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茶房ドラマを書く/作品紹介



エッセイ

山崎先生へ

野口忠男



どうぞ十分にご養生なさって一日も早く皿皿にもどってきて下さい。
先生に何か書きなさい、という依頼がありましたので、思いついたことをとりとめなく書きます。
世を震撼させた神戸連続殺人事件とオウム事件では、
先生が「少年事件ブック」で書かれた酒鬼薔薇聖斗論とオウム真理教論が核心をついています。
今年の三月五日(金)TBSテレビで林郁夫の告白として、「告白―私がサリンをまきました」が放映されました。
先生もご覧になったでしょうか?
その時の一シーンが忘れられません。
林郁夫が警視庁の取り調べ室の窓から下の路上を通る人々の姿を見て語る場面です。

林  みんな幸せそうだ……。
   幸せは、修行の果てにくるものだ、と思っていた……。
   普通の人々は幸せとは縁遠いところにいて、
   私たち修行をしたオウムの、我々が幸せに導いてやれると……。
   思い上がっていたんですね……。
   私たちは、幸せになれたであろう人々の未来を奪ったのです
   ね……。

沈黙ののち、やがてすすり泣く。

林 (激しく)私なぞ生きる資格などない。今すぐ死刑にしてください。

教室では、いろいろと有意義なことを教えていただいてありがとうございます。
最近先生の言われたことで心に残っているものに、言葉の重要性を強調して、
言葉は現在を超える、言葉は現在も過去も超える、
あるいは、言葉は現在も過去も未来も超える、
というような言い方をなされましたが、その文句で、
先生もよく引用なさるヨハネ福音書の冒頭のことばを思い出しました。
福音史家ヨハネにとっては、自分が生涯関わりをもったガリラヤの人イエスは何者であったのか、
「イエスは誰か?」という根源的な問いに答えを出さねばならないという切実な思いがあったのでしょう。
それがヨハネ福音書の主題であり、冒頭のロゴス賛歌の意味であると思われます。

初めにみことばがあった。
みことばは神とともにあた。
みことばは神であった。
みことばは初めに神とともにあった。
すべてのものはみことばによって造られた。
造られたもので、みことばによらずに
造られたものは何一つなかった。
みことばのうちにいのちがあった。
このいのちは人間の光であった。
光は闇の中で輝いている。
闇は光に打ち勝たなかった。
(フランシスコ会聖書研究所訳)

ヨハネにとって、イエスは神の子、神のみことば、いのちをやどすもの、世の光でありました。
先生にはいろいろな顔があります。
テレビのワイドショーのコメンテーター、コラムニスト、評論家、舞台演出家、劇作家等々です。
これら多面的な活動が先生の創作活動のお役に立っているとは思いますが、
私として、先生に期待するのは劇作家山崎哲です。
日本における会話劇の推進者として、これからも、独自の領域を広げて行ってください。

平成16年5月15日