2009年7月下旬取材
ヒマヤラの氷河を起点にインドベンガル湾に注ぐ聖なる大河 ヤルツアンポ
ラサから車で3時間、アジア有数の大河ヤルツアンポを渡り、断崖絶壁の山道を走りヤムドク湖に着く。トルコブルーの湖と敬称されるヤムドク湖はラサ3大聖湖の一つである。ダライラマの就任式が行われる所とも聞く。4900mのガンバラ峠を越えて展望する湖の色は正にトルコブルーの別世界、心地よい冷やかな微風が強い日差しを穏やかに包む。近くに7100mのナイチンカンサン山を見る。ここはチョモランマ(エベレスト)の北を通りインド、ネパールのカトマンズやカラコルムへの道でもある。時折おどる風が祈りのタルチョの経文を読んでいるかのようにパタパタと音を鳴らす。風は天上の贈り物だろう。巡礼で賑やかなナム・ツオ湖に比し無を感じる静寂のヤムドク。近い紺碧の空、手の届きそうな白い雲の天空に身を置く。空気は薄いがそれを忘れいつまでも去り難いヤムドクである。 絶壁の山道をくだりヤルツアンポ河沿いの部落に入る。ここの風景は日本の農村と良く似ている。さらに車を走らせると畑の中を旗を立て太鼓や楽器を打ち鳴らす行列が目に入る。 カメラを片手に集団に近づく。最初は私を訝ってみていたが、タシデレ(こんにちは)と言いカメラを見せるとリーダーの老婆の一声で直ぐに仲間に入れてくれた。収穫祭を行っているという。チベットの主食であり酒にもなる麦(チンコウ)の豊作を感謝する祭りである。歓声をあげながら酒盛りが始まる。今年の収穫は“まあまあ”、男はラサ市内に働きに行っているので農業は女、子供の仕事で大変と言いながら強い自家製のチンコウ酒を皆が勧める。高山病で酒は飲めないと断わると、残念そうな顔を見せる。女性はお酒が強く賑やか、子供たちは都会の子と比べ底抜けに明るく人懐こい。シャッターを切り出すと写真を見せてくれという。最近はどんな辺境でもデジカメは良く知られている。残念ながらこの時デジカメは携帯しておらずお詫びをする。デジカメと携帯電話、これだけ短期間の間に世界に普及したものはないだろう。先端技術と変わることのない古来の風習と生活の関係を思いつつ彼等のカワペガ(どこへ行くの)の言葉に押され収穫祭の出会いをあとにした。 ヤルツアンポ河に出る。天への梯子、天悌の印が描かれている水葬の場を見る。チベットでは鳥葬が強調されているが葬の方法はいろいろあり、身分の高い人は火葬、伝染病で亡くなると土葬、ミイラにし仏塔に納める霊塔そして水葬がある。水葬はサイコロ状に遺体を切断、魚に食べやすいようにして河に流される。水葬は主に子供の遺体が対象で、決められた天悌の場所、五色の経幡のもと行われる。遺体と霊魂は別、転生思想の考えが基本であるから、この場所は通常の場所と何ら変わらない。チベット人が魚を食べず魚を吉兆としている理由が良く分かる。 天悌の場所はヤルツアンポ河に多く見られるが私が見た近くに色鮮やかな磨崖仏を見る。11世紀インドからチベットに仏教を布教したアルジャを称えたものという。数百年前に補修されたものでチベット人には大切な摩崖仏と聞く。 夜、チベットオペラ(動きの早い踊りと歌)を見る。チベットの演劇は伝統蔵劇やチャムと呼ばれる仏教の仮面劇が知られているが、当日は残念ながら行き合わせる事無く、2時間のチベットオペラを鑑賞する。テーマは“豊かなるチベットの生活”で会場は客席にせり舞台を配置、効果的な照明、舞台、客席、映像を駆使したハーモニーを持つレベルの高い舞台であった。声量、表情の豊かさ、動作スピードいずれも一級の出来栄えで麦刈り、出船、ラブロマンス等の出し物が自由を謳歌した良き時代のチベットの生活としてダイナミックに演じられた。演出、指導は漢民族の人達だがチベット文化の隠れたレベルを勉強させてもらった。 僅か3日半のラサの旅を終えラサのコンガ空港に向かう。今回の旅の予定はラサから林芝までジープでメコン河源流、高山植物の撮影を行うはずだったが7月初旬、急に中国政府の紛争騒動対策でこの地区は外国人立ち入り禁止になり飛行機でラサから雲南省シャングリラへと変更になってしまった。銃を構え重々しい兵士、自由に発言する事を躊躇するチベット人、観光で急成長のラサに仕事を求め大量に入国する異文化を理解しがたい漢民族、特異な文化と伝統の継続が危ぶまれるチベット、いまだ民族紛争の緊張は解けそうもない。“来年はチベットはさらに良くなる”のスローガンは、民族の自主性を重んじ彼等の視点でチベット文化、価値観を理解し精神的豊かさを共に創り上げるさらなる努力が必要と思われる。 機上より眼下に雄大なヤルツアンポ河を見る。ヒマラヤの氷河を源に2000キロ余インドのベンガル湾に注ぐ大河はゆったりと流れる。自然の偉大さを示す聖河は”転生の思想”と重なる。ダライラマ14世は「生の連続性を受け入れるなら、死は一つの出来事にすぎず、服を着替えるのと変わらない。死は単に人生の一部というだけでなくより深い経験を試みる良い機会となる。こうした観点から死を見ていると私は死にたいしてわくわくする感情を味わうことさえある。」と言った聞く。 悠久の流れヤルツアンポ河はまもなく視界から消えたが、転生以前の自己の生き方を翻るひとときであった。 次回は雲南省 シャングリラ を予定しております |