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茶房ドラマを書く/作品紹介


エッセ

泰子の陸

岩井八重子


「円山町?」
配車係りの年配の男の顔がふっとゆるんだ。
小雨の降る十月半ばの夜だった。
雨合羽から老残の色香を漂わせ、
男は耳打ちするように私に囁いた。
「ブルガリの横入って、信号渡ってごらん。その裏が円山町だから」

目の前に磨き抜かれた東急デパートのウィンドーがみえる。
滑るような足取りでその前を通り抜けた。
道は正面玄関ロータリーの後ろで幾叉路にも分かれていた。
指示された信号の前にはフレッシュバーガーと中華そばの店。
その脇を入ると、坂道になる。
心持広いその道を前に、杵の音と共に初舞台という言葉がゆらめいた。

一九九七年(平成九年)即ち
今から六年前の三月十九日午後五時半頃、
東京・渋谷区円山町の木造二階建てアパート「喜寿荘」の
一階一〇一号室の空き部屋で、
東京電力に勤める渡邉泰子(三十九歳)が絞殺死体で発見された。
バッグの中にあった名刺入れの中の名刺には、
(東京電力東京本社 企画部経済調査室副長 渡邉泰子)とあった。
世にいう東電OL殺人事件である。

当時私は四十八歳だった。
泰子より約十歳年上だ。
昼は東電のエリートOL、
夜は円山町の立ちんぼ娼婦を生業としていた彼女が
誰になぜ殺されねばならなかったのか、それは今に至るまでわからない。
円山町の白塗り妖怪といわれ、一晩四人の客をとるノルマを自らに課し、
駐車場や階段脇など、人目につかない至る所でセックス、
その他排泄行為を行い、また
辺りのホテルでも大小便をもらす等の落花狼藉が絶えなかった泰子。
マスコミがセンセーショナルに取り上げ、
また佐野真一の「東電OL殺人事件」の本が出版されるに至り、
世間に泰子シンドロームとでもいう現象がおきた。

「女なら誰しもがもっているんじゃないかしら、
そういう堕ちてみたいといった感情を……」
読者は呟く。

どうしても釈然としない気持ちがある。
堕ちるというならそこいらじゅうに堕ちている女はいっぱいいる。
読者はなぜ殊更泰子の堕落に触発されるのだろう。
掃いて捨てるほどいる売春コギャルに「誰しも……」とはいわない。
調子よくやってるじゃないのと憎々しげな視線を寄こしても、
自分もコギャルのように「堕ちてみたい」などとは言わない。
私はそこにこのシンドロームのインチキさ加減を思うのだった。

痛ましいとか、死してなお
強い磁力を発するとかいう前に頭を冷やしてほしい。
あなた方(勿論著者である佐野真一氏も含んでいる)がイカレてるのは
泰子の地位ではないか。
あの女だからこそ堕ちて何ぼというところではないのか。
あの高みまでいった泰子でなければ、
あなた方は娼婦に振り返ることはなかった。
そして殊更らしく自己投影したり、憐れんだりしなかっただろう。
東電管理職まで登りつめた女が律儀な娼婦となったことに
そこ迄思い入れするのも滑稽だ。
確かに泰子のひさぎっぷりは特筆に価する。
けったいな女だ。
だがそもそも管理職まで登りつめる女(男もだが)が、
けったいであるという認識を持たない方がおかしいのだ。

落差は確かに興奮だ。
同じ物が高さが違うばっかりに粉々になってしまうという妙に
人々は興奮する。
だから高い地位に生れついた者は「いつ堕ちるだろうか」
という人々の好奇と期待の目に晒されなければならない。

「亡き父の名を汚すことなく頑張ります」
と入社の弁を語った泰子も、実はその時点で既に「堕ちた」のだった。
人々の期待の視線にこたえること、即ちそれを「堕ちる」というなら、
円山町の泰子をどうとらえればいいのだろう。

