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エッセイ
消失の町
野口忠男
2004年度エッセイ賞・優秀賞受賞
「どういうことなんだ」
谷村は、思わず声に出してから、言葉をのみこんだ。
地下鉄の乗換駅で、やってきた赤い古びた電車に乗ったときのことである。
驚きの言葉を出したのは、あまりにもがらんとしていて人が少なかったのと、地下鉄にはめずらしく四人掛けのボックスシートの車体だったからである。
「そうか、京浜急行か……」
彼は、自分が乗り換えた車線が都営浅草線であって、この路線が品川で京急と連絡していることに気が付いた。
電車はまもなく走り出し、彼は、閑散とした雰囲気を恐れるように、中頃にある空いたボックスシートの窓際に腰を下ろした。
谷村誠が自分の生まれ育った町に、何十年も経ってから、訪れてみようと思ったのは、別に、深い仔細があったからではない。
定年退職後、趣味で通い始めたカルチャーセンターのエッセイ教室で「ふるさと」という課題が出て、仕方なく、昔戦災で焼けてしまった故郷の町を一目見てみようという出来心からのことである。
「何も無いだろうが、何か見つかるかもしれない」
見つかれば儲けものだし、見つからなくてもあたりまえ、とそんな軽い気持ちで朝家を出たのだった。
電車は、暗い洞窟の中を、音を立てて走っていた。
谷村は、この椅子は座り心地が良くないなあ、と思いながら、腕時計の針を見ると、十一時七分を指していた。
「なるほど、この時間帯は電車も空いているんだ」などと考えながら、本を出そうと、鞄の口を開けてみたが、何か落ち着かなく、何気なく隣のボックスを見ると、黒っぽい背広を着て、メガネをかけたサラリーマン風の男が三人、腰掛けて、パンフレットのような物を見ながら、ひそひそと話をしていた。
男ばかりか、珍しい。
と思いながら、前方に目をやると、両脇に空のボックスシート二席を越して、車体の一番前に向かい合わせの席があって、左右に一人づつの客が座っていたが、その二人とも男性だった。
彼らも、同じように黒い服を着て眼鏡を掛け、ふたり同じ姿勢で眠り込んでいた。
「どういうことなんだ」
谷村は、あわてて、自分の後ろの席を、振り返って見た。
次の次の席に二人の乗客の頭だけが見えた。
その二人も男だったら、どうしよう。
と一瞬、奇妙な考えが浮かんだが、しかし、その二人は女性客だった。
何かほっとすると同時に、今まで轟々と地響きを立てていた電車の音が急に静かになった気がした。
窓の外は暗く、漆黒の闇である。線路に当たる車両の音が一定のリズムを打ち、静寂の気さえ感じられる。
「地の底を行く、という言葉があるが、正にそんな感じだな……」
ふと思い当たるものがあった。
「そうだ、俺は、今、隅田川の下を通っているんだ」
都営浅草線は、浅草駅から本所吾妻橋駅の間に、隅田川の下をくぐるのである。
黒々とした窓ガラスに眼をこらすと、向こうに一人の老人がこちらを見て笑っていた。
何だ、こいつは。
谷村は、その老いた男の暗い顔を見て、自分の年齢が七十五才であることを思い出した。
「ほんじょあづまばし、ほんじょあづまばし」
車内のアナウンスに、谷村は、あわてて鞄をかかえて車外に出た。
外はまばゆい真昼の明るさであった。
バスの停留所を見つけて近づくと、六、七人の老人が腰を下ろして、同じ方角を見ていた。
列の終わりにいる老婆に、谷村は声をかけた。
「すいません。このバスは向島へ行きますか」
返事はかえってこなかった。
「このバスは、向島に行きますか」
「え、何ですか?」
「向島へ行きたいんですが」
「ああ、ここで待っていればきますよ」
老婆は、谷村を一瞥したが、すぐあらぬ方を見て、彼には見向きもしなかった。
バスは、昔路面電車が通っていた、水戸街道を走った。
谷村は「向島五丁目」というバス停で下りた。
そこから少し戻ったところ、向島三丁目の街道沿いに、懐かしいものが立っていた。コンクリートで造られた交番である。
「そうか、これは焼け残ったのか……」
古びた年月をやどした灰色の、その建物は、まるで谷村を迎えるかのように、周囲の建物からはずれて、ポツンと立っていた。
あの戦火の中で只一人残されたことを恥じるようにひっそりと立つ姿に、谷村は、何か言いしれぬ哀しみを覚えた。
勿論、建物の中に人の姿はなく、入り口の戸はしっかりと閉じていた。
戸口の上に木の額がかかっていて「本所警察署 向島交番」と読めた。
交番の裏手の道を、谷村は、昔の記憶をたどりながら、我が家があった場所に向かって、下るように歩いていった。
そうだ、ここに焼き芋屋さんがあった。
このあたりに煙草屋があったのではなかったか。
ここは元梅田君の家ではなかったかしら。井上先生の家はこの路地の奥ではなかったかな……。
等々と、走馬燈のように、記憶をめくり返しながら、我が家があったと思われる場所にたどり着いた。
道幅がやや広がって広場のようになっているところは変わっていなかった。
だが其処は見知らぬ場所であった。
所番地を表す標識も変更されていた。
我が家があった場所には三階建ての建物が白々と立っており、《株式会社ローレライ》と片仮名の看板が付いていた。
