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成田出発成田出発は16:20でしたが、余裕を持って成田エクスプレスで成田には昼過ぎ には到着。この日、報道によれば「5万人を超える出国者で混雑」だっ たそうですが、ちょうど午前中のアジア、ヨーロッパと夕方のアメリカ便との 間に挟まれてほとんど並ぶことなくチェックイン終了。「通路側の席」の希望 もかなえられて安心して手続きを終了。早めにチェックインした後は、のんびりと出発ターミナルで過ごしていました。 最近は、成田でもビジネスマン向けか、ノートパソコンの利用スペースがあり、 机と電源を無料で使えるところがあります。今回の旅行のためにノートパソコンを 購入していったのでしばらくPCを接続して遊んでいました。 PCを持っていこうと思った理由は、デジカメ写真のバックアップと、現地から のレポートを毎晩あげるため。旅行で散財しているところに、さらに20万のPCは ちょっと買うのに躊躇するところもありましたが、現地でもいろいろ活躍し、 持っていって正解でした。 ユナイテッド航空で一路ロサンゼルスへ今回のキャリアはユナイテッド航空です。スターアライアンスに加入している ので、マイレージは普段使っているANAのカードにチャージすることにします。 ここでおもわぬトラブル(?)。ゲートのUAの係員に、チケットとマイレージ カードをわたし、マイルを登録してもらったのですが、「タケダ様ですね。登 録しておきます」という。 まあ、「タケイなのに名前読み間違えて仕方ない 人だなー」ぐらいにそのときは気にしてなかった。マイレージを登録すると、 新たなチケットを発券する必要があるみたいで、チケットが新しくなって出て きた。 待合いのソファーに戻り、普段はチケットなんて確認しないけどそのと きに限って時間があったのでしげしげとチケットの内容を読んでみる... え? 搭乗者名が違うじゃん。 元のチケットは正しかったのに。 というわけで、この係員は他人のチケットを発券してしまったようです。 早速クレーム入れて 交換。あー危ない。
太平洋線のエコノミーのシートの座り心地を ランク付けすると 1) アメリカン 2) ユナイテッド 3) JAL 4) ANA という順 位かな〜。 まあユナイテッドはシートはいいんだけど、今の時代普通ついている個人用の 液晶テレビがない。ちょっと退屈。ゴールデンウイークシーズンなので、乗客 は7割方が日本人。にぎわっていました。 機内食は、ミートローフと寿司と サラダとパン。よく分からないセンス。まあ、エコノミーにのる以上はこうい う変な機内食を楽しめないと。でも 一度は国際線でビジネス以上に乗って、 ちゃんと別々の皿で食事を食べたいものだ。 さあ、アメリカ到着食事後は、到着後の運転のことも考えて寝ることに意識を集中。なんとか眠り に落ち、気が付いたときにはサンフランシスコ上空。4時間ほどは寝られた かな。ロサンゼルス国際空港にはほぼ定刻の10:00に着陸。混んでいないとは いえそれなりに入管で待たされて、外に出たのが大体11時ぐらい。空港の外は 雲一つ無いカリフォルニアの空でした。
ラッキーな出来事ロサンゼルス国際空港は、他の多くのアメリカの国際空港と同じで、レンタカー 会社まではその会社のバスに乗っていきます。4000kmぐらい走る予定なので、 車は旅行のとても大きなウエイトを占めます。今回はハーツレンタカーにて 車種は「マスタング」を指定していました。まあ、車種指定できるのはプレミ ア会員の特権なので、一般会員の私はあくまで「空いていたら」という条件ですが、 今回は空いていたので運良くマスタングが貸し出されました。 アメリカのレンタカー会社では、受付で手続きが終わると、駐車場のロット番 号を教えてもらい、その番号に止まっている車に勝手に乗り込み、持ち出すという 仕組みになってます。 係員から「868にあるシルバーのマスタングだ」と伝えられ、ワクワクしなが ら、868番を探します。あれれ? 868番はみつかったのだけど、そこには車がない!。 また、トラブル発生だ。仕方なく駐車場にあるカスタマーサービスに聞いてみます。 なんかの手違いがあったみたい。そもそもシルバーのマ スタングは入庫されていないようでした。がーん。 ハーツの係員の間で20分ほど やりとりしていると、目の前に黒のコンバーチブルのマスタングにのったおっちゃ んがやってきました。このおっちゃんが、「これに乗ってけ」 という。 なんでも2日前に納車されたばかりというピカピカの新車。総走行 距離は30マイル。 2005年モデルのマスタングコンバーチブル。 コンバーチブ ルって、別料金なはずだけど、関係なく貸し出される。 20分待ったがとても ラッキー。 東京のごみごみした渋滞を走るのはアメリカ生まれアメリカ育ち のこの車にも可愛そうだけど、これから8日間走る道はこの車にとってもなん ら不満はないところだろう。 ハーツの営業所を12:30に出発。そう、ここは3年前に初めてアメリカを走っ たときのスタート地点と同じ所。あのときのワクワク感と心細さがよみがえっ てくる。でもあのときのように右側通行の道を運転するだけで一杯一杯で、道 に迷ってしまうということはもう無く、たんたんとインターステートの入り口 を目指していけるようになった。ちょっと寂しいが大きな進歩だな。 ハーツの出口を右折しすぐのAirPort Rdを更に右折して北へ。 500mほど行っ たところのManchester 通りを右折。 また500mほどで I-405の入り口に到着す る。 一旦大幹線のI-405に乗ればあとはどこにでも行ける。このインターへの道順さえ覚えれば、今後 ロサンゼルスからサンフランシスコ、ラスベガス、サンディエゴ、フェニック スなどどこに車で行くにも応用が利くな。 当然ですが車社会のロサンゼルスは交通網が発達しています。 今回使ったI-405 だけでなく、 I-5,I-8,I-10,I-15など片側4車線ぐらいある メジャーなインターステートが集中していてそれぞれが立体交差で相互に連結 しています。目的地にたどり着く道の番号さえ覚えておけば、大体どうにかな ります。