泰子はイキたかった。
登るとか、あがるとか、そんなレベルではない低い陸、即ちヲカに。
そうだ。泰子は地続きにイッてみたかったのだ。
そのままで「解放」されたかったのだ。
だがどの道、そんな甘いもんではないのよ、泰子。
それは泰子のからだが一番知っていたはずだ。
だからそれは非常に複雑怪奇滑稽なイキ方となった。

その複雑なイキ方なら確かに皆、どこかで身に覚えがある筈だ。
金銭に執着するその汚さ即ち潔癖さが、
そこいらじゅうに汚物を撒き散らす「解放」に繋がるというのなら
わかり過ぎるほどわかるといってよい。
それは本当は誰しも夢見る瓦礫のような遊園地。
円山町の薄ら寒い見世物公園。ぞくぞくするイキ方ではあるのだ。

ところが著者をはじめとする読者の文には「闇」という言葉が多い。
何が闇なのだろう。これほどわかりやすい風景も珍しいというのに。

この金銭に対するセコさは確かに万人の身に覚えがある筈だ。
最後まで罪悪感と闘った泰子が輝くのは、
おそらくそのセコさと、糞尿にまみれた汚らわしさゆえだった。
そして遂に登ることなく逝ったその低さゆえに泰子は残った。
円山町の妖怪として語り継がれることになったのだ。

それはチベットの山奥で逝く五体投地の行者に似て凄まじい。

ヲカを連想して、私が描くのは
決してゴルゴダの丘という「高い」場所ではない。
高いというと、私は単純に
鼻が高いというイメージをもっておかしいのだが、
基督が「偉い」といわれている通りのよさとでもいう意味と
御理解願いたい。
どちらかといえば
五体投地でイク丘(?山)の方がイキやすいとでもいっておこう。
本当は地面にからだを投げつける行など
一分たりとも我慢できる代物ではないのだが。
イメージとしては泰子に近いような気がするのだ。

陸(ヲカ)にいった泰子の周りにはどんな唄がなり響いていたのだろう。

♪丘を越えていこよ 真澄の空は高らかに……

♪赤いりんごに 唇よせて 黙ってみている青い空……

♪フランチェスカの 鐘の音が チンカラカンと 鳴り渡りゃ……

♪ひとり上手と よばないで ひとりが好きな わけじゃないのよ……

これは私が泰子の陸に寄せてうたってみた四曲の唄である。
明るさといっても猥雑な戦後をひきずったそれ、
「丘を越えていこよ」(唄の名は定かではない)、
「赤いりんご」の懸命な明るさがなぜか似つかわしい。
ラヂヲから流れる妙にまろやかな金属音。
わびしい台所の片隅、この唄を聞きながら
あかぎれの手で糠味噌をかきまぜるお母ちゃんの姿が泰子に重なる。

「フランチェスカの鐘」

戦後作詞家としてもヒットを飛ばした菊田一夫。
彼もまたみなしごだった。もまた……。
そう、この事件はなぜか人々の心をみなしごにしてしまう。
突き放されたのは泰子ではなく、事件を知った人々だった。
人懐かしさを投げやりで気怠るげなメロディーにのせた
この唄は大ヒット。
唄が当時の朝(?)、定期的に流れていたと聞き、私は驚く。
子供たちの前に流れたこの曲は
戦後くつがえされた価値観の艶歌とも、あるいは新たな民主主義の御詠歌とも聞こえる。

ラヂヲのまろやかな金属音をひきついだ中島みゆきの歌声は、
自らの孤独を嘲笑う。
「ひとり上手」ではないのよと嗤いながらスタスタと駅の階段を登り、
陸にイク泰子の後姿がみえる。

円山町のその道は意外にも堅実なイメージをもっていた。
右手にある巖という酒場の店の作りのせいだろうか。
褪せた空色の化粧板を前面に押し出した店舗の入り口は
背をかがめないと入れないほど小さくみえる。
中から橙色のあかりがもれている所は山小屋ふう温泉宿を思わせた。