その会社が何をしている会社なのか知る由もなかった。
谷村は、道路の中央に立って、白々とした壁を見つめた。
「昔は、ここに三軒の店があったのだよ」
彼は白い壁に向かってつぶやいた。
「真ん中の店は谷村理髪店、左隣は吉川花屋、右隣は大野酒店、そして三軒の前には広場をはさんで《長春湯》というりっぱな銭湯があったのだよ。
長春湯にはげんさんという下足番のお兄さんがいて、げんさんは独楽回しが得意で、子供達によく独楽の回し方を教えてくれていたんだよ。
あのげんさんはどうしたかなあ……」
昔の町は何処にもなかった。
家々は、昔と同じように、下町らしく密集して建っていた。
いや、一軒一軒の建造物は、昔よりも堅固に建っていた。
しかし、どの家も戸が固く閉められていて、人々が外を歩き回る姿は見られなかった。
「昔は此処に商店街があったんだ」
谷村は戦前のこの町の風景を思い出そうとした。
風呂やがあり、その前にうちの床屋があり、両隣に酒屋と花屋があり、
横の道路をへだてて豆やさんと八百屋さん。
反対側の道路沿いに駄菓子や、豆腐や、支那そばや、氷や、人形屋、古本や……。
横丁に入ると、黒板塀があって、何時でも三味線の音がしていた。
そして、何処にも子供達の声が聞こえた。
彼らは、路地裏でベーゴマを廻し、チャンバラごっこ、戦争ごっこ、そしてギャングとGメンの撃ち合いで歓声を挙げ、かけずり廻っていた。
確かに、あの町は消失した。
谷村は、幻影を追い求めるように、昔下駄やがあった、日陰の暗い横通りに眼を移した。
ひとりの老婆がじっとこちらを見ているのに気付いたからだ。
そうだ、彼女に声をかけてみよう、昔の話が聞き出せるかもしれない。
そう思うと、谷村は彼女の方にゆっくりと足を向けた。
しかし老婆は、怖い物でも見たように、慌てて家の中に入り玄関の戸を閉めてしまった。
谷村はバス停に戻った。
「見るべきものは何もなかったか……」
バスの時刻表を見ると、バスは丁度出てしまったあとであった。
何処かで昼食でも、と思ったとき、秋葉様にお参りしていなかったことに気が付いた。
秋葉神社はこのあたりの氏神であり、火之神として有名である。
秋葉様も昔の面影はなかった。
本殿が違う場所に建てられ、昔より立派になられたが、狛犬さんも違って見えた。
何しろ、焼け残った大銀杏も子供の頃とは異なって見えた。
空腹を感じて、バス道路の方へ引っ返そうとして、思い出した。
そうだ、このあたりに『大和田』があった筈だ。
探すまでもなかった。
老舗の鰻や大和田は、昔通りの場所に、新しい構えで見えた。
石敷きの入り口の戸を開けると、帳場があり、奥に、暖簾越しに廣い調理場がかいま見えた。
客席は、畳敷きで、こじんまりとしていた。
奥座敷の八畳ほどの座敷には、サラリーマン風の客が四人で食事をしていた。
窓際の席には学生らしい二人が向き合って座っていた。
空いている席は上がりかまちの二カ所しかなかった。
谷村は、手前の席に上がり込んだ。
すぐに年配の女中さんがお茶とお品書きを持ってきた。
開いてみると天ぷら定食、お刺身定食と書かれてあり、それぞれ千二百円から千五百円程度の金額が付いていた。
奥座敷の四人に目をやると、天ぷらを食べている。
値段に安心したが、何処にもうなぎと書かれていない。
「うなぎがみえませんが……」
と聞くと、
「こちらです」と女中さんがめくってくれた。
見ると《鰻重》と書かれていて、特上二千九百円、上二千百円、並千七百円の三種目で、カラー写真も一緒についている。
やはり鰻は高い。
「上と並はどう違うのですか」
と尋ねると、大きさが違い、肝吸いが付くか付かないかなのだと言う。
「それでは、並でお願いします」
と言うと、
「かしこまりました。暫くお待ち下さい」
と丁寧に礼をして、帳場へ戻っていった。
やがて二人の若者に天ぷら定食が運ばれてきて、二人が食べ始めた頃に、うまそうな鰻を焼く匂いが漂ってきた。
しかしなかなか持ってこない。
鰻の蒲焼きには時間がかかることを思い知らされる。
三十分ほども経った頃、先ほどの女中さんがうやうやしく黒塗りの盆を運んできた。
定番とは言え、金粉をまぶした漆塗りの重箱は光沢を放って美しい。
お刺身定食や天ぷら定食には、お吸い物やサラダなど、いろいろ添え物がついているが、鰻重の並についてくるのは、なすと白菜のお新香の小皿だけ、まことに簡素なものだ。
蓋を開けると、頃合いの大きさの鰻が、これも頃合いの焼き加減で、前後ろふた腹頃合いよく並んでいる。
味は江戸前のやや辛口だが、垂れも頃合いよくかけてある。米もよく吟味されたものだろう。
谷村は、一口、口にいれてみた時、稲妻のように戦前の記憶が蘇った。
「これだ、これだった」
それは、彼がまだ六、七才の頃に、曾祖父から食べさせて貰った鰻の蒲焼きの味であった。
あの頃の、曾祖父と食べた、幻のような鰻がかえってきたのだ。
「おじいちゃん。一緒に食べたのは、これだったね。これだったね」
とたんに、八十二才でなくなった曾祖父の嬉しそうな笑顔が目の前に浮かび上がった。
何もないと思われた消失の町にも、まだ、残されていたものがあった。
(平成16年12月)
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