一路北上さて、今回の行程はまずI-405を北上し、ロサンゼルス圏を抜けたところで CA-14(カリフォルニア州道14号線)でまずは第一の目的地モハベへ。ロサンゼルスは、 全て周りが小高い山になった地形で、大きさが関東平野ぐらいあり、 CA-14の分岐は、東京から中央高速にのって相模湖あたりの距離感覚です。 I-405は結構交通量がありましたが、CA-14 に入ってからはめっきりと交通量 が減ってきます。山地を抜けると、一面大平原。ここからはモハベまで一直線です。 大体1時間ほどでモハベに到着。 モハベは、もともとサザンパシフィック鉄道がロサンゼルスとサンフランシス コを結んだときに駅が出来たことからいまから130年ほど前に出来た街ですが、、 今はひっそりとした街です。 ただ、モハベ空港という大きな試験用の空港があり、 最近は、民間の宇宙船が飛んだところ としても有名になってきてます。 街の入り口にスペースシップワンの写真 が"Mojave" の文字と共に誇らしげに飾られていました。 ここモハベでまずは一回目の給油をします。... って 価格をみて驚き。一ガロン2. 7ドル .. 高すぎる。この前来たときは1.3ドルぐらいだったのに。高いと聞 いてはいたがここまでか。 ここのガススタでは給油機でクレジットカー ドを読み取ってくれなかったので、レジに行って給油手続きをします。今回の 旅では、クレジットカードを読み取れないことが多発していました。どうも日 本発行のクレジットカードでは使えないことが多いようです。
しばし、山の麓の草原地帯を駆け抜けます。ここは非常に気持ちの良いルート です。今回は途中でデスバレー側に抜けましたが、ヨセミテまで行くと、さら に気持ちのいい高原道路になるようです。 大体モハベから1時間半ほどで、ローンパインに到着。"Lone Pine"つまりは、 「一本松」ですな。おしゃれな田舎町でした。ここはデスバレーへの西側の玄関口 になっている街です。モーテルが5軒ほどありました。 ここでも給油。また高い。。 今日の宿はデスバレーの国立公園内にとっていて、ローンパインからは約 120kmほど。途中、山を二つ越えていかなければなりません。 「この道は、ガー ドレールもないので夜になるとお勧めできない」という情報をWEBのあちこち で読んでいたので、ローンパインで4時を廻っていたら、マンザナールには行 かずにデスバレー直行しようかと考えていました。 ローンパインに到着したのは午 後 4:30。当初の計画だとマンザナールをあきらめるところですが、 勢いで「いけ〜」 ということで、このままマンザナールまで突っ走りました。
マンザナール戦時収容所跡マンザナールは、第二次世界大戦中に日本人の収容施設があったところ。ここ は、3年前のアメリカ旅行記を書いている際に知ってぜひ訪れたかったところです。戦前から日本人はアメリカに渡り、当初は安い労働力として農業や商店を営ん で苦労しながら徐々に普通のアメリカ人としての生活が出来るようになってい ました。 しかし開戦と共に日本人に対する圧力が強まり、ルーズベルト大統 領から「日系人は即座に今の住居をたたみ、収容所に集合するように」とい う命令がだされこの、まったくなんにもない荒野に強制移住させられたという その場所。 数年前からアメリカの国立史跡になっています。 日本でみていると「米国在住の敵国人をアメリカ人が強制移住させた」と見え ますが、アメリカ人にとっては「罪のないアメリカ市民の人権ををアメリカ政 府がを奪った」ということで自由を標榜するアメリカにとっては忌まわしき過去として とらえられ。さらに戦争中に日系人はアメリカ人としての愛国心を示すため、志願して一番厳しい 部隊に配属され、もっとも高い戦死率になったという事実もあり、いまでも議論になっているようです。 この収容所は2km四方ほどの広いエリアで、入り口近くの、もともとホールがあった あたりにビジターセンターがあり、当時の暮らしぶりを伝えています。 当時の収容者が書いていた日本語の文字、日本人らしき名前など見ていると、 異様に日本人であることを意識します。 レンジャーの方に「五時から映画があるから見ていって」と誘われましたが、 後の行程を考えて「ごめんなさい。時間がないもので」と泣く泣く遠慮。 外にでて、車で収容所跡地を回わりました。 収容所の一番奥、シエラネバダ山脈側に 墓地と慰霊碑が建っています。この慰霊碑は1943年に収容者によって作られたもので、 「慰霊塔」と日本語で書かれています。無念の中で亡くなった方に手をあわせました。 今、旅行記を書きながらマンザナールのことをあらためて調べていたところ、 マンザナール収容所に関しては、山崎豊子さんの「二つの祖国」に詳しく描写があるそうです。 今から読んでみようかと思います..