堅実にみえるのがいかがわしいところだわ。
私の迷走が始まる。
私が梅田でアルバイトをしていた頃、即ち二十歳過ぎ、
阪急電車は痴漢の巣窟であった。
千手観音のようにぬるぬると触手をのばす野郎どもには
なす術もなかった。
あまりにも数が多いのである。
それは私だけではなかったようで、
往き帰り被害にあったと何人もの証言を得た。
とらえてみれば気の弱いインテリが多いと聞いたのもその頃だった。

私が痴漢のイメージとして描くのは、厳父の生煮えといった男だ。
厳父、爺、しかつめらしい男たちは
日頃無理をしているのであほになるのが下手だ。
殊に教師とか、指導的立場にいる者はどうしても抑圧的になる。
そのまんまで解放されたがるので何かをカサにきておらんでしまう。
おらぶとは大声で叫ぶという意味なのだが、おたけび、
即ち雄としての振る舞いの意味に用いたい。

男がカサにきておらぶと、被害者である女は一方的な辱めにあう。
さぞかし気持ちのいいことだろう、生煮えは。
正直いえば、私はその妄想でよくイクのだが……。
巖という小料理屋ふう飲み屋から随分と話が膨らんだ。
色事はこうしていかがわしくも清廉に始まるのかということなのだが。

巖の向かいは同じ小料理屋ふう飲み屋の魚真である。
坂道の突き当たりの三角州のような土地に
ラブホのような安物の洋館があって、
よくみるとカプセルホテルアートとある。
これがカプセルねえと妙な感心をした。
そこを右に曲がる。
渋谷シティホテルがある。
やはりゆるいスロープの坂道でねえちゃんたちの喜びそうな、
といっても自分も喜んでいるのだが、
そういうイケイケの店が立ち並ぶ。
左の角にあるブティックが目をひいた。
甘い豹柄のインナー、
暗くなった店内に残ったあかりが手招きする。
レース、フリル、娘時代ことごとく退けられた衣装が
今になって私にまつわりつくのは皮肉だ。

今年から前面に女を押し出して生きると周りに宣言した。
そこでわかったのだが、
とにかくみんな非常に嫉妬深いということだった。
ダイエットを反対したのは一番太っていた鉄子だった。
かっこつけの志穂まで反対した。
女として生きたいと数年前、夫の従姉妹にいったとき「先ず、人間として生きることだよ、八重ちゃん」といわれた。
人間なんかとうの昔に放棄した私を彼女は何だと思っていたのだろうか。
とにかく女は女をいやがる。
女宣言した女なんか赦しちゃいけないのだ。

泰子がこの辺を流していたとき、
バーバリーのベージュのコートにロン毛の鬘という出で立ちだった。
皮のショルダーバッグを肩にかけ、
脱糞放尿しまわった泰子はそれでも必死になって
「私だって発情してるのよ」と叫びたかったに違いない。
そしてそれを周りに知ってもらいたいために
できるだけふつうのかっこうでいたかった。
殊更らしく化粧したり、フリルの衣装をまとうのではなく、
真面目に壊れ、開かれていきたかった。

全く難しい問題なのだが、こういう女のこうした発情に対して、
世間は面食らう。
私は、泰子が
売春していたことを知っていた周りの人々に興味をひかれる。
当時の泰子がどんなふうだったか、
そして一人一人が泰子をどう思っていたのかを聞きたい。

佐野真一は
「売春してる娘をそのまま抱いてやってくれ」
という手紙を泰子の母親に宛てて書いた。
到底無理だろう、それは。
母親は既にずたずたである。それが泰子の目的でもあった。
母は父よりも名門の出身だという。
遮二無二働く父や泰子に対して、
母はしんとした蔑みの心をもっていたのではないだろうか。
私は泰子と父の関係よりも母との関係になぜか心ひかれる。

