいる。彼らをじっとみつめる夫の心の底。なぜ、どうして彼らがこんな幸せそうなのか、うらやみ、不審に思っているのだ。そこから目が離せないでいるのがみっともないが私の現在の同胞である。
「甘い物がない夕食なんて考えられないわ」
 同胞に向って叫ぶ。みっともなさで競合する我々をボーイたちがはらはらと見守る。夫といると私は高い声になるのを常とした。胸が潰れそうだった。ディナーの羊肉はかたくて歯が立たなかったのだ。
 杏仁豆腐のデザートは、隣と比べると貧弱だった。それで気がすむわけもなく、二人ともむっつりと押し黙る。部屋に戻ってもイライラはおさまらない。極度の疲労がある。その疲労を救うものが一つあった。小銭の勘定である。
 百円硬貨を千円積み、五十円硬貨を五百円積み、五百円硬貨を一万円積むと笑みが広がる。昨日数えた分と合わせれば八万はいく。ほくほくした。明日もう一泊するが、とりあえずは喜ばしい。荷物の整理にとりかかる。ビニールに覆われた灰色の手提げ紙袋を捨てようと中味をあらためる。ずっしりした茶封筒が出てきた。二十三万入っていた。疲れは一気に消し飛ぶ。神に拝んだ。
 髪を洗って寝る。


平成十七年四月十七日(日)晴

 朝から再び菊坂に行く。管理人のキクイさんが出てくる。
「まあ、奥さん。本当にすみませんでしたねえ。今日は御一緒で。これから御一緒に住まわれたらいいのに。御主人には勿体ないみたいねえ、でも」
 お世辞をいわれる。部屋に入る。手を触れると細菌のように用事が繁殖する。手つかずというわけにもいかないので洋服箪笥を開ける。
「その背広、何とかしなきゃね」
 掃除のドサクサに紛れて背広の上着をなくした夫は、窮屈そうなほこりまみれの上着に身を包む。顔の不幸せ感が深まった。仕方ないのでコナカに買いに行く。
 白山通りに面したコナカには調子のいい店員が揃っていた。サイズを測ってもらう。ウェスト八十八はズボン。首まわり四十二、丈七十八というのはワイシャツのサイズだ。覚えるそばから忘れる。店員についていって背広をみつくろってもらう。二着で四万円というのを手にする。ワイシャツを三枚買い、ネクタイも買う。退職後ならもっとラフな服装が考えられるが、背広は移動に便利だ。
「いつもよく買って頂いて有難うございます。奥様はこちら初めてでいらっしゃいますよね」
 若い店員が言う。初めてで終りだ、色々有難かったと思う。サイズ直しの間、スーパーでトイレットペーパーとティッシュを買う。帰りコナカに寄り背広を受け取りマンションに戻る。
「やっとこの部屋も使えるようになったわね。いっそ寝られるようにする?」
「後はエアコンだね」
 まだまだそんな物は早いと思う。
「この部屋がこんなふうで、東京にいる間どうしてたの?」
「一万くらいのホテル渡り歩いてた」
「贅沢ね。何ていうホテル?」
「神保町のヴィラ・フォンテーヌだ」
 メモする。どこに消えてしまうかわからない気配を漂わせていたからだ。
「後は布団ね」
「デパートか?」