オーウエンズレイクとロサンゼルスマンザナールからローンパインへ来た道を戻り、ここからいよいよデスバレー への道です。US-395 をはなれ、CA-136というほとんど交通量のない道を進み ます。横には 塩湖のオーウエンズレイクが見えています。もともとここは湖 だったのですが、ロサンゼルスへの水を確保するために上流で川をせき止めて ロサンゼルスの方までパイプ(アクアダクト)で水を引いていってしまったん ですね.. 干からびた湖から出る塩が風に飛んで健康被害を招いて公害になっ ていたそう。今はちょっとは水を入れるようにして塩が飛散するのを防いでいるので すこしはましになっているようですが。 しかしまあ、こんな遠くからよくもパイ プラインでロサンゼルスまで水を引いたものです。しかも作ったのは100年近く前というから驚き。 デスバレー荒涼とした山道オーウエンズレイク沿いのまっすぐな道を上っていくとバックミラーにシエ ラネバダの山並みが映ります。写真を撮るために車を止めて外に出ると 全く音がしません。耳が痛いほど無音。もうこのあたりから、 人の気配がしない世界でした。しばらくは平坦な道で70マイルほどで走っていましたが、葛折りの道になりそうも行かなくなってきます。 デスバレーの手前には二つの峠があり、最初の峠にさしかかります。 崖に沿った急カーブで、 日本だったら絶対にガードレールがあるところですが、全くありません。間違えて路肩踏み外せば 谷底に落ちるようなところが各所にあります。 道幅も狭くなり、向こうが見えないブラインドで 速度を出すのは本当に危険なところです。 一つめの峠を越えると、休憩所とガソリンスタンドがありました。 ここの値段は1ガロン3.1ドル.. 地の果てとはいえ、もうあり得ないような値段。 (それでも、日本よりは安いわけですが..)。すでに1/4ほどガソリンを使っていましたが、 まあ、いいか..と通過します。 ここから先、10kmほど パナミントバレーという大平原になっていて、 道は遙か向こうに見える次の峠までまっすぐに伸びています。 次の峠や比較的緩やかな傾斜ですが、 道が所々うねっていて、いい気になって飛ばしていると車が浮くような感じになります。 しばらくすると、一直線のなだらかな下り坂。遠く目をこらすと集落のようなものも見えます。 今日の宿ストーブパイプビレッジ。 ここでふと、マスタングの力を試してみたくなり、前後に車をないことを確認して 一度停車後フルスロットルで加速(^^。 何の引っかかりもなくスーっと時速110マイルあたり まで到達します。普通はおとなしいけれど、踏み込むとやっぱりスポーツカーだと実感。 さて、道はなだらかだと思ったけれどこれだけ速度出すと、道のうねりを拾って少し不安定になります 軽くブレーキを当てるとお尻が振られる感じ。うん。なれないことをするもんじゃない。 今回の旅で無謀な速度出したのはここだけかな。あとは出しても80マイルほどの安全な旅でした。
ストーブパイプウレルズ坂を下り終えるとストーブパイプビレッジの集落です。ここは、ロッジと、小さな売店と 公園内で貴重なガススタがあるところ。 あれれ? ガススタがしまっている。デスバレー国立公園は長野県と同じ広さがありその中に はガススタはわずか4件と非常に貴重なんだけど、ここがしまっているよ。 実は、出発前に 国立公園のWEB を見て、 ガススタが閉鎖しているところがあるというのは見ていたのだが、その場所を 読み間違えていた。 まあ、まだガスは半分はあるし、明日、公園の中心地ファーニスクリークでいれることにします。 早速ロッジにチェックイン。ストーブパイプウエルズはモーテル形式のロッジで、建物の前まで 車を運転していって部屋の前が駐車場になっているという形式です。 一泊110ドルぐらいしたけれど、まあ 国立公園内なので仕方なし。そういえばこのロッジの各部屋には電話がありません。 ここに泊まる人はそういう文明や都会の喧噪から離れて、「なんにもない」ことを楽しみに くるのだから、そういう不便さもまた一興。 シャワーを軽くあびて外に出てみると、東の山に夕日が照らされているのが 見えます。公園内に宿をとった甲斐があるというもの。 明日は夜明け前に起きて 砂漠に上るぞ。 今夜は、ロッジ内のレストランでスパゲッティを食べて早めに就寝。
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