円山町は坂の町だ。
ゆるやかな上り坂をいくと、赤く塗られた鉄骨のシャッターが現れる。
ガレージのような、動物園のような演出だ。
大きな英字でアラビア風にクラブアジアとかかれている。
ディスコのようだ。
一時流行ったアングラ劇場のようでもある。
あるいは昔ストリップ劇場だったのかもしれない。

しばらく行くと左手に和風連れ込み旅館が現れる。
ホテル幸和とある。
檜風呂、数奇屋造りとあり非常にひかれる。
休憩一万一千円、二万八千円とあり、どうも泊りのようだ。
ガラス箱の中に仔犬が眠っている色紙があり、
「すやすや」と書かれている。
今すぐすやすや眠りたくなる。

泰子地蔵の前を通り、果物屋、コンビ二、おでん屋と、
細々と立ち並ぶ中を歩いていると、
おもちゃ箱をひっくり返したようなガチャガチャしたにぎやかしさと
安心感とでもいうものが湧いてくる。
こういう道で泰子は「ねえ、お茶しません」と声をかけ歩いたのか。
何だかとっても面白いイキ方で、
闇とか堕ちるとかいう言葉が似つかわしくないようにも思える。

「ねえ、お茶しません」
泰子はそういって爺さんをコンビニまで追い詰めたという。
爺さんは逃げまどうようにコンビニに転がり込んできたそうだ。
こうなるとどっちが買われてるのかわからない状況になってくる。
ふとニューハーフの先駆けピーターがうたっていた
「人間狩り」という唄を思い出す。
私に比べれば泰子はまだまともだったと思う。

私は二十七歳で結婚して二十八年になるが、
子供こそ生れたもののその殆どをセックスレスで過した。
独身で過すのとはわけが違う。
神経を病んで石をかんだ。
文字通りの異食症という病いで、
奔放に流れる病いには流れなかったようだ。
だから泰子をみると私の病いの陽の部分を生きているように思える。

独身でエリートOLを張っていくのも辛かっただろう。
然し、やはり人間狩りの方がまともだ。
とにかく私は石狩りをしていたのだから。

性に渇いていたのは同じだったかもしれないが、泰子はそれを武器に春をひさいだ。
身をひさぎながら同時に人間狩りをしていたのだ。
売れたのだから大したものである。
彼女はそれをひたすら細かく記録し精算した。
それは自分のからだを賽の目に切る行為でもあり、狩られた男たちをも切る行為だった。

すると私の石喰ひはどうなるのだろう。
石を傷つけ、自分をも傷つけたその行為はひたすら非生産的である。
だがこれは私のいじましい貯金だった。
金を与えられても決して楽な気持ちではありませんでしたよというSOS貯金だったのだ。
自殺に結びつかなかったのはいずれ殺してやろうと思っていたからだ。
殺す。
誰を。
そうだね。
夫ひとりではあきたらない何千人という数の人間を。
無差別殺人を。

そんな殺意をよそ様の石塀をへずる錐の一刺しに込めた。
うんと力のいる労働だったので、まあ、売春に匹敵するものだったかもしれない。
人目もかまわずということになった末期には売春を超えていた。

だから泰子が人間狩りをしていたこの陸に立つと私の血もやすらぐ。

決して泰子は私ではないし、私は泰子ではありえない。
だが何かが剥き出しになってしまった者としてこの陸は清々しく懐かしい。

神泉の駅に行く道がわからなくなり、人に聞く。
坂を登って下りて、迷路のようなその道順は今思い出せといわれても思い出せないくらいだ。

自動販売機の脇を右に。
坂を下る。エアポケットのような駐車場がみえたような気がする。
そしてコンビニが現れた。

コンビニの前に立つ。
私はここに来たような気がした。まるで昨日のような遠い昔に。
コンビニの隣はモードサロンHODOTA。
その向いにもブティックがある。それがひたすら垢ぬけない。
まるで私が生れ育った神戸市灘区深田町の六甲道駅前の弁天屋という店のように。