「最近の布団はわけわからないわよ。パット式になって、寝た気になれないのよ。やはり布団屋がいいわ」
 電話案内で調べる。二人で真砂町の坂を歩く。私は化繊の割烹着、夫は買いたての安物の背広だった。父方の曽祖父は様々な家訓を書き散らした。それは茶碗の包み紙となって、祖母亡き後、私たちの目に触れた。その中で「夫婦不仲は貧乏神の巣窟」といったのがあったのを思い出す。
 布団屋はビル街の片隅にあった。くたびれ果てた初老夫婦の私たちが門口に立った。単身赴任の勢いもなく、退職後の落ち着きもない。おかみさんが敷布団から掛け布団、布団カバーとシーツまで整えてくれた。小あがりのような事務所に旦那が立っている。
「また、そこに立ってたら滑るわよ」
 おかみさんが注意する。布団は後でまとめてトラックですぐに送りつけるという。手際がいい。のって行きませんかといわれるが無理なので二人でタクシーで帰る。マンションに戻り、三十分もしないうちに配送してくれた。夕暮れの菊坂を出る。
「今日はもうそれぞれで食事しましょうよ」
「そうだね」
 部屋に戻り、しばらく休んでから出かける。本郷通りとは逆の「そっちには何もないよ」と夫が言っていた通りを歩く。狭く細い道。古い旅館があり、風情がある。するとまもなく菊坂に出た。何ということはない。この道ならいちいちタクシーを拾う必要もない。歩いて十分もかからないホテルからマンションへの近道ではないか。
 白山通りに出て、按配に行くが、支払ってもらいたくてホテルに電話をいれる。夫ははかない笑顔でやって来た。
 それぞれ好きに注文したが、食欲はなかった。イカのつまみと、発泡酒だけがおいしい。チーズが残り、会話も弾まない。タクシーで帰った。それぞれの部屋で休む。


平成十七年四月十八日(月)晴ときどき曇り

 目覚めて、食事の後、荷物を宅急便に出す。小銭がぎっしりと詰まったキャリーだ。
「どう? 東大の八重桜でもみない?」
「いや、もういいだろう」
 今日の用事は日赤医療センターだった。午後二時の予約である。その前に日本橋高島屋に出る。そばを食べた。夫はざる、私は三色そばだ。うろうろ店内を見回ってるうちにあっという間に一時頃になったのでタクシーを拾う。渋谷に行く。医療センターの玄関脇にはチューリップが咲き誇っていた。レストランができている。昼を食べる。先生の指示通り入院受付六番で待っていると、先生が来た。背の高い同年輩の女性である。十二、三年のブランクで先生の前髪に白髪が揺れている。
「お部屋までの通路がむさ苦しくて申し訳ないんですが」
 案内された通路には工事中らしく雑器の周りに作業員が群れていた。部屋は以前に比べ小さかった。箱庭療法の道具は相変わらずだった。
「今日うかがいましたのは」
 私はきりだした。
「主人の治療の目的でした。ですが、主人はここへ来る途中のタクシーで聞きましたところ、もう、ここでは治さない、京都に帰ると申しました」
 私たちはまだ別れられないでいる。そのことが恥ずかしく思える。事の経緯を説明した。そしてちょっと見栄を張って二千万円の金額で妥協したと言ってみた。本当はジョナサンで、頭に来て、テーブルに灰皿を叩きつけた金額なのだ。この金額で年内にカタをつけたいといった。
「そういう意味ではお二人ともこの結婚では満身創痍であられましたねえ」
 しみじみと先生はいう。二千万という結論にはまだ強烈な蒸気が吹き上げている。
「奥様はそれで仕事は?」
 聞かれるが答えられない。とりあえず話がついてからといった。
「すべてすっきりされてからということですね」
「はい」
 これから夫を京都に送り出す。
「どうぞお大事に」
 見送られて日赤を後にする。次に逢う場所、横浜へと向う。渋谷から東急に乗る。駅近くのエクセルホテル東急に着く。三階のreというレストランだ。

「今度、五月一日は十二時にここね。reよ。わかった?」
 このときに結論が出れば有難いが、難しいだろう。また病人と向き合って疲れるだけかもしれない。ホテルを出て、夫がついさっきまで持っていた紙袋をなくしているのに気づく。ゴミの中から取り出した新しいネクタイを入れた袋だった。
「ホテルに置いてきたんじゃない?」
「いや、マンションだ」
「そう? だってさっきまでもってたじゃない」
「マンションに戻る。いや、すぐだって」
 投げやりに顔をゆがめる夫。やはりなくしたのだ。横浜駅はたそがれだった。私をとらえる風景はもう何もなかった。

(平成十七年五月十一日)