それよりもっとあっと思ったのは駅だった。
井の頭線のトンネルがわずかに切れた所が踏み切りとなり、駅はトンネルの中だった。
まるで二つの管をぶったぎって拵えたかのような駅。
線路に立つとアーチ型のトンネルの入り口がふたつあんぐりと暗い口腔をみせている。
その短い外気の中を井の頭線の電車が往き来する様を想像すると
ぬるぬると果てしなくピストン運動を繰り返すペニスのようにも思える。

妙にたかぶって疲れた。
コンビニに向かって右隣の珈琲店フォンテーヌに入る。
L字型の店内は明るい。
時刻は既に十時である。
こんな時刻まで営業を続ける奇特な店主はとみれば、
茶髪の中高年の男で、
はしだのりひこを少しごつくして、背を高くした感じだ。

扉からまっすぐすすむと右手に狭いカウンターがあり、座席はない。
下の棚にマンガ本とか
店主が買い集めたであろう本がばらばらっと置いてある。
カウンターの上の額縁には、はかなげ悲しげな美少女の水彩画。
漫画っぽかった。

アイスレモンティーを頼む。
私の横には一心不乱に携帯をうちまくるおばさんがいた。
ボブヘアに灰色とも焦げ茶ともつかないカーディガンとスカート。

年の頃四十半ばといったところだろうか。
場所が場所だけに泰子の再来かと横目でみたが、
立ち上がる気配がない。
それにしても一心不乱過ぎるのがこわい。

ウェイトレスが無遠慮な視線で私をじろじろ眺めまわすのが気に障る。
イタリーの女のように彫りの深い美人なのだが、
どことなく不安そうに、そのくせ私をハッタッとみる。
場所柄だからだろう。……としておこう。

テーブルの向かいの壁に大きな額縁と、
その両脇に二つ、写真を収めたふつうサイズの額縁がある。
写真は戦後間もなくの頃だろう。
神泉駅踏み切りでしゃがむ男の子だった。
店主だろうか。セーターに胸当てズボン。剥き出しの地面。
平べったい何もない写真だ。

江戸っ子の友人は渋谷や新宿を東京とよばないでほしいという。
あそこらは昔小川の流れていた田舎だったという。

佐野真一の本によれば
ここは戦後のダム建設によって水没した飛騨地方の村の住人たちが
東京に移住してつくりあげたものだったという。
大きくいえばここは文明の発展の犠牲となった人々の
被災者部落といってもいいだろう。
土地に磁力があるとすればここは被災者を吸い寄せる。

泰子も厳しい出世競争に敗れた被災者となって、
やけただれた身をここに寄せた。
神泉の陸に立ったとき、
泰子の目に入ったものは平べったい大地だった。

彼女はそこで安心して股をひろげ放尿し、脱糞したのだった。
それは人目に触れなくてはならなかった。
人目に触れなくては彼女の陸はたかまらなかった。

ヲカは丘より低く、つまりはペニスより小さなクリトリスのことだ。
発情し、たかまる陸は射精する。
そのことを知っている女は案外少ないだろう。

女は欲望だ。そのことを書かない作家は作家ではないと思う。

神泉という駅名の由来が喫茶店の額縁におさめられている。
「神仙の空鉢仙人」と題して、由来が続く。
昔、この辺は険しい渓谷であった。
そこへインドから仙人がやってきて、泉を発掘し、弘法湯をひらいた。
それでも人々は貧しく、
仙人は思いあまって京都の朝廷の役人に頼み込んだが、
あまり聞き入れてもらえず、
怒った仙人は托鉢をしていた空の鉢を朝廷めがけて投げつけたところ、
米俵がかえってきたというものだ。

真偽は定かではない。
ここがインドの仙人によって拓かれた泉だとしたら、
泰子のひさぎっぷりにチベットの五体投地を思った私の発想も
あながち的外れとはいえかった。
赤裸で逃げてきた神泉には、
常識では考えられないひりひりした湯が湧いているのだ。

神泉を降りると低い渓谷から湯煙が立ち昇る。
瞼の裏にうつるその渓谷の煙は
ブスブスとあまり爽やかではなく立ち昇っている。
鬼押し出しのような具合にどこからか酋長のあらわれそうな物騒な、
それでいて卑猥で平べったくいかがわしい渓谷なのであった。

何を隠そう、私は泰子事件以前から、空き地で脱糞していた。
正確には空き家であった。
私の住んでいる所は
鵠沼松が岡というしょうもない海辺の高級住宅街にあるヲカなのだが、
脱糞したのはそのヲカの外れで、およそ七年前だった。

欲求不満を持て余して、近所の石塀をかじるのに飽きた私は、
その頃ようやく神経症の回復期にあったのかもしれない。
私は閉じこもるのをやめようとしていた。
私は悪夢を現実に置き換えようとしていたのだった。

夜毎の自慰にはむらむらとくる夢のアペリティフ。
その中でもすぐにでもイケルのがこれだった。

学校にいくのに通らねばならない怖ろしい地下道がある。
海辺の地下道は人っ子ひとりいない。
入り口からさしこむ光を頼りにすすむと、
目の前にいきなり竹刀が振り下ろされる。
ガクランを着た上級生の男たち。
地下道の真ん中を通る溝をパンツをぬいで跨げと命じられる。
溝は狭いが深く、灰色のびろびろした藻がへばりついて揺れている。
私の涼しい股の下でそのびろびろした藻が揺れる。
ガクランは、大きく開いた私の藻に
竹刀をするりと差し入れてはひきぬく。
決して挿入しようとはしない。
私はふるえながら竹刀をぬるぬるにしていく。

人前で股をひろげたいという衝動は動物的なのだろうか。
それを命令するのは脳だろうか。
脳を働かせるのは動物的だと聞いたことがある。

泰子がふつうの娼婦でなかったことは、
「マゾッ娘宅配便」に属していた事実によるまでもない。
彼女の目的は金でもあっただろうと敢えて私はいいたい。
金を含む、あらゆる下性を還元して彼女はイキたかった。
決して登りつめることを望まなかった、
また望めなかった彼女は逝かされるしかない運命にあったともいえる。

私は空き家でうんこをしたとき、
もし誰かにみられたらという大きな期待があった。
あわてふためく私を捕まえ、折檻する男を夢みていた。
だが本当はそうして折檻される自分にもえていたのだ。

夜遅くなって、踏み切りを渡り、泰子が殺されたアパートに行く。

まん腹亭があまりにもひしゃげた場所にあってびっくりした。
かなりの盛況なのにも驚いた。
隣の粕谷ビルのうすぼけたみすぼらしさにも驚いた。

何もかもが吹けば飛ぶようにはかなくみすぼらしかった。

もし泰子がこれらの風景をイメージする力があったなら、
彼女は殺されることはなかったのではないか。
このみすぼらしい谷間で
犯される自分をイメージできたらたすかったと思う。
だが彼女はイメージにおいてひどく禁欲的だった。
それが彼女の首をしめた。

私の夫が不能になったとき、
セックスカウンセラーは彼にイメージする力が貧困だと診断した。
遅ればせながらでもエロ本、エロヴィデオをみるようにすすめた。
だが私は彼とエロシーンをみるのはひどくいやだった。
野暮で重い荷物を背負わされたようでひどく気が滅入るのだった。

客に難しい議論をふっかけた泰子。
彼女も鎧をつけたまま解放されたがった
「不能者」だったかもしれない。
それでも泰子は懸命に陸にイコウとした。
あまりにも不器用に、イメージもなく
いきなりドブにはまるように股をひろげ、
下性をあからさまにして逝った。

遠い風にのって信号の音が聞こえた。
目にもとまらぬ恥ずかしさで電車が駆け抜けていく。

(平成15年10月